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2009年5月16日(土)
私部南遺跡(その3)発掘調査
現地説明会  
私部南遺跡発掘調査   (財)大阪府文化財センター

 2009年年5月16日(土)、私部南遺跡(その3)の現地説明会が行われた。
大阪府文化財センターでは、交野市域から寝屋川市域にかけて<緑立つ道>・第二京阪道路予定地内の埋蔵文化財発掘調査を実施しており、私部南遺跡の現地説明、出土品の展示が行われた。
 当日は、多くの考古ファンがつめかけました。   

日時:平成21年5月16日(土)  午後1時より
場所:私部南遺跡 私部南2-9 付近
      
問合せ先  (財)大阪府文化財センター        
現地公開資料
平成21年5月16日(土)  (財)大阪府文化財センター
私部南遺跡は、交野市私部南・向井田にあります。第二京阪道路の建設に先立ち、2004年より、大阪府文化財センターが発掘調査をしています。
 私部南遺跡でこれまでに出土した最も古いものはさ、縄紋土器です。小さな破片なのですが、これは、今から約4000年前に、人々がこの周辺で活動していたというあかしです。
 私部南に人々が暮らし始めるのは、今から約2500年前の弥生時代前期です。これまでの調査で、住居としていたと思われる竪穴(たてあな)建物や、溝などがみつかって:います。ただし、建物の数は少なく、たくさんの人が住んでいたわけではなさそうです。
 古墳時代(今から約1600年前)になると私部南にムラができました。竪穴建物や掘立柱(ほったてばしら)建物、井戸、溝などがいくつもみつかっています。竪穴建物には、内部に、ご飯を炊くためのかまどが設置されて:いるものもあります。また、土器や鉄製品、木製品などの道具類も出土しています。
 ムラは、飛鳥時代・奈良時代(今から1200〜1400年前)ごろまで続いたようです。この時代の掘立柱建物などもみつかっています。
 その後、鎌倉時代(今から700〜800年前)になると、周辺一帯が開拓されていきます。地形の高低差を克服し、田んぼがつくられました。遺跡の一部では、同じ時代の掘立柱建物や井戸などがみつかっており、ムラも営まれていたようです。これは、今も私部南遺跡周辺で見られる、田んぼと集落からなる景観のルーツといえるものです。
 今回は、古墳時代の竪穴建物、中近世以降の大溝などをみていただきます。竪穴建物の内部では、かまどのあとがみつかっています。鉱(こう)さいとよばれる、鉄かすも出土し、周辺で鉄製品をきたえる作業をしていたごとがわかりました。また、幅約6.5メートル、深さ約2.4メートルの大溝は、中世後半以降に、この周辺で大規模な開発が行われたことを物語っています。

私部南遺跡 私部南2-9付近
今回の調査地点25-1地区 詳細図はこちら




現地説明会風景





竪穴建物の柱跡

土坑

発掘された地層

幅約6.5メートル、深さ約2.4メートルの大溝は
中世後半以降に、この周辺で大規模な開発が行われたことを物語っています。
西の方には、赤い色の金けの水が湧き出している。
発掘された展示遺物

弥生時代

弥生土器

古墳時代


交野市・私部南遺跡現地公開
 



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