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酒船石遺跡
2000年2月 明日香村教育委員会


1.はじめに

 伝飛鳥板蓋宮跡の東方、謎の石造物・酒船石がある丘陵を酒船石遺跡と呼んでいます。平成4年に
見つかった石垣は天理から奈良市で採集される砂岩を使用し『日本書紀の』斉明二年の条に記されて
いる「宮の東の山に石を累ねて垣とす。」の記事に符合します。この丘陵では版築による大規模な造成
が行われ、斉明天皇の「両槻宮」ではないかとも考えられています。今回この丘陵の北裾で、東西ふた
つの尾根にはさまれた谷部分を、村道飛鳥小原線建設に伴う事前調査と酒船石遺跡の範囲確認を目的
として、平成11年11月から調査中で、調査面積は約750uです。
酒船石遺蹟

2.主な遺構
【階段状石垣】
 調査区東側の階段状石垣は東の尾根の西斜面に造られ、石段は格段の幅が約60p、高さ25pで
8段あり、南北幅6m、高さ約2mあります。石敷のテラスは北に向かってわずかに傾斜しながら高くな
っており、テラスから北へのびる石段は6段分残っています。


【石垣】
 調査区西側の丘陵裾に沿って造られている花崗岩を用いた石垣は、高さ1mほどあります。石垣とその
東の犬走状に残る石敷との間には幅40p、深さ15pの石組溝が造られています。また上段の石垣とし
て長さ30p、高さ15pの砂岩切石を積んだ石垣が造られ、2段分残っているところもあります。



【石敷】
 調査区の中央には、西側を限る砂岩石列から東側の階段状石垣までの間12m四方に石が敷かれてい
ますが、石敷は数回改修されています。砂岩石列西側の犬走状に残る石敷の間には砂岩片が多く残り
本来は砂岩切石を敷いていたと考えられます。


【南北溝】
 調査区の中央に幅50p、深さ45〜50pの石組の南北溝があり、溝底にはバラスを敷いています。
この地域の基幹排水溝で数回改修されています。この溝に砂岩切石を底に敷いた東西溝が東からとり
つきます。

【石造物】
 調査区の南側では飛鳥産の花崗岩を加工した石造物が見つかりました。石造物@は花崗岩の石塊を
成形して亀の形を彫ったもので、全長約2.4m、幅2mで顔を南、尻尾を北に向けています。左右には
手足が表現されており、円形の甲羅部分は幅19pの縁を残して直径1.25m、深さ20pの水槽状に
加工しています。水は鼻の穴から水槽部分に入り、V字型に彫りこまれた尻尾から南北溝に流す仕組み
になっています。
 石造物Aは小判型をしたもので長さ1.65m、幅1mで北側の側面には突起を、南側の上面は高さ
15p、幅90pの半円形に一段高く削り出しています。石の縁を20p残して長さ93p、幅60p、深さ
20pの水槽状に加工しています。水槽底より8p高い位置に径4pの穴が開けられ、突起を通って水
は石造物@の鼻に入ります。



3.まとめ
 今回の調査では酒船石遺跡の丘陵の北裾で、谷部分という閉鎖された空間の中に遺構が存在すること
が明かとなりました。これらの遺構は石造物を中心として石敷や階段状石垣などによって立体的な空間を
作り出しています。遺構には多くの砂岩切石が使われており、酒船石遺跡の造営とともに造られたものと
考えられます。酒船石遺跡は、『日本書紀』にみえる「宮の東の山の石垣」、「両槻宮」との関係が指摘さ
れてきましたが、今回の遺構はそれらをさらに補強するものです。このような大土木事業が可能であった
のは天皇、ないしはそれに準ずる人であったと思われます。


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