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安土城跡を歩く

天守閣図面

@幅8m、長さ180mの「大手道」の石段が真直ぐに続く。防御の為の折れ曲がった大手道が常識の戦国城郭ではまた全くの異例。→信長の白信の表れか?

A石段を登り始めると左側に羽柴秀吉邸跡。上下3段に分かれた曲輪と呼ばれる平地に残る石垣の上に殿舎があった。今、厩跡の礎石が残る。

G右手が前田利家邸跡。

C大手道を左折すると左手が、茶人の武井夕庵、信長の長男信忠の邸跡。

D大手門に匹敵する櫓門跡、母屋跡を示す礎石群。

E天守台跡は昭和15年東西10列、南北10列に整然と並ぶ数十個の礎石が土砂の下から発見。

F天守台のすぐ南側の一段下が本丸跡。昭和16年、多数の礎石が出土。本丸御殿からは瓦の出土が無いので桧皮葺又は板葺きだったと考えられる。

G二の丸は天守台の西に位置し「西の丸」とも呼ばれる。今の総見寺「信長廟」の在る所。「二の丸」通路跡は現在発掘調査中で立ち入り禁止。

H本丸御殿跡→天守台跡の石段左側の城壁は安士城炎上の際、焼けた為の赤い色を残す。

●黒鉄門(くろがねもん)→天守台跡への道脇には瓦の破片が残っているが持ち帰ると「文化財保護法」で罰せられますので注意!!

⇒発掘調査は滋賀県教育委員会により平成元年度から20年計画で96へクタールの城跡一帯を対象に実施中。大手道・秀吉邸跡・利家邸跡の発掘調査を完了。今後、搦め手道、天守跡を調査予定。

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