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難波宮跡

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歴史散歩道・大阪の歴史
大阪上町台地とその周辺の今昔
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難波宮跡歴史公園 @難波宮跡
 大阪城の南西、中央大通り南側に広がる大空間(約90,000u)が難波宮跡史跡公園である。
 天武天皇14年(686)に全焼した難波宮と聖武天皇が天正16年(744)2月から翌年5月まで、都とした難波宮との複合遺跡。更に孝徳天皇が大化改新の詔を発した長柄豊崎宮もここにあったとする説も有力。
 ‘99年秋、前期難波宮(孝徳・天武朝)の政庁・長堂院の一部と見られる大規模な建物遺跡が発掘された。後期難波宮(聖武朝)の大極殿の基壇が復元されている。

@難波宮跡資料展示室
難波宮跡から出土した遺物  難波宮跡公園の南辺中央入り口にある。
大極殿の復元模型を中心に様々な出土品が展示されており、研究員の方の説明は大変分かりやすく勉強になった。

大阪市立新博物館・
考古資料センターが2001年開館予定!!!

 難波宮跡史跡公園の北、中央大通り北側に建設中。
所在地:大阪市中央区大手前4丁目6番3号
 建物の規模:博物館棟=地下3階、地上13階

建設予定地MAP

大極殿復元図  645年「大化改新」に伴い、難波の地に都が遷されて以来1350年余りの歴史を刻んできた「都市・おおさか」の姿を、館蔵の実物資料とともに、実寸大の復元建物やミニチュアワールド、大小さまざまな映像などを、駆使して紹介する施設。
 建物は、現在NHK大阪放送局と共同で進められています。
展示例
10階、フロア―展示(古代)
「難波宮の時代」
 実物大に再現した後期難波宮の大極殿柱間の展示室から、眼下に広がる現在の難波宮跡史跡公園を望みつつ、前期後期2時期の難波宮の成立と変遷や国際交流の様子などを紹介する。
 

大村益次郎没碑 @大村益次郎没地
 難波宮跡公園の南西端、上町筋角地に大村益次郎の碑が建っている。
日本陸軍の創設者の大村益次郎は明治2年京都で刺客に襲われ、ここに在った浪華仮病院で死去。


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