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2002年、「よもやま企画」・平田語録をどうぞ


「今日の一言」を連載中です。ご期待ください。
平田さん
平田さん

  *「今日の一言」は土日・祝日は
   休ませて頂きます。



2002.2.26
  石の地蔵さん
 石のお地蔵さんは、黙って立っていることに代名詞にされているが、物言わぬお地蔵さまが物言うということがある。
 それは「物言う」のであって、しゃべりまくるのではない。
 お地蔵さまは、愛語を語っている。
 ただ沈黙しているのではない。
 
   言葉の怒りをまもりて
   言葉をつつしむべし
   言うべからざる言葉をすてて
   言うべき言葉を言うべし
 
 物言わぬお地蔵さまでも物言うことがある。
 黙っていても、あたたかい言葉をかけられたような感じがしてこそはじめて、本当に生きているということになるのです。
                          (市内の石仏・全数調査実施中) 
 我々仲間、三人で取り組んでおります。
 大変な作業であるが、いろんな仏様に出会うことがあり
 地蔵さまからの語りかけが感じられる今日この頃です。 

2002.2.25
        個性とは
 誰でもできる
        あたりまえのことを
 誰にもできないくらい
               やり続ける
 続けると本物になり
 やがて個性になる
 そして、光り輝く人生がある
               「ひとりごと」田中勉著より
 
 誰でもできること・・・・・。
 私も以前、叔父に10年間続けて見よ!と言われた
 ことがあります。
 それは、郷土の歴史です。
 今年で30年近くになりました。まだまだです。
 それと走り初めて約20年、これもまだまだです。
 誰にでもできることです。
 まだまだを飽きずにこれからも続けます。  
2002.2.22

 父と母の役目
 
      父は照り 母は涙の 露となり
             同じめぐみに 育つ撫子
                          という歌があります。
 
   母の字の上にクサカンムリをつけると苺です。
 愛され親しまれる苺、甘くって少し酸っぱくって、苺は色といい、形と
いい
 味といいそれはあのなつかしい、やさしい母の心を感じさせま
す。
  それとは対照的に父にクサカンムリをつけると艾(モグサ)になります。
 ヨモギの葉でつくったお灸をすえるのに使うあのモグサです。
 父親には急所にお灸をすえる役目があるという教えを表しているの
です。
 「馬鹿者!」と叱りつける父、それをうしろへまわって「お父さんは、
 あ
なたに強い立派な人になってもらいたいと願っているのよ」と父と子の 
 豊かな愛情をとりもつ役目を果たしてくれるのがお母さんです。
 
  いや、最近は恐いのはお母さんだという、お父さんが恐いという子は
 なくなってきた。

 この頃はまさに
    
    母は照り 父は涙の露となり・・・・・・・の時代になりました。   


2002.2.21
 お父さんのイメージ 
  を漢字一文字で表すと
 アンケート1位は「優」と出た。
 2位以下は働・大・酒・力・尊・強と続き、その次に
 やっと「厳」が来る。
  「雷」は50位までに入っていない。
 「厳父慈母」「地震・雷・火事・親父」の時代は遠
 くなった。
 しかし、「優」から「厳」に至るトップ8の父親像はそ 
 う悪くない。
 50位までには、柱・山・海・岩・師・・・・・・・頼もし
 い表現が少なく ない。 
 お父さん、イメージを裏切らないようにがんばろう。

2002.2.20
        江戸のしぐさ
    とは、江戸の昔の「人と人とのちょっとした動作」
  見知らずの人にも親しく礼儀正しく接する心        
   得の表れを言う。
  
  @傘をさしてすれ違う時は、お互い相手のいない 
    方へ自然に傾ける。  
  A人が隣に座れば、座りやすいように詰める。 
  B足を踏まれたら、踏んだ方はもちろん、踏まれた    
    方も「私がうかつで」と謝って落着。
            こんな所作が「江戸しぐさ」である。

                   
  電車の中で大またを広げる、どちらかに寄ればもう 
  一人楽に座れるのに込み合っていても知らん顔か
 タヌキ寝入り。荷物で座席を占領。
 近頃の電車や駅では、マナーのレベルをはるかに超  
 えた事件が展開されている。
 粗暴犯もありだ。各線でも「江戸のしぐさ」とはほど       
 遠いことが起きている。
 あまりにも自分勝手な人が多すぎるのでは?
 悲しいことです。

2002.2.19
 
出会いは人生最高の感動である
  人生は多彩な出会いの連続だ。
 風物、自然との出会い
 言葉や本との出会い
 最も素晴らしい人との出会いがある
 すべての出会いは縁である
 何かの運によってその出会いがなされたのである
 その時の出会いは、お互いの事情がひとつ狂って
 いたらなかったはずだ。
 一度しかない人生の中で、人との出会いは
 人生最高の感動的な事件である。
 会いがたくして、会えた。
 かけがえのない出会いを無にしてはならない。

2002.2.18
       横超(おうちょう)
 横超という言葉があります。
 問題を解決しようとしてまっすぐ進んで
 いったときに、どうしても突破できない
 高くて厚い壁があったとする。
 そうした際に、いったん曲がって横に逸れ
 てみる。
 壁の前で座り込んで挫折するのではなく、
 一度大きく遠回りしたり、壁の下を掘り
 進んでみるという考え方です。
 
 壁を乗り越えて、一回りも二周りも大きな
 人になっていくんですね。 

2002.2.15
人生は出会いの連続である
  私たちはこれまで、どれほどの人と出会い
 どれだけのことを語り合ってきたのだろうか。
 これから、どれほどの人と出会い、どれほどの対話を交わ
 していくことだろうか。
 話すことは生きることの証でもある。
 人と語り合えることの歓びを、より多くの人に分かち合いたい。
 そんな願いをこめて、今日も話すことの素晴らしさ
を求めたい。

2002.2.14
 七つの心
 「おはよう」という明るい心
 「はい」という素直な心
 「ありがとう」という感謝の心
 「いらっしゃいませ」という歓迎の心
 「させていただきます」という奉仕の心
 「ごくろうさま」といういたわりの心
 「すみません」という反省の心
 
 こういう言葉が、自然に日に何回となく
 飛び交わっている家庭や職場は、その
 ことだけで、輝き、活気のある場となって
 いる。
 この言葉を出し惜しみしているとすれば
 人間関係にひずみが出て、まわりへの
 雰囲気も悪くなってしまうでしょう。
 七つの言葉には、それぞれ七つの素晴らしい
 心がかくされている。
              

2002.2.13
    木多くして森見えず
 で、目的物を見失ってしまう。
 お金をもうけることなど、しあわせになる
 手段であり、必要条件ではあるが絶対条件
 ではない。
 それを忘れて、いつのまにかミイラ取りが
 ミイラになり、自分の生活を犠牲にしてま
 でも金もうけのために「うつつ」をぬかし
 それを目的にするとかえって不幸になって
 しまう。
 

2002.2.12
       興味津津
 漢字の誤用を当てるテストで、よく「興味
 深深」という問題にお目にかかる。
 「興味シンシン」を単に興味深いという意 
 味にとっていると、この間違いは発見でき      
 ないかもしれない。
 「津」には、水が涌き出るという意味があ
 り「津津」とくれば、それこそ絶え間なく
 興味がわいてくるということになる。
 目をランランと輝かせながら、おとぎ話に
 耳を傾ける子どもの様子など、
 まさに「興味津津」というべきだが、我々
 大人になると、妙なことに
 「興味不津津」となる人が少なくない。
 あなたは今、何に興味ありますか?。

2002.2.8
                              「皆悪者揃い」
   いつも口喧嘩の絶えない家の主人が、どうして隣りの家では
   家庭ともども仲が良いのかいぶかしく思い 「どうして喧嘩口論

   がないのですか、その秘訣を教えて下さい」と聞きに行った。
   すると隣の主人曰く 「うちでは皆悪者揃いなので喧嘩がないの
   です」との答えが返ってきた。
   ふざけた返事に憤慨し、ある日、その隣家で自転車が盗まれて
   騒ぎ
出したので、ソッと聞き耳を立てていると、「玄関の戸を締め
   忘れた私が悪い悪いのです」
   「私が鍵をかけておかなかったのがいけなかったのです、私が悪う
   ございました」「いや、僕があそこに鍵を入れたのが悪かったので

   す」とみんな自分の落ち度をいいあっている。
   その言葉のやりとりを聞いて、はじめて自分の非を悟り、それから
   「決して口ぎたなくののしり、相手を悲しませることはすまい」と誓い
   をたてたという。
   
    悪事を己に向かえ
        好事を他に与え 己を忘れ他を
               利するは 慈悲の極みなり
     
    皆さんどうでしょうか、日々の生活を送るなかで
    今一度チェックを!
  
200.2.7
 10円玉は
「丸いと同時に 四角である」
たとえば、ここに10円銅貨があるとする。
これを上から眺めると丸いが、その側面は四角である。
すると10円玉は、丸であると同時に四角ということになりどちらも正しい。
こうした見方はちょっと矛盾しているように見えるが、我々の物の見方を一方に捉えると、10円玉は丸になり、片方を捉えると四角になる。
形にとらわれずものを知るには、見る角度を捨てなければならない。
世の中には10円玉は丸くて四角なわけがないとクソ真面目に主張する。
それぞれが自分の見方を唯一絶対だと思い詰める心の狭さから出ているので、ほんとうは「丸いと同時に四角」であるという見方をしなければならない。 
  


2002.2.1
      1秒の言葉 「ありがとう」
  「ありがとうございます」という言葉はすばらしい言葉である。
 「ありがとうございます」は、言葉を発した人も気持ちがよい。
 言われた人は、なお気分がよい。
 「ありがとうございます」とは感謝の気持ちを言葉に表現して相手に伝えることである。
  「ありがとうございます」と言葉に出すことを習慣づけると、毎日が確実に明るく楽しくなる。


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