倉治古墳群・清水谷古墳

北河内の古墳編年表

倉 治 古 墳 群
関西電力鰍ェ交野市東倉治3丁目(字東浦)の丘陵に枚方変電所の建設を計画、昭和26年初め、片山長三氏から用地内の「丸山」が古墳ではないかという、連絡があり、調査確認された。「丸山」からは遺構、遺物の発見はなかったが、その後「丸山」の南側、中山路を越した付近で横穴式石室(第8号墳)を発見され、次々と全部で8基の古墳が発見された。
 倉治古墳群の8基の古墳は、2グループに分かれる古墳群であることが判明した。下記の一覧表の通りです。また、この8基の横穴式石室の構造には、羨道が見られない特色がある。「竪穴系横穴式石室」と呼ばれたり「「玄室・羨道間に段をもつ石室-横口式石室」と呼ばれる概念に属する古墳である。
 この種の石室は「秦氏」など朝鮮半島南部からの渡来系氏族に見られる構造の石室であり、「清水谷古墳」と同様に、6世紀後葉、郡津・倉治の地に置かれていた交野地域を統括し天野川の水運や大和への陸路をも管掌する行政機構にあってその中の中核となった官人群−秦氏の墓域がこの2ヶ所の墓地であったと考えられている。
↑ 第6号墳の石室実測図
倉治古墳群から出土した土器類

関西電力枚方変電所建設時に出土した
歴史とロマンあふれる品々を展示

《交野市立歴史民俗資料室》

昭和26年、枚方変電所の建設工事中、8基の横穴式古墳が発掘されました。
この古墳は、1,000年以上も昔のもので、歴史的価値の高いものと注目されており、
出土した土器や装身具を展示し、当時の集落の模型や、説明パネルで、
交野の1,000年昔の人々の生活を偲んで頂けるようになっています。

   清水谷古墳  交野市東倉治5丁目にある横穴式石室を具えた古墳である。清水谷古墳内部
 東倉治の大阪府警察学校の南、北両脇の道が山裾で交差する、その交差点の東に位置している。標高70m、西への眺望が開け東に交野山系がある。
 この清水谷古墳は、昭和42年3月末、当時この土地の所有者であった中野氏が蜜柑の苗木を植えようとして地面を50cmほど掘り下げた際、横穴式石室の天井石が偶然見つかり、存在が確認された古墳である。
 墳丘は9m、墳径は12m前後。主体部は、南北にやや長い楕円形の墳丘の中央に、南に開口する横穴式石室が設けられている。現在、横穴式石室の上は、覆屋が造られ石室を保護している。この横穴式石室は、「無袖式の横穴式石室」である。
 この山麓地方は、古代の機織業を主とした渡来人の居住地が南から北へと続いて、はたやま(交野市寺)、はたもの(交野市倉治現在の倉治より山寄り)、はただ(枚方市津田、当時の集落は清水谷の口)の3機織業集落が、それぞれ山麓扇状地の上に繁栄していた。そして、夫々その集落の附近に横穴式古墳群を築造している。
 それは、はたやま集落では竜王山古墳群、はたもの集落では関西電力枚方変電所敷地内の横穴式古墳群である。はただ集落では清水谷古墳が発見されたのみであるが、附近にも古墳らしきものがあるようで、はただ古墳群中の一部と思われる。
 また山麓3集落とも、7世紀の築造と推察されている
清水谷古墳の石室実測図
古墳の塚 
玄室の石で心と書かれている
関西出力枚方変電所付近から
出土した6世紀後半の古墳の骨を
集めて昭和33年に作られた
清水谷古墳
標高70mの地点
覆屋が掛けられ大事に保存されている
7世紀の築造と推察されている
清水谷古墳
覆屋が掛けられ
大事に保存されている
清水谷古墳内部(玄室)
横穴式石室を備えている
基底部から天井石
上部まで1.97m
清水谷古墳
左側基底部に箱式棺と
見られる石組みがあり
南側に羨道がある

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