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世界文化遺産・法隆寺探訪

法隆寺境内図     法隆寺近辺地図

 9/2(土)午後、法隆寺までドライブした。朝晩は少し秋の気配が漂い始めたが、日中は日差しがまだまだ厳しい。 世界遺産・法隆寺は、何度訪ねても飽きない魅力がある。南大門をくぐり玉砂利を踏みしめて進むと、西院伽藍に圧倒される。中門と五重塔、金堂などの配置がカメラ構図に見事におさまる。
 金堂内部は、薄暗く金銅釈迦三尊像、薬師如来坐像など沢山の仏像が安置され、訪ねる者を静かに見守って下さっている。
 平成10年に落成した新しく立派な建物「大宝蔵院」の百済観音堂は、百済観音像の安住の殿堂。すらりとしたお姿で慈悲深く私どもをみつめられている観音様、どうぞいつまでも私どもが過ちを犯さず平和な生活を過ごせますようにしっかりとお導き下さい。
合掌。

 法隆寺は飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築として広く知られています。
 その創建の由来は「金堂(こんどう)」の東の間に安置されている「薬師如来像」の光背銘や『法隆寺伽藍縁起並びに流記資財帳』(747)の縁起文によって知ることができます。五重塔
 それによりますと、用明天皇(ようめいてんのう)が自らのご病気の平癒を祈って寺と仏像を造ることを警願されましたが、その実現をみないままに崩御されたといいます。
 そこで推古天皇と聖徳太子が用明天皇のご遺願を継いで、推古15年(607)に寺とその本尊「薬師如来」を造られたのがこの法隆寺(斑鳩寺(いかるがのてら)とも呼ばれています)であると伝えています。

 現在、法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍(さいいんがらん)と、夢殿を中心とした東院伽藍(とういんがらん)に分けられています。広さ約18万7千平方メートルの境内には、飛鳥時代を始めとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、たくさんの宝物類が伝来しています。
 国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2800余点に及んでいます。
 このように法隆寺は聖徳太子が建立された寺院として、1400年に及ぶかがやかしい伝統を今に誇り、とくに1993年12月には、ユネスコの世界文化遺産のリストに日本て初めて登録されるなど、世界的な仏教文化の宝庫として人々の注目を集めています

@南大門(なんだいもん)=(室町時代) 法隆寺の玄関にあたるこの門は、永享10年(1438)に再建されたものです。

A中門及び廻廊(飛鳥時代) 深く覆いがぶさった軒、その下の組物や勾欄(こうらん)、それを支えるエンタシスの柱、いずれも飛鳥建築の粋を集めたものです。重厚な扉と左右に立つ塑像の金剛力士像(奈良時代)は、東西にのぴた廻廊の連子窓(れんじまど)と対照的な組み合わせで、並列して建つ塔と金堂を壮麗に包み込んでいます。

B金堂(こんどう)=(飛鳥時代) 法陸寺のご本尊を安置する聖なる殿堂が金堂です。
 威風堂々としたこの建物の中には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代)、太子の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代)、母君穴穂部間人皇后のために造られた金銅阿弥陀如来坐像(鎌倉時代)、それを守護するように、樟で造られたわが国最古の四天王像(白鳳時代)が、邪鬼の背に静かに立っています。そのほか木造吉祥天立像・毘沙門天立像(平安時代)、北面には塑造吉祥天立像(奈良時代)、の諸像が安置されています。
 また天井には、天人と鳳凰が飛ぴ交う西域色豊かな天蓋が吊され、周囲の壁面には、世界的に有名な壁画(昭和24年焼損、現在はパネルに画がれた再現壁画がはめ込まれています)が描かれ、創建当初の美しさが偲ばれます。

C五重塔(飛鳥時代)塔はストゥーパともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するためのものであり、仏教寺院において最も重要な建物とされています。高さは約31.5メートル(基壇上より)で、わが国最古の五重塔として知られています。
 この最下層の内陣(ないじん)には、奈良時代のはじめに造られた塑像群があり、東面は維摩居士(ゆまこじ)と文殊菩薩が問答、北面は釈尊が入滅、西面は釈尊遺骨(舎利)の分割、南面は弥勒菩薩の説法などの場面が表現されています。

D聖霊院(しょうりょういん)=(鎌倉時代) 東西の廻廊の外側には、それぞれ東室(ぴがしむろ)・西室(にしむろ)という南北に細長い建物があります。それらは僧侶の住居でありましたから僧房と呼んでいます。とくに鎌倉時代に聖徳太子信仰の高揚にともなって、聖徳太子の尊像(平安末期)を安置するために、東室の南端部を改造したのがこの聖霊院です。

E大宝蔵院(たいほうぞういん) 聖霊院から東に進むと宝物庫である綱封蔵(こうふうぞう)(平安時代)があります。その手前を北に進むと、食堂(じきどう)(奈良時代)や細殿(鎌倉時代)などの建物の奥に新しい伽藍が見えてきます。ここが平成10年に落成した百済観音堂像(くだらかんのんどう)を中心とする大宝蔵院です。建物の内部には、有名な夢違観音像(ゆめちがいかんのんぞう)(白鳳時代)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(たまむしずし)(飛鳥時代)・蓮池の上に座す金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)をはじめ百万塔・中国から伝えられた白檀造りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画など、わが国を代表する宝物類を多数安置しています。
 飛鳥時代から近世に至るこれらの宝物は、1400年に及ぶ法隆寺の信仰の遺産であり、法隆寺の歩んだ道のりをうかがわせる貴重な宝物と言えましよう。

F百済観音堂(くだらかんのんどう)
 法隆寺に伝わる百済観音像(飛鳥時代)は、わが国の仏教美術を代表する仏像として世界的に有名であります。
 また日本の仏像には珍しい八頭身のすらりとした姿と、優美で慈悲深いその表情は多くの人ぴとを魅了しています。
 法隆寺では、この百済観音の安住の殿堂をお造りすることが永年の悲願でありました。その夢がついに平成10年秋に実現いたしました。それがこの百済観音堂であります。

G東大門(奈良時代) 大宝蔵院を出て夢殿(ゆめどの)へ向かう途中に建っているこの門は、珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つです。


H夢殿(ゆめどの)(奈良時代) 西暦601年に造営された斑鳩宮跡(いかるがのみや)に、行信僧都(ぎょうしんそうず)という高僧が、聖徳太子の遺徳を偲んで天平11年(739)に建てた伽藍を上宮王院(じょうぐうおういん)といいます。
 その中心となる建物がこの夢殿です。八角円堂(はちかくえんどう)の中央の厨子には、聖徳太子等身の秘仏救世観音像(飛鳥時代)を安置し、その周囲には聖観音菩薩像(しょうかんのんぼさつ)(平安時代)、聖徳太子の孝養像(鎌倉時代)、乾漆の行信僧都像(奈良時代)、平安時代に夢殿の修理をされた道詮律師(どうせんりっし)の塑像(平安時代)なども安置しています。この夢殿は中門を改造した礼堂(錬倉時代)と廻廊に囲まれ、まさに観音の化身と伝える聖徳太子を、供養するための殿堂としてふさわしい神秘的な雰囲気を漂わせています。


(法隆寺略縁起)パンフレットを参照にして作成しました

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