森(もり)の名の起こり

森と書いて「もり」と読む
平安時代に入ると、朝廷の力が弱まる一方、各地の豪族や寺社が強くなっていった。
貴族、寺社等は、自分達が農民を使って開墾した土地や、他からの寄進を受けたりした土地を増大していった。
このような朝廷の力の及ばない土地を荘園といった。

天暦三年(949)、三宅山一帯が石清水八幡宮の荘園となり、その範囲は、交野地方の山々一帯1400町歩に及ぶ広大なものだった。
それに、山年貢を収める倉庫・荘園の管理をする役人の住む住宅地など、6町歩、荘司が荘園内の農民を使って耕作する田(佃)が、23町歩も付随していた。

須弥寺 池田 麗一著「須弥寺沿革誌」に、山司(荘司)として、石清水八幡宮から派遣されてきた役人の名前が、森に伝わっていることが記されている。

それによると、延久年間(1069〜74)、森宮内少輔という有徳の人が森に住んでいた。
彼が、警固観音(須弥寺)の大変荒廃しているのを惜しんで再興した。

そのことにより、彼の名があがり、これまで、「無垢根(むくね)」とよんでいたこの村の名前を「森の村」と呼ぶようになったと言う。