東枚方街道


 東枚方街道は、大垣内ーー田宮ーー山之上ーー茄子作ーー星田に至る街道で明治時代に付けられた道である。

枚方市大垣内町1丁目辻にある道標に
(正面に)すぐ磐船街道
(裏面に)右 東枚方街道 星田停留場道
すぐ磐船街道 大和道
(左側面に)明治37年1月建立 大阪府 とある。

星田北5丁目付近の東高野街道 民営関西鉄道の星田駅(現在の学研都市線)は、明治31年(1898年)7月に1日に開設されたが、京阪電気鉄道はそれより十余年遅れの明治43年(1910年)の開通である為、当時枚方の人が乗り物で出掛けるとなると、東枚方街道を歩いて星田停留場か又は津田停留場まで出たのであろう。

この道に対して、枚方ーー田井ーー住道ーー八尾に至る幹線道路河内街道が古くからあり、明治に至り枚方街道と称するようになったが、その東を通る道であるから、東枚方街道と称したのである。 「旭尋常小学校郷土誌」には、枚方街道として、「川越村大字茄子作より来り、東高野街道を横断し、星田村の北方に入る。」と記されているが、東枚方街道をさしていることはあきらかである。

また、「星田村役場財産原簿」によると、明治38年〜43年に東枚方街道道路敷地として、茄子作からバス停北星田をへて、東へ中川通りと交差するまでに区間、即ち尾道(おおどう)、車司(くるもうじ)、四馬塚(しばづか)、江尻、神出来(かんでら)、千原、乾村、北村の八小字の57筆を用地買収していることで、 東枚方街道の一端を知ることが出来る。