寺(てら)の名の起こり

寺と書いて「てら」と読む
古代の「寺」は、今の所ではなく、今池の南の小丘陵地から「いまい」にかけての地であった。
この地域に弥生時代から奈良時代にかけて、稲作を中心とする村人が集まり住んでいた。
その頃の村の名を「てるは」とよんでいた。

そのころ、大陸から新しい技術を持った人々が渡ってきて、交野地方に住むようになった。
これらの人々が津田山(津田)、交野山(倉治)、竜王山(はたやま村)の三ヶ所に分れて住んだが、
かれらは、製糸、はた織りの新しい技術を持っていた。
住吉神社 寺村の背後の竜王山の麓に住んでいた渡来人の集落を「はたやま村」といっていた。

この「はたやま村」が現在の寺村の位置に当たる。
竜王山の麓には、住吉神社が建てられている。

背後の山地は、風化の進んだ花崗岩地帯であるため、大雨による大出水が相次ぎ、下手にあった「てるは村」は、崩壊してしまった。
村人は、丘陵の尾根筋にあって、洪水の被害にあいにくい、かっての「はたやまの村」の地に住むようになった。
それは、以前の「はた織りの村」でなく、農耕を主とした元の「てるは村」の人々であった。

そのため、村の名前も旧の「てるは村」になり、それが時代を経るうちに「てら村」と転訛した。