かいがけ地蔵


私の独断で掲載させて頂いた無礼をご容赦願います。
不都合の場合は削除させて頂きますのでご連絡下さい。
(^。^) は、サイトの運営者が記載したものです
 今後とも末永くよろしくお願いします。

2004.12.30 →メール投稿箱に記載しました
 村田様 大変ご無沙汰しております。
今年は色々とお世話に成り有り難うございました。
来年も宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えくださいませ((^o^))/

→の画像は奈良県橿原神宮初代天皇の御陵です。
 外拝殿と内拝殿です(*^ー^*)/
2003.12.28
KSS会の案内を有難うございます。
元気で参加させて頂きたいと思っております。
いろいろお世話になりますがどうぞ宜しくお願い致します。
いよいよ今年もあと三日となりました。
どうぞお体ご大切に 良いお年をお迎えくださいませ。
2003.12.28
 古文化の初歩き、楽しみにしておりましたが、松山の息子がお正月を松山でしないかと言ってまいりましたので、29日から3日まで松山で過ごします。道後の湯でのんびりできればいいなと思っております。宿のひとつは肱川ですので、、大洲や内子にも足を延ばしてみようと思っております。
 来る年もいい年でありますように、またよろしくお願いいたします。
 どうぞ奥様にもよろしく申し上げてください。
2003.12.28
今日は京都関係の忘年会ですので又話が出ると思いますが やはり3月に咲く年は少ないかも
知れませんね。今年は暖冬だと言いながら 寒いですから4月でないと無理でしょうね
桜や紅葉の計画は難しいですね。
筍料理が食べられるのは 嬉しいです。あの辺は筍ですね
楽しみにしています。
2003.12.28  コンサート情報 前田尚美 
 
 2004年1月25日(日)午後1時半より、交野市ゆうゆうセンターにて、交野演奏家クラブ「音夢(ねむ)の会」主催、「音楽の花束コンサートVol.1」を開きます。
入場無料(お気持ち程度のカンパをお願いします)ですので、皆様、お誘いあわせの上、是非、お出かけくださいませ(^^)あと、楽器の演奏ができる方、メンバーに入っていただけませんか?
お待ちしています!

2003.12.28    ぶらり京都●文学散歩・紫式部『源氏物語』

京都の文学、といえば、『源氏物語』をはずすわけにはいきませんね。
 紫式部は日本で唯一、ユネスコ本部に「世界の五大偉人」(世界最古の偉人並文豪)として登録される大文豪ですね。

 その紫式部が住んでいたと言われるところがあります。京都御所の東、梨木神社と向かいあうようにして建つ、廬山寺です。 彼女の家は「平安京東郊の中河の地」にあったと言われますが、その地がいまの廬山寺の境内です。
 邸宅は、紫式部の曾祖父権中納言の藤原兼輔が建てたもので、彼女はこの家で結婚生活を送り、一人娘の賢子を産んでいます。
 そして世界的な大ロマンである『源氏物語』や『紫式部日記』などをここで執筆したとされています。
 亡くなったのが長元4(1031)年、享年59歳です。
 
 この寺にはいま、庭があります。白砂を一面に敷き、ところどころに楕円の形をした苔の島を配しています。6月ごろには紫色の桔梗の花がみごとに咲き、紫式部を偲んでいるようにみえます。

廬山寺
◎市バス府立医大病院前から徒歩3分
◎京都市上京区寺町広小路上ル

写真をみたいときは、以下へ。
https://www.slownet.ne.jp/members/virtual_walk/spot_disp.asp?spcd=BKSUMRSZ34

2003.12.27   ぶらり京都●文学散歩・梶井基次郎『檸檬』

 京都で一番賑わう通りというと、河原町通りですね。でも、それは戦後のことだそうどす。大正時代は、寺町通りが京都のメインストリートだったんですね。
 だからでしょうか、梶井基次郎の書いた短編『檸檬』では舞台は寺町通りなんです。
 梶井基次郎さんは、1901年、大阪生まれ。
『檸檬』は、1925(大正14)年に同人雑誌に発表されています。残念なことに、当時は注目されませんでしたが、7年後に評論家の小林秀雄に認められました。でも、その直後に肺結核のため亡くなりました。31歳の夭折
でした。惜しいことしましたなあ。
 その『檸檬』は、こんな書き出しで始まっています。

    えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。
   焦躁と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに宿酔
   があるように、酒を毎日飲んでいると宿酔に相当した時期が
   やって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。

 自分の心を襲う心象風景を語ったあと、「ある朝」主人公は、「とうとう私は二条の方へ寺町を下り、そこの果物屋で足を留めた」。言ってみれば当時のメインストリートへ進んで、果物屋の前で立ち止まります。

  その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そ
  こは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさ
  が最も露骨に感ぜられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並
  べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったよ
  うに思える。……

 そしてその店に珍しくあった檸檬を買います。
 手にした檸檬の感触を味わいながら、通りを歩き、最後に書店の丸善に入ります。いまの丸善は河原町通りにありますが、当時は、寺町三条あたりにあったようです。
 画集のコーナーの前に進み、さまざまな画集を棚から引き出して、並べ積み上げ、その上に檸檬を置いて、店を飛び出します。
 そして檸檬が爆発し店が木っ端みじんになることを空想しながら、京極通りを下るシーンで終わります。
 この小説が多くの青春を惹きつける魅力をもっていること、ちょっぴりわたしにも伝わってきます。
 その果物屋さんは八百卯と言って、いまでも寺町二条の東南角にあります。

 八百卯さんに、今日も檸檬があるかどうか、ちょっと覗いてみましょうか。

八百卯
◎中京区寺町二条角
◎地下鉄東西線京都市役所下車徒歩3分

写真をみたいときは、以下へ。
https://www.slownet.ne.jp/members/virtual_walk/spot_disp.asp?spcd=BKSUMTMY33

2003.12.26  こんにちは。
 低山徘徊派 の あきゆき@奈良 です。http://teihai.com/ <低山徘徊派! (^^)v>
今年の総括
 ・去年と比べ山行回数も減り、近くの交野山でお茶を濁すことが多かった一年でした。交野山・・・とは書いているものの、メインは白旗池でした。低山徘徊を標榜してはいるものの、年に数回は遠隔地の高山にも出かけたいと思ってはいるのですが・・・

 ・今年は『野鳥観察』をはじめたので、余計、山に行けなくなってしまいました。体力の衰えにマッチした志向転換という面もあるのですが、鳥の観察はむしろ釣りと同じで、『じっと待つ』ことが必要なのだと・・・ようやく判ってきました。

 歩き回るのが習性の私にとっては、相容れないものがあります。しかし、写真を撮る為の道具も買ってしまったし、なによりも鳥に目がいくようになってしまった。これは山でばかりでなく、通勤のときでもそうだ。バスや電車の中から、いろんな鳥が目につくようにりました。

 ・そんな中で、強く印象に残ったのは『白旗池』。交野山の直下にあり、手軽に行けるのも幸いして、私の『野鳥観察』はここからはじまりました。以前からカルガモや冬にはマガモを見ていたが、ここが意外に沢山の渡り鳥が飛んでくるのには驚いた。小さな池ではあるが、人家から離れ、ハイカーくらいしか訪れない。池は釣りが禁止となっていて、鳥たちの餌が豊富なのであろう。・・・というか、むしろ鳥の保護のために釣りが禁止されている。
 付近に、大きな池もあるが、釣り客のいるところには、鳥は少ない。

 ・野鳥観察を始めて、琵琶湖の東岸にある『ブンゲン』という山に出かけました・・・11月号のレポートの通りです。これは琵琶湖のコハクチョウの方が目当て・・・やや鳥にシフトしてしまっている。『須賀谷温泉』もよかった。

 ・純粋な山といえば、春に出かけた扇ノ山。スズノコを食べ『ゆとろぎ温泉』でのんびり・・・私は2度目だったが家内は初めてということで、感動も大きかったようです。

 やはり、よく通った交野山と白旗池、そして、ちょっとでも遠出をした山が印象に残っています。

 皆様の今年の山は、如何でしたでょう? 東奔西走、活発に動き回っておられる、皆様の話を仄聞すると羨ましいような話が多いですね。

2003.12.25  京都案内人 スローネットさんより
 ぶらり京都●文学散歩・森鴎外『高瀬舟』

 木屋町通りは高瀬川の静かなせせらぎにネオンが映り、風情がありますね。
その高瀬川は角倉了以が開いた運河で、伏見港までつづいています。高瀬川を舞台にした小説『高瀬舟』を、明治時代の大文豪、森鴎外さんが書いています。
 書き出しは、つぎのようになっています。

 高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞をすることを許された。それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ廻されることであつた。
 それを護送するのは、京都町奉行の配下にゐる同心で、此同心は罪人の親類の中で、主立つた一人を大阪まで同船させることを許す慣例であつた。これは上へ通つた事ではないが、所謂大目に見るのであつた。默許であつた。

 名文どすなあ。
 江戸時代、京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ廻されていました。
 『高瀬舟』のお話では、同心庄兵衛は、喜助と言う弟殺しの罪人を護送しています。
 ところが罪人喜助の表情がとても明るいのをいぶかしく思い、心境を尋ねます。すると喜助は自分は弟殺しをしてしまったが、遠島を申し渡されたとき二百文のお金を貰い、そのまま持っていて気持ちが豊かである、と答えます。
 さらに、弟殺しもじつは、病気になった弟が兄に負担をかけまいと、剃刀で首を切ったものの、死にきれないのを、最後は兄である自分が、弟から懇願され剃刀を引いたためであることを告白します。
 安楽死問題にも通じるお話どすなあ。

 歴史の刻まれた高瀬川沿いの柳の道をゆっくり歩くのはいいもんですね。
わたしは、高瀬川沿いの景色が京のなかでも一番好きどす。

高瀬川
◎地下鉄東西線京阪三条、京阪線三条駅下車徒歩2分

写真をみたいときは、以下へ。
https://www.slownet.ne.jp/members/virtual_walk/spot_disp.asp?spcd=BKSUMTSG32

(^。^)、私も、今年高瀬川を歩いてみました

2003.12.24  京都案内人 スローネットさんより
 ぶらり京都●文学散歩・芥川龍之介『羅生門』


こんにちは。今回は京都文学散歩なんていかがでしょうか。
 文学なんて言うと、ちと固いですなー、とお思いの方もいるでしょうね。
 花吹雪もそんな詳しい訳やおへん。けど、お話にゆかりの地を歩けば、京の散歩もまた楽しいなるんとちゃいますか。

 芥川龍之介の『羅生門』、ご存知ですか。わたしは高校の教科書に載っていたのを、ぼんやり覚えています。黒澤明監督が映画化もしていましたね。
父が京マチ子さんのファンで、たしかに京マチ子さん、色っぽかったどすなあ。あの映画は、芥川龍之介の『藪の中』が原作でしたが、映画の舞台は荒れ果てた羅城門でしたね。

 平安京ができたときの南北の中心は朱雀大路でした。その南はし、東西に走る九条通りとがぶつかるところに羅城門(正しくは羅生門ではなく、羅城門)があったそうどす。
 平安京の表玄関としてそびえる羅城門は、正面七間、奥行き二間の二階建てで、両側には築地塀が張り出す、雄壮なものだったとか。そして羅城門の東に東寺、西に西寺が配置されていたんどすなあ。
 でも天元3(980)年の台風で倒壊して以来、再建されることがありませんでした。
 いまは東寺が残るのみどす。

 芥川の『羅生門』はつぎのように始まります。

   ある日の暮方の事である。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかに誰もいない。 ただ、所々丹塗の剥げた、大きな円柱に、蟋蟀が一匹とまっている。

 すでに羅城門は、あわれな姿をさらしています。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。

 地震や台風などの災難がつづき、もはや羅城門は朽ち果てていたんですね。
それが芥川さんの『羅生門』の舞台です。
 
 そんな羅城門の下でひとりの男が雨宿りをしていましたが、門の上のほうは、溢れる死体から、老婆が髪を抜いています。男は、老婆と話を交わしたあと、最後に老婆に襲いかかり、着物をはぎ取ってどこかへ行ってし
まいます。男が盗人になるまでの心の揺れが描かれていますね。

 勇壮だった羅城門も、天元3(980)年の台風で倒壊して以来再建されることなく、いまは九条通りから少し奥まった児童公園のなかに、石碑がひっそり建つのみです。

羅城門跡
◎市バス羅城門下車すぐ
◎南区唐橋羅城門町

写真をみたいときは、以下へ。
https://www.slownet.ne.jp/members/virtual_walk/spot_disp.asp?spcd=BKSUMRZA31

2003.12.24
こんにちは、121wareニュースです。
12月25日は、『クリスマス』ですね。
「クリスマス」の言葉の意味をご存じですか?
英語 「Merry Christmas!(メリー クリスマス)」の “Christmas”は、“Christ's mass(キリストのミサ)”という意味です。
フランス語 「Joyeux Noel!(ジョワイユー ノエル)」の “Noel”は、“誕生”という意味です。
ドイツ語 「Frohliche Weihnachten!(フレーリッヒェ ヴァイナハテン)」の“Weihnachten”は、 “(神が救い主を地上へ)贈られた夜”という意味です。
中国語では、「聖誕快楽(sheng dan kuai le)」と言います。
国により言葉はそれぞれですが、世界みんなの願いは同じですね。
121wareニュースも、みなさまの平和をお祈りしております。
 ●クリスマス一晩だけのクリスチャン (ガンちゃん)


年末年始は何かと忙しい季節ですね。
“忙しい”という漢字は、“心を亡くす”と書きます。
心ここにあらずの忙しい時には、「ついうっかりのメール事故」が起こるものです。
121wareニュースアンケートでは、以下の結果となりました。
 
<年末年始の「ついうっかりのメール事故」ベスト5>
1位 関係者にメールを出すつもりで、関係のない人にまでメール 
30.8%
2位 年末年始に仕事をしようとファイルを自宅に送付、メールボックスの容量を超えて受信不可 
10.6%
3位 年始に大量の受信メールを確認している時、ついうっかりウイルスをクリック
8.9%
4位 会社のメールを自宅に転送、メールボックスの容量を超えて受信不可
6.9%
5位 年始の挨拶を送付時、TOに知り合いのアドレスを大量に表示させて知人からクレーム  
6.7%

その他、「忙しさのあまりメール作成途中で送信してしまった」という事故も多くありました。
メールの送信時には、宛先・内容を要チェック。
 受信時には、慎重に!

みなさまご注意下さい。
 

2003.12.24
はじめまして、交野市天野が原5丁目のかつ辰交野店 と言います。お店のHPを自分で作成しようと想い頑張っていますが、その中で周辺の情報を掲載できないかと考え、交野で検索したところ、このHPを始めに見つけました。
内容がかなり豊富なHPでびっくりしました。出来れば、自分のHPでも紹介したいので、リンクさせてもらってもよろしいですか?宜しくお願いします。
http://homepage3.nifty.com/katutatu/index.htm が自分のアドレスです。
良かったら見てください。

2003.12.23
いつもお世話になり、有難うございます。
時々しか拝見できなく、申し訳ありません。しかしながらいつも、内容が一段と充実しておられることに驚きと感心とまた羨ましさで拝見いたしております。
これからは、寒さも一段ときびしくなりますが、お体を大切にお願い申し上げます。
今年も残り少なくなりました。来年も、何卒よろしくお願い申し上げます。


2003.12.21
 ご丁寧な返信恐れ入ります。
枚方のボランテイアガイドについてお褒めの言葉を頂き恐縮です。ガイド歴3年ですので ひよこ 見たいなもので特に歴史については皆目駄目でして、歳(73)のせいでもあるんでしょうが、直ぐ忘れてしまうという致命傷が治癒されません。人名と西暦和暦が覚えられず四苦八苦しております。過日、箕面のガイドさん10名をご案内しましたが、相手がガイドである分余計に緊張して赤恥の掻き通しでした。箕面のガイドさんの中に、まんだ誌に良く執筆されている北河内古代人物史の権威者でおられる金谷さんに助太刀してもらう有様でした。枚方のガイドがお客さんに枚方の解説をして貰うナンテ前代未聞です。でも、ここから先のお話は専門家の金谷さんにお願いしますと丁重に断りをいれてのガイドでしたから、皆さん納得されておりましたが。
 私のモットーは出会い触れ合い語り合い共に学び共に楽しむという双方向のガイドに徹しております。時にはドッチがガイドか分からない様相をお見せすることになり、大笑いすることも屡々です。ガイドはお客さんと共に楽しむでなくちゃと思っております。来年にはお時間を頂き、北河内の歴史について村田さんのお話が伺えたらと思っております。
 ついでながら、下の写真は大阪市大付属植物園で撮ったものですが、今年の1月から3月まで植物園展示室にて私の撮りました植物園四季彩画40点を展示頂きました。毎月、1〜2回は三脚もって訪れております。私の庭みたいなものですが、リタイアして、何か一つの趣味もって余生を送ろうとはじめました。
 下の写真は今年の4月に撮ったものですが、カメラサークルメンバー50名で心斎橋ギャラリーで年末写真展に出展したものです。高年者の流行にカメラ、ウオーク、歴史探訪、温泉旅行があるようですが、経済的に可能な限り好きなことに夢中になるのも良いのではと思っております。
ついと余分なキイを叩いてしまいました。メールを打つことはボケ防止になると信じておりますので、誰彼なしにキイを叩いております。失礼しました。

私市植物園翠映

2003.12.21
 大変ご活躍の様子で何よりです。
 自国の歴史・考古学類を観ることは遠いい先祖の思想・郷土に合った政治・庶民生活に至る様子を想像できる楽しさがあって時を忘れさせてくれます、私も機会合って出雲大社に参拝いたしたことがありますが、安芸の陶文化とは又、異なった様に感じしたが、何れにせよ日本文化の源流かととも思います。
 私共の年齢になると感動・感性とも衰えて来ますが貴殿は、良い趣味に進んで居られる様子で精々元気な間「感動」を 求めてお過ごし下さい。
2003.12.20
 今朝は思いがけない銀世界。寒さも忘れて暫く眺めていました。
山陰の旅のHP楽しく見せていただきました。ゆったりとした風景のなかに、沢山の神話や歴史。
楽しい旅だった事でしょうね。
写真もステキでした。今年も家に居ながらまるで旅をしている様に思えるほどの、ていねいで解りやすい解説のHPを沢山ありがとう。
今雨の音がしています。少し冷えてきました、雪になるのでしょうか。
どうか風邪など引かれませんように。
200312.20 
山陰旅行。ダイナミックな遺跡の数々。
そして貴殿の迫力あるレポートに感激しながら、一気に読ませて頂きました。
  私の出雲大社の思いでは、10年ほど前、松江の営業所の事務員さんの結婚によばれた帰り、飛行機に少し時間があったので、会社の連中とお参りに行った時のことです。
 丁度その日は「神無月」最後の日。出雲では「神有月」の最後の日で、大社の神殿では、日本中の神様が集まって、別れの儀式をしていました。私を筆頭に、社員一行は厚かましくも、ノコノコその神殿に昇って、儀式を目の当りにながめました。神様達はちょっと驚いた様子でしたが、特に咎めなかったので腰を据えました。
 八百万とはいいませんが、実に沢山の、神主姿に身を固めたの神様が、次々と神殿の奥から現れて、初めて見る贈物を授かるような儀式を、長々としていました。明日から日本中に散る神様に、大国主命から贈物を授ける儀式だったかも知れません。と、今も思っています。
 普段なら賽銭もあげず、神殿に昇るような行動はできなっかた思いますが、披露宴でよばれたお酒が、残っていたから平気で出来たからに違いありません。
2003.12.20
 年の瀬も兪々残り少なくなりました。いつも村田さんご活躍の様子をHPで見させて頂いております。
 今年は、枚方文化観光協会設立5周年に当たり、協会からボランテイアガイドによる自主企画のイベントを実行して欲しい旨の要望があり、10月11月の両月に枚方八景巡りと歴史探訪ウオークを企画し実行しました。一つの国見山コースでは、津田周辺の歴史については村田さんのHPより引用させて頂きました。4回のイベントでしたが、各回80〜100名の参加者で盛況裡に終了しました。
 ボランテイアガイドも毎回10名を超える人員を配置し道案内と歴史ガイドを分担して行い、参加者も普段はだだウオーキングで関心を寄せなかった旧跡に大変勉強になったと感謝され、ガイド仲間もホッとしたところです。殆どの方が枚方に住んで、枚方近辺の歴史をご存じなく、ガイドの説明ではじめて理解したというのが大方の意見でした。勿論、交野が原の領域から云えば交野市を含めた歴史観が必要ですが、行政的には壁がありなかなか難しいのが現状と理解しております。
 こんなことが有りました。伊丹市の生涯学習センターから60名が枚方宿場探訪に訪れた際、今度は交野の山を歩きたいのでガイドをお願いしますと依頼がありましたが、市域が異なるので小生個人でご案内しますと承知して頂き、枚方探訪の翌月交野の星の里探訪ということで実行しました。
 コースは河内磐船駅→星田神社→星田妙見→山越えで星のブランコ→ピトンの小屋→天の川沿い→天田神社→河内磐船駅のコースですが、妙見さん、哮るが峰、天の川伝説、磐船伝説、天田や私部の由来など途中の歴史的旧跡について簡単に説明し、歴史的に如何に古い町であるかを理解して頂きました。
 昨今のウオークブームには感心しますが、高年齢者には一面歴史観にも関心があり、ガイドの有用性について考えさせられ、もっと勉強しなくてはと自戒しております。今後ともHPを通じて情報の提供をよろしくお願いします。
 今日は雪のふる寒波襲来の厳寒となりました。お風邪など召しませぬように良いお年をお迎え下さい。  

国見山コース地蔵池で挨拶する小生

2003.12.20
 山陰歴史ツアー拝見させて頂きました。数々の古い遺跡、出土品、永い時を経ても美しいたくさんの銅鐸、本当に驚いたり感心したりしております。また折に触れ何回も見せて頂き楽しませて頂きたいと思っております。素晴らしいHPを本当に有難うございます。
 
前回の湖東三山は如何でしたか、お天気も良く紅葉も美しく素晴らしい旅だった事と思います。私も県民講座で室生ダム方面へ行きましたがチヨッピリ疲れました。 来年またKSSの会に参加させて頂くのを楽しみにしております。

寒さが一段と厳しくなってまいります、どうぞお風邪を召しませぬ様にご自愛下さいませ。 
2003.12.20
 本当にお久しぶりですね。早くにメールを頂きながら11月の中旬からパソコンを開けていませんでしたものでこんなにお返事が遅れてしまいました。実は、5月頃から取り掛かった家が11月19日に出来上がり引越しやら片付けに日々追われ、仕事で主張などと机に向かうことも出来ないまま今に至りました。
 村田さんの古代ロマン紀行文や写真を拝見させていただき自分も共に旅をしているような錯覚に陥りました。私は5年前早朝大阪を車でたち日帰りで念願の出雲大社の参拝にまいり、荘厳な社に感動し身の引き締まる思いをしたことを思い出しています。あれだけの古代遺跡が残っていると言う事は相当な位の(卑弥呼とかかわりの深い)人物がいて文化の重臣を担っていたのでしょうか?想像するだけでも夢が膨らんできます。
 村田さんはその感動を独り占めしないでみんなに歴史に興味を持てるように分かりやすく伝えていただくところは素晴らしいと感じています。これからもいろいろなところを旅されて私たちにも教えてくださいね。よろしく。今日は大変風が強く寒さも一段と身にしみる1日でしたね。
 どうかお風邪など引かれませぬよう良いお年をお迎えくださいませ。

2003.12.19
お久しぶりです。山陰の歴史ツアーのHP分拝見いたしました。
拝見しました私なりの感想を綴らせて頂きました。
 
> 本日、「古代ロマンあふれる山陰地方の弥生時代の文化遺跡を訪ねて」
> 朝8時にホテルを出発して8時30分出雲神社に参拝、平安時代の巨大
> 神殿の柱跡など見学、復元模型などを見て古代の歴史ロマンに酔いしれました。

・上記古代出雲神殿関係資料展示が、かなり充実しているのを知りました。
 建築関係者間の通説は、超高層建築物と同様の柔構造(柳のように揺れて地震力を低減し崩れるのを免れる構造)だとされていまが、どうもそれだけでは今ひとつ説得力を欠きます。何故なら、古代建築物には秘められた古代の宗教性や呪術性や古代思想を踏まえて考えられませんと、本当の姿は見えてはきません。
ヒントとなるのは、日本には無く、インドや中東に根ざした建物だと言え、神道の神社にされてますが、元々神社とは何だったのかが分かりませんと、謎は解けない仕組みになっています。
・三本合成柱も、建物の柱配置から構成される格子自体にも深い意味が隠されており、かなりヘブライ的な数秘術が駆使された建物だと思われます。
・私自身、京都・滋賀・奈良と古代建築や遺跡廻りをしている最中ですが、それらに秘匿された古代人達の建物に鏤められた意図が、色々解りましてさもありなんと頷いている次第です。
・特に古代建築物に関しては、古代の日本人が建てたと考える事自体が歴史を無視した考え方で、実際ペルシャ人やインド人(ヘブライ系)達工人が建設に関わっている事実を、余り私達は、分かっていません。
 
> 今回の旅のお目当ての荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡など、現地の発見現場
> に足を運んで実際に見学して本当に思い出深い旅になりました。
> なぜ、こんな所に沢山の銅鐸や銅矛、銅剣が埋納されていたのだろうか?

銅鐸や銅剣の柄などに記された×印は、王・大いなる神・大いなる存在を表す(スワスチカ)とも言われています。古代フェニキアやシュメ−ルなどで使われた岩刻文字で、朝鮮・中国渤海地域を経由したり、また海路で南シナ海を、北上し日本に渡来した人達が、日本海側に弥生時代以前から住み付いていた証だとも言われています。
 (日本最古の文字と女神画像等著書参照−川崎真治氏著etc)

 上記の古代の出雲神殿同様、先日奈良の東大寺と、法隆寺に見学に行きましたが、京都の古代建築物とは明らかに違う凡ユ−ラシア的と言いますか、国際性を伽藍配置や建物の造り込み方や、全体配置計画などの風情に感じた次第です。
 建物に秘められた建造者や工人達の思いや意図や意味が、分かって見ますと、仏式の建物の衣を被っていますが、その本当の姿は、全く違う物だと言えます。また特に法隆寺に関しましては、聖徳太子絡みですので、通常の見方をしても、建物に秘められた意味など、全く分からないと言われるのも頷かざるを得ません。日本人の寺社を見る目は、余りにも仏教だと言う固定観念が定着し過ぎているからでしょうね。何も見えませんのは。
(参考書籍・聖徳太子の正体、興亡古代史−小林恵子氏著他)
 以上、独断偏見混じりで、勝手ながら綴らせて頂きました。
今後共宜しくお願い申し上げます。      
2003.12.19
 山陰歴史ツアー拝見しました。
島根県は主人の単身赴任の時に何回か訪れ、出雲大社、各地の温泉巡りをしましたが、
ただ観光だけで観てきただけですので、色々と歴史がある事を知りました。
明日から一段と寒くなるようですので、お体にお気をつけくださいませ。
2003.12.19
 貴重な歴史資料ありがとうございます
大阪時代に山陰も担当でしたので、今回の場所は「たたら製鉄」を除いてすべて足を延ばした所です。それだけに興味深く拝見しました
大量の歴史記述は丹念に読み返えしたいと思います
 ありがとうございました。
2003.12.18 
 古代ロマン溢れる山陰の歴史ツアー、45頁に及ぶHP、ご一緒させてもらった私にとっては家族や知人に自慢して話せます。そして古代の歴史をそしてロマンに満ちた旅を満喫するすることが出来たことに幸せを感じながら拝見しました。
記憶力の乏しい私にとって、村田さんのHPで認識を確実なものにしプリンターで印刷して幾回も読み返して重宝にさせてもらってます。
今後ともよろしくお願いします。
  今年も余すところ13日となりました。5月には東北へ12月には山陰方面へ、古文化同好会の皆さんのおかげで「特に村田さんのおかげで」今年も私なりに充実した年を過ごすことができました。
200312.18
 先日、「日本神話の英雄たち」(林 道義著 文春新書)を読んだところでした。
スサノオやオオク二ヌシのことをも述べられていました。小生の父母・祖父母とも備中(岡山県北部の成羽町)の出身で、子供の頃、お祭りには必ず備中神楽が奉納され、それを見るのがなによりの楽しみでした。
その中ではスサノオのおろち(大蛇)退治がクライマックスで、オオク二ヌシの国譲りなども演じられており、その頃から出雲の神様に興味を持ち続けている次第で、いずれは貴兄の訪ねられた跡も追ってみたいとは思っています。
ただ今回の旅で、岡山の吉備津の古墳群が抜けていたのは残念でした。
次の機会にぜひ行ってみてください。
2003.12.18
 ご無沙汰しています。
昨日ご案内いただいた「古代ロマン溢れる、山陰の歴史ツアー」HPを拝見しました。
チョット見るつもりが、あまりに面白くて、ぐいぐい引っ張り込まれて、時間を忘れて一気に楽しんでしまいました。いやー、ロマンですね。ロマンがいっぱいで実に楽しかったです。
もし、あのような歴史ツアーがあれば是非とも参加させていただきたいと思いました。

それから、有池遺跡のHPも興味深く拝見しました。
アソコは自転車で先日も通ったのですが、十分な知識が無く、ただ面白そうだなと眺めていただけでした。中世の掘立柱建物群があったのですね。今度また興味を持ってみてみたいと思っています。

私もようやく元気になったので、前から希望していた「交野歴史健康ウォーク」に来年から是非参加させていただきたく思っています。日が近づきましたら、ご連絡させていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。

2003.12.18
 「山陰歴史ロマン紀行」、拝見いたしました。
素晴らしく、また充実感あふれるHPを見せてて頂き、感動致しました。
一度尋ねてみたいと思っていた所だけに、その思いを一層強くしました。
有難うございました。
2003.12.18
「山陰歴史ロマン紀行」、お陰様でゆっくり山陰を訪れた気分になれました。
出雲大社へは 40年程前に今は亡きKさんたちと訪れました。その後随分色んなものが発見されたのですね。本殿の想像図に驚いていると 復元模型が又凄い!
10分の1であんなに大きいのですね。
1.3mもの柱をクレーンもない時代に如何して立てたのでしょう!?
口遊「雲太・和二・京三」も覚えやすくって面白いですね
又 銅鐸のこと 平田さんの説明も ここで読ませてもらって より理解が出来たという感じです。
2003.12.18
 「山陰歴史ロマン紀行」、素晴らしい力作をありがとう。
参加出来なかった私にもよく分かりました。
出雲神殿には何回か出かけましたが、雲大の模型が出来ているのは初めて知りました。
出雲巨大神殿については宮本長二郎工学博士指導の下に建設会社のエンジニア、大工鍛冶職人等のプロジェクトチームが「三本組柱金輪じめ他の謎解きをしたときの様子が2001年NHKで「古代出雲神殿、巨大構造物の謎とき」というテーマで放映されて反響を呼びました。問題はこの巨大神殿を誰が作ったかということです。私はこの謎解きに挑戦しようとしています。
問題を大胆に推理し、実証するのが私の手法(ロマンを科学する)です。
現代の20階建てのビルにも相当するほど高い(16丈、約48メートル)木造建築を建てるのはコンピュータの無い時代にどのように設計されたのか?
若し、倭人(縄文人?弥生人?)が建てたのであれば、近隣に類似の建物の痕跡が多数あり、それらの経験が巨大神殿を完成させたと見るのが出来ます。
出雲巨大神殿類似の建物痕跡は勿論、出雲巨大神殿に用いられた「三本組柱金輪じめ」などの技法も類例は残されていません。
従って、「渡来人が関与している筈である」と類推しています。
このテーマを2002年北京で開催された「徐福国際フォーラム」で「新徐福考」として発表し反響を呼びました。
詳細は『アジア遊学』勉誠出版2003年6月Vol52.に発表しています。

ところで、大阪城三の丸発掘現場説明会も大変興味深いものでした。現場説明会では本物の出土品を見ることが出来るので、近隣であれば出来るだけ足を運ぶことにしているのですが、今回は私の事務所に近いところでした。
参考資料と写真添付します。
追って、HPに記載させていただきますので、暫くお待ち下さい。

2003.12.18
 急に寒くなりましたね。
山陰への歴史ツアーに参加され、収穫が大きかったようでHPの写真や文章で臨場感が伝わってきました。  銅剣・銅鉾が古墳から沢山出土している場所だという認識があるだけでしたから、お陰で勉強させてもらいました。  帆立貝形古墳があるのは初めて知りました。
昨年私も出雲に行きましたが、陶芸家を訪ねる旅でした。
宍道湖のほとりの静かな御宅を訪ねたところ、2−3年前に脳梗塞で半身不随となられ、制作できない状態になっておられ、息子さんが後を継がれていました。  今残っている作品を全て見せて頂きましたが、もう出来ないのかと思うと残念でなりません。 バーナードリーチや河井寛次郎に教えを受けた方で形・色使いが洒落ていましたのに。
大山といえば、あいのメンバーと数年前に一泊旅行に出掛けた事があり、大山の頂上へ4人で登った事や静かな田園風景をなつかしく思い出しております。
寒くなります折、くれぐれもご自愛の程、お祈り申し上げます。
2003.12.18
今晩は。いや、もう、おはようございますの時間ですか。
今年最後の大作、「山陰歴史ロマン紀行」いま見ている途中です。
広島県立みよし風土記の丘と鉄の資料館まで来ましたが、写真のダウンロードに時間が掛かっているようです。
先日はウィルスの件でご助言有難うございました。貴兄も抹消に励んでおられる由、安心しました。今朝も3件退治したので、先程、今地元の懸案事項を夜なべでようやくまとめ終わり、寝る前にウイルス入りのメールを退治してやろうと開いたら、なんと件のウィルスメールは1件も無く貴兄からの便りだけでした。
いい旅をされたようで何よりです。
私は旅と言えばどうしても、先ず温泉、次いで酒、料理、宴会とどうも俗っぽい方が性に合うようです。
それでは、又。
2003.12.17
 山陰地方「弥生文化を訪ねて」を拝見いたしました。
 古代出雲文化圏の背景を考えるうえで鮮烈な衝撃を与えたのが何といっても1984.85年神庭荒神谷遺跡での銅剣358本を含む大量の青銅器群の発見でした。
 それから12年、神庭荒神谷遺跡からわずか3.3キロの加茂岩倉遺跡で、39個もの銅鐸が発見され、出雲の地は青銅器文化の一大中心地として古代史を研究するうえで大きな鍵を握る地域となりました。
この神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡と同じ弥生時代、出雲とその周辺には四隅が奇妙に突出した独特の墳墓があり特色ある地ですね。私も娘のソフトボールの試合応援で島根に行ったとき地元の人の案内で加茂岩倉にもいきましたが、そのときはまだ発見当時の復元模型はなかった。写真が展示してあった。
 村田さんのHpを拝見し昨日のことのように思い出されました。
 出土地形からみても交野の山裾からも可能ではないか?
  青銅の神との出会いを夢みながら・・・・・・。
 18日は枚方市のいきがい創造学園の「歴史への誘い」で午後から歩いてきます。
2003.12.14  メール投稿箱に記載しました
 先日9日はパソコン同好会、幹事会、会報発送、忘年会と盛りだくさんのスケジュール、お疲れ様でした。お陰様で立派な会報に仕上がり感謝致しております。投稿して頂いた記事の内容もどれもハイレベルなものばかりで、さすが日新火災OBだと誇りに思えるものばかりでしたね。
 忘年会の写真がやっと出来上がりましたのでお送りします。
 忘年会ということでは今回初めて参加の、筆前さんや上田さん、服部さんなど段々みつわ会の輪が年齢層も含め、広がってきていることを実感しました。
願わくば女性会員がもう少し気軽に来てくれればいいと思うのですが・・・。
  しかしまあ、毎度の事ながら和気藹々の楽しい忘年会でした。
2003.12.13
 先日、「ラスト・サムライ」を観てきました
  主演はトム・クルーズですが渡辺謙が見事な演技で久しぶりに見ごたえのある傑作でした
  まだのようでしたら是非一見をお勧めします
2003.12.13
 ただ今、PC新しくなり従来どおり作業が可能となりましたのでご連絡致します。
本日は「注連縄づくり」に市民100組が参加、家族で奮闘かいあって力作を誇らしげに帰っていかれました。
同好会の会員さん12名の方々にご協力いただきました。
 年の瀬もおしせまり、あとは無縁墓の清掃が予定されております。
 12/22(月)  倉治 清水谷古墳
 12/23(祝)  私市 獅子窟寺  午前9時現地

2003.12.12
 『ツキを呼びこむ干支の過ごし方』

十二支を知らない人は、まずいないだろう。でも、ふだんの生活で、十二支が
話題にされる機会は、けっこうかぎられている。「今年は寅年だ」とか「私は
辰年生まれだ」とか、暦の話をするうえで“記号”として便利だから、なんと
なくつかうだけである。

しかし、十二支にはそれぞれ意味がある。その意味に逆らわないように生活す
れば、その一年はより運よく過ごせるとされているのだ。というわけで、今回
はツキを呼びこむ干支の過ごし方をお教えしよう。

その前に、十二支の基礎知識にちょっと触れておくと、十二支にはネズミ、ウ
シ、トラ……と、動物名の漢字が当てられているが、じつはすべて当て字だ。
十二支の概念は農業暦に基づいている。だが、十二支がつくられた中国の殷時
代は、まだ漢字を読める人が少なかった。それで、誰にでも覚えやすいように
動物名に置き換えられただけなのだ。

したがって、十二支の意味と動物の特徴とはいっさい関連がない。十二支には
いってみれば、農作物をうまく育てるための教訓的な意味合いが込められてい
るのである。

では、いよいよ本題の、十二支別ツキを呼ぶ過ごし方を箇条書きにしよう。

子《ね》年=草木が芽生えてよく繁殖する時期をさす。そこで多産なネズミの
文字が当てられた。多産、すなわちひじょうに縁起がよい年とされ、何をやっ
てもたいていうまくいく年。

丑《うし》年=草木の若芽が蕾の中で固く結んだまま、まだじゅうぶんに生育
していない時期をさす。本来は締めつけることを意味する「紐」という字が当
てられていたが、字音が同じ(どちらも音読みはチュウ)形も似ていることか
ら、より簡単な丑の字が使われるようになったのだ。したがって、丑年は忍耐
の年。あまりことを急いだりせず、待つほうが吉と出る。

寅《とら》年=草木の芽が土の中でじっと生育を待っている「眠れる獅子」の
状態をさす。希望にあふれる年で、この年に新しいことをはじめるときっとツ
キがまわってくる。

卯《う》年=草木がいよいよ地上に芽生える時期をさす。自然体でいれば平穏
に暮らせる年だ。

辰《たつ》年=草木がいきおいよく生長する時期をさす。もっとも強運な年と
される。万事において積極的に物事を進めるチャンスの年だ。

巳《み》年=草木の生長が盛りを過ぎ、停滞した時期をいう。守りの年。

午《うま》年=草木が盛りの状態から、だんだん衰えを見せる時期をさす。か
といって運勢はそう悪くない。「天馬空を行く」ともいわれ、物事にとらわれ
ずにやれば、活力と発展の年になるとされている。

未《ひつじ》年=木の枝葉が茂り、成熟した時期をさす。未の字が当てられた
理由は、未の中国語読みが「ウェイ」で、未の鳴き声に似ているから。羊の毛
のように豊かな年とされ、運勢的にも繁栄が約束される年。

申《さる》年=草木がじゅうぶんに伸びきった時期をさす。猿(申)は、物真
似がうまい。したがって、この年は上司や先輩の意見をよく聞くとツキが回る。
単独行動はとらず、皆と歩調を合わせることが肝要な年だ。

酉《とり》年=草木の熟した実を壷に入れて保存する時期をさす。実りの多い
年の象徴でとくに黄金に関係があるとされる。したがって、金儲けにチャンス
の年だ。

戌《いぬ》年=草木が滅びゆき、農作業が一段落ついた時期をさす。したがっ
て、この年に何かやってもあまりうまくいかない。のんびり過ごすが勝ちの年
回りだ。

亥《い》年=草木が一生を終え、地中に戻り行く時期をさす。十二支の締めく
くりの年であり、来年のために英気を養うべき年。

メリハリをきかせた年の過ごし方で、運勢アップをはかろう。
2003.12.12
 ご無沙汰しております。みつわ会のホームページは開いた事がありませんでしたが、初めて開いてみて懐かしい思いがしました。また、海上部の大先輩、長さん、当時そう呼ばれていらしゃいましたがとても懐かしく拝見しました。
ありがとうございました。

2003.12.12
メール拝受。素晴らしい記事と写真を送って頂き誠に有り難うございました。
NYは連日マイナスの気温で震え上がっていますがお蔭様で元気にやっております。
2004年には5月中旬と10月下旬に日本に出張します。
大阪にも参りますのでどこかでお会い出来たらと思っております。
では良いクリスマスと新年をお迎え下さい。
取り急ぎお礼迄。
2003.12.11
 お久さしぶりです。あまりパソコンに触れないので、見る機会が少なく開いて見たときにはだいぶ時期が過ぎている事が多いので、貴君にもなにも返事をしないまま過ぎてしまい申し訳ないと常づね思っている次第です。
さて、今回のメ-ル拝見しました。とても、充実したホームページが出来たものですね。これからは、時々楽しみに開いてみる事にします。同期会の報告も素晴らしいですね。
さて、小生はあいかわらず週2日の仕事と1日のボランテア、あとは、スクエアダンスなどですごしています。また、遅まきながらPC(ワード)をもう少し出来るよう習いに行きだしました。もうすぐ、年が変わりますがだんだん月日の過ぎるのが早く呆然としています。
とマアこんな次第です。
2003.12.11
南国・大分でも朝夕の冷え込みは身にこたえます
寄る年波ですかねえ、、、、 お変わりなくご活躍何よりです  
みつわ会のHPが改変され斬新なページになりました ご同慶の至りです 
ますますの充実を期待しています
 関西みつわ会も年々発展の一途、貴兄の果たす役割はますます増大、
すばらしい老後を送るために一層のご尽力を。
2003.12.11
 連日忘年会で帰りが遅くなり、やっといまごろメンテナンスをしました。
トップページはイメージチェンジと思ってJavaScriptを使いました。
ソースが完結していないようなので、どこかテーブル部分にでもにHTML構文の誤りが
あるようです。
2003.12.10
 先日は2日・3日の山陰方面の旅の写真、沢山頂きまして有り難うございました。
又上私部・有池遺跡の発掘の説明会のHP新しくなったプリンターでプリント出来ました。

2003.12.10
 昨日は何かとお世話頂き有り難うございました。あの後、3人でもう1軒行き十分酩酊して帰宅しました。
久しぶりにみつわ会OBのかたがたとお会いできよかったです。
今後ともよろしく御願いいたします。
2003.12.10
 こんにちは、121wareニュースです。
百円玉のどちらの面が「表」なのかご存じですか?
12月11日は、『百円玉の日』です。
1957年(昭和32年)のこの日、板垣退助の肖像が描かれていた百円札に代わって百円玉が登場しました。
百円玉に描かれているのは日本の国花の「ヤマザクラ」。
百円玉のサクラをよく見ると花と共に葉も描かれているので、「ソメイヨシノ」ではなく、「ヤマザクラ」だとわかります。
硬貨は、年号のある側が「裏」です。百円玉の「表」は、ヤマザクラの側です。
 
実物を見ずに、紙に百円玉の大きさの丸を描いてみて下さい。
その丸の大きさで、百円玉に対する価値意識がわかるそうです。
丸は実物よりも小さかったですか?大きかったですか?
 ●百均で ついつい買いすぎ 高く付き (ゆか)
  ※百均(ヒャッキン)とは、「100円均一ショップ」のことです。
2003.12.8
この土・日に秩父の札所巡りに行って来ました。
秩父は晩秋の趣きでした、秩父夜祭が済んだばかりで、観光客も少なくしっとりとした秩父路を歩いて来ました。宿は陣屋寿旅館という代官屋敷を保存して宿にしている梁が真っ黒にすすけている宿に泊まりました。
2003.12.8
先日は第二京阪道路予定地の発掘調査の説明会、ご案内有難うございました。
楽しく拝見させて頂きました。
本当に、交野は遺跡の宝庫みたいですね。
奈良とは違い、庶民の匂いがプンプンする古代のロマンを感じます。
また次のレポートを楽しみにしております。
2003.12.8
 遺跡発掘の説明会の様子が良くわかります。
交野は何処を掘っても遺跡が見つかりそうですね?
今まであまり興味がなかったのですが記念ウオーク以来はまりそうです。
記念ウオークでは大変お世話になりました。

(^。^)、昨日(12/6)、交野市の上私部遺跡・有池遺跡の発掘の説明会が開かれ、
雨の中200人を越える方々が熱心に見学されていました。
今回の発掘調査で、古墳時代から飛鳥時代、鎌倉時代から室町時代にかけての大きな集落跡が見つかったようです。
特に上私部遺跡からは、竪穴住居が30棟ばかりと掘立柱住居が18棟などが、また、少し離れたところから濠をめぐらせた大型の住居跡などが見つかり、約1500年前から400年前にかけて人々が営々と生活をされていたことが明らかになりました。

2003.12.6
 小生の拙い「八重山諸島一人旅」旅行記を何度もホームページにて、ご紹介いただき有難うございました、お蔭様で八重山諸島に興味を抱いてくれた人もでてきましたこと大変嬉しいです。
 ページの影響は大きいですね!!
今年も押し迫りました、お身体ご自愛ください。 

(^。^)、こちらこそ、ホームページにご投稿頂き有難う御座います。
私も、今年は沖縄旅行を楽しみ、南国の良さを体験できました。

2003.12.4
昨日、今日と天気は上々で、風も無く温かい冬の日差しに、南向きの部屋では眠くなります。このホームページの管理人さんは2・3日、広島から山陰へかけて、弥生期の遺跡探索のツアーに参加するとの事で、小生のメールもお休みにしました。

その間、色いろな出来事が新聞面を賑わしていましたが、やはりイラク・ティクリートで殺害された2名の日本外交官の問題でした。そして、そのイラクへ自衛隊を派遣する事の是非、小泉政権の対応が盛んに論じられました。
小泉首相は昨日、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊をイラクに派遣する事を最終決定しています。そして、その基本計画を8日にも閣議決定し、首相は記者会見で国民に説明する方向で政府・与党の調整を行い、9・10両日、衆参両院で閉会中審査を行う見通しになりました。陸海空で1,100人規模の派遣になるようです。
    本文はちょっとそこにお座りよへ ・・・・・>>阪神タイガース大好きOhgu's Zatugaku

(^。^)、2日間、お休み頂き申し訳ありませんでした。
お陰さまで山陰の弥生時代の文化遺跡を巡る旅は良い天候に恵まれて、
思い出に残るものとなりました。
最初に訪れた広島県三次の県立みよし風土記の丘は、創設されてもう20年になるそうですが、広島県の古墳の1/3が集中しているところで、広大な丘(30ヘクタール)に170基ばかりの古墳が保存され、県立歴史民族資料館の立派な建物に圧倒され、充実した展示物にも驚きました。

また、次に島根県飯石群吉田村のたたら製鉄の展示館に行き、1200年前から野たたらの歴史があり、現在もたたら製鉄の技術を伝えようと「たたら」を復元記録されておりました。たたらの炉を造るのに4ヶ月を要し、3日3晩かけて蹉跌と炭で鉄を作る様子をビデオで見て感動しました。

翌日は、朝の8時にホテルを出て8時20分出雲神社に参拝、平安時代の巨大神殿の柱跡など見学、復元模型などを見て歴史ロマンに酔いしれました。
弥生時代(2世紀ごろ)の山陰地方特有の四隅突出型古墳とか、島根県随一の今市大念寺古墳(JR出雲駅近く)の大型石棺に驚きました。

今回の旅のお目当ての荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡など、またホームぺーじでも報告しますが、現地の発見現場に足を運んで実際に見学して本当に良かったと思っています。
なぜ、こんな所に沢山の銅鐸や銅矛、銅剣が埋納されていたのだろうか?
広大な出雲平野と宍道湖、静かな田園風景、またのどかな山里の雰囲気など十分に堪能してきました。

2003.12.4
文字研の会報も10日までに仕上げねばならず、ちょっとパニック状態です。
こちらの方は取材から原稿書き、講演のテープ起こしをして記事にまとめ編集、校正、CDに納めて事務所に持ち込むまでを請け負っておりまして締め切りが近づいてくると胃が痛んできます。
自らの勉強のため引き受けた仕事ですが最近は少し重荷になってきました。ただ、発送後は会員の皆さんからいい内容の会報になったと言っていただき、喜んで読んでいただけているのでついつい辛さを忘れ、また頑張ろうという気になってしまうから、まあ仕方ないかと思ってやってます。
そして何よりも自分の勉強のためですから有難いことです。

(^。^)、文字研の会報も同時期でもあり、大変お忙しいところ、無理言って申し訳ありません。
>取材から原稿書き、講演のテープ起こしを して記事にまとめ編集、
>校正、CDに納めて事務所に持ち込むまでを
> 請け負っておりまして締め切りが近づいてくると胃が痛んできます。
言われるように、この作業は大変だろうと思います。
でも、会員の皆さんの喜ばれる顔を見ればその苦労も喜びに変りますね。

2003.12.3
こんにちは、121wareニュースです。
折り紙で「鶴」を折ることができますか?
折り紙は英語でも、“origami(おりがみ)”で通用する日本発祥の文化なのです。
明治時代には、小学校の授業にも取り入れられていました。
折り紙は世界に誇れる芸術品。あやとり・お手玉・けん玉・ヨーヨーと共に、日本人の指先の器用さを伝えてきたものですね。
今日、12月3日は『奇術の日』
手品(奇術)につきもののかけ声「ワン(1)ツー(2)スリー(3)」からだそうです。
せっかくの「奇術の日」です。手品に挑戦してみませんか?
 ●隣の子 手品みたいに キーを打ち (うめちゃん)

2003.12.1
うっとうしい日が続きますね。午後からは晴れ間もみえるとの予報でしたがそれも当たらず、明日からは予報の如く晴れ時々曇ぐらいの、晴天で あって欲しいですね。
 先日頂いたヤーコン。早速サラダで頂きました。沢山頂いたのでヤーコンの調理方法を見ながら、新しいメニューを増やしたいと言っています。
有り難うございました。

(^。^)、このところ、雨模様ばかりで気分が優れませんね。
今の雨雲も午後には抜けて、明日から良い天候のようです。
明日、明後日の山陰の弥生文化遺跡めぐりを楽しみにしております。

2003.12.1
 今年もいよいよ師走に入りました。
 そろそろ年賀状でも書かなければと思っている毎日です。 
 只、10月・11月が暖かかったせいか、例年に比べて、 季節がゆっくり廻っているような気もします。
 
 所で、11月京都 桂離宮・嵐山に行って紅葉を撮ってきました。
 今年は、中々寒くならなかったせいか、紅葉の色付きが悪く 苦労しましたが何とか良いシーンを見つけました。
 
 これから、冬の寒い季節に入りますので風邪などひかない ようにして頑張って下さい。
 
   「そよ風の便り12月号」を送ります。 
        http://www8.ocn.ne.jp/~m.satoh/
 
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