神宮寺のぶどう狩りへの案内図 |
NHKTVの西日本の旅の中で、 甘くて美味しいぶどうと、紹介されました! 7月15日〜8月10日頃です。 AM9:00〜PM4:00 ご家族揃って楽しい休日を自然豊かな環境で ハイキング気分で楽しみましょう!! 新鮮!!もぎたての種なしぶどうを 食べ放題! ※ぶどうの有無を電話で確認のこと。 便利!!専用の販売所でお持ち帰りも出来ます!! 団体は30名以上(予約が必要です)
お問い合わせ・お申し込みは; 神宮寺ぶどう狩り組合(期間中) 072−891−8425 |
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神宮寺集落を含む交野山の山麓の扇状地は、現在一面のぶどう畑である。 |
少し触れると次のようである。 明治の中頃までは、この扇状地性の土地は官有地で
辺り一帯は松林であった。 明治30年頃から、この官有地が村に払い下げられたのに伴い
村から南の方に開墾が始まり
明治40年頃に開墾が終わり、開墾地には「稲田桃」が植えられた。 この桃は秀れた品種であったため京都・大阪で高値で取り引きされた。 その後、稲田桃は新品種の改良が進み、順次それに植え替えられたが、昭和9年の第一室戸台風の被害、戦争中の人手不足、長年の連作による忌地現象 (胴枯病、樹脂病など)が続発して収量が著しく低下していった。 一方、戦争中の食糧難は、枯れた桃畑の空地に大豆や さつまいもなどを栽培して、 桃の生産より現実的な食料増産に努め、桃の栽培は二の次の状態であった。 その上、昭和20年に襲った枕崎台風の被害によって、 桃にかわる新しい果樹を栽培する必要に迫られた。 そこで、昭和24年、ぶどうを試験栽培する事になったが、
翌25年のジェーン台風によって、
遂に桃は 壊滅してしまった。 この間の神宮寺の人々の果樹栽培に対する不屈の努力がひしひしと伝わってくる。 いま、神宮寺の村から南、創価学園に至る一帯にみごとなぶどう畑が展開する。
交野山のほうへ少し上がると、ぶどうの棚越しに交野の平野が望まれ、
素晴らしい景色の所です。 |