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森遺跡・三宅山荘園の遺構


 交野市教育委員会と同市文化財事業団は18日、 交野市森北1丁目のマンション建設予定地(JR河内磐船駅の北約200bの田圃)で、平安時代に石清水八幡宮(京都市八幡市)が持っていた「三宅山荘園」と見られる遺構や遺物が見つかったと発表した。(朝日新聞)
現地説明会で熱心に
耳を傾ける考古ファン
平安時代から鎌倉時代の
石積みの井戸跡
三宅山荘園跡とみられる遺構
幅7mの水路と建物群跡
古墳時代の須恵器
・土師器などが出土
古墳時代から現代に至るまで
の幾層かの耕作層が確認
古墳時代の水田に伴う
幅50cm程度の水路群
(4世紀〜5世紀中葉)

森遺跡発掘調査現地説明会資料
平成12年5月20日(土)牛後1時〜3時
交野市教育委員会、(財)交野市文化財事業団

1.調査に至る経過
 交野市教育委員会は去る平成12年3月10目に交野市森北l丁目内のマンションの建設予定地の埋蔵文化財試掘調査を実施いたしました。その結果、古墳時代から室町時代にかけての遺構・遺物を多量に確認しました。そのため、土地所有者と協議を行い、平成12年4月17日から本調査を実施いたしました。
2.調査の結果
 調査区の西側で、古墳時代の水田に伴う幅50cm程度の水路群(4世紀〜5世紀中葉)と鍛治炉跡(5世紀後半〜6世紀前半)、東側で幅7mの水路、井戸、建物跡(10〜13世紀)等の遺構を検出しました。
 遺物としては、古墳時代の須恵器・土師器・鍛治関連遺物と平安時代以降では、須恵器・黒色土器・瓦器、土師皿、陶磁器等を出土しました。
 次に当遺跡の変遷について、時代をおって概要説明をします。

古墳時代
 1.森古墳群及び東車塚古墳築造時に、その麓において水田が網目状に掘削されていたことを確認しました。それらは現在の土地の区画方向ではなく、南東に位置する森古墳群から伸びる尾根方向に沿って設定されていました。水田の水路の区画は約10mと現在の水路区画に比べて非常に小さいものでした。
 2.50cm程度の鍛治炉を確認し、周囲より多数の鍛治関連遺物が出土しました。この炉は古墳時代前期の水田の水路上に粘土を置いて築かれており、5世紀後半代になると、それまで水田であった場所が、突然鍛治集落へと変貌するということが確認できました。

平安・鎌倉時代
 3.調査区東側において、幅約7mの水路を発見しました。その溝に廃棄された土器群から10世紀〜13世紀にかけて使用されていた溝であったことが確認できました。また、その溝に沿った形で平安末から鎌倉時代に使用されていたと推定される木製の導水管を検出しました。この位置は森地区の字平田とその東の地蔵筋の境界付近にあたり、現在もこの境界には用水路が引かれています。この溝を遡れぱ天田神仕、川東神社で、おそらくは両社の間を流れる小久保川より水を引いていたと考えられます。
 また、この溝の西側で平安時代から鎌含時代にかけての建物群が確認され、これら建物に付属して石積みや、木製の井戸を3基確認しました。また建物等に伴う遣物として、中国産の青磁器などの輸入陶磁器や、緑釉陶器、灰紬陶器など当時としては高価なものが出土しました。また、とりベ(どろどろに溶けた銅や鉄を入れる碗)や溶解炉片など一般の集落遺跡では出土しない鋳造関連の遣物も出土しました。
 今回の、10〜13世紀代の遺構・遣物について、交野市教育委員会では三宅山荘園(文献1)の御倉町並ぴ館院等内地6町という場所の一角に当たると考えています。
 それは、当時の御倉町には、倉庫群の他に鋳物師などの所属した細工所をの含んでおり、本調査区から平安時代の鋳造関係の遣物が出土したことは、この記録に符合するものです。また、高価な陶磁器類は、荘園の荘官が所有していたものではないかと思われます。

江戸時代
4.今回の調査で、古墳時代から現代に至るまでの幾層かの耕作層が確認できました。この結果、私たちが最近まで目にすることができた水田の様子は、古代からのものではなく、恐らく江戸時代になってから造られたものであることが確認できました。

文献 1 −− 延久四年(1072)「太政官符」
太政官牒石清水八幡宮護国寺。
宮寺所所庄園三十四箇処事。
一応如旧領掌庄二十一箇処事。
(中略)
河内国七箇処。
一処 字三宅山。在交野郡。
山千四百町
御倉町並館院等内地六町
免田二十三町 (略)


交野市教育委員会と同市文化財事業団は18日、交野市森北1丁目のマンション建設予定地で、平安時代に石清水八幡宮(京都市八幡市)が持っていた「三宅山荘園」と見られる遺構や遺物が見つかったと発表した。同市教育委員会は「文献でしか分らなかった三宅山荘園が実際に確認できた。荘園の機能を知る手掛かりになる」と話している。

遺構には、十〜十三世紀の柱穴跡と見られる直径0.5メートル前後の穴が、約四十ヵ所で見つかった。荘園で収穫した米などの穀物を備蓄する倉庫群を指す「御倉町(みくらまち)」とみられうという。 また、高級な青磁や緑釉(りょくゆう)陶器など八点が出土したほか、水田に水を引くための木製の導水管が、長さ20b(幅7b、深さ1.5b)に渡って埋まっていた。

同市教育委員会によると、現在の官報にあたる「太政官符」(1072年)に、交野市に三宅山という荘園があり、6fの敷地に御倉町などがある、と記されている。同市教育委員会は「この文献から、三宅山荘園に間違いない」という。

現場は、JR河内磐船駅の北約200bの田圃。マンション建設にあたり、同市教育委員会が3月10日から埋蔵文化財の試掘調査を実施し、4月17日から同事業団が本調査をしていた。5月20日午後1時より現場説明会が開かれた。

(朝日新聞)