星田妙見道


星田上垣内の四辻に立つ道標・右:大坂  左:星田妙見道と読める 「妙見道」と公称される道はないが、星田妙見宮の参詣する人たちの便宜をはかり、道に迷わないよう、比較的多く道標が建てられ利用されていた。
「星田妙見」の道標が建つ道を、「星田妙見道」と名付けた。
道標の確認されている数は、15基で、うち7基は星田村内で、それ以外は打上(寝屋川市)、岡山(四条畷市)、深野・諸福(大東市)、大阪市鶴見区、寝屋・秦(寝屋川市)、守口にあり、すべて星田より西にあり、東には存在しない。

多くの道標から推測される「妙見道」は二筋あったようである。

ひとびとの幸せと旅の無事を祈り続ける地蔵様 一つは、大阪天満橋南詰、片町に出て寝屋川沿いに古堤街道を徳庵堤−−諸福−−住道−−深野−−東高野街道を岡山−−打上−−星田から山根街道に入り、鍛冶が坂を越えて妙見宮へと至る道。

今一つは、大坂城京橋口から京街道で野江、関目を経て、守口−−黒原−−秦−−太秦−−寝屋−−星田から山根街道を妙見宮へ辿る道。

星田妙見宮への星田村の道・道端に地蔵様がおられる 更に、安政4年(1857年)妙見山鏡講名前帳には、星田近辺の村々は勿論、大坂の町、京都の町、山城、大和の広範囲に妙見宮の信者が存在していたことが確認されており、星田妙見宮参詣には、磐船街道、東高野街道などその他諸々の多くの道が利用されていたようである。


星田歴史風土記を参照