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七夕伝説の里・交野ヶ原
七夕伝説発祥の地・織姫伝説
平安のむかしから七夕伝説の舞台に
たとえられた、その名も「天野川」の流れ
 1年にたった一度、7月7日に天の川で織姫と牽牛が会えるという七夕。大阪・交野から枚方にかけては銀河にたとえられた「天野川」が流れ、織姫と牽牛ゆかりの地も残る、七夕伝説のふるさとといわれています。

甘野川から天野川へ
 大阪府の東北部に位置する交野市から枚方市にかけては平安の頃、交野ヶ原と呼ばれ、貴族たちを魅了する風光明媚な狩猟地でした。この一帯を流れる天野川は生駒山系に源を発し、生駒市、四條畷市を経て交野市、枚方市を流れ、淀川に合流する一級河川。天野川の名は、古代このあたりが甘くおいしい米が実る肥沃な野という意味で甘野と呼ばれていたことに由来して、甘野川とされていたのがいつしか天野川となったようです。天野川

平安歌人たちが讃えた白砂の清流
 白く輝く川砂と澄んだ流れが空の天の川を思わせることから、天野川は多くの古典文学に書かれてきました。中でも有名なのは、伊勢物語にある在原業平(ありはらのなりひら)の「狩りくらし 棚機乙女(たなばたつめ)に宿からむ 天の河原にわれは来にけり(狩をして日が暮れてしまったので、今夜は織姫の家に泊まりましょう。天の川に来てしまったのだから)」という歌。
 同行していた紀有常(きのありつね)が「ひととせにひとたび来ます君待てば宿かす人もあらじとぞ思ふ(1年に一度訪れる彦星を待つ身であるから宿は貸してもらえまい)」と返えしたとあり、当時すでに七夕伝説が浸透していたようです。

織姫まつる機物神社(はたものじんじゃ)
 天野川流域に残る七夕ゆかりの痕跡も伝説発祥の地といわれる由縁です。
右岸の交野市倉治には織姫をまつる機物神社が、対岸の枚方市香里団地の中山観音寺跡には「牽牛石」と呼ばれる石があり、天野川を挟んで織姫と牽牛が対面するように配した古人(いにしえびと)の粋な計らいを感じます。牽牛石
 川に架かる橋の名も、織姫と牽牛が年に一度の逢瀬を楽しむと伝えられる逢合橋、「鵲(かささぎ)という鳥が羽根を連ねて2人の橋渡しをした」といい伝えにちなんだ鵲橋などロマンにあふれるもの。織姫と彦星のイルミネーションがまたたく天津橋は人気スポットとなっており、待ち合わせする人も。
 また交野ヶ原には、星田妙見宮などに北斗七星が降ったと言う降星伝説が残り、星ヶ丘、北極星のある場所を意味する中宮など天体にまつわる地名が集まる全国的にも珍しい地域です。

交野市倉治671番地に機物神社(はたものじんじゃ)があり、この伝説に登場する天棚機比売大神(あまのたなばたひめおおかみ)を御祭神としている。七夕祭りで賑わう機物神社 また、姫と牽牛が逢瀬を楽しんだことにちなんだという逢合橋(あいあいばし)は私部(きさべ)の西を流れる天の川にかかっている。

もともとは、機械技術を伝えた祖先を祭神としていましたが、戦国時代末期には、祭神は織女星の棚機姫(たなばたひめ)と変わりました。

そして、7月の収穫祭や渡来人の星伝説、風習などが融合して、現在の日本の七夕行事の原形になったと考えられ、日本における七夕伝説の発祥の地は、交野市から枚方市に広がる「交野が原だと言われています。

星にまつわるふるさと自慢

私たちの住んでいるこの交野が原には、古くから渡来人が往来し、多くの文化が流入した。このような文化は、当地方の自然風土の中で育まれ、当地方独自の文化を築き、多くの伝承文化を今に伝えています。

言い換えれば、今日残る当地方の伝承文化は、当地方の文化形成を窺い知る上での貴重な糸口を示唆していると言えるでしょう。交野が原を東西に横流して、磯島あたりから淀川に流入する天の川を中心に、この地方には古くから七夕と星、天空にちなんだ地名や伝承がまるで星くずのように散らばっています。

星に由来する地名がいっぱい・・・・星田、南星台、天田の宮・・・・

交野市の地図を広げてみると、あちらこちらに夜空にちなんだロマンチックな地名が多い。たとえば、星の森星田妙見宮、星田旭遺跡などがある星田、南星台の辺り。このほかにも、天田の宮月の輪滝など不思議にも星に関する地名が点在しています。

織姫と牽牛の伝説

 天の川の西岸に、年老いた一人の神様が住んでおられた。
その神様に
棚機津女命(たなばたつめのみこと)という一人の美しい姫がおられた。この姫は小さい頃から機(はた)を織る事が上手で、いつも雲や霧や霞の美しい織物を織っていた。
この姫のお陰で、下界にはいつも自然の景色に美しい変化が起こったので、下界に住む人々はたいそう喜んだ。

 ところが、父神は、姫がおいおいと年頃になったきたので、いつまでも独りでおくのも可哀相に思い、良き婿を選んで姫と配合(めあ)わそうと考えた。
そして、色々と男らしい立派な男を求めたが、天の川の向こう岸にいる牽牛
(けんぎゅうという壮者(わかもの)が一番立派で美しかったので、ついに姫の婿にした。

 美しい姫に立派な壮者、それは全くの似合いの夫婦であった。姫は壮者を心から愛し、壮者も世にも希な美しく優しい姫を愛した。そして二人は、ただ夢のように父の事も仕事の事もすっかり忘れた、青春の歓喜に酔って幾日も幾日もすごすようになった。

 しかし、二人の歓喜も長くは続かなかった。それは、姫が牽牛を迎えてからは機などは見向きもせず、二人で楽しい語らいばかりするようになったため、雲や霧や霞が少しも織り出されなくなったからだ。
 天界で一日でも雲や霧や霞を織らなかったら、地上では色々な物象の障(さわ)りが起こるのであった。

 父神はそれを心配し、ときどき姫に機織だけは中止せぬよう注意したが、若い姫と牽牛には父の注意など耳にも入らなかった。

 父神は姫も婿も可愛かったが、それよりも自分の支配している天界や自然界に支障が起きては天神に申し訳がないというので、ある日、残酷であったが、二人の仲を割いて婿を元の天の川の東の岸に帰した。

 姫も壮者も相愛の仲を割かれるのを悲しんだが、父の命令では仕方なく、再び天の川の東と西の岸に別れて住むようになった。

 別れた二人は、互いに川を挟んで恋い焦がれつつ一年の月日を送り、年に一度七月七日の夜、二人の仲を取り持つ鵲(かささぎ)が橋を造ってくれるのを待ちかねてこれを渡り、夏の短い夜を楽しく一緒に過ごしたという。
           (「伝説乃河内」より)(交野市史より)


次は、磐船神社のご神体・大岩と哮ケ峰のお話

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