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西国街道郡山宿本陣の特別公開を訪ねる
11/22  茨木市宿川原町

詳しくは、西国街道沿いの史跡探訪の郡山宿本陣を参照ください


 11/22、秋晴れの一日、郡山宿の特別公開を拝見した。
JR茨木駅より阪急バスにて宿川原にて下車、西へ100mにあり、平成13年に改修工事が完了し、公開されている。郡山本陣
 現在は、17代当主の梶洸氏が居住されており、280年間の長い間そのままの姿で保存された貴重な歴史遺産である。

 御成門を入ると脇に椿が植えられ、玄関まで石畳で両側に当主お手植えの椿の鉢が並んでいる。内部は本陣の構えを残し、上段の間、時計の間、御継ぎの間、風呂場、家老の便所等の部屋がある。本陣内には他に、カマヤ、納屋、茶屋、米蔵などがあり、各種の資料が展示されている。
また、切腹二日前の大石良雄の書が掲げられている。
見学は事前予約制となっている。

 「西国街道」は京都・羅城門を起点に、兵庫に到る街道。
脇街道と言いながら中国、四国の大名たちの往還、一般武士、庶民の通行も多く、東海道につぐ往来のあった所である。

郡山宿本陣は、五色夫婦椿
 京都〜西宮間の江戸時代から明治時代までの西国街道の5つの宿駅=《(山崎(島本町)、芥川(高槻)、郡山(茨木)、瀬川(箕面)、昆陽(伊丹)》のほぼ中央に当たる摂津郡山宿の本陣で、西国大名らが参勤交代時の定宿として利用した。
 国指定の史跡。2,366uの敷地に母屋2棟、土蔵3棟、納屋1棟、茶室1棟の7棟が建つ。
 建物は、享保3年(1718年)に類焼にあい、宿帳を除き貴重な古記録はなくなったが、3年後の享保6年(1721年)に再建されて以来、およそ280年間そのままの規模で残されている。
 

音に名高い本陣の椿折って一枝欲しゅうござる・・・・”と子守唄に歌われ、親しまれている椿が御成門の脇にあることから「椿の本陣」と呼ばれる。現在はこの椿に「五色夫婦椿」と命名された(平成13年)。

本陣として上段の間

@「上段の間」の畳は下部からの襲撃に備えて二重敷きになっている。

A賊の侵入防止のため、長い間、庭石や燈篭は無かった。

B雨でも馬荷を積み降ろしし易いように軒を道に張り出している

C荷物の出し入れがし易いように土間が広い、等の工夫がされている。



本陣の歴史
寛永12年(1635)・・・建築。
享保3年(1718)・・・類焼、宿帳など古記録を除き焼失。
享保6年(1721)・・・再建。その後現在までその姿を残す。
昭和23年(1948)・・・本陣として始めて国史跡に指定。
平成5年(1993)・・・改修に着手、平成7年「阪神大震災」罹災。
平成13年(2001)・・・改修終了(建物解体修理・門扉や庭園の整備)。

宿泊者の記録から
赤穂藩主、浅野内匠頭長矩・・・元禄10年(1697)〜13年(1700)
<因みに松の廊下刃傷事件は元禄14年である>「元禄十三辰五月十六日参勤御宿 浅野内匠頭様・・・」の宿帳記載。関札、火縄銃が掲げられている
事件後、赤穂城受取に向った脇坂淡路守。
慶応元年(1865)・・・明治天皇。
幕末には三条実美ら七郷落ちのメンバー、や長州の騎兵隊など。

他に、大名が当主に「粗雑な扱いでよいから一人当たり五十文以下に」、「出迎えは不要」などと言った書状も残り、当時の経済的疲弊の武士階級の実情を表している。

 


郡山宿本陣見学案内
◇見学料無料
◇見学時問        午前10時〜午後4時
◇予約方法   事前予約制  5人以上のグルーブで・10日前までに
◇申込先: 郡山宿本陣 〒567−0055 茨木市宿川原町3番10号
                TEL0726−43−4622
     (予約は電話で、午前9時〜午後5時)
◇休館日 月・火曜日 国民の祝日(当日が月・火曜日のときは水曜日)
       年末・年始(12月20日〜1月10日)
交通案内
◇阪急バス (JR茨木・阪急茨木市駅から)阪急石橋・郡山団地・道祖本診療所前行き
  宿川原バス停下車徒歩2分

備 考
◇お車でのご来場は、ご遠慮ください。
◇生活の場を見学しますので、マナーを守りましょう。
    (茨木市教育委員会作成の史跡 郡山宿本陣パンフレットを参照)

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