星田公園一帯の歴史 一日、ゆっくり散策しませんか。 ↓地図上の名所を ↓クリックして頂きますとご案内致します。 星田公園一帯の歴史
この星田公園一帯の丘陵地は、新宮山(しんぐうやま)と呼ばれ、山頂部には明治の初め頃まで、「新宮山八幡宮」が祭られ、北側の一段低いところには、宮寺の「愛染律院」が建っていました。
また、山頂の本殿前には、慶長20年(1615)の大阪夏の陣に、当地に本陣を率いた徳川家康が軍旗を架けたと伝えられる「旗かけ松」という松の大木がありました。
新宮山の名の起こりは、天暦3年(949)当時、三宅山と呼ばれていた星田一帯の土地を石清水八幡宮に寄進し、八幡宮の分霊を勧請して祭ったところから、石清水八幡宮を本宮と呼び、当宮を新宮と言ったことによります。
新宮山八幡宮は、室町時代は隆盛を極め、文安2年(1445)には六小社を有する大社と六支院が権勢を誇るかのように山頂に立ち並んでいました。
星田寺(しょうでんじ) 「交野郷土史かるた」より
星田寺(しょうでんじ)は檀家というものがありません。 この富くじは年号が享保乙卯と明らかになっていて、現在わかっている我国のものでも多分最古のものだと思われます。
平成3年に交野市教育委員会が行った発掘調査では、神社創設を天暦年間とする確証は得られませんでしたが、鎌倉時代の終わり頃には、八幡宮が存在していたことが判明しました。
また、鎌倉時代から明治の廃寺に至るまでの間には、草創期(13世紀末〜15世紀初頭)、戦後期(15世紀〜16世紀)、江戸期(17世紀〜廃寺期)の3つの時期の建物跡が確認させました。 |