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ちょっとそこへお座りよ
◆◇◆ Ohgu's Essay ◆◇◆
阪神タイガース大好きの奈良市の大工さん
2003.11.03  ”雨の御堂筋”阪神タイガースのパレードは進む

夜中降っていた小雨も明け方には殆ど止んでいましたが、午前10時過ぎから又降りだしました。
今日は予定通り、大阪・御堂筋で阪神タイガースのセ・リーグ制覇の祝勝パレードが行われました。大阪市庁舎前から心斎橋まで2.2km、まさに、”雨の御堂筋”を、六甲おろしと共に、定刻に出発しました。
雨の御堂筋パレード(asahi.com)


東西両側は溢れるばかりのファンで埋め尽くされ、その数徹夜組も含めて凡そ40万人(主催者発表)にも達したそうです。また、休日にもかかわらずビルの窓を開けて手を振る光景も見られました、その中を星野仙一前監督以下、今季活躍したコーチ・選手約60人が乗ったパレード車がゆっくりと行進し、大歓声を浴びました。

選手たちと、群がるファンとは「おめでとう」「ありがとう」そして、「ばんざい、ばんざい」と喜びを分かち合いました。阪神タイガースの皆さん”夢”を沢山有り難う。
なお、パレードは、午後も、神戸・三宮でも行われます。

因みに、パ・リーグ制覇及び日本一を勝ち取ったダイエーは、昨日、福岡で優勝祝賀パレードを行っています。沿道は約36万人の若鷹ファンで埋められたそうです。

今年の阪神タイガースも、これで一区切りかと思うと、何か、気持ちにガクンとしたものを感じます。
小生も、ここらで気分を入れ替え、メールを送り続けたいと思っています。

2003.11.02 明日、阪神タイガース優勝記念パレード、大阪と神戸で

今日は雲が多くて気温も上がらず、薄ら寒い感じです。
毎日、メールを送っていると、時には話のネタが切れるかと思う事もありますが、不思議なもので一晩過ぎるとまた、そのネタが出来るものですね。このところ選挙のことには触れるのを避けています。かと言って経済のことは難しいし、国際問題は更に難しいし、芸能の事はあまり知らないし、判りよく取り上げ易いのは、結局阪神タイガースの関連だけです。

阪神岡田新監督は球団事務所で、金森栄治1軍打撃コーチ・中尾孝義2軍打撃コーチ及び加藤康夫2軍バッテリーコーチの就任を発表しました。これで、来期新体制のコーチングスタッフの陣容は固まりました。後は伊良部の進退も含めて、選手陣をどう調えるか、が問題です。

明日の、午前中は、大阪御堂筋で、午後には神戸三宮中央通りからフラワーロードまで、阪神タイガースの優勝記念パレードが行われます。
阪神本社は元尼崎市(兵庫県)に在ったと覚えています。甲子園球場は勿論西宮市(兵庫県)、今は阪神本社は大阪市、だから何かにつけて大阪寄りに考えられます。景気回復に躍起になっている神戸市も、黙ってはおれず、パレードを引っぱり込みました。星野前監督はじめ選手ご一同大儀でござる。
それにしても、お祭り騒ぎが大きければ、大きいほど、岡田新監督はプレッシャーを強く感じるのではないかと思って上げますね。

お歳暮商戦がスタートしました。梅田阪神百貨店では阪神タイガースのキャラクター「トラッキー」「ラッキー」も接客に一役かっています。

明日のパレードが済むと大体阪神タイガーズの優勝ムードも終わりになりますかね。長い間、随分と楽しませてくれました。
有り難う、阪神。

2003.11.01  阪神・岡田監督が選手のFA権行使に危機感?

こんにちは、今日も秋の空は晴れて、気温も高く、多少子供の声が遠くで聞こえます。久しぶりに庭に出てみました。足が悪くなってから、殆ど庭におりる事は無かったのですが、昨日病院へ行った惰性で庭におりて鉢物や庭木に水を遣りました。これで足腰が痛まなければ良いのですが。

さて、昨日の夕刊トップに「阪神応援団幹部を逮捕」とあって、小生大いに驚きました。かねて聞いていた私設応援団「中虎連合会」の会長達が、去年、阪神甲子園球場長らを脅迫していた廉で、兵庫県警に「暴力行為」の疑いで逮捕されたと謂うのです。
阪神が巨人にサヨナラ勝ちをしましたが、「六甲おろし」大合唱の前に、試合途中に優勝の決まった巨人の,原辰徳監督の胴上げを許そうとした球場長らを脅したと云うもののようです。結局胴上げは、「六甲おろし」の後になったということですが、阪神ファンとしては、「六甲おろし」が先だ、と思いますね。

しかし、暴力はいけません。それとこの応援団多少やくざっぽい事は感じていましたが、まさか、暴力団組員が噛んでいるとは知りませんでした。あれだけの組織的応援をしていた、それが出来たのも、そうだったのかと知りました。真面目なファンにとっては真に迷惑な事ですね。

ところで、肝心かなめの阪神タイガースは、田淵打撃・達川バッテリー・西本投手・長島守備走塁の4コーチが退団しました。また、新たにヘッドコーチに平田勝男・投手コーチに中西清起が就任と決まって、岡田新監督と共に退団4コーチと新任の3人は甲子園球場内の球団事務所で会見をしています。

また、伊良部がFA宣言をしました。残留か移籍かは明らかではありませんが、星(野)の消えた阪神、岡田監督大変ですよ。しっかり頑張りやと言う所です。主力6人がFA権を持つ阪神、伊良部・下柳・藪の3人の投手の動向如何が当面の注目点でしょう。

朝からの庭作業で少し疲れました。
正午も過ぎましたので、これで終わります。

2003.10.31   現役最年長、阪神の広沢、家庭人に戻る

今日も秋の良く晴れた天気に恵まれ、気温も高く穏やかな一日でした。
小生は診察日で先ほど帰ってきました。こんな日に病院とは悲劇ですね。
さて、遅くはなりましたが、メールでご機嫌をお伺いします。
涙をこらえ引退会見に臨む広沢選手(saahi.com)
やはり、先ずは阪神情報でしょうね。阪神の広沢克美(41)が引退しました。19年間、ヤクルト、巨人そして阪神と三球団で4番打者を経験したベテランは、日本シリーズ第七戦の、9回裏放った本塁打を置き土産に選手生活を辞め「家庭人」に戻りました。「出処進退」爽やかですね。

この「出処進退」なる言葉、最近よく聴きました。「政治家の出処進退は自分で決めるもの」とは小泉総理の「おはこ」の言葉で、小生テレビで何回聞いた事でしょう。テレビは同じ録画を何回も流します。各局も同じですから、拙宅では、2・4・6・8・10チャンネルだけでも5局入り、一つの局が3回出すと、こちらは15回聞く事になります。実際にはそれ以上でしょう。

「出処進退」とは、いったいぜんたい、どういう意味の言葉なのでしょう。
この「出処進退」を考えるに就いて、先ず、「処女」から考えて見たいと思います。もともと「処女」と云う言葉は、”肉体的条件”を指すものではなかったのです。「処」と云う文字は、几(き)に足(攵=ボク)を組み合わせたもので、”家にいる”という意味でした。そこで、古代の中国では、官途に就かず家にいる男を「処士」といい、まだ嫁にいかず家にいる娘を「処女」と言ったそうです。
二千年以上も前に書かれた『孫子』の兵法に、戦上手は敵を油断させるため「始メハ処女ノゴトク」せよと記されているほど、この言葉は古い歴史を持っています。
それがいつのまにか、”バージン”を意味するようになりました。しかも、今日では勿論?処女が処女とは限らなくなりました。

随分、遠回りしましたが、「出処進退」という言葉は、”世に出るか家に処(お)るか、進むか退くか”という意味です。「出所進退」では意味ありません。
尤も、どこかの代議士さんのように、刑務所から保釈されてからやめたら、それは「出所進退」でしょうね。

詰まらないことを書いてしまいました。秋の暮は早くも日が落ち、冷気が迫ってきました。
また、メールします。オヤスミなさい。

2003.10.30   阪神タイガース、広田神社へ戦勝報告する

今日も天気は良くて静かです。
プロ野球の日本シリーズが終わって、何か急に夕方は空虚に感じられ、深み行く秋の侘びしさを、ひとしお強く感じます。毎朝、新聞を見るとき、どのチャンネルが野球中継をするのか、テレビ欄へ自然に目が行ってしまう癖が付いて、午後6時の各局の並びを見てしまいます。小生いつの間にか阪神モードになっていたようです。

昨日、阪神タイガースの面々、星野監督が引き連れて西宮の広田神社へ戦勝報告にお参りしたと、テレビが伝えていました。この広田神社は戦前は官幣大社で、神功皇后が主神として祭られており、「戦の神様」でした。

【注ー神功皇后は、仲哀天皇の皇后で、天皇と共に熊襲征服に向かい、天皇が香椎宮で崩御の後、懐妊のまま新羅を攻略して凱旋し、応神天皇を筑紫で出産しました。その由縁で戦(いくさ)の神様とされました】

小生も、西宮市立用害尋常小学校や甲陽中学校時代には、戦地の兵隊さんの「武運長久」を祈願しに学校から広田山まで行軍しました。その頃広田山は「つつじ」の名所でもありました。

その後、西宮市の市役所前で、阪神タイガースの皆さんの挨拶・お礼や来年へ向けての決意・ファンの声援を期待する、イベントがあったそうです。

話は突然変りますが、皆さん「ウドンの元祖はまんじゅうだった」という事をご存知だったでしょうか。
ウドンは、またの名を「ケントン」、または「ウントン」と云うそうです。きつねうどん

さて、古代の中国では小麦粉を水で捏ねたものを「飩(トン)」と名ずけました。その飩を丸めて蒸かせば、マントウ。細くひっぱれば索麺、つまりソーメンの元祖が生まれます。丸めた飩は、姿が混沌としているので、「混飩」とも謂いました。そのこんとんが江戸時代に訛ってケントンになりました。
寛永八年(1668)ごろの流行り歌に”八文森のけんとんや”とあるのが、その古い記録だそうです。そのケントンに、当時の人は「見頓」などと見当違いの当て字をしました。トンを熱くして食べるから温の字をあてて、ウントンです。
ウドンの前身のウントンは、湯とカラシ酢を添えて食膳に供していました。そのウントンが訛ってウドンになりました。

日本人が、延ばしたトンを切る事に気づいたのは、徳川の中ごろのことです。マントウの発明者は、『三国志』で有名な諸葛亮(孔明)だからマントウからウドンまで、約千四百〜五百年の歳月を要しています。
これから寒くなれば熱い「ケツネうどん」など如何でしょう。
この話、毎日新聞社が、昔に出している雑学辞典から引き出しました。

本日はお退屈様でした。

2003.10.29   阪神タイガース新監督岡田走塁コーチに決まる

夜中から明け方にかけて雨が降っていましたが、今日も秋晴れの良い天気になっています。少々冷えますが、かえって身が引き締まって気分は上々です。静かです。遠くで犬が吼えています。

ここは、奈良と京都の選挙カーの声が聞こえる所ですが、まだ、どちらも聞こえて来ません。こんな外れた土地にはもっと後にならないとやってきません。投票日間際になると、両方から聞こえてきますので賑やかになります。

昨日朝から始まった”43”衆院選の立候補の受付は午後5時に締め切られましたが、1,159人の届出があったそうです。各候補者は早速街頭に走り出たようですが、党首・代表の街頭演説もテレビに放映されていました。
その中で、一つ気にとまったことがありました。民主党の菅代表の話の中に「政権を任せてみて、一度やらせてみてください」と云うことです。
「一度」やらせて、悪ければとっかえろという事でしょうか。政権とはそんな安易な物なのでしょうか。小生大変に引っかかりました。ここは「是非」で良かったのではないでしょうか。

石原都知事また暴言と新聞に出ています。「日韓併合は朝鮮人が選んだ」。これは正しくは「韓国が」選んだと謂うべきでしょう。朝鮮人と謂う呼び名は併合後、朝鮮半島の人を朝鮮人と呼んだものです。
戦後教育では日本の近代史を全く教えていません。大半の日本人は明治以降太平洋戦争が終わるまでの歴史(国史)は知りません。只ひたすらに日本の植民地政策によって日韓併合が行われたと思っている向きがありますが、当時の国際情勢から、国際的にもむしろ歓迎された出来事であったのです。(この点は満州国の経緯と少し異なります)
小生はこの問題に関する限りは石原都知事の言い分に賛成です。彼が口を開くと、直ぐに「暴言」だと騒ぐのは如何なものでしょうか。

昨日阪神タイガースは大阪市内のホテルで記者会見を開き、久万俊二郎オーナー立会いで、星野仙一監督が今季限りで退任し、岡田彰布・走塁コーチ(45)の新監督就任を正式に発表しました。今後は非常勤の相談役的立場でチームに残るそうです。
それにしても、阪神タイガースや星野監督の話は多いですね。テレビでは各局、未だに阪神の報道が多いのはどうしてでしょう。王監督やダイエーの選手の話は殆ど出てきません。不思議ですね。
阪神電鉄9月中間期の業績予想を上方修正しました。株価はダイエー上昇、阪神下落とあります。

もう、正午になります。このへんで終わりにします。

2003.10.28   虎は地に斃れ、鷹は天空に高く舞った

”2003”プロ野球日本シリーズは福岡ドームで第7戦が、阪神タイガースとダイエーホークスの間で闘われました。結果は6−2で阪神敗北でした。
阪神ファンにはつらい、悲しい結末がやってきました。しかし、この現実はいか様にも仕様がありません。阪神タイガースの選手たちの労をねぎらい明日に向かって進めと叫ぶばかりです。
そして、星野監督の功績を讃え、健康を願いながら、惜別の意を表します。また、ダイエーホークスの投・打・そして守りの優れた技量に賛辞を送りたいと思っています。

それにしても思うのですが、星野仙一監督、シリーズ前に引退表明しておいて良かったですね。結果で言うと、これがなければ、星野監督負け犬同様の惨めさで辞意表明をしなければならなくなっていたでしょう。勝敗は時の運とも云います。マサカの時を考えに入れての事前引退表明だったとは、考えたくはないのですが、全て良かったですね。

第43回衆議院議員選挙は、今日28日に公示されます。その公示を前に中曽根康弘元首相は昨日、議員引退を正式に表明しました。テレビで記者会見の様子を見ましたが、多分に老化による表情の強張りが見受けられました。そして、更に気になったのは、小泉首相への恨み節か、噛み付いたのか、大人(徳の高い立派な人、身分や官位の高い人)とは思えぬ話でありました。人の正体は最後、追い詰められた時に出るものですね。
星野監督と較べて、あなたは如何思われますか。

小泉純一郎首相は、各党首合同の討論会で、与党三党で過半数を割ったときは、勿論「下野」すると発言しました。当然のことながら、小泉さんの自信の程を垣間見た感じがしました。

日本シリーズに替わって、今度は”43”衆院選挙シリーズですね。街中は野球場並みに騒がしくなります。しばらくご辛抱を!!

2003.10.27   2003.日本シリーズ第七戦−今日、日本一が決まる

昨夕は、マッコト残念でした。先発伊良部は星野監督の温情ミスと謂うべきでしょうか。伊良部はそれに応えられませんでした。彼は体が重そうで動きも緩慢な感じがします。二度までモーションを盗まれかき回されては弁護も出来ないですね。
ダイエーの試合の流れは良くなり、阪神の試合の流れは完全に澱みましたねェ。4回桧山のホームランで完封は免れたものの、1−5で敗北。
全ては、今日の第七戦に持ち込まれました。
甲子園球場でも盛り上がっていたようですが、楽しみが、一晩増えたと云うことですねェ。

昨夜は6チャンネル、CMの挿入配分に随分気を遣っているようでした。
今日は京都テレビ・奈良テレビ・テレビ大阪/サンテレビ・テレビ和歌山それにBS1と放映する局は多いようです。いま、視聴率の不正工作が問題になっていますが、今夜6時〜9時半乃至10時の間の視聴率はどんな風になるのでしょう。

「こんな非礼はない」と古証文を振り回していた、中曽根康弘さん小選挙区での当選は困難で、周りからも協力を得られず、遂に出馬を諦めるようですね。折角功をなして来た中曽根さん、も少し、いさぎよく「晩節を飾る」べきだったのでしょうがねェ。【影の声ー亀井にネジ巻かれてたのかな】

二ユー(田中)真紀子さん、無所属で立候補。民主党の小沢一郎さんと気が合うようだと、菅直人代表、早速、新潟5区を民主党は自主投票に決めました。そう言えば、菅さんの目つきいつも色目遣いに見えますね。

今日もまた、詰まらぬ話でお耳を汚しました。阪神優勝を期待して、終わりにします。
いま、12時前です。空はうすーい雲がかかって日差しは弱くなっています。
気温もあまり上がっていません、秋の深まりを感じます。

2003.10.26    今宵、福岡に六甲おろしの声たからかに


今日も晴れた気分の良い天気です。庭の「サンシュウ」の実が、晩秋の日差しに赤く光って見えます。拙宅のあるこのニュータウンは奈良市の北の端にあり、すぐ100メートルほど先はもう京都府木津町です。元々雑木の生えた丘陵だったそうですが、今は静かな住宅地になっています。
入居が始まって18年経ちますが、子供達はみんな出て行って、今や老人所帯が増えつゝあります。
先ほど、そんな静かな昼餉時に、インターホンが「ピンポン」と鳴りました。
家内が出ると不明瞭な声で「新聞屋です」と言うので、何かなァと玄関へ出ました。○日新聞だったようです。この新聞、今年の春頃から五月蝿く拡販にやって来ます。うちは□日新聞を取っているから、要らないと断っても二ヶ月だけでもと、ひつこく購読を迫ります。新聞の拡販員は昔から「ガラが悪い」と謂う印象がありますので、月に何度もの訪問に、家内はホトホト手を焼いています。
新聞の拡販員対策は無いものでしょうかね。兎に角執拗なんです。

日本シリーズ、今日、明日福岡ドームへ移って、第六戦、第七戦が戦われます。阪神勝って、今夜胴上げになるか、或いは明日へもつれ込むか、阪神ファン大いに気になります。勿論、ダイエーファンも同じ事でしょうが、テレビに張り付かざるを得なくなります。今日は我家では6チャンネルのABCテレビだけです。第四戦でこのテレビ、最後の所謂「お立ち台」の画像をCMで殆ど見せませんでした。
4チャンネルの時は、BS1や京都テレビも放映するのですが、6チャンネルの時は、外の局がやってませんので、6チャンネル、真に腹が立ちました。

今日の歴史、「伊藤公遭難」。明治42年(1909年)伊藤博文公がハルピン駅で射殺されました。
伊藤公は26日午前9時、長春よりロシア特別列車でハルピンに到着、ロシア蔵相ココフツオフ氏と汽車中で約30分会談した後、プラットホームに降りたところを、鼠色背広に鳥打帽を被った若い韓国人に、7連発のピストルで僅か5尺の距離から狙撃されました。致命傷は右肺部貫通で約30分後の、午前10時に落命しました。韓国併合の契機になりました。

今晩の福岡に六甲おろしの歌声、高らかに響くか!!。

2003.10.25    甲子園の第5戦、阪神素晴らしかった

今日は、旧暦の十月一日。十月は「神無月」、全国の神様諸君が出雲に集まって地方にいなくなるのだそうです。どうして十月に集まるかと謂えば、十月十六日が伊邪那美命の命日だからだそうです。集まって何をするかというと、酒作りだという地方と、縁結びの相談だという地方とに分かれているそうです。では、出雲地方では如何いうかというと、「神有月」というそうで、理屈には合ってます。
突然、いったい、お前は何を言い出したのか、とご不審でしょうが、実は最近のカレンダーには旧暦や六曜が載せられていないのです。それで、暦を調べていて、アア、今日から十月なんだと思ったわけです。因みに、六曜とは大安、友引、仏滅などというものです。
こんなこと、今の若い世代には要りませんね。

昨夜の甲子園、燃えましたね。金本の一発、桧山のタイムリー、そして投手をつないで、ウィリアムスが締めくくりました。お見事でした。
 ”明日は博多に、出て行くからは、何がなんでも、勝たねばならぬ”
明日、日曜日の宵は楽しいでしょう。

ところで、博多と福岡の関わりをご存知でしょうか。小生はかって北九州市に二年間、単身赴任しておりまして、福岡へも何度か行きましたが、まだ、はっきりとは案内できません。博多は、福岡市の東半部で、博多湾に面した港町・商業地として発展した地域で、西隣の城下町福岡と共に現在の福岡市の中心部をなしているのだそうです。猛烈社員時代単身赴任者が多くて、その連中を「ハカチョン」と呼んでいました。大手企業や都市銀行の支店長は大体単身赴任者で、彼方此方の飲み屋、クラブなどに集まって単身生活を楽しんでいたようです。JR列車は博多行き、駅は福岡、たしかそうでは無かったかなと思います.間違っていましたかな?。

昨日メールを送信したあと、テレビで国交相が藤井総裁の解任辞令を送達した旨話していました。この件これで一区切りつくでしょう。後は訴訟でも何でもやんなはれ。

中曽根爺さんも、エエ年こいで、もっとアッサリしなはれ、と言いたいですね。

59年前の今日(1944.10.25)、神風特別攻撃隊が、必死必中、敵艦に體當り、関行男大尉(23)ほか4名、護国の鬼と散りました。戦争の是非は兎に角、今どきの若者と比べると、その志、月とスッポン以上に違います
ね。   では、また、明日。

2003.10.24   逆転、阪神最後に噛み付く

今朝は曇ってうすら寒い晩秋の空になりました。しかし、阪神ファンの気分は晴れています。

金本のサヨナラホームラン!
      (asahi.com)
虎は千里行って千里帰る、と言いますが、走るのは元来苦手で、忍び足で歩くのがうまく、実際に一晩で、80キロから100キロ歩くそうです。襲撃はライオンのように走り寄って飛びつくのではなく、待ち伏せて襲うか、忍び寄って不意をつきます。だから、気の弱い鷹など全身麻痺で動けなくなってしまいます。
8回裏アリアスの左前・同点タイムリー、そして、10回裏金本のホームランでしとめました。
今晩も飛び掛って、第五戦を、ものにして欲しいものですね。

”2003・日本シリーズ”いよいよ正念場です。今日も、天気晴朗にして、甲子園に浜風は吹くでしょう。

”2003・自民シリーズ”中曽根康弘(85)VS小泉純一郎総裁も、なかなか面白くなりました。今朝の各テレビ局報道を聞いていると、中曽根さんには勝ち目は無さそうですね。あの方も、晩節をいさぎよくした方が良いでしょうにね。頑固な老人は嫌われます。女郎の古証文の様な物は出しなさんな。

永田町にも決着の着いていないシリーズものがあります。それは、藤井治芳日本道路公団総裁と石原国交相との対決です。今日あたりには解任辞令が出るようですが、藤井総裁側の弁護士の話では、続編、続続編があるかも知れませんね。

今年は鳥が来ません。柿が色づき、「サザンカ」が咲くと、例年「ひよどり」がやってくるのですが、今年はまだ姿を見せません。雀も少なくなりました。如何したのでしょう。

やがて、正午になります。この辺でメール終わりにしますが、今夜も、阪神の応援を一緒にしましょう。では、フレー、フレー、タイガース。

2003.10.23   第三戦も阪神のものだー!、と、思いたい

今日は多かった雲も次第に無くなり、良い天気になりました。午後は風が出て、寒くなると予報されています。

昨夜の甲子園、日本シリーズ第二戦は、ムーアと和田の投げ合いで、終始ハラハラと楽しませてくれました。尤も、ムーアの初球はとんでもない暴投で大丈夫かいなァ。と思はせましたが、金本のホームラン、最後に、藤本の胸のすく一打で阪神が1勝しました。これで阪神はダイエーにタイの体勢になりました。
今宵は甲子園の浜風も出て、阪神を援けます。今朝のニュースで「ハタハタ」が早くも大漁だと伝えていました。「ハタハタ」は秋田のお正月の祝い魚です。「鰰」と書きます。(阪)神の魚です。縁起がいいですね。

ただ一つ、イチャモン付けるつもりはありませんが、開会式での「国歌」斉唱を鈴木某に歌わせていましたが、あれは頂けません。ヘンな節回しで自分の一人よがりで聞くに堪えませんでした。その点、福岡ドームでのそれは、大試合を前に選手も、応援団も、観客も厳粛な気持ちにさせるものでした。ドームに響く「国歌」に小生も身の引き締まるのを感じました。

「天命を感じた二ユー真紀子」さん、自民党を離党しました。無所属で立候補するようですね。

藤井総裁、イニシャルの政治家の実名を明かすに就いて、公務員の秘守義務を解けと石原国交相に迫っています。
藤井総裁VS石原大臣、永田シリーズですね。小生石原ファンです。頑張れー。

昨日のメールの中で、JR中央線「開かずの踏み切り」に、二ヶ所に歩道橋を設けるのに、「2ヶ月かかります」と書いたのは間違いで、「4ヶ月」だそうです。訂正します。

最近の交通事情で、電車の高架化は彼方此方で行われていますが、あまりJR中央線のようなトラブルは聞きません。仮設複線を敷設したら、従来の複線は電車は通らない訳ですから、踏切を無くせる筈です。複々線のまま、踏切を置いておくのは如何してでしょうかね。四つの線路に電車を通しているのでしょうか??。

石原国交大臣、コツき回されているようで、気の毒ですね。記者の前で、顔を引きつらせて説明に、これ及んでいるのを見るとヤレヤレと思って上げてます。

今夕の阪神の勝利を念じてメール終わります。

2003.10.22    喫煙の結果責任は個人に帰属する

雨は明け方に上がって、雲の多い空ながら、午後には晴れるとの予報です。昨日の日本シリーズ第三戦は今日に延びました。今日以降逐次ずれるわけです。
甲子園へ帰った阪神の選手は充分休養できて、リラックスした事でしょう。今晩は見事ダイエーを返り討ちにして、第四戦以降に繋げて欲しいものですね。阪神は先発、ムーアか、下柳か、ダイエーは和田が決まりのようですね。それにしても、打撃と守備に頑張って、と言いたいです。

東京地裁は、「タバコを吸い続けたがん患者らが、タバコの危険性を正確に伝えなかった責任がある」として、国とタバコ会社を訴えた裁判で、「喫煙は個人の自由な意思によるもの」だと述べて、患者側の訴えを退けました。
幾度かお話していますが、小生喉頭がんで喉頭を全摘出し、声を無くしいます。しかし、タバコ会社や国が悪いとは思っていません。

タバコは呼吸器系のがんの危険因子の最も大きなものであることは間違いないと思っています。しかし、タバコをすって、なお、長生きしている人も沢山います。そして、ニコチンの害は古くから一般に知られている事でもあるのです。
だから、「タバコを止めよう、止めようと思いながら止められないんだよ」と言う会話が、しばしば交わされる訳です。今更、国やタバコ会社が、今以上にタバコの害を宣伝するまでも無いと思います。タバコをすい続けた者の責任なんですよ。小生、喉頭がん発見の一年半前に、心筋梗塞で奈良県立救命救急センターへ運ばれ、あと、75日間、県立奈良病院へ入院しました。その時も循環器系の医者に君の(動脈硬化の)危険因子はタバコだったと言われました。

小生は、直ちに息子と娘むこを呼んで、「タバコは一切すうな」と厳しく言いつけました。
息子は以来、スパッ!と止めました。ところが、娘むこは止めるどころか、拙宅へ来ても庭へ出て、コッソリすっている始末でした。8年前、銀行の支店長昇進を前に、肺がんで亡くなりました。
「意志」の強さが明暗を分けたと云うことです。これは偶々かもしれません。しかし、喫煙の危険が周知不十分だったと言うのは、悪く解釈すれば国やタバコ会社から金を取ろうとする魂胆かと疑われても致し方無いでしょう。
「吸う、吸わない」は個人の責任に帰属します。

小泉純一郎首相遠くからリモコン操作です。
@藤井総裁解任問題…ある程度時間も必要だ。落ち着くところに落ち着く、「沈着、冷静に対処しなさい」と石原国土交通相に申し渡しているそうです。
A(自民党の)73歳定年制度…帰国して安倍幹事長と相談する。情勢報告を受けて判断するそうです。

国交省は、これも、バンコクからの小泉さんの刺激で、「開かずの踏み切り」について、JRに解決を指示しました。踏み切り二ヶ所に歩道橋を設けるそうです。ただし、2ヶ月かかります。費用は14億円だそうです。

松坂屋の大阪店が閉鎖されるそうです。やはり、ターミナルで無いと、お客は入らないのでしょうね。近鉄・天満駅は通過駅です。小生の知ってる松坂屋は日本橋にありました。そこも難波の高島屋に比べると不便な所でした。
場所取りがヘタなんですね。

今日はタバコとがんの話でお退屈様でした。

2003.10.21    有栖川宮逮捕される

今朝は雲が多く、今にも雨になりそうな空であけました。そして、9時半ごろから小雨が降りだし、遂に本降りになりました。現在、午後3時半、本降りです。恐らく、甲子園も同じで、第三戦のゲームは出来ないのではと心配しています。

「沢村賞」は、阪神・井川とダイエー・斉藤の二人に贈られることが決まりました。二人は共に初受賞です。

今日は阪神・ムーア(10勝6敗)VSダイエー・和田(14勝5敗)かと予想されていましたが、残念です。ハラハラ期間が長くなって良かったと思っておきましょう。

テレビ各局が、さかんに報道していたJR中央線の都内の「開かずの踏切」について、バンコクから小泉首相の声が聞こえて、改善を指示したと云うことです。国交省のアイマイな態度や、JRの無責任な対応に、選挙の事が気になって、シビレ切らしての遠距離操作と云う所ですかねェ。

三井住友BKが「紙の通帳」を’06年度を目途に、原則廃止を決めたそうです。ネット上の通帳「ウエブ通帳」で代替するのだそうです。銀行は1冊210円の印紙代が節約できるそうです。預金者は接続料や通信費を負担しろというのでしょうか。尤も、老齢の希望者には紙の通帳をだすそうです。当たり前やでェ。

「世にも不思議な物語」…有栖川宮様が逮捕なされたそうです。
先日来、テレビで取り上げていた宮家を称する男女が、その結婚式と称して行ったイベントに馬鹿どもを集めて、祝儀を詐取したというのです。
その男は、北野康行(41)、女は坂本晴美(45)。外に、楠信也なる男も逮捕されています。今年4月に都内で約400人を集めて、祝儀1,300万円を詐取したと云う、現代ばなれした事件です。
何故、日本人は皇族だとか、○○宮とかに弱いのでしょうか。その割りに有栖川宮は80年も前に絶えているのを知らなかったのでしょうか。しかし、騙したこの連中素晴らしい知恵者ですね。石田純一というタレントも被害者だそうです。被害者としてでも名の出る事は恥ずかしいでしょうに。あァーね。

世の中色いろありますね。毎日の話の種は尽きません。この世はオモロイ。

2003.10.20      あしたの甲子園を信じよう

今日も秋晴れの良い天気です。しかし、阪神ファンと石原国交大臣の気持ちは、「空は晴れても、心は晴れねェ!」といったところでしょう。
藤井総裁は自分で鹿児島人だと言っていましたが、今朝の10チャンネル(読売)の「ザ・情報ツウ」と云う番組では、彼は宮崎県・日南市の出身だと言ってました。鹿児島人にしては潔くないなァ、と小生は言ってましたが、これは本人の嘘でした。
宮崎の人でも彼が潔くない事には変わりありません。ハ、ハ、ハ こう言わないと今度は恐持ての江藤さんに叱られそうです。
真面目な話、解任を引き延ばすと云う事態になったのは困った事ですね。匕首を懐に、「石原国交大臣、さあッ、いかに!」と、藤井総裁詰め寄って、「サテ、サテ、サテ」と石原国交大臣たじろいた。か?。

日本シリーズ第二戦(福岡)のことは忘れましょう。知りたい人は新聞でどうぞ。ただ、虎の牙(キバ)は磨いてもらわないといけまさん。ライオン歯磨きでは如何でしょう?

先日来、裏の家の柿が色ずいたと書きましたが、昨日、ご近所に分けていました。拙宅にもスーパーのビニール袋に入れて頂きました。家内は食べてみて美味しいと言っていました。小生、柿は幼少の頃から食べません。特にお酒を呑みだしてからは一切口にいたしません。柿を食らうと酔いがさめるからです。

【「まさか柿まで…」375キロ盗難 山形・藤島町】と、19日asahi.comに書いていました。今年は米の不作で「コシヒカリ」などが盗まれていますが、その外にナシ、リンゴ、ブドウ、イチゴ苗等々農作物の盗難が続いています。小生77歳にして初めて聞く話です。
昔むかし、小生甲陽中学のころに友達とサッカーボールで遊んでいて、ボールをイチゴ畑に逸らし、ボールを拾いに入って、ついでにイチゴをボールごと拾って来た事はあります。鳴尾のお百姓さん、ゴメンナサイ。
世の中セチガラクなりましたねェ。子供の悪戯では無いようですね。そうそう、田圃一枚真ん中だけ残して、稲刈り機で綺麗に刈り取っていたのもありましたね。こうなると、お見事!と言いたくなります。

虎ファンよ、兎に角、明日の甲子園を信じよう。
今日は静かにオヤスミなさい。

2003.10.19     虎は鷹に,最後にケリを入れられた


今日は昼前から少し雲が多くなってきました。気温はさして低くは無く、過ごし良さは平年並みと云うところでしょう。

さて、今日は昨夜福岡ドームで戦われた、阪神とダイエーの日本シリーズ第一戦のことを避けては話が進みません。

先ず、始めに感じたことは、球団旗の中央に、国旗日の丸を掲げて、国歌「君が代」が斉唱された事です。スポーツの大会では大抵の場合行われる事ですが、ドームのシーンとした中でのそれは、虎・鷹対決の緊張を一層高めるように厳粛な響きがありました。
予想どおり井川・斉藤の投げあいで始まりました。ゲームの進行・記録は省略しますが、1点を巡って廻っての鬩ぎ合いは、見ている者の気を抜かせませんでした。
結果は、阪神4:5αダイエーと阪神フアンの小生には不本意に終わりました。

昨日、大阪のおばちゃんに手を引かれた子供が、テレビのインタビューに「今日は井川と斉藤やから引き分けやでェ」と言っていたのをフト思い出して、「その方が良かったのになァ」と思うことしきりです。

阪神甲子園球場でも試合を、バックスクリーンの大型画面で観戦するパブリックビューイングがあって約1万3千人が応援したそうです。
また、戎橋では数人が川に飛び込み、裸で飛び込んだ男2人が公然わいせ罪容疑で逮捕されたと言うことです。この手合いは本当に困りますね。

この他の話としては、塩川正十郎(82)前財務相が、また一つ名言を聞かせてくれました。それは、「(政治家の)世襲は封建的家業や」。「政治家が世襲を続けると、封建社会になってしまうじゃないですか。江戸時代と一緒だ。民主主義じゃない」。(小生も全く同じく思っています)。「塩じい」良いこと言うねェー。

タカ派的発言をしたのは、民主党の菅直人代表。昨日大阪府堺市で旧自由党西村真悟氏の応援で、街頭演説し、「北朝鮮の銅像も倒れる日が来る」とソ連やイラクの例に擬えて話したとか。勇ましい!、ハヨ【拉致】家族助けたってえなァ。

もう一つ、前衆院議員鈴木宗男(55)は胃が悪いとかで衆院選出馬を断念したとか。彼は、あっせん収賄罪など四つの罪に問われ保釈の身です。同じ胃が悪い理由で辞めても、星野仙一監督とは、ずいぶん違う感じですね。

いずれにしても、日本シリーズ第二戦は、阪神に勝ってもらわないといけません。
みんなで応援しましょう。   トラ、トラ、トラ、なんかで聞いた気がします。

2003.10.18   今宵、博多の空は燃えあがる

今日の空も、澄んだ、気分の良い秋晴れです。福岡も同じでしょう。
フアン待望の日本シリーズ第一戦が18時15分から福岡ドームで開幕します。この天気両チームにエールを送っているかに思えます。
タイガースの牙か、ホークスの爪か。虎は天に向け吼え、鷹は空に羽撃く、今夕のお楽しみです。

それにしても、大阪・道頓堀の物々しい警戒、防衛策は異常ですね。戎橋は欄干を板で囲い、周辺の電柱や看板全て、有刺鉄線を巻きつけ、今や市街戦でも始まるかと思うばかりのようです。
”赤い灯青い灯、道頓堀の 川面にあつまる恋の灯に…”どころでは無いようですね。本当の阪神人、大阪人は情けなく思っているでしょう。

朝刊(毎日)に、ペナントレース2003のセ・パ両リーグの成績表や、表彰選手などを載せていましたが、阪神の観客動員数、前年比が、+23.2%には驚きました。(各成績詳細は省略します)。
各チームのスタメンオーダーを予想して載せていましたが、やはり今日は井川と斉藤の出来が勝負でしょう。昼のテレビで大阪のおばさんに連れられた子供が、言ってました。今日は井川と斉藤で引き分けや。
この子供、平和主義者でしょう。

昨日の藤井総裁の聴聞は何だか判らないうちに終わったようですね。
「死人」は出ずに幸いでした。国交省は20日にも解任すると言ってます。
それにしても、薩摩の人はネバリますね。小生の知ってる鹿児島県人は、みんな潔いタイプでしたがねェ。

ネバルと云えば、中曽根・宮沢のご両人もネバってますね。週明けのAPEC(アジア太平洋経済協力会議)から帰った小泉総裁自身が引導を渡しに行くか、それとも原則を外すか、これも興味のあるところです。

イラクへの無償援助15億ドルや自衛隊派遣に、ブッシュさんも満足してお帰りになるでしょう。日本は平和ですね。

ただ、博多の夜は今宵燃えます。お互い一杯やりながらテレビで阪神タイガースの応援を!!

2003.10.17    星野には有終の美を期待!、
                 藤井には晩節を汚すな!!

今日も良い天気で秋の空は、高く、青く澄んで小生の体調も大変に良好です。
さて、今回、村田義朗くんや「関西支部パソコン同好会」のみなさんのご意向に煽てられた様に、村田くんの管理するHPへ送っていた小生の纏らない話を、みつわ会本部のHPへリンクして貰う事になりました。

改めてみつわ会の皆さんにも「宜しく」とご挨拶しておきます。時には、関西風の駄法螺も入りますから、気にしないでください。

今朝、兎に角驚いたのは、阪神タイガースの星野監督が日本シリーズ終了後勇退すると云うニュースでした。午前5時にテレビを点けてベットの上でそれを見ましたが、高血圧や胃病のためだと云うことです。そう言えば、昨日夕方の4チャンネル(毎日テレビ)の「ちちんぷいぷい」と云う番組で角アナウンサーと同番組の坂東タレントが星野仙一監督をインタビューしている、約20分程のビデオの中の監督の顔の色艶が悪く、肌が荒れた感じだったのを思い出しました。光線の関係だったのかも知れませんが、フト思い合わせました。

阪神フアンにとっては真に残念な事ですが、健康第一に、ご自愛くださいと願うばかりです。後は岡田彰布(あきのぶ)コーチ(45)でしょうか。
兎に角、明日からの日本シリーズ、選手と共に頑張って「有終の美」を甲子園で飾ってください。【(4勝2敗)と考えると甲子園は無理かなァ。】

今日はも一つ大きなニュースがあります。それは予定されていた日本道路公団の藤井治芳総裁解任に関わる聴聞です。午前10時の予定を30分ずらせて始まりましたが、午前中はホンの入り口論に終わり、実質的なやり取りも無かったようです。午後は1時30分から始めていますが、藤井サイドは徹底抗戦の姿勢で、引き延ばしに掛かっているようです。何れ夜の二ユースで伝えるでしょう。

小生は言いたい。藤井総裁が自分でも言っているように薩摩の人間なら、も少し潔く進退を決めなさい。既に功なしたと思うなら、その「晩節を汚す」ような悪あがきは止めなさい。

今日はまた、アメリカのブッシュ大統領が来日しています。イラクへの資金供与や自衛隊派遣の事がより具体的に話し合われている事でしょう。

色々ある中で、明日から関西と博多では、日本シリーズ一色に盛り上がります。


2003.10.16   いま、藤井・石原対決が面白いー不謹慎?

今朝は一段と冷え込みました。天気がよく、放射冷却によるものでしょう。
四季の移り変わりは早いもので、先日黄ばんで来たとお話した、裏の家の柿の木の実が既に色濃くなって、葉の間から目立って見えてきました。

北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に「拉致」された5人の家族が、帰国してからも、はや、1年が経ちました。昨年、その5人が平壌の順安空港を発つとき、横田めぐみさんの娘キム・ヘギョンさんが見送りに来たのを、蓮池薫さんが抱き寄せ別れを惜しむ写真や、5人を見送る曽我ひとみさんの家族等の写真が、昨日「家族の会」横田滋代表によって公開されました。
我が国政府や、色々のルートの方々が、解決への努力はされているのでしょうが、何分相手が無法の国とあれば致し方なく、小泉首相も困ったものだとしか言えない結果にとどまっています。本人、その親達、その子と3代に亘って受ける悲しみは、我々の思い及ばぬところと、改めてテレビを見る目を潤ませました。

明日の日本道路公団の藤井治芳総裁の聴聞は、本人の希望で公開で行う筈ですが、テレビ・写真などの映像および録音は、国交省によって禁止とされました。何か期待はずれで気が抜けました。ところが、先ほど昼食のためこのメールいったん下書きにいれて、階下へ降りたときテレビが藤井総裁から完全公開にして欲しい旨申し出があったと伝えていました。
何かヤヤコシクなってきましたが、石原国交大臣ドウしますかねェ。

今朝、ある筋の報道で、中曽根・宮沢両氏の比例区候補はない、小泉総裁は決断した、と聞きました。若しそうなら小泉さん天晴れです。

明日の、藤井×石原対決。そして明後日からの阪神×ダイエーの初戦対決、この週末は力が入ります。

午後3時を過ぎて、雲が多くなって薄ら寒くなってきました。この時季のこんな日の暮れは物悲しいものですね。

2003.10.15
   藤井総裁、国交省に噛み付く?

今朝はずいぶんと冷え込みましたが、昼間は多少の肌寒さを残しながら、爽やかに晴れました。しかし、周りの気配はすっかり秋の深まりを感じさせます。「サンシュウ」の実が秋の日差しに赤く光ってくると「ひよどり」がよって来るのですが、今年は姿を見せません。「ひよどり」だけでなく、夏以来鳥の姿が少なくなりました。「からす」「すずめ」なども何所へ行ったのでしょう。

昨日大滝ダムについて、川上村の白屋地区がヒビ割れに困惑している話を取り上げましたが、メールを送ってからしばらくして、テレビを点けると、各テレビ局が一斉に「大滝ダムの水位を下げると、20何ヶ所に亀裂が走っているのが認められた」とビデオ中継していました。テレビで見る限りでは正にダム崩壊を感じさせる画でした。
不思議なのは、この報道その時のニュースだけで、今朝の新聞にも載っていません。どうしたのでしょうね。??

藤井治芳道路公団総裁が国交省に噛み付きました。17日に行われる聴聞を「公開」でするよう文書で申し入れました。石原国交相も「頭に来ている」ようですから、「公開」は実現するでしょう。果たして、藤井総裁が言うように「死人」が出るか?。石原頑張れ!。
チョッと品が落ちますが、腹の立つのを「タコの便秘」と言うそうです。何故かって…すぐ頭にくる…そうです。石原くんの今の状態です。

小泉自民党総裁は党内に色々問題を抱えています。一つは女難です。「天命の重さを感じた」田中真紀子さん、ニュー真紀子をどうするか。党員でありながら無所属で立候補、そして自民公認候補と争う事は党紀に照らして除名の行為です。原則を外してこれを許すか、難しい対処でしょう。

更に、も一つ云うならば、老害の問題です。自民党若手議員は比例区の73歳定年制完全実施を求めています。当事者の中曽根康弘(85)は、「北関東の比例区第一位で出してくれ」と駄々を捏ねています。宮沢喜一(83)中国ブロックも「私も同じです」と言ってます。小泉さん原則を外して認めるか。興味の尽きぬところです。

三等席から、物事を眺めるのは面白いものですね。年寄りの頭の体操と暇つぶしには持ってこいです。このメールもその程度のものです。気にしないでください。

阪神VSダイエーの前評判は色々言っていますが、野球評論家と称する連中が、阪神、井川で2勝、後4敗してダイエーのものか、などと言っているのは聞き捨てなりません。阪神がんばってー。

2003.10.14    大滝ダム、村襲うヒビ!国の人災!

今日は雲が多く、肌寒い感じです。そんな中でも各党の幹部達は忙しく各地を廻っていることでしょう。マスコミも大忙しでしょうね。

9日、国土交通省が、大滝ダムの試験貯水による地すべりで、同村白屋地区に生じたヒビ割れについて、仮設住宅で暮らす同地区住民の全戸永住移転を決めた事など、新聞の地方版には載りましたが、全国的には国会の解散劇に紛れて知られていません。

奈良県川上村に46軒の集落が広がる白屋地区は、今年4月頃から地割れやヒビなどの被害が相次ぎ、その被害は地区全体に広がり、今もなお拡大しているそうです。
そもそも、このダムは昭和34年の伊勢湾台風で大被害を受け、それを契機に造られたものですが、計画段階から周辺住民の反対は根強く、着工まで23年も要しました。最後まで反対し続けたのが白屋地区住民で、29年も前に専門家に調査依頼して「白屋地区は以前から地滑りの危険地帯で、昔から水路や畑は地滑りを考慮した作り方になっていた」と指摘してきています。

竹垣周祐・白屋地区副区長は「安全な土地へ移転して、早く生活再建したい。ダム建設は潜在的な地滑り地だったのに、国がゴリ押しをして建設を進めた」「4月に亀裂が見つかってから8月まで人災とは認めようとはしなかった。ダムの水位を下げても地滑りは収束していない。人災なのに、天災のような扱いで仮設住宅で暮らしてきた」と怒りを込めて話して、「白屋地区は長い歴史の有る地域」、移転先などについては住民総会を開いて「住民同士が話し合って決めたい」と言っています。

奈良県を東西・南北と四つに折って開いてみると、西北だけが平野部で、後は全部山地です。特に東西の南側はすべて山岳地帯で、台風・低気圧が紀伊半島を横断して名古屋方面へ抜けるとき激しい降雨に見舞われます。
かって、十津川村が山の崩落で壊滅的な災害を受け、地元集落の離散と云う悲劇を生んでいることは良く知られています。

都会に住む者は案外山奥の悲劇には無関心で、それでいてダムなど出来上がると観光などにイソイソ出向く、調子の良いものですね。(毎日)新聞の奈良版10/10付けを読んでいて、そんな感想を持ちました。
今日は終日雨のようです。

2003.10.13   昨日解散後の初サンデー、自・民首脳が舌戦

今朝は夜明け前からの雨が続いているし、雷も遠くで聞こえていました。
予報では雨の一日になるようでした。しかし、今、正午空は明るくなって来ました。天気は回復するのでしょうか。

昨日は解散後初めての日曜日とあって、午前中テレビ各局の日曜特番は、全て各政党の幹事長を集め、色々と討論させていました。出席者が同じだから視聴している側も最後には退屈してくるという有様でした。

小泉首相や民主党の菅代表ら与野党幹部は一斉に街頭などに飛び出して舌戦を繰り広げていました。
また、評論家といわれる人たちも稼動し始め、テレビで色々と言い始めました。その中では、やはり「マニフェスト」のことが云々されていましたが、小生は些か疑問を持つことがあります。

元々、マニフェストは民主党の菅代表が言い出したことですが、民主党は期限や数値目標について、自民党より明確に打ち出しています。その点自民党のは何かまだっろこしい感じが残ります。

民主党は政権公約を作るにあたって、改革又は変革の抵抗勢力や官僚の対応策を考慮しているのでしょうか。また、参議院の議席についてはどう考えているのでしょう。何だか絵に描いた餅で、美味そうには見えても、所詮実現不可能の事を書いているように思えてなりません。
民主党は未だ実際に政権を担当した事は無いのです。だから「怖いもの知らず」でおれるのです。

菅氏は「小沢一郎氏が『私は菅直人の子分なんだ』と言ってくれた。あんな強い子分をもてるのは頼もしい限りだ」と、赤城山の忠治みたいなことを言っていたそうですが、果たして政権を任せられるのかなァ。心もとない事です。

テレビ、新聞盛んに阪神タイガースの事、星野監督の事を伝えますが、一向にダイエーホークスの事、王監督の事は伝えません。何故でしょう?。
先日、西宮にいる孫娘(中1)に阪神の事をメールしたら、私は巨人フアンですと返信してきました。息子は阪神フアンの筈でしたが、どうしたのでしょう。
世の中「ハテナ」マークの付くこと多いですね。??

2003.10.12  「総理を出せ」公用車に男駆け寄る

今日は朝から曇り空で、生暖かい天気でした。それだけに小生も気だるくメールもお休みにしょうと思っていましたが、先ほどテレビのニュースで、参議院議員補欠選挙の応援に川越市入りしていた小泉首相が襲われたと伝えていたので、ヒョット昔の事を思い出してパソコンを開いてしまいました。

今日午後2時ごろ、西武新宿線本川越駅前で、首相の公用車に、男が「総理を出せ」と駆け寄ったという事です。首相に怪我は無く、男は逮捕されたようです。男の身元は分かりませんが恐ろしい事ですね。

奇しくも昭和35年(1960)10月12日は、当時の社会党委員長浅沼稲次郎氏(61)が日比谷公会堂の三党立会演説中に、17才の自称アジア反共連盟員に刺されて死亡した日でした。その瞬間をテレビでみました。

そんな事を思い出した一日でした。

2003.10.11  「星野監督ありがとう」
              阪神シーズン戦終わる

小生の詰まらない話も、2ヵ月が経ちました。昨日管理人の村田さんに、ご迷惑でないかとご意向をお聞きしたら、続けても差し支えないとのご返事を伺って、厚かましくも、皆さんのお耳?お目?を続けてけがすことにいたしました。

さて、昨夕は阪神タイガース、今シーズン、最終のゲームを甲子園で広島カープと戦いました。既にリーグ優勝は決まっているものの最終戦とあって、スタンドは5万3千人の観客で膨れ上がりました。試合は11対3で阪神が快勝し、井川慶投手が1979年小林繁投手以来の年間20勝を達成、今季の「Vロード」を締めくくりました。
この試合実は拙宅では、テレビでの中継はなく、ラジオで聞きました。
サンテレビが中継していたようですが、拙宅ではサンは入りません。
ニュースの録画で見ましたが、檜山進次郎選手会長が「日本シリーズも皆さんと勝利の美酒を味わいたい。応援をよろしくお願いします」と挨拶すると、スタンドは盛り上がり紙テープが飛び、「六甲おろし」の大合唱に包まれました。

いいですねェ。スポーツは。政治はどうでしょう。昨日国会は「バンザイ」で解散しましたが、そして2大政党対決時代に入ったとは言いますが、出来合い政党の民主党と因習でガチガチの自民党の泥仕合を見る気がしてなりません。
自民党も小泉純一郎総裁は心ある一部の子分たちを引き連れて、奮闘していますが、抵抗勢力や官僚勢力に遮られて本来の小泉流を出し兼ねている様子です。
マニフェスト【manifesto】は「政権公約」と訳していますが、本来は宣言、宣言書と訳されています。特にマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」をさします。

それはさて置き、民主党は未だ政権を担った事がありません。だから白紙なのです。一方自民党は長い間政権を担当し、色々なしがらみが絡みあっています。だから、民主党はフリーハンドで何でも書けます。自民党はあらゆるしがらみを断ち切って小泉政権のマニフェストを書かねばなりません。有権者の皆さんもその点を充分考慮に入れて判断しなければいけないでしょう。

今日は雲が多くて天気が優れません。こんな日は小生の右膝が痛みます。

2003.10.10  今日解散、総選挙始動

今日も昨日と同じような天気です。雲が少し多いので、気温の上がりは遅いようですが。

いよいよ、衆議院は今日解散です。今、11時ですが既に定例閣議で解散詔書を決定し、天皇陛下が詔書に署名され小泉首相が副署している頃と思えます。
午後1時には衆議院本会議が開かれ、福田官房長官から綿貫議長に詔書が渡され、詔書朗読、解散が告げられます。
外患も多い中、国内もいよいよ騒々しくなるわけです。28日公示、11月9日投票と選挙に突入します。

今回の衆議院解散を機に政界を引退する議員は46人も居るそうです。
そんな中で、昨日もテレビで顔が大写しになっていましたが、中曽根元首相と宮沢元首相とは自民党の73歳定年制にも拘らず、比例区一番で出して欲しいと言っていました。国会でも一番後ろの席に並んで居眠りしている事の多いお二人さん、何故そんなに議席に執着するのでしょうか。

大写しになった顔は何か生気の無い感じでしたが、日本の国政はこれで大丈夫なのでしょうか。時代はドンドン進んでいます。若い政治家を育てるためにも、そろそろお引取り願った方が良いのでしょうがねェ。

考えてみるとその点、塩川正十郎さんは「おもろかった」ですね。そして今回の引き際も「さばさば」して好感が持てますね。

宮崎の江藤隆美も同じく「さばさば」した感じで話していましたが、地盤と看板を息子に譲るという背景があるわけです。

小生は2世議員が良くないとは言いません。しかし、自分の出身地元への「我田引水」的動きしかしないような議員は要りません。

2003.10.9  「タコ」は飛びかかる?

今日は9時ごろには気温も上がり、秋の空に日差しがまぶしく、暖かい日になりました。家に居るのが勿体ないような天気です。

プロ野球は両リーグとも残り試合の消化で、人気はありません。
むしろ、来年に向けての動きが活発になってきました。巨人の原監督は既報の通りですが、中日は落合博満(49)が新監督として昨日名古屋で就任会見を行い、「1年目から優勝を狙う」と彼らしい抱負を述べていました。彼は渡り職人的に野球界で生きて来ましたが、今度は監督としてどう云った采配を振るうか見ものです。案外星野阪神には強敵になるかも知れません。

先日、タコに飛びつかれた事があると話しましたが、かって小生が和歌山営業所に居た昭和36年の秋、担当していた代理店(合同商事・木村三国ー故人)に同行して洲本の工場へ物件調査と契約に行ったときのことでした。南海多奈川線で深日港へ出て、そこから由良ー塩屋と渡りました。工場は小さな工場で、名前は忘れましたが、輸入した貝殻を使って、仁丹粒くらいの玉を作っていました。阿古屋貝に入れて真珠の核にするという事でした。
塩屋の船着場では、木製の大きな水槽に「タコ」を入れて売っていました。小生は子供に生きた「タコ」を見せるのと、自分もそれで一杯やりたくなって、一匹(タコは1匹で良いのでしょうか)買って帰る事にしました。底に穴の開いていない蛸壺に入れ魚網の切れ端のようなもので覆い、紐で括ってくれました。船では客室に持ち込めず、デッキに置くように言われました。「タコ」は水を吹き上げますから、周りが水浸しになるのです。
深日港からは南海電車で和歌山へ、そして社宅に帰ったとき既に子供は寝ていましたので、そのまま流し台に置いて朝見せるつもりでした。
ところが、朝「タコ」が居ないのです。流しの隅に居ました。小生手で捕まえようとしましたが、すばやく逃げて、流し台の縁に上がって小生の方へダイビングしました。驚きましたねェ。思わず後ずさりしましたが、てっきり飛び掛られたように思いました。それ以来「タコ」は飛びつくものと信じています。

口八丁、手八丁のニュー真紀子さんも、今回、表面穏やかなように見せかけて、それで居て、正に自民党に飛び掛らんとして満を持しているようです。午後は暑さを感じるような日和になりました。


2003.10.8   最後の日、原監督は泣いた

今日も雲の多い天気です。昼前になっても気温は上がりません。あの秋晴れは何所へ行ったのでしょう。

昨夜は甲子園で、今年最後の巨神戦がありました。巨人はこの一戦で全試合を終了、阪神はもう一試合が残っています。結果は6−2で阪神が敗れました。これはリーグ優勝阪神から原辰徳巨人への餞別でもありました。

そして、試合終了後、原辰徳監督は敵地グラウンドでフアンへの別れの言葉を述べました。
また、阪神の星野仙一監督から花束を贈られ、原辰徳監督は目を潤ませて、「星野監督からもねぎらいの言葉をいただき感動しています」「私も夢の続きを胸にしまい、明日から生きていきます」と、巨人球団首脳への恨み節は一切なく、爽やかに阪神フアンにエールを送り、虎フアンで埋まったスタンドからも一斉に大歓声が起こりました。
⇒右画像は、asahi.comより参照

このセレモニーは阪神サイドで企画し、東京ドームでのグラウンド挨拶が出来なかった、そして引退していく原辰徳(45)の最後を甲子園が見送りました。

何か古武士的なものを感じませんか。

それに引きかえ、道路公団・藤井総裁の件は何とも遣る瀬無い思いがいたします。昨日述べたので今日は言いませんが、人間の類型は色々ですね。あァ、なさけなや。


2003.10.7   木犀の匂いが懐かしい

今朝も気温は低く、曇り空で何か晩秋を感じさせます。つい、3週間ほど前には、残暑も終わり「良い気候になりましたなァ」、と挨拶していたことを思うと、季節の移り変わりは早いものだと、今年も、そして今更、感じざるを得ません。人間はこんな思いを何回繰り返すのでしょうかね。

向かいの家の金木犀、隣の家の金木犀みんな黄色く花をつけて、多分いい匂いを漂わせているのだろうと「目で匂いを感じて」います。拙宅は木が大きくなりすぎたので、ずっと以前に「四季咲き銀木犀」に替えました。金木犀
銀木犀の方が匂いは薄いのですが、白い花で上品な匂いをさせていました。「目で匂いを感じる」とは悲しい事です。今、小生は匂いが判りません。
呼気は喉にあけた気管切開部を出入りして、鼻の穴は通りません。だから、以前の記憶のなかでこの様な匂いがしているのだろうと目で見て感じているのです。
喉頭がんの一番の危険因子は『たばこ』です。お酒を飲みながらの喫煙は最も危険です。みなさん、どうぞお気をつけ下さい。

それにしても、日本道路公団の藤井治芳(はるほ)総裁はどういった神経をしているのでしょうか。テレビで見ていても会議中に咳き込んだり、仮病を使ったり、また、今度は辞表を出すように言ったり、翌日は出さないと言ったり、ハチャメチャな言動に、我々国民はイライラし続けです。
本人は取り巻く記者の前で「鹿児島人だから…」などと嘯いていましたが、『西郷どん』はもっと潔く、中央政府から身を引いて薩摩へ帰って兵を挙げました。薩摩隼人ならもっともっと潔くしろ!と言いたいですね。腐った薩摩芋は食えまへん。チョッと言い過ぎましたかな。それ程腹立たしく感じています。

2003.10.6   「天命の重さ感じた」
           ニュー真紀子出馬へ意欲表明

今朝は冷たい空気が入ってきて、些か寒く空も曇って一とき小雨も降りました。秋既に深まったか、そう言えば裏の家の柿の実も黄色く色づいて来ています。

今朝の新聞には、「藤井総裁を更迭」と一面に大きく出ていました。
石原伸晃国土交通相は、遂に日本道路公団の化け物か、幽霊みたいな、気持ちの悪い藤井治芳総裁(67)を更迭まで持って行きました。ただし、本人は辞表を出さないと言って最後まで潔さを見せません。結局解任と言うことになるようです。何れにしても、所詮、扇と言う女に出来なかったことをバッサリやってくれました。今朝一番の快事でした。

そのため民主党と旧自由党の合併、マニフェストの記事は霞んで見えました。

更に、「天命の重さ感じた」田中真紀子元外相(59)の衆院選挙出馬が各テレビ局の朝のワイドを占領し、菅民主党代表はどこかへ行っていました。

小生、田中真紀子を応援します。とやかく言っても彼女は伏魔殿の様な外務省の改革の糸口をつけた人ですから。鈴木宗男はどう思っているでしょうかねェ。

それにしても、親父の石原慎太郎知事は、又しても言わずもがなの放言をしています。埼玉の陸上自衛隊朝霞訓練場での観閲式の祝辞の中で、北朝鮮による拉致事件で「150人近い同胞が拉致され、たぶん、まあ、殺害されたんでしょう」などと妄言を吐いたというものです。
真に困った男と言わざるを得ません。彼の立場を考えると、彼の頭は随分とエクセントリックに出来ていると思えます。精神科受診の要ありですね。

昨日のメールの中で「タコ文明」を述べたのは、あくまで日本近海のタコについてで、アフリカ辺りで取れた、スーパーに並んでいる「湯タコ」の事ではありません。瀬戸内のタコは飛びつきます。いや、飛びつかれました。
このことは、日を改めてお話します。


2003.10.5    タコは関西が美味い

今日は少し雲は多い天気でしたが、空気は秋らしく爽やかでした。
小生、昨夜再び右の膝が無性に痛くなって、眠れぬままに床の中で悶えていました。やむなく、座薬ボルタレン50mg1個を使って何とか眠りました。一昨日一日病院の中を杖も使わず、あちこち歩いたのが悪かったようです。「転ばぬうちの杖」と言いますから、これからは杖をつくようにしたいと思っています。あァ、老化は辛い。

この前足について「蛸」の話をしましたが、八本足のタコが羨ましいですね。人間は何故足は二本なのでしょうね。杖をついても、やっと三本です。

タコといえば関東人と関西人とでは、タコの好みも食べ方も、食べる季節も違っていると言われていました。関東人は、タコというと、酢だこに限り、関西人はサシミ良し、煮ダコ良し、最も知られているのが「タコ焼」大好きです。

よく、お正月の雑煮を東と西に分けて比べ、どの辺が「味噌雑煮」と「すまし雑煮」の境か等と調べていますが、日本列島を「タコ食文化」で分ければ、どの辺が東西の境になるのでしょうね。
そして、どちらが「タコ」好き人なのでしょう。「タコ文明」は西高東低の傾向があるそうです。日本列島に「タコ食文化」を持ってきた人たちは、恐らく弥生人たちだろうと言われています。瀬戸内海からは弥生時代のタコ壷が多く出土しています。
膝の痛みからタコの話になりました。駄法螺も休み休みにしろですって。

今日は朝から娘と孫が遊びに来ていてメールするのが遅くなりました。
膝の痛みは薄らいでいます。ご放念を。

2003.10.4   古いものは良いもの、
            しかしそれに拘りすぎても良くない

今朝は随分冷え込んでいました。午前6時には、小生宅の二階北側窓外で11.5℃を寒暖計は示していました。いま、12時を過ぎて25度になっています。寒くも無く暑くも無く、極めて快適です。
昨日は奈良病院へタクシーで行き帰りしましたが、平城京跡はのどかなものでした。朱雀門は新しい作り物とは言え傍を通ると壮大なものに見えます。

ところで、この広い旧址を残すのには地元民の並々ならぬ努力があったと聞いていますが、今又、大和北道路トンネルルート案について、「高速道路から世界遺産平城京を守る会」が、このルート案が「有識者委員会」から国土交通省に提出すると決めたことにたいし、「地下に眠る遺構に悪影響を与える」として反対の声を上げています。

問題は『木簡などを守る地下水に影響が無い』『有る』のことのようです。
有識者委員会の中で、(社)日本トンネル技術協会の三浦政美会員は「シールド」工法で地下水脈への影響は充分回避できるとし、また、奈良教育大学の名誉教授、西田史郎氏も地下水位は維持出来るし、むしろ様々な面でメリットが生まれると言っています。

小生は国道24号線に沿うコースで、高架と地下(5km以下)を結ぶ案が最も現実的で良いと思うのですがねェ。どうなるでしょう。
いずれにしても、小生は、前(9月30日)にも述べた通り見ることは無いものです。だからドッチデモイイかとも思っています。

自民党の73歳定年制は、中曽根・宮沢のご両名で困っている様です。
あっさり、ご隠居願う訳にもいかない様ですね。元首相の功績を尊重すべきだと云う意見が強いようですが、役にたったものでも古くなれば無用のものでしょう。国会中継を見ているとコックリさんやっている時が目立ちますね。時代は刻々変っています。単に捨て扶持をというのはドウでしょうかね。
比例代表ではねェ。


2003.10.02    日本シリーズの開催要項決まる

今日も秋晴れの良い天気で、朝は多少秋冷を感じました。一番過ごし良いのびのび体を動かせる季節です。午前中雲が少し多くなっていましたが、秋の行楽で各地人出も多いことでしょう。

さて、先ず昨日のメール「婦人電車」の件ですが、文中練習船「暁丸」がドッキングした石川造船は、誤りで正しくは「石川島」造船でした。訂正します。

今日は木曜日で「小泉内閣メールマガジン第112号」が入ってきました。
このメールマガジンも、始めのころはよく読みましたが、最近はマンネリになって、小生興味を失いあまり読んではいません。今ではプリントアウトも止めています。

衆議院解散、総選挙の噂も次第に現実味を帯び、石原都知事の3男の事、田中真紀子の事、永田町雀の囀りも次第に大きくなってきました。

民主党は盛んにマニフェストで自民党を揺さぶっていますが、政権担当の自民党は迂闊には出せないだけに困っているところも見えます。

一方日本シリーズの方は開催要項も発表されました。詳細は新聞やテレビで既に報道しているので、省略しますが、こちらの話は平和そのものです。
しかし、その頃には阪神、ダイエーの夫々のフアンが騒がしくなります。詰まらぬトラブルだけは避けて欲しいものと思っています。

明日は小生の受診日です。朝から、泌尿器科、耳鼻科、内科と廻って帰りは午後の3時前になります。病院通いも大抵なことではありません。
命ながらえるのはシンドイものですね。


2003.10.01   婦人専用車に乗ったことがあります

なんだ,かんだと言いながら、今年も早や10月になりました。1年の4分の3を過ごした訳で、月日の経つのは早いものとの感を深めます。

早いと言えば、今日は東海道新幹線の開業した日です。昭和39年(1964)の10月1日、午前6時、東京ー新大阪515kmを結ぶ超特急”ひかり”1号が東京を、”ひかり”2号が新大阪をスタートしました。あれから39年が過ぎたわけです。そして、今日は17番目の駅「品川駅」が開業しました。新幹線は高速の特別な鉄道でしたが、今や日常に使う乗り物になりました。

話は変りますが、最近問題になっている電車内の痴漢はなかなか後を絶たないようですね。「お客様がご利用し易い鉄道づくり」の一環として導入された「女性専用車」の利用・効果は如何なものでしょう。
大阪などでは専用車両に確信犯的に乗り込むオッサンたちもあって痴漢対策の難しさを伝えていたのを見ました。今はどのような様子ですかねェ。

ところで、小生、「婦人専用車」に乗った事があります。時は昭和22年の10月でした。座学を終え、岡山県玉野市の三井造船で工場実習の後、「暁丸」と云う練習船に乗って、東京・石川造船でひと月ほどドッキングしましたが、その間の出来事でした。
ある休日、甲陽中学の級友が胸部疾患で手術して、家庭で療養していたのを見舞いに行きました。山手線で渋谷へ出て、乗り換えて「都立高校前」と云う駅の近くに、彼の家はありました。
しばらく話した後、船には門限があるので退出し、もと来た渋谷へ出ました。ところが、ラッシュアワーと重なり渋谷駅の山手線のホームは黒山の人で、どの昇降口も入れたものではありません。ヒョット前の車両を見ると、車両の前半分は太い「白線」が入っていて、進駐軍の専用車両ですが、後ろは「白線」が無いのに入り口は閑散としていました。門限に迫られている小生、考えることなくその入り口に飛び込みました。後ろでドアーがガタント閉まって周りを見ると、こはいかに、乗っているのは全て女性でした。

しかし、船舶士官の卵の小生、些かもウロタエズ、やおら中ほどへ進んでつり革を掴み、平然と振舞いました。高等商船の制服は紺の上下に紺の丸帽、襟に金モールのコンパスマーク、袖には三つの金ボタン、兎に角目立つ格好だったので、みんなの目は小生に注がれました。小生も負けてはならじと、グルッと見渡しました。その時小生「婦人」にも色々あるなァと感じました。
あどけない女学生から娘さん、中年の女、最後に小じわだらけのおばさん。
そんな観察をしていても、実は脇の下に冷たい汗の流れるのはどうにもしょうがなかったのです。次の駅「恵比寿」で扉が開くのを待って慌てて後の車両へ飛び込みました。ご婦人たちは「あれは何だったのだろう」と思ったに違いありません。小生は痴漢ではなかったことを誓います。当時関西には「婦人専用車」など無かったのです。だから知らなかったのです。ゴメンナサイ。

長くなりました。長くなったついでに「婦人子供専用車」のルーツを付け加えておきましょう。
「女子学生通学のため明治四十五年一月、初めて中野〜昌平橋間に朝夕二回婦人専用車を運転した…云々」と『鉄道百年写真誌』にあるそうです。
これは良家の女子学生に男の不良学生がさわったり、からかったりするのを、乃木希典学習院長が見て、提案されたものであったと云う。昔から今に至るもエッチな男は絶えないと言うことでしょうか。「濱のまさご」と一緒ですね。

「パ」リーグの優勝、やっと、福岡ダイエーに決まりました。夕べ衛星放送で見ていましたが、ヤフーでのオリックスVS西武も同時に見られました。それにしても民放テレビは「パ」には冷たいですね。そうは思いませんか。

2003.9.30    京奈和自動車道「大和北道路」提示

気候不順をかこっていたこの夏以来でしたが、9月末になって気分の良い秋の日和が続き、どうなってるのと心配していた地球も満更でもなくなりました。それにしても冷夏で米不作、米盗人や不正表示問題が引きも切らず、夏からのりんご、梅、梨、メロンと、農作物の盗難が多くなりました。昔は考えられなかった事ですね。
自然の気候は良くなっても、人の心は荒ぶばかりと言うことでしょうか。
食べ物荒らすのは、「カラス」だけでは無いようです。そう言えば最近この辺りの「カラス」は少なくなったようです。安養寺さんの畑はどうでしょうか。

昨日衆議院の首相の所信表明演説に対する各党の代表質問を途中まで聞いて、詰まらなくなってメールを打ち出したと言いましたが、民主党の菅代表が、「脱官僚」をアピールするため原稿なしで早口に質問したのに対し小泉首相が絶叫スタイルで答弁を始め、それでか、小生は空しい気分になったのです。何故か?と聞かれても小生にも判りません。何故でしょう?。

京奈和自動車道の「大和北道路」(約15km)について、有識者委員会は、平城京跡の東側を国道24号線と平行して,地下を通す案に意見を纏め国土交通省に提示する事にしました。長い論争の結果ですが、小生が考えても一番妥当な結論だと思っています。

京奈和自動車道は、既に我家から見えるところを山田川から東に廻って24号の奈良と木津の間で終わっています。夜はオレンジ色の照明を点けていますが、通行車両の数は少なく、家内と眺めながらいつも無駄な事だなァ、と言っていたものでした。やっとコースが決まり後は早く開通すると良いのにと思いますが、それはまだまだ先の事で、小生はその完成を見ることは無いでしょう。
一つ道を通すのにも、行政、経済界、観光、寺院、運輸、文化財(世界遺産関係)、文化財保護、地質、土木技術など、なかなか奈良は難しいものだと判りました。

苫小牧のナフサタンクの火災は、今朝6時何分かに自然鎮火したようです。また、今晩、千葉でロッテと対戦するダイエー、一発で優勝決めるか?が楽しみです。


2003.9.29    衆議院代表質問始まる

今日も秋らしい良く晴れた天気になりました。
昨日、送った「洞爺丸惨事」について遭難者の50回忌法要が、9月26日北海道上磯町の慰霊碑前で行われたとの京都新聞記事を、管理人サイドで追補記載されました。感謝します。

その北海道で、28日午前苫小牧の出光興産製油所でナフサ貯蔵タンクが炎上し今日も燃え続けているということです。更に先ほどテレビのテロップで、倒壊の恐れが出て消防隊に退避の指示が出されたと伝えました。
余震も続く中、北海道は大変な事だなァと思っています。

そのテレビですが、午後1時から小泉純一郎首相の所信表明演説に対する各党の代表質問に入っています。小生、1番手の民主党の菅直人代表の質問を聞いたあと、何となく詰まらぬ気分になって、今、このメールを打ち始めました。
菅氏の発言の要旨は次のようなものでした。
「改革の芽が出たというが、このまま続いても葉が出るのが精いっぱいだ。日本は沈没する。1日も早い退陣を願う」。「次期衆議院選挙向けに政策の標値などを明記したマニフェストを示すから、首相も具体的な対策を出すよう」迫り、マニフェスト対決による政権交代を訴えました。
いま、まだラジオは小生の後ろで、国会中継を続けています。

昨夜、ダイエーは近鉄に、(ダラシナク)負けて、胴上げは明日へ持ち越しになっています。阪神の相手は決まっているようで、それでいて決まりがないので、だんだん退屈してきました。


2003.9.28    洞爺丸台風を思い出して

今日も秋晴れの空が輝いています。秋になってからの激しい残暑、そして続く霖雨にウンザリしていた我々に素晴らしい週末を贈ってくれました。

しかし、北海道では未だ続く余震に悩まされているようです。今朝もNHKテレビ日曜特集を見ていると、地震速報として9時23分に十勝、日高地方で震度3.M5の地震があったと報じられました。
そのとき、テレビ画面の示していた時刻は、9.26でした。

小生、何故かこの9.26と云う数字にこだわりを感じました。何故なら今回の地震の起きたのは、9月26日だったのと、昭和29年(1954)9月26日に、台風15号が北海道で猛威をふるい、国鉄最大の悲惨事となった、青函連絡船洞爺丸沈没、千余名が船と共に犠牲になった事がオーバーラップして思い出されたからでした。

洞爺丸(4,337総トン)は9月26日午後4時40分、乗客1,127名(1等23名、2等302名、3等802名)を乗せて函館桟橋を出航しましたが、強風のため航行不能となり、波を避けて防波堤近くに投錨しました。しかし、錨が走って浅瀬に座礁し、そして午後11時遂に強風のため転覆したものでした。

「タイタニック」の映画を見られた人はお判りでしょうが、客室は何層にもなっていて、3等客室などは最下層にあってデッキに出るのに階段を幾つも上がらなくてはなりません。海水が激しく浸入してくると、到底出られるものではないでしょう。見る間に船は横転し、船外に投げ出された人達も、暗黒の海に呑まれて行ったと言います。
その他、十勝丸(4,500総トン)や多くの船が沈没したといいます。

小生、船の学校を卒業して間もなくの頃だったので強く印象に残っているのです。今は半世紀を過ぎ、青函トンネルも出来て昔語りにもなりませんが、悲惨な災害であったのです。
そんな事を思い、晴れた空にそむいて、今日は既に午後3時になりました。その間にもラジオは幾度か北海道の余震を伝えていました。

今夕福岡へ帰ったダイエーは近鉄と戦います。
果たして胴上げなるか。


最悪の海難、風化させない
 洞爺丸事故の50回忌法要

 台風の影響で青函連絡船5隻が次々と転覆、1400人以上が犠牲になった「洞爺丸事故」から49周年を迎え、事故現場の函館湾に面した北海道上磯町の慰霊碑前で26日、50回忌の法要が行われた。

 遺族や僧侶など関係者約400人が参加して犠牲者のめい福を祈った。幼稚園児約50人による稚児行列や、雅楽の演奏、民謡の江差追分などで供養をした。「節目の年。盛大な法要にしたかった」と、遺族会事務局。

 洞爺丸乗組員の夫=当時(32)=を亡くした上磯町の安部初枝さん(75)は、「49年、過ぎ去ってしまえば短い。でも事故から1週間後に夫が船室で見つかるまでは、本当に長かった。子や孫の代に、記憶を語り継ぎたい」と述べた。

 函館市で25日開かれた前夜祭にも参加した愛知県犬山市の斉木喬さん(61)は「私は事故で母、弟妹など親族6人を亡くした。数多くの遺族を生んだ事実を、絶対に風化させてはならない」と訴えた。
  (Kyoto Shimbun 2003.09.26 News



2003.9.27    政治家の妄言何故多い?

おはようございます。
今日27日(土)朝から素敵に青く、近年あまり見られなっかた日本晴れの空を見ることが出来ました。これ、正に行楽のシーズン到来と言えるでしょう。この週末は郊外が家族連れで賑わい、運動会などもあちこちで行われることでしょう。しかし、昨日の地震で被害を被った地方の方々はそれどころでない事でしょう。重ねてお見舞い申し上げます。

最近、気になる事は、政治家という種族の妄言・暴言の多いことです。
その一つが、先日「テロ」肯定の意向を発言して、憚ることのなかった石原慎太郎東京都知事の都議会における発言です。田中均外務審議官宅に仕掛けられた不審物事件についての質問の中で、拉致被害者曽我ひとみさんのお母さんの生死を「年寄りだからって…殺されたんでしょ」と事もなげに発言しました。ひとみさんの母親ミヨシさんの安否は、確認されておらず、未だ、その「生存を信じて」心痛めている曽我さんは、この発言をいか様に聞いたでしょうか。思い余るものがあります。

昨日一応陳謝したとは言え、これは極めて重大な妄言であって都議会の答弁の中で、訂正陳謝して、それで良しとされるべきものではないで
しょう。   小生はそのように感じています。

今、一つは昨日京都のホテルで開かれた民主党衆院議員のパーティーで、民主党小沢一郎(旧自由党党首)は「日本人は(外国から)特殊学級、特殊人間扱いされている。馬鹿じゃないか」と言っています。これは障害児を教育する特殊学級を差別視した発言で、いか様の流れの中で出た言葉であろうと許される発言ではありません。  これ又、小生の強い感想です。

昨日はダイエーがサヨナラ負けして、オリックス4−3ダイエー。今日ダイエーが勝つ、または引き分けで、王監督の胴上げになります。

巨人の原監督は遂に辞任しました。
ナベツネと一悶着あったのでしょうか。

2003.9.26    前立腺がんはホルモン療法が良い

今朝は、テレビ何れのチャンネルも北海道の地震のニュースを伝えていました。午前4時50分ごろ、釧路沖を震源とする地震があり、釧路、十勝、日高地方の一部で震度6弱の地震を観測し、マグニチュードは8.0と推定されています。他に同程度の地震が続いていると言い、津波も各地で観測されているようです。
地震国日本とは言いながら最近の地震の多さはどうしたことでしょう。

小生の「終の棲家」と定めた奈良も活断層が幾つも走っていると聞いていますが、比較的安全な土地と考えて、ここに住むことにしました。
長男や弟は西宮で酷い目にあっていますが、小生宅は安全でした。

災害に遭われた方々には謹んでお見舞い申し上げます。

やはり、テレビのニュースで、慈恵医大病院の医師3人が倫理委の承認なく手術して、前立腺がんの60歳男性を死亡させた事が報じられました。
小生も前立腺がんを経験しているだけに、ドウシテという感じに目を見開きました。テロップに「腹腔鏡下手術」をしたと出ています。なに?「腹腔鏡へた術」。思わず笑いました。
小生の場合はホルモン療法で、肺や背骨に転移していた前立腺がんはそれ程の日数を掛けずに治してもらいました。年齢は64歳でした。簡単に治りすぎて、がん保険の給付が少なかったのが残念でした。
かかる医者或いは病院は選ぶべきものですね。

昨日、ダイエーは日ハムに5−1で勝って、M2にしました。どうやら、阪神の相手はダイエーですね。博多の人も手荒いですから、阪神人との応援合戦面白くなりますね。

2003.9.25   足は二本要ります、蛸は8本要ります

秋の霖雨は三日は続くと言います。今日も鬱陶しいですね。
昨日、阪神ー巨人戦、楽しみにしていましたのに、中止で残念でした。
パはダイエー、日ハムに大差で敗れてM3変わらず。プロ野球の楽しみは日本シリーズまでしばらくお預けです。

昨日、民主党と自由党の合併がなされました。「合併協議書」なるものが夫々代表・党首によって署名交換された訳です。これで今の与党自民党に数では対抗しうる勢力が出来たと見るようですが、如何でしょう?。
小生にはこの合併と云う言葉が理解できません。一般商業を行う会社や同じような機械機器を作る会社のことなら判りますが、政治上の政策や主義主張の違う政党が全面合併は可笑しいように思えるのです。
構成員の一部の者が所属政党を変わるのは、今までにもありましたし、あっても可笑しくないと思うのですが、どちらの政党も綱領党是があったはずなのに、全てを合併し一本に出来ると言うのが、小生の疑問です。

『虎』の御堂筋「Vパレード」11月3日に決定。見物客は50万人…新聞はそう伝えています。

足一本の話ですね、最後になりました。申し上げたとおり、二本あるから大丈夫と思っていて小生、片膝を痛めて、やはり足は二本要るなァと思いました。そのとき思い出したのが、かって読んだ「奈良県誕生物語」の一節でした。紹介しましょう。

昭和62年11月に奈良県が発行した『青山四方にめぐれる国』の一節。
 [海のない国大和]。
「正月来たら何うれし、お雪みたいなママ食べて、割木みたいなトトそえて、コタツにあたって寝んねこしょう」とは、正月を迎える大和の子どもたちの期待をよみこんだ里歌である。白米に割木のようなトト、つまり塩干物の棒鱈をおかずにする喜びを歌っている。

大和には山あり、谷あり、川あり、高原あり、豊かな平野もある。ないのは海だけである。庶民にとって新鮮な海の魚はとても口にはできるものではなかった。

大阪の魚屋が奈良の人たちにいつも足一本を切った七本足のたこを売りつけていたが、奈良の人たちはついぞそのことに気ずかなかったと井原西鶴が『世間胸算用』のなかで書いている。

吉野地方の名産の柿の葉ずしが、熊野灘で取れたさばをひと塩して山越えで大和に運び込んだものを利用してつくった保存食だったように、海のない大和の人びとにとって魚とはいつも塩干ものだった。と結んでいる。

小生、若し足が一本になったら、ふと、そんな事を考えたのでした。


2003.9.24    足1本、されど足1本

今日は、当地朝からの小雨が、午後大粒の雨になって、今も盛んに降り続いています。
一昨日の夜から、小生右足・膝が極端に痛み出し、原因は判りませんが、その痛みに充分な睡眠が取れず、昨日も終日極めて不快な気分で過ごしました。今日は朝から家内に付き添ってもらって病院へ行ってきました。
足一本、されど足一本。なかなか不都合なものですね。生まれて初めて『杖』というものを使いました。院内は車椅子です。
年取ったお爺さんを載せて、年取ったお婆さんがそれを押す。そんな情景を長い通院生活の中で見てきましたが、遂に我が身にそれが起こったかと肩の力がガックリぬけるのを感じて帰ってきました。
むかし、中国の王様が不老不死の薬を求めさせたと言いますが、その気持ち今わかりました。

そんな事で昨日はメールを送れませんでした。一昨日管理人への返信に『千軍は得易く 一将は求め難し』として、阪神タイガースの星野仙一監督、それに小泉純一郎自民総裁を例に挙げましたが、その小泉首相、昨日は独自の組閣を成し遂げました。影でゴソゴソ言っていた抵抗勢力も表立った声は出ないようですね。小気味が良いとはこんな事でしょうか。

診察の結果は特に心配するほどのことではなく、薬で治癒出来るそうです。
明日からまた元気に詰まらぬメールを送ります。
足一本、と言いましたが、面白い話を思い出しました。明日話します。

2003.9.22    引かれ者の小唄?

昨日東京ドームでは、巨人が本拠地最終戦を、巨人10-5阪神で飾った。
阪神・星野監督は「丁寧さがなくなった。むかつく試合だった」と言っているが、そこまで追い詰める事もないだろう。「今季、東京ドーム最後の試合でウチらしさを見せて勝つことができた」と喜ぶ巨人・原監督の心の内も察してヤレヤ、好敵手を哀れと思うのも、余裕の一つだぞ。

今朝の朝刊を見て「自民幹事長に安倍氏」とあったのには、些か不意打ちを喰らった感じがした。山崎幹事長には多くの抵抗があった。小泉さんどうすると思っていたが、この人事チョッと意表をついていた。そして山崎氏は副総裁として身近に留めている。
閣僚人事は今日決めると言うが、小泉さんどんな一手を打ち出すか。今晩のテレビのお楽しみ。

さて、自民党総裁選挙が済んで、色々な人の談話や意見が報じられているが、「私は小泉さんの政策の逆をします」。それが私の政策だとばかり張り切っていた亀井さんの声は一向に聞こえない。
また、記者団に「まんじゅうの食わせ方がうまいんでしょう」と、未だに毒まんじゅうに拘っている野中さんの言は、真に聞き苦しい。『引かれ者の小唄』?言うべきか。

ここに、面白いことわざがある。『平家を滅ぼすものは平家』。あのさかんな平家がほろんだのも平家自らがおごりを極めたからであったということから、自分を滅ぼす原因は結局自分からでるということ、自民党・橋本派もこの類から逃れられるものではない。

  注:−引かれ者の小唄 
      @罪人がわざと平気をよそおって小声で鼻うたを歌うこと
      A物事に失敗し、はいぼくした者がわざと強がりを示すこと

前出の場合は、誰かの名誉の為にAである事を付言します。

2003.9.21    思い出す、室戸台風
 
今日は9月21日、この日が来ると思い出すのが室戸台風の凄かった記憶です。昭和9年9月21日、小生は小学2年生でした。その日、朝登校するときは多少吹き降りでしたが、特に気にもせずいつもの通り学校へ元気に出かけました。それが、教室に入った頃から風が強くなり雨も一段と激しく窓を打ち出しました。
先生も出てきません。子供は無邪気なもので、教室で騒いでいましたが、そのうち屋根の瓦が飛び始め、校舎建物全体が震え出しました。校庭へは海岸近くの人たちが蒲団を頭から被って、雨の中たくさん入って来るのが見えました。高潮の襲来です。

当日の夕刊(毎日)には、「けさの大颱風・空前の大惨害」として『世界最大風速實に六十メートル。近畿一帯に猛威を揮ふ。大阪は正に颶風の中心。各地の死傷多數に上る』大軌(近鉄)布施駅近くで、満員電車転覆、瀬田川鉄橋で急行列車転覆、其の他各地の鉄道に被害が出た。

中でも悲惨であったには、小学校の倒壊,全壊であった。大阪市内でも三十に上っている。軍隊出動して必死の救助作業するも至る所、多数の死傷者が出た。当時は木造二階建ての校舎が多かった。此れを期に校舎の鉄筋化が計られた。

小生と同年代の児童の死去は、その災禍の大きさと共に小生の忘れられない事件の一つになった。
当日大阪での風の圧力は、「一間平方になんと三百八十貫余に相当したと」言う。

更に云うなら、確か「吉岡先生」と言ったが、大阪の或る小学校で、校舎が倒壊するとき、とっさに教え子を5人抱き伏せ、自らは落ちてきた棟木に当たって死亡した。警防団により救出されたとき5人の子供は元気に先生のしたから這い出して来たと言う。教師の鑑と映画や銅像になった。

今は全て語り草として、また、殆どは忘れ去られて、話も残っていない。
今日は台風15号が南方をとうり過ぎる。

巨人夕べは阪神に一矢を報いた。小生に悪口言われて、ピリッとしたか。

自民党の総裁選挙は予想どうりで新味はない。小泉さん宜しくやってくれ。

2003.9.20   巨人よ、しっかりしてや

朝晩はそれなりに秋らしくなって夜は眠りやすくなりましたが、昼間は空気が澄んできただけに、日差しは厳しく、夏の疲れと暑さに昨日は終日ぼんやりと思考力を失った状態で、とうとうパソコンに向かう気にならずに終わりました。

先日、巨人崩壊?と言いましたが、まさしくそれを証明するように、昨夜は、阪神に6−0で完封負けしました。阪神は優勝ボケも無く、極めて快調。しかし、今年は兎に角、来年以降のプロ野球、特にセリーグを面白く、興味あるものにするためには是非とも巨人の建て直しが必要でしょう。さて、渡辺恒雄オーナー、”ドウスル、ドウスル”です。

道頓堀川へ飛び込んで死んだ酔っ払いのお兄さんも、アホなら、琵琶湖で12人もヨットに乗せて転覆、7人も行方不明者を出したというのも、非常識極まりない事と思っています。帆走は絶えず変わる風向きに敏感に反応して、帆の向きを替え、そのため乗り組んだものは、敏捷に右舷へ左舷へと移動が必要です。定員オーバーで12人も乗っておれば、所詮そのような対応は出来ません。まして湖の場合は海上より、なお、一層風向きは不安定で、”池の大きなもの”程度の考えでは乗りだすべきものではありません。風に関しては海より変化は複雑と考えるべきものでしょう。

やがて、昼になります。自民党の総裁選挙が行われ、新総裁が選出されます。自民党の総裁は総理大臣になる訳ですから党員でない小生も関心は高いわけです。誰になりますかねェ。
小泉続投が一般の評判です。今、11時30分。天気は雨です。


2003.9.18   阪神ファンの自制を求めたい

阪神が、リーグ優勝して大いに阪神フアンは燃えました。しかし、何事も斯くあってはならないという限度はあるものです。小生の心配していた事が起きましたね。テレビの報道によれば、昨夜道頓堀川へ飛び込んだ24歳の男が溺れ死んだということです。この男何度か飛び込んだ後欄干の上にいたのを誰かに押された格好で川に落ちたと云います。
阪神タイガースフアンの面汚しですね。

その阪神、昨日は広島3-2阪神で敗れています。しかし、星野監督の配慮でトップバッターに立ったアリアスは見事36号のホームランを打ち期待に応えました。

ところで、今年の阪神優勝の経済的効果は最終的にどの位のものになるのか知りませんが、このままだと来年は今年ほどの期待できないと思います。そこで、どうしても巨人に復活して貰いたいと思うのです。そして巨人VS阪神の伝統の試合を華々しく展開して貰いたいのです。今年巨人は崩壊しました。早く、眠りから覚めて火を噴く猛虎と雌雄を決して貰いたいものです。

満鐵沿線北大営で、我軍と奉天軍衝突、
    目下盛んに交戦中、引つゞき奉天城を砲撃
昭和6年9月18日満州事変が始まりました。小生5歳半、この頃から軍国少年として教育を受けました。昭和20年8月15日まで15年間。

2003.9.17   名古屋のビル爆破事件は惨い

阪神セ・リーグ優勝達成、フアンは今か今かと待っていただけにその喜びは大きかった。各商店街・百貨店の大売出しにとびまわるおかみさん連中も不況時代にこんな平和な情景は真に結構な事でした。しかし、心無い暴れ、目立つ事しか考えていない一部乗っかりフアンの暴動に近い行為は許すべきでは無いでしょう。蟹道楽の動く蟹の目玉が路面に転がったテレビの映像を見て日本の若者の哀れさを感じました。

7年前の今日(平成8年9月17日・日本時間18日)、米大リーグ・ドジャース2年目の野茂投手(28才)は対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成しています。
当時、オリックスの仰木監督も「米野球史に足跡残す」と誉めています。

「野茂投手 快挙」と書かれる者、阪神優勝に乗っかり暴れて顰蹙をかう者世の中色々ですなァ。

今日はテレビももっぱら,名古屋のビル爆破のニュースを主に報じています。
詳しくは判りませんが、今の世の中、何が、何時、しかもそれが自分のすぐ傍で、起きるかも知れないということですね。桑原、くわばら。

阪神優勝しても、なお、快調です。井川17勝、アリアス35号。その反面心配なのは、巨人の崩壊。どうしたのでしょう。アンチ巨人の小生も、今や余裕を持って心配しています。

2003.9.16   阪神優勝が決まって何故か落ち着かない

長かった、そして、イライラさせられたセントラルリーグの優勝も、18年ぶり阪神タイガースに決まりました。タイガースフアンとすれば、一段落気の休まるところですが、心無い悪乗りフアンの暴挙には腹立たしさを禁じえません。
果たして彼らが阪神フアン、否、プロ野球フアンと言えるのでしょうか。昨夜から今朝までに、大阪南の戎橋から道頓堀川へ飛び込む者は引きも切らず、約5、300人に上ったと云います。また、通行禁止区域を車で走ったり、素っ裸で騒いだり、交番を襲ったり、狼藉の限りを尽くしたと報道されています。
実に情けない事です。これらをマスコミは面白可笑しく伝えるから余計この手合いは無くなりません。

9月は何故か大きな事件が続くものだと、先にも言いましたが、今日は名古屋のビルで男が押し入り男性8人を人質に立てこもる事件がありました。そして男が持ち込んだ油様のものに火がついて爆発、ビルの4階から黒煙と炎が噴出しました。2人死亡、警察官5人や消防士など20人が重軽傷を負っています。

自民党総裁選挙、拉致関連問題と阪神タイガース優勝に気を取られている間にも、色んな問題が出てきているものですね。
昨日阪神優勝にほっとして、世間の出来事を改めて見直しました。

2003.9.15   甲子園で阪神優勝!

午後メールを送って、その足で階下のテレビを点けました。
広島2-0阪神で、3回裏赤星ファボールで出塁、金本セカンドゴロでアウト、その後も目立った動き無く、またも阪神は、まのびしたかと思っていたら、8回裏片岡の鮮やかなホームラン。是で1点返して、久保田がしめる中9回表赤星のヒットで阪神逆転勝利、後はヤクルトの結果まちとなりました。
阪神優勝!胴上げされる星野監督(asahi.com)
阪神優勝!胴上げされる星野監督
(asahi.com)より


久しぶりのデイゲーム、既に西に傾きだした秋の日差しは、グラウンドと取り巻く虎応援団の盛り上がる集団をまぶしく照らしていました。
各地の応援軍団も大変な騒ぎのように伝えられていました。甲子園球場は今夜ヤクルトVS横浜が終了するまで電光掲示板でその模様を伝えるということでした。ヤクルト負けて、阪神優勝が決まれば大変な騒ぎになるでしょう。

40分ほど前にヤクルト、横浜に敗れるとの速報が入り、一挙に甲子園は湧き上がりました。各地とも今夜は遅くまで賑やかなことでしょう。


2003.9.15    愈々甲子園で優勝を迎えるか?

今日は朝から天気もよく、気温もやっと穏やかに「行楽の秋」らしくなりました。おりしも今日は「老人の日」で万青(万年青年クラブ)の人たちが、奈良市中を行進したとテレビが報じていました。
小生も万青に加入させられていますが、小生は以前から万青の行事には非協力的で、家内もまだ現役だそうです。いわく、「主人の世話をしている」即ち、小生の面倒を見ているからだそうです.

暇な年寄りに付き合えない小生、もっぱら阪神タイガースのテレビ応援に時間を費やしています。
小生先日来甲子園へ帰って優勝を決めろと言っていたのですが、それにしても、ナゴヤドームでの有様は、何とも元気の無いものでした。アリアスなどの見事なプレーもありましたが、全体の流れとしては元気なく、広島、ヤクルト何れも勝つ中、一人阪神はM2変わらず、やっと甲子園にたどり着きました。

大阪ではファンが大変です。昨夜早々と道頓堀川へ飛びこんで、警察にお目玉喰らう者もいたようです。

甲子園での広島との第一戦、既に始まっています。ここで筆を置いて、又、後でメールします。

2003.9.14  阪神優勝は今日?

小生早くから、優勝を甲子園まで引っ張って来いと言っていましたが、昨日あたりの様子を見ていると、何かそんな構図も考えられるようです。昨日は阪神は中日に負け、広島は横浜に勝ち、ヤクルトも巨人に勝って、今になっても、阪神のM2は変わらず、セントラルリーグ優勝の日は、今日か?等と言っています。

その割りに「星野の顔」が一昨日、昨日と割合穏やかで、時には薄笑いすら出ていたようです。案外星野監督も甲子園を意識しているのではと思えます。今晩決まれば良し、決まらなくても良し。と云うところですか。

何れにしても、ファンは沸いて大フィーバーは起こります。女将さん連中大きな買い物袋もって待機しています。セの三試合、夫々時間差がありますから、女将さんも頭を使うようです。

こんな社会現象を、一歩引いて見ていると、面白いものですね。
小生甲子園優勝を望んでいますので、ゆとりを持って見ています。

ところで、石原都知事が「田中均・外務審議官自宅に不審物」が仕掛けられたのは「当然」とした発言は、全く遺憾のことで、小生も怒りを感じています。彼の暴言癖は判ってはいますが、テロ是認の発言は、立場上言ってはならない事です。いくら言い換え弁明しても、所詮彼の本心の中にはテロ容認の思想がある事ははっきりしています。確かに外務省・田中均審議官の今までの態度、動きには不明瞭な点がありました。だから、テロの対象にされるのは「当然」では世間は黙っていないでしょう。

こんな知事を頂いている東京都民は、どう考えているのでしょうかね。哀れに思えます。また、自民総裁候補の亀井さんも石原さんに応援してもらって、どう考えているのでしょうね。

2003.9.13    甲子園優勝はむりかなァ

昨晩のナゴヤドームは力が入りました。初めのうちは、まァ負けても良いか程度に考えてじっくり遣りや、星野監督も穏やかな顔してるで、くらいに思っていました。テレビの放映が切れたので、二階へ上がってラジオを点けたら丁度9回表阪神の攻撃で物凄い盛り上がり様でした。
テレビで見ていれば、「手に汗握る」所であったでしょう。結果はがっかりと肩を落とす事になりました。M2変わらず。楽しみは続くと考えましょう。

ところで、今、自民党内のことながら、総裁の選挙が行われようとしています。そして、選挙には候補者の握手が大流行りします。日本人は握手がお好きです。特に政治家という人種は握手が大好きなのです。
テレビを見ていてもそれをよく目にします。

握手の風習は日本でも古くからあったとされます。『万葉集』に 「佐伯山卯の花持ちし悲しきが、手をし取りてば花は散るとも」と云う歌があります。
是は「卯の花を持っている愛しい彼女の手を取れば、花が散るかも知れないが、たとえ散っても構わないから手を取りたい」と云う恋歌で、儀礼上の握手の習慣は日本では育ってはいません。

ところが、西洋文明が入ってきて、今や握手は日常の挨拶に使われています。しかも、日本流のお辞儀と併せて使うから、真にだらしなく見える場合が多いのです。

海外へ出て外国の要人に会う、日本の有名人や政治家が、背を丸めて手を差し出し、握手を求めているのをテレビで見ていると、見ているこちらが恥ずかしい気になります。

西洋では、握手はアングロサクソン系民族の中に自然発生的に起こり、やがて社交上のエチケットとして形式が整えられていったと云います。
例えば握手の仕方は、右手で相手の手を軽く一、二回上下に振ってから離す。同性間では目上から目下へ、先輩から後輩へ、既婚者から未婚者への順序を守る。異性間では女性が手を差し出した場合に限り、男性は握手をすると云うようになりました。

舞台芸人や歌手、スポーツ選手の手を握る、握ってもらうのは儀礼上の握手と云えないのではと思うのですが、単に親愛のしるし(相手はそれ程考えてはいませんが)か、おさわり趣味のようなものでしょう。
手を差し出されて、慌てゝ「手の汗を」拭って握手に応ずるのは真に滑稽ですね。皆さんにはそんな経験ありませんか。

今日もナゴヤドームで「手に汗を握ら」せて欲しいものですね。各百貨店、各地商店街の準備はお宜しい様で。阪神百貨店は阪神優勝すれば店を閉めると言っています。やはり今日、明日に決まって甲子園はないのでしょうか。


2003.9.12    阪神優勝甲子園まで引き伸ばせ

一昨日は午後急に体温が38.5度に上がり、昨日もベットに横になっていました。一昨日午前中家内が外出したので、玄関の鍵をかけ、二階で昼寝ならぬ、朝寝をしていたのが災いしたのか、夏風邪状態でした。
今朝は体調回復し、遅々ながら寝床を抜け出しました。残暑だ、まだ暑いと思っていても、自然は既に秋に入り、一寸した油断がしくじりの元、所謂寝冷えでした。

阪神は油断はなかったのでしょうが、「神宮」は苦手なようで、苦戦に苦戦を重ね規定12回までやって、引き分けに終わりました。Mは2。

寝ながらテレビを見ていましたが、ある局の番組で、野中広務元幹事長の「自ら退路を断ち」「今期をもって政界を引退する」と云う発言を、「背水の陣」と同様の意味に取り上げていました。

「背水の陣」と云うのは、漢の韓信が逍を攻めた時、わざと川を背にして陣取り、味方に決死の覚悟をさせ、大いに敵を破った故事からきたもので、今回の野中氏の引退表明は、チョット違うように思うのですが、皆さん如何でしょうか。

彼には布陣するほどの味方は無かった、所詮、彼のスタンドプレイで、「経世会派閥政治の終焉」を告げるものとしか聞こえない。小生にはそのようにしか思えないのです。藤井孝男元運輸相に果たして、プラスか、マイナスか。

それより、今日のナゴヤが気になりますか?。

2003.9.11    阪神負けても、M3

阪神は勝つものと決めてみている小生、がっかりです。しかし、ゲームの内容は両軍立派なものでした。神宮に弱い阪神はやはり大阪の今宮戎や西宮のえべちゃんの申し子でしょう。
甲子園へ早く帰って来い。それまで優勝するな、と言いたいですね。

2003.9.10    阪神タイガース どうした・どうした

昨日も夕刻、かみなりがなって、少しだけ夕立らしきものが降りました。
しかし、気温はそれ程下がらず、宵のうちはやはり蒸し暑かったのですが、更に暑くしてくれたのは、伊良部でした。

2回檜山が14号2ラン、4回藤本のタイムリーで追加点、出足なかなか順調で是ならいけると思ったのですが、その裏ラミレスの33号で伊良部全くの腰砕け、更に5回岩村に逆転満塁ホームランで潰されました。
是は小生も予想外。その後もヤクルトに好きなようにされて10−3と7点差を付けられて惨敗しました。

しかし、広島も巨人に負けて、Mは4にはなりました。阪神は基本的にロードに弱いのでしょうか。

北朝鮮の建国55周年記念式典の様子テレビで見ましたが、いつも思い出すのは、ヒットラー時代のドイツです。ナチと金体制は似たところが多いと思います。

SARS問題が、シンガポールで再び持ち上がりました。恐いですね。

自民党の総裁選挙については、小生あまり関心がないと言いましたが、昨日橋本派の野中広努元幹事長が、主導権を奪われて「退場」宣言しました.是で自民党内の風通しが余程良くなるでしょう。

そんなこんなを考える今朝の寝覚めでした。
今晩は頑張れよ。阪神さん。

2003.9.9     阪神優勝今週中に決定?


今日は9月9日。救急の日だそうです。どんな行事をするのか知りませんが、兎に角、9月は事故や災害の多い月ですね。一日には防災の日として、各地で地震災害や津波に備えて大掛かりな訓練が行われましたが、昨日は栃木県黒磯市で、大手タイヤ・メーカーの工場が大火災を起こし、今朝も鎮火していない有様でした。

思い起こすと、一昨年の9月1日には、新宿区歌舞伎町で死者9人,重体35人というビル火災が起きています。そしてそのあと、11日早朝には台風15号の上陸、続いてアメリカで同時多発テロ発生、NYビルの崩壊、国防総省炎上と謂うとんでもない事が起きました。
そして、この事はアフガニスタン・タリバン攻撃。ひいてはイラク戦争へと移っていきました。

昔、日本ではもっぱら台風の警戒月であったのが、今では国際的に問題の多く起きる時期になりました。災害の月9月のグローバル化でしょうか。

自民党の総裁選挙の告示が昨日あり、小泉首相を含めて4人が候補に名乗りを挙げていますが、小生あまり興味がありません。答えは出ているように思えるのです。

それより、阪神タイガースがVロードに出発しました。
今夜からの神宮球場、中日球場が楽しみです。

パは近鉄一歩後退した感がありますが、今日福岡ドームも興味が持てます。

阪神]デーは何時か。
大阪・戎橋界隈のヒーバー対策も大変でしょうね。

2003.9.8    甲子園に神風は要りまへん

阪神、夕べはお見事でした。
福原頑張るも打撃陣は今ひとつと欲求不満の高まる中、5回にいたって沖原、赤星、金本そしてアリアスが爆発しました。檜山の活躍も久々に、7回と併せて8点を挙げました。横浜も最後に3点取り完封にはなりませんでしたが、胸すくゲームを見せてくれました。神風は要りませんでした。

既に、興味はダイエーか、西武か、はたまた、近鉄のし上るかと、パの優勝、阪神の相手は?に移ってきたようです。

話は変わりますが、小生の家内が、「青山」と謂うのは墓地の事だと言ってきかないのです。なんでも、こちらのニュータウンの文化協会の「歴史教養講座」で講師の先生が、『最近新しい造成地で町名を付けるのに「青山台」とか「青山何丁目」などと付けて、良い町名だと喜んでいるが、「青山」とは墓地の事で、喜んでいるのは可笑しい』と説明したと言うのです。小生がいくら、それは違うと説明しても聞き入れません。亭主の説明より、その講師の説明を信じて疑わないのです。

「青山」(あおやま)とは、草木の茂って青々とした山のことで、古事記(上)に「青山にぬえは鳴きぬ」とあり、また、「青山四方にめぐれる国」大和。大和はうるわしの国であるとも謂います。もし、「青山」が墓地だとすれば大和の国、即ち奈良は墓の中と謂うことになります。

人の姓に青山さんというのがあります。旧美濃郡上青山氏の邸が、東京都港区西部から東部にかけて在りましたが、そこが「青山」という地名になり、墓地として永代貸し付けされて有名な「青山」墓地になっただけで、家内の先生の説は全く間違いだと思うのですが、如何でしょう。

なお、(せいざん)と謂うのは、【蘇軾詩「是処青山可埋骨」】に「人間到る所青山あり」とあり、この場合、墳墓の地、骨を埋める所で良いのです。

前出の先生は或る大学で、講義をし、古墳発掘でも名を知られた方ですが、チョとした説明が思わぬ事になるものだと、自分の戒めにしています。

今日は阪神タイガースのゲームはありません。こんな日は淋しいですね。

2003.9.7    甲子園に神風は吹かなかった

ここ二日ばかり、朝晩の気温は下がり、熱帯夜からは開放されました。そして今朝は早く、爽やかに目覚めました。
しかし、昼間は残暑厳しく、未だ真夏並みでしょう。

昨夜の甲子園、阪神は横浜に無残に敗れました。阪神にも良い場面はあったのですがね。今ひとつで、神風は吹きませんでした。

今日は日曜日、暑い暑いと言いながら、元気な人たちは,夫々野山に、遊園地や街にお出かけでしょうが、体力に自信の無い小生などは、我家にこもって、テレビを見るか本でもあさり読みをするしかありません。
昨日、ゴソゴソ本箱をひっくりがえしていると、鉄道唱歌の本が出てきました。小生、鉄道唱歌は東海道線だけかと思っていましたが、何の何の昔の鉄道各線の歌詞があるのに驚きました。

そこで交野・私市近くを通っていた関西参宮線の歌詞を、大阪から木津まで、ここに並べてみました。なお、小生にも判らないのですが湊町から出る関西本線との関わりがどうなっているのか。木津で合流しているのは確かです。(”汽笛一斉新橋を”のメロディで口ずさんで下さい)

一、汽車をたよりに思ひ立つ  伊勢や大和の国めぐり
    網島いでゝ関西の      線路を旅の始にて
二、造幣局の朝ざくら      櫻の宮の夕すゞみ
    なごりを後に見かへれば  城の天守も霞みゆく
三、咲くや菜種の放出も    過ぎて徳庵住の道
    窓より近き生駒山      手に取る如く聳えたり
四、四條畷に仰ぎみる     小楠公の宮どころ
    ながれも清き菊水の     旗風いまも香らせて
五、心の花も桜井の       父の遺訓を身にしめて
    引きは返さぬ武士の     戦死のあとは此土地よ
六、飯盛山をあとにして     星田すぐれば津田の里
    倉治の桃の色ふかく     源氏の滝の音たかし
七、柞の森と歌によむ      祝園すぎて新木津の
    左は京都右は奈良      奈良は帰りに残さまし
  以下、省略。
    注、祚=ホウソ(ハハソ)。コナラ・クヌギ・オオナラなどの総称。

今夜の甲子園は何が何でも阪神に頑張ってもらわなければなりません。
  星(野)の空に、神風、吹け!吹け!。せめて六甲颪の風よ吹け!。

2003.9.6    甲子園に神風が吹いた

昨日は朝と晩、少し暑さも楽になったようですが、昼間はまだまだ暑い日が続きます。月一回の受診を昨日済ませて、薬もどっさり貰うと何となく気持ちが落ち着きます。慢性患者になると、病院通いが苦痛になってきます。人間は勝手なものですね。悪いときは救急車呼んで飛び込むくせに、と、思っています。

今月一日は「防災の日」で、各地で防災の行事が行はれましたが、この日は二百十日でもありました。二百十日と謂うのは、立春から数えて、210日目の事で、地震とは関わりありません。関東大震災が偶々9月1日に起きたというに過ぎません。

この時期は、ちょうど中稲(なかほ)の開花期ですが、台風襲来の時期に当たりますから、農耕国家、日本では厄日として警戒しています。(稲は風媒花。風が強すぎると、花粉が飛んでしまう)今年は幸い太平洋高気圧が異常に頑張っているので、台風13号は中国大陸の方へ行ってしまいました。もっとも冷夏、日照不足、更に異常な台風10号に、今年の稲の作柄は無残なことになりました。政府は2002年の余剰米をすべて放出するようです。

台風は関西に生きてきた小生には子供の頃から、恐ろしい物に思え、未だに台風には神経をとがらせます。昭和9年9月21日の室戸台風の惨状がインプットされているからでしょう。この時小生は小学2年生でした。この日の惨状は日を改めて思い出したいと考えています。

元寇のとき、2回も元の大軍が一夜に全滅したのも台風によるものだったと謂われています。これが「神風」の由縁です。

昨夜、甲子園の阪神と横浜のゲームは、横浜の三浦投手に阻まれて、阪神ファンはストレス一杯でしたが、9回裏、2アウト、あと一人の矢野が見事2ランホームラン。正に甲子園に神風が吹いた。トラきち集団一気に湧きあがりました。4日広島でも最後これがあったらと今更残念がる者もいます。今晩も甲子園に神風を吹かそう!!。

2003.9.5    昨夜は残念!

昨夜は大変残念でした。9回表あそこまで追い込んでも駄目でした。
阪神、阪神と思っていると忘れてしまうのが、相手もプロだという事でしょうか。]デーの予想少しズレますね。

2003.9.4     Xデイは来週とっぱなか?
 
      
暑いですねェ。今になって矢鱈と暑いので、フウフウ言うております。
昼間はエアーコンで堪えていますが、夜は乾燥して喉の切開部が変になりますので、エアーコンは使いません。それだけ寝苦しく睡眠不足になって、これまたフラフラしています。

昨夕も、阪神相変わらずの結果を出して、5:4.M7になりました。そうは言うものの6回までは重い荷物を担いで峠を登る感じでした。井川が足を挫傷したりハラハラしていましたが、7回今度は峠を走り下りるように、ゲームは動きました。秀太、赤星53盗塁、片岡、そしてアリアス31号。色々見せてくれました。

通天閣は既にトラモードですし、「くいだおれ」はじめ戎橋の各商店もトラ一色になってるようです。貴君メールの通り、大阪市はじめ阪神間の西宮市、尼崎市芦屋市、神戸市まで祝賀パレードに色気を使っています。

リーグ優勝しても、後、更に、日本一を目指さなくてはいけませんから、選手が疲れないように、見守り、配慮してあげたいですね。

若し、近鉄が優勝となれば、通天閣どうしますかね。詰まらぬ事を心配しています。
明日は小生の通院日です。メール送りません。


2003.9.3     阪神ビックバーン、トラきちフィーバー

阪神、ロードに出て4勝11敗と不調の時期冷夏、冷夏と言われていましたが、8月下旬、甲子園へ帰った阪神が、連勝を始めると残暑が厳しくなって来ました。一段と虎フィーバーが大きくなった為でしょうか。

昨夜広島球場は、カープの地元なのに甲子園並みの虎応援団が気勢を挙げていました。伊良部の出来は今ひとつでしたが、アリアス・片岡・矢野、特にアリアスの活躍目覚しく、7:4で広島を破り、Mも9と一桁に持ち込みました。

ファンというのは、アメリカ英語で「スポーツ・演劇・映画・音楽などで、ある分野・団体・個人をひいきにする人」の事だそうです。
ところで、最近プロ野球で、阪神ファンが矢鱈と増えてきたように思います。
今まであまり野球に興味があるように思えなかった人、少なくとも阪神ファンとは聞かなかった人が、阪神、阪神と騒いでいるのが目立ちます。大体人間は群れるもので、元気に賑やかな群れに集まって来るのが自然です。
それは、阿波踊りを見ているよりも、連の中に入って自分も踊りたくなるのとるのと同じです。
阪神、阪神とテレビの中でタレントが、そして新聞も雑誌もすべて書き立てますから、今、阪神のファン層は大変なものになっています。これでリーグ優勝のとき、どんな社会現象が起きるのでしょうかね。日本一になったら更に大変でしょう。

しかし,そうなって欲しいものですね。今晩も楽しみです。

※題名について、とっぱなか?=「突端か?」です。
とっぱな【突端・突鼻】物事の始め。しょっぱな。
今度の阪神の優勝は、早ければ、9日?。

2003.9.2      稲村の火


昨日は防災の日で、東京を中心に南関東直下型の地震を想定し小泉首相も参加して、大掛かりな防災訓練がおこなわれました。また、各地夫々もその地の過去の経験を参考に、行政、公共機関、民間団体や市民参加のイベントが大々的におこなわれました。しかし、一般の防災思想は果たして何所まで浸透しているのでしょうか。
小生はもっと普段に、しかも子供の頃から防災教育を徹底させるべきものと考えています。
思い起こすのは、小生が小学生の頃、国語の教科書(5年生)に『稲むらの火』という物語が載せられました。この教材は昭和12年から太平洋戦争の終結まで国定教科書に使われたので、昭和一桁生まれの人は覚えているでしょう。

この物語のモデルになったのは、150年近く前の安政地震の際の紀州広村であった出来事です。濱口儀兵衛という広村の庄屋が高台から海岸を見たとき、海水が一斉に沖に引いていき、磯が黒くなっているのに気づき、津波の来るのを知りました。有線放送やサイレンなど無い時代ですから、どのようにして海岸近くの村人に知らせようかと思案した儀兵衛は、とっさに刈り込みが済んで乾燥させていた、稲むらに火を掛け、煙を上げて村人を集め、多くの人の命を救ったと謂うことです。この実話は多くの研究、著書として発表されています。

安政の大地震は、安政元年(1854年)11月4日と5日(新暦では12月23日と24日)の両日にまたがり、2回も襲っています。その規模は共にM8.4と推定されています。初日は伊豆から伊勢に至る本州太平洋側に多大の損害を与え、また、房総から土佐にわたる沿岸各所に津波がし寄せました。翌5日のは西に寄って東海から西日本各地の太平洋側に津波が押し寄せました。

詳しくは、インターネットで『稲むらの火』を検索してください。

昨日はセのゲームはありませんでした。そんな日は何か物足りない感じでそね。

2003.9.1     今日は防災の日

【國家同胞の一大凶災】
「すべて是れ血涙の報道である。一報は一報より凶變災害の甚大を傳へる。その状況は人間の想像を絶した地獄相だ。帝都は猛火に包まれ津浪に襲はれて二百萬の生霊は阿鼻叫喚の巷に彷徨している。其他横濱、横須賀、静岡県下の各地方も地裂け家潰え伏屍累々の光景を想はしめる。まことに是れ邦家同胞の一大災厄である。吾人は心を一にしてこの異變の一時も早く鎮静に帰せんことを天地に祈念するのほかはない。」

これは大正12年9月2日の「大阪毎日新聞」號外の冒頭記事です。
この関東大地震に因んで昭和35年に制定された『防災の日』…それが今日9月1日です。

阪神大地震が夜明け前であったのに対して、この地震は正午直前(11:58)だったため、何れの家庭でも昼食の準備をしており、地震直後から多数の火の手が上がりました。このため火災による死者が多数に上り、死者行方不明者は14万2千人の多きに至っています。日本比類の自然災害でした。(因みに阪神大震災の死者不明者は6,427名)

防災訓練それが、マサカの時にどれほどの役に立つかは知りませんが、個人夫々が常に、”いざ”の気持ちを持ち続けないとなりません。何でも行政や公共機関頼みでは意味がありません。
…災害は今まで無くとも明日あるかも知れない…   皆さんご用心を。

昨夕の阪神タイガース、新手先発の福原投手、5回裏、2アウト、ランナーなしでヒット、自らもホームベースを踏んで4点。恐るべし、阪神の底力。 M11.。


2003.8.31    野球中継は甲子園から始まった

いよいよ、今年の8月も今日で終わります。兎に角天候不順で過ごしにくい夏でした。長い梅雨のあと台風の日本縦断、その後も日照は少なく、稲作は不良で、夏の商売は何れも、「アガッタリ」、の言葉が相応しい有様でした。
阪神タイガースもロードに出て、4勝11敗という無残さ、でした。
しかし、阪神下旬には甲子園に帰って目の覚める復活振りを見せてくれました。
昨夜のゲームには、モウ触れません。今の阪神は誰がどうのこうのと言う事はありません。全員がスターです。故障で降りている選手もいつでもスタメン復帰できる体勢です。選手が余ってきた感じです。
もう、後は優勝をゆっくり待つだけです。

テレビでは、どの局も解説者を使っていますが、阪神のゲームには要りませんね。特にダラダラ話すのは困ります。気の利いた解説者は、ゲームが動くと話を中断してアナウンサーの実況を邪魔しません。
しかし、中にはベラベラ話し続けてアナウンサーの実況が聞きづらくなる人もいます。解説も歯切れのよい人が好きですね。長島型のおしゃべりはあまり好きません。

野球の実況が始めて電波に乗ったのは、昭和2年8月13日、JOBKの大阪中央放送局が、甲子園から、全国中等学校優勝野球大会の第一日目の試合だったという事です。
はじめ、主催の朝日新聞では、ラジオで中継放送されたら観客が減ると難色を示したそうですが、中継してみると、却って入場者が増える事が判り、以後、甲子園中等学校野球の中継はラジオの人気番組になったと言います。

同じ年8月24日には、JOAK東京中央放送局でも、当時人気の第一高等学校対第三高等学校の試合を中継しています。
東京六大学野球は、同年10月15日に早明戦を神宮球場から、職業野球(今はプロ野球)は、昭和11年7月1日、戸塚球場で行われた「第一回全日本職業野球選手権大会」で、「巨人」対「名古屋」と「阪急」対「大東京」の試合が実況中継されたとあります。

この実況は、人気アナウンサーだった、松内則三と和田信賢の二人が、掛け合いでしたそうですが、試合が白熱すると二人ともアナウンスに熱中し、二人が同時にしゃべり出したりして、必ずしも成功ではなかったと云います。

しかし、この形式が戦後、スポーツ中継にアナウンサーの他に、解説者をおいて、試合の興味を盛り上げようとする事の原型になった事は確かだろうと謂われています。
今晩の解説者は誰でしょう。

2003.8.30    甲子園は野球界の登竜門

昨日は矢鱈と暑く、小生些かまいりました。午後は一とき身の置き所もないようになりました。年をとると年々暑さ寒さがこたえるようになるのが、自分でよく判ります。

阪神VSヤクルト戦は、その蒸し暑さを忘れさせてくれました。試合終了後の、貴君のメールは阪神復活の喜びを共有させてくれました。

ところで、前回書いた甲子園球場の屋根ですが、戦前のものは鉄製で「大鉄傘」として知られていましたが、現在のものは昭和26年8月に内野スタンドだけに復活したもので、更に昭和57年2月にアルミ合金で葺き替えられ、「銀傘」と呼ばれています。このときバックネットもステンレス製(網目5×10cm)になりました。
戦争は色々なことを変えました。中等学校野球大会も、昭和22年3月末選抜高等学校野球大会、同年8月13日全国高等学校野球大会として復活するまで中断しました。その間軍部によって使われ、戦後はアメリカ軍に接収されていました。

また、甲子園の周辺も時代と共に変貌し、例えば、大正末期まで綿が栽培されていた鳴尾村も昭和初年になると、イチゴ狩りの名所になっていました。
今は住宅の立ち並ぶ阪神間のベットタウンです。なお、鳴尾村は戦後西宮市に合併され、現在球場は西宮市です。
海岸一帯は軍需工場になり、さらに、戦後日本の復興と共に大阪湾岸全体が工業化して、阪神間の都市化と共に大きく様変わりしました。
そんな中、阪神甲子園野球場は野球界での登竜門として厳然と80年の歴史を保っています。
ドームは全天候型で試合が天候に左右されず便利ですが、大空を見上げる甲子園球場でこそ阪神タイガースの大応援団は大爆発できるのです。そして、若い高校球児たちも元気あふれる青春を燃やせるのです。
小生は甲子園が忘れられません。そして、甲子園野球場が好きです。

今夕も阪神は、ヤクルト相手に素晴らしいゲームを見せてくれると期待しています。

2003.8.29    阪神タイガース 復調

お説のとおり一昨夜は少々心配した場面もありましたが、昨夜は阪神全員が頑張って、鮮やかなゲーム展開を見せてくれました。
特に広沢の2打席連続ホームラン、アリアスの復調、それに井川がさりげなく好投してロード前の阪神を再現して楽しませてくれました。M15です。

北京の六カ国協議、我々テレビの報道でしか情報を知る事は出来ませんが,何だかイライラしますね。外交とはあんなものですかねぇ。まどろっこしいものに感じます。また、北朝鮮は何という国なんでしょう。小生には全く理解できないことを平然と言い出すのですから。
「拉致」は北が行った国家犯罪なのに、我が国が5人の帰国者を北へ帰さないと言っているのです。本来北は「拉致」した日本人全員を、お詫びと共に、熨し付けて送り帰さねばならないものです。
米国と北朝鮮も本来意見が合うわけないんです。北の体制を米国が認める筈は初めからありません。
中国の努力は認めますが、この六カ国協議成功は無理でしょう。体よく格好をつけて終わるでしょう。そして、或いは、最も危険な出来事が近い将来起こることになるやも知れません。イラクであったように。

北の女性応援団は、また、出てきたようですね。そして、再び問題を起こしています。韓国民が掲げていた金大中と金正日が握手している写真の印刷された歓迎の横断幕を勝手に引き下ろして持っていったと言うのです。
韓国の警察は何も対処しないのですかね。これも不思議です。

甲子園のこと今日はお話しません。体調が少し不安に思えるのです。これで今日は終わらせてもらいます。  体調心配ありません。ご放念ください。
今日も暑くなりそうです。   では。

2003.8.28
   大鉄傘は熱かった

ロード帰りの阪神はよくやりました。やはりホームグランドは落ち着くのでしょうね。5回裏、阪神5-2巨人、アリアスが打席に入っているとき猫が走り込みました。甲子園の猫も阪神フアンなのですね。やはり、「トラ」猫だったのでしょうか?。走り回った後、阪神のだダックアウトへ飛び込んで帰っていきました。

阪神の応援も意気が揚がっていました。応援団と云えば、いま、韓国・大邱で行われているユニバーシアードへ送り込まれた女性応援団(NHKはこう呼んでいます。民放の多くは美女軍団)は何をしに韓国へ来たのでしょうか。
韓国男性に秋波を送り、韓国の若い男性も夢中に騒いでいます。トラブル起こして、北朝鮮は帰るの、引き揚げるのと言うと、韓国側は直ぐ遺憾ですと詫びを入れている。結局選手の引き揚げはしないけれど、女性応援団は出てこなくなった。ガランと空いた応援団席の一画は異様に見えました。
いま、甲子園で阪神の応援団が突然居なくなったらどんな情景が見られるかなァと、小生極めて悪魔的なことを頭に一瞬考えました。阪神の応援団に大変失礼でした。ご免なさい。

それにしても、韓国はどうして北朝鮮にあれまで弱腰なのでしょう。韓国の太陽政策そのものにも、小生は疑問を持ちます。
日本は「拉致」問題について、断固とした交渉をして欲しいものです。

ところで、甲子園球場の鉄傘、昔はもっと高かったように思います。小生夏の中等野球が開かれているときに大鉄傘の上へ出たことがあります。内野席の上にスコアボードが吊ってありますが、その裏から上がれたのです。夏の陽は恐ろしく暑く、屋根の上は物凄く熱かったのを覚えています。先端ネットの真上へ進むとモウ恐ろしくて立ってはおれません。腹ばいになって、のぞき込むとめまいするほど高いものでした。昭和6年7月にはアルプススタンドにも鉄傘は建設されており、屋根の上は随分と広く見えました。その大鉄傘も、昭和18年8月には鉄材として供出されたのです。この頃から日本内地は暗いものになって行くのでした。

鉄傘の下で、高校野球やプロ野球が観戦できる今日の平和を二度と失うことが、あってはなりません。因みに、球場名は昭和39年2月14日に「甲子園球場」から「阪神甲子園球場」と変えられています。

今夕も阪神タイガースは頑張ってくれるでしょう。  そう祈ります。

2003.8.27   嬉しかった雨の順延

昨日夕方貴君のメールを開いたとき、この辺りも激しい雨でした。その後、甲子園はどうかなと、6時丁度にテレビ(Bs)を点けました。
すると何時ものテーマ音楽と共に、外野から眺めた球場のガランとしたグラウンドの全景が映りました。直前に激しい雨が降り出したようです。6時25分電光掲示板に中止が表示されました。
残念ながらロードから帰っての、第1戦、巨人VS阪神はお流れになりました。

雨で試合が流れたとき、大変喜んだことがあったのを思い出しました。
それはプロ野球ではありません。中等野球でのことです。
小生が甲陽中学へ入ったのは昭和14年、既に北支では盧溝橋事変が起こり拡大の一途をたどっている頃でした。しかし、甲子園はまだ平和でした。中等野球は盛んで、我が母校も兵庫県では野球の名門、大正12年8月の大会では優勝しています。その後も甲子園へは出ていますが、優勝には至ってはいません。小生の5年上には別当馨と云う投手がいて名をなしていました。
そんな母校へ春の選抜、夏の優勝大会には、阪神電鉄から場内整理に生徒の募集をしてきていました。当時は、アルバイトと言う言葉も無く小遣いを稼ぐと言う考えもありませんでした。野球を見に来る女学生やご婦人に興味があって応募したものでした。小生もナンパと言うことではなかったのですが、応募したことがあります。
帽子と上下の服をくれました。朝食は球場へ行ってから食べます。(何分朝時間が早かったのです)どんぶり山盛りのご飯と、やはりどんぶり一杯のみそ汁。それに、生卵一個。昼食は甲子園名物のカレーライス、三時におやつの蒸かしパン。それで、一日1円の小遣い。たまたま雨で二日順延したことが有りましたが、朝食だけで帰っても一日分。10円貰った時は雨様さまで、一寸した金持ち気分で嬉しかったことを覚えています。何分、当時の公立中学や女学校の月謝は4円とか5円でしたから。
仕事は「モギリ」と座席案内です。「モギリ」と言うのは入場券から副券を切り離すことです。それをご婦人の手から受け取る際、その手に触れたとか何だとか言って喜んでいたたわいもない青春でした。(当時の青小年は、みな純粋でした)。小生は案内の方でした。扇形の厚紙に座席の番号が書いてあるのを持って、入場者を案内するのです。当時は柱があって「いろは」で区切って、更に下から下段・中段・上段とありました。
一人はその一区切りを受け持ちます。例えば、「は」の「中段」の座席表というように。男の子や大人は指差して「あの辺です」と教えます。若いご婦人や女学生はその席まで案内して、両側の人に席を詰めるように言って座らせます。ハンカチで席を払って?。さすがそこまではいたしておりません。試合中は上を見上げて「あそこの女の子は」どうのこうのと同僚とお互いに話して試合は殆ど見なかったように思います。雨で1日朝飯食っただけで、1円貰った、いい時代のお話です。

今夕はどうでしょう。中止になるほどは降らないと思いますが、如何でしょう。

2003.8.26   甲子園の砂は白かった

阪神タイガース(死の)ロードを、4勝11敗で終わって、今日から甲子園で巨人とヤクルト戦を戦います。旅の疲れを忘れて優勝Xデーへ向け一直線で願いたいものですね。それにしてもロードとはそんなにも草臥れるものなのですね。ホームグラウンド甲子園で頑張ってもらいましょう。

小生子供の頃の甲子園の記憶は断片的なものです。既に阪神電鉄の開発は終わっていました。子供心に残るのはやはり阪神パークです。今は各地に立派なテーマパークが出来ていますが、当時は阪神パークの外、宝塚の遊園地や天王寺の動物園などが、阪神間では主な子供や家族向けの施設でした。

阪神パークも動物が主体で催し物会場ではチンパンジーの色々な芸を見せて入場者を喜ばせていました。直ぐ南側は白い砂の海岸で西に広く続いていました。甲子園浜は海水浴場としては香枦園浜と並んで、阪神間では夏賑わいました。小生は小学校では、歩いて行ける香枦園浜へ行きましたが、中学校では学校そのものがそこに在りましたから、夏の水泳は甲子園浜に続く中津の浜へ行きました。しかし、今は随分と様子が変わって話をしても分かってもらえない事が多いでしょう。地図を開いても、小生の母校甲陽中学(今は高校)も見当たりません。名神高速道路が高架で野球場と学校の間を走り、環境が教育施設として相応しくなくなり移転しました。また、海岸は全く戦前の姿をうかがい知る事が出来ないほど変わっています。

「白砂青松」と言って、瀬戸内から大阪湾の海岸は白い砂浜に翠濃き松林が続いているのが特徴の風景で知られていましたが、今は見る影も無く埋め立てられ岸壁や堤防で、海水は汚れ悪臭漂う海岸になっています。
砂が白いと言いましたが、甲子園球場の砂も今より白かったように思います。元々川底ですから砂地で排水も早く、夏の激しい夕立でも後直ぐプレー出来たものです。今のグラウンドは黒っぽく、雨上がりはベタベタした感じです。

高校野球で負けたチームの選手は「甲子園の砂」を涙と共に袋に詰めて帰ります。あの砂は真っ黒ですね。持ち帰り用に入れてるようですが、何所の砂でしょう。日本には採れる所も無いでしょうから輸入物でしょうか。
この「甲子園の砂」の持ち帰りは、昭和24年(1949)8月17日、岡山・倉敷工校に敗れた、福岡・小倉北校の福島投手が、ホームベースの砂を掬ってユニホームの後ろポケットに入れたのが始まりと言われています。

閑話休題。
舞鶴港の万景峰号は政治的配慮で無罪放免になるかと思っていましたが、昨晩国土交通省が5項目の不備を指摘しました。しかし、それ程の手間をかけずに改善出来るでしょうから、少し出航が遅れる程度だと思います。国内の「拉致」家族およびその支援団体に配慮した指摘でしょう。
政府は、あちらへも、こちらへも配慮せねばならず大変だと思います。

なお、油水分離器とは機関室に溜まった淦(bilge)から、油分を取り除く装置です。これが作動しないと海水を汚します。淦=アカ。 閼伽と混同する人がいますが、全くの間違いです。

今日は少々天気が悪いので、甲子園が気がかりです。

2003.8.25   連敗のやり直し?

昨日も暑い日でした。今日も暑そうです。残暑の時季になってこの暑さはこたえます。
阪神、一昨夜はやりました。やっと5連敗で止めて、M18なりました。
「グリコ」のバンザイの呪に打ち勝つことが出来たようです。
と、思ったら昨夜は再び惨めに最後の最後まで叩かれました。もう一度連敗のやり直しでもないでしょうが、「グリコ」効果は残っているのでしょうか。

それにしても暑いと思考能力が衰えます。ボンヤリしながら、昨日チョットした古い本を読んでいるとこんな事が書いてありました。

「ホームランの球を外野席の客がキャッチ、ところが審判はアウトを宣告したという珍プレーは、昭和39年6月18日、後楽園の巨人・中日戦でのできごとである。5回表、中日・マーシャルの打球はレフトへグングン伸びた。レフト・相羽がヘイにへばりつき、跳び上がったが、外野席最前列の観客が、ダイレクトキャッチしてスタコラと雲がくれ。アウトを宣告した山田線審の説明では、「もしフアンが手を出さなかったら相羽がとっていた筈というのだから未必の可能性を信じた珍判定。」

「逆に、レフトが外野席に飛び込んだのが、同じ年の7月12日、川崎球場での大洋・巨人戦。9回表、巨人の攻撃中に、大洋のレフト・長田が突然外野席目がけて突進し、高い金網をよじのぼり、客席に飛び込んだ。
グラウンドにウイスキービンを投げた犯人を捕まえようとしたものだが、この場合は犯人捜査協力とはいかずルール違反で長田は退場させられた。」

今朝は舞鶴港へ万景峰号が入ってきます。この字、朝鮮語で読むと二回目には舌を噛みます。朝鮮語は英語や中国語に比べて、何故かゴツゴツとしていますね。特に北のテレビではイガ栗のんだような声で耳障りになります。
舞鶴で何事かが起きなければ良いのですが。


2003.8.23   甲子園は暑いでしょうね

今日は格別の暑さですね。暦は処暑でも今年は今が最高の暑さです。
また、地蔵盆で昔は子供たちが町内の辻地蔵に集まって大人達からお菓子や果物などを貰って喜んでいたものでした。こんな夕暮れの風景は今は見るすべもありません。

高校野球は今、優勝戦が常総と東北の間で戦われています。今年はいずれも北関東、東北でいずれが勝っても優勝旗は箱根を超えます。
昔は北国は雪が多く冬季充分な練習が出来ず、春の選抜は勿論、夏も早くに敗退していたものです。今は屋内の運動場や練習場がありますから地域差は殆ど無くなっていますね。それにしてもこの暑さ、よく頑張れる若者達は羨ましいですね。

もう一つそれにしても、阪神タイガースは如何したのでしょう。伊良部に次いで井川までくるってしまいました。「グリコ」に縦縞のユニホームを着せたからでしょうか。流石の星野監督もご機嫌悪そうな顔つきでしたね。
戎橋の「グリコ」の看板が阪神のユニホームを着せられたとき、みんなは喜び、テレビも大きくニュースに取り上げていましたが、小生は何となく不安な気持ちにとらわれました。8月21日に書いたように「グリコ」は「お手上げ」状態を示しているように小生には思えるのです。
「赤い灯、青い灯」の昔から、やはりグリコはランニング姿が似合います。

いま、ラジオが優勝の表彰式の模様を中継しています。常総学院が東北を破って優勝したようです。

甲子園の小生、小・中学校時代の事々を思い出して書いて見ようと思いましたが、あまりの暑さに上手く考えが纏りません。小生クーラーを掛け続けると気管の切開部(喉頭がん手術による)が苦しくなります。
                             ご免なさい。では。

2003.8.22   暑さに加えてイライラすること

昨夜の大阪ドームの阪神は如何したのでしょうね。
初めから伊良部の投球は、ボール先行で遂にファーボウルを連続3回も続けて、普通なら直ちに降板させるべきところ、何故か星野は投手を代えませんでした。5回までは変えないつもりの、星野の方針がゲーム全般に影響を与えてしまっていました。投に、守りに更に打線にも、歯車の噛み合わない状態のまゝで、阪神にとって最悪の大阪ドームに終わました。両手を挙げて「バンザイ」したのか。「グリコ」にユニホーム貸しても、阪神の選手よ、「グリコ」にはなるなよ。もう一時だ。最後の力を振り絞れ。手を挙げてはならんぞ!と言いたいですね。

ところで、しばらく前から気に触っていることがあります。それは○○○ジャパンという保険の宣伝なのです。元アナウンサーやタレント、それに役者まで動員してCMをつくり、各TV局、すべてで流しています.高年・老年者を対象に宣伝、契約募集に躍起になっております。テレビ局を切り替えると、そこでも同じことを宣伝している。更に局を変えても○○○を宜しく、詳しい資料のご請求は、今すぐ、0120ー1*7ー1*7 へお電話をなどといっています。

ラジオでもやっている。通販業者の配布するカタログにも、ありとあらゆるところへ入り込ん宣伝している。保険というものはここまで宣伝費を掛けても良いのでしょうか。こんな保険会社は本当に信頼し,あてに出来るのでしょうか。保険事故が多発し、保険金請求が集中した時本当に保険金を支払えるのでしょうか。豊田商事の二の舞になりはしないのでしょうか。
   
『煩い。耳に憑いて気分が悪い』。

兎に角、テレビでもラジオでも「ウンザリ」するほど聞かされるのは勘弁して欲しいものです。今日はこれでお茶を濁しておきます。 ご寛容を!!。

もう、一言、高校野球関西勢は消えました。観客数も増えないでしょう。
阪神電鉄の運賃収入も、あまり上りませんね。阪神戦で儲けけましょうよ。

2003.8.21    甲子園は懐かしい(続々)

暑い夏が帰ってきたのは嬉しいのですが、年寄りの身には
つらくもあります。昨日のメールで一つ全く間違った「思い込み」をして、そのまゝ書いていました。
大阪ドームの阪神VS中日のテレビ中継が、京都テレビで6時からあるといいましたが、実はABCテレビで7時から8時48分まで、その後を受けて京都テレビは8時47分からでした。何故こんな思い込みをしていたのか全く分かりません。年は取りたくないものですね。

しかし、その阪神もどこかボケていましたね。二日続けて打線は繋がらないし、エラーも出るし、ドーシタ、ドーシタですね。
道頓堀のグリコの看板が
タイガースユニホームに
着替え点灯

(asahi.com 8/20)

昨日午後6時30分に道頓堀戎橋のグリコの看板が変わりました。小生子供の頃からグリコには馴染んでいて、「一粒三百メートル」、陸上選手が両手を挙げてゴールする絵は目に焼きついています。しかし、大阪人は皮肉な喩えにも使っていました。大阪では「儲かりまっか」と聞かれたら「あきまへんわ、死に死にだ」とか「もう、万歳だ」と言います。「バンザイ」は「お手上げ」を意味します。そこで、「もう、グリコだすわ」と云う言葉も一時は流行りました。その選手が阪神のユニホームを着たのです。阪神タイガースの選手は「グリコ」にはなって欲しくないですね。

そんな事を考えゲームを見ていると、フト気付いたのですが、阪神タイガースのマークの虎はどちらを向いているのでしょうか。レフト方向を見ているものと思っていましたが、選手のユニホームの左袖の虎はライトを向いて吼えています。マァ、どちらを向いても良いけれど、何とか立ち直ってくれませんかね。

さて、着々進む阪神電鉄の沿線経営の中で、小生の母校甲陽中学校も次第に囲いの中に追いやられていきました。先にも書きましたが、創設当時は弁当をクマザサの生い茂る川岸で済ませ、川に入って手拭で小鮒を掬ったり、水泳は校内で海水パンツ姿になって、中津浜まで走って行ったのも出来なくなり、甲子園開発の波は次第に学校の姿も変えていったとは、先輩の嘆きでした。学校自体も昭和4年には鉄筋コンクリート三階建ての立派な校舎に変わっていました。

甲子園球場の外壁を覆った「ツタ」は有名ですが、これは大正13年暮に植栽され、大正15年7月には阪神電車甲子園駅が常設されました。
ご存知のように甲子園駅は道路を跨いだ鉄橋の上にあります。これは元々枝川に架かった鉄橋なのです。小生は大正15年6月生まれですから、この駅と同い年です。また、外野中央のスコアボードは昭和9年の春に完成しています。(昭和9年9月21日は室戸台風が阪神を直撃しました)。

甲子園の昔話はこのへんで一旦休ませてもらいます。
次は小生が小学校から中学校時代の甲子園について思い出して見たいと思っています。
そして中等学校野球は戦争の拡大と共に終わりを迎えます。球場も大鉄傘を供出して全ては戦争目的一色に覆われます。悲しい時代でした。
今日は夕方を待たずにメールを送ります。午後の暑さで、また、ボケると
いけませんから。一言、今日は大阪ドームのテレビ中継、京都テレビ6時
からです。これ間違いありません。  最後に阪神の勝利を!!。

2003.8.20    甲子園は懐かしい(続)

今日も暑い日でした。やっと夏が帰って来ました。
高校野球の時期はこうでなくてはいけません。小生近畿で一校残った平安のゲームを見ていました。宮城の東北と素晴らしいゲームを見せてくれました。11回遂に惜敗しましたが立派でした。
ところで、昨夕の大阪ドームは小生チョット力落ちしました。走りすぎて疲れが出たのか、ゴールが見えてきて気持ちに緩みが出たのか、兎に角頑張れというより外はないですね。

さて、甲子園は小生の母校が創設されてまもなく状況が動いて来たのだと思います。阪神電鉄が武庫川の支流であった枝川・申川の廃川敷地を兵庫県から買収したのが、大正11年10月末だと言いますし、後で触れますが、小生が先輩から聞いた話では、生徒は川原で弁当をつかい、その後、川に入って手ぬぐいで小鮒などを掬ったと言いますから、その数年の間に環境は随分変わったものと思います。

阪神電鉄の甲子園開発は、阪神本線の上手(北側)を住宅経営地、下手(南側)をスポーツセンターと遊園地にする構想から始まったようです。
枝川は上甲子園よりも北の昔甲子園ホテル(今在るか無いか知りません)のあった辺りから分かれていたようですが、それを埋め立て、その川底を中津浜まで道路にしました。その道路上に、阪神国道の上甲子園から中津浜まで支線甲子園線を敷設しました。

また、阪神本線の南に円形で広い「万国博覧会」を開催し、多くの人を集めて地固めして、その後に野球場を建設しました。勿論、野球場以外にも南運動場やテニスコート、また、阪神パークなども設営しました。

既に当時、全国中等学校野球大会は、鳴尾村にあったグランドで、大正6年8月の大会から開催されていましたが、野球熱が高まるにつれ観客を収容しきれなくなり、甲子園開発構想の一環として、当時東洋一と謂われた野球のメッカ・甲子園大運動場が出来たということです。
ここで、全国中等学校野球大会は大正13年8月の第10回大会から行われ、また、翌14年3月には全国選抜中等学校野球大会が始まったのです。

今日もこの辺で休ませて貰います。京都テレビが夕方6時から大阪ドームの中継をします。今日こそ!。  昨日もそう思ってはいたのですがね。

2003.8.19     今日は暑いですね。

陰気な夏?そんな毎日を送って来ましたが、今日はやっと夏らしい空になって、甲子園の球児たちも朝から生き生きとゲームをしています。小生も今日は天理の試合見物で、テレビの前に陣取っていました。しかし、残念ながら埼玉の聖望学園に敢え無く敗退でした。

甲子園…それは小生にとって懐かしいところなのです。小生の通った中学は阪神甲子園駅を神戸方面へ過ぎて、すぐ線路の南側に広がっていました。広い運動場、そして東向きに両翼を拡げたように建つ三階建ての優雅な校舎でした。そして、年一度の1万メートルの全校マラソン大会前には、甲子園球場を一日毎に回数を増やしながらぐるぐる回ったものでした。懐かしい甲子園そして野球場なのです。

ここで、大正中期からの甲子園界隈を先輩から聞いた限りで書いてみましょう。それでは先ず私の母校の創設ごろから見てみましょう。

阪神電鉄の甲子園開発は大正11年から始まりますが、既に小生の母校甲陽中学は大正6年に創設されていました。

学校の開設者伊賀駒吉郎初代校長は、大阪の松蔭高等女学校を創設した後、男子校を作るべく、その適地を捜し求めたのです。阪神電車で武庫川を過ぎると、南側鳴尾村は真っ白に綿の花が咲くのどかな風景を演出していました。更に枝川・申川(サルガワ)を渡り今津側に入ると川岸の松並木の下にクマザサの生い茂る、教育環境として格好の地を見つけました。先生が兵庫県知事より私立甲陽中学設立ならびに校長就任のの認可を受けたのは大正6年2月でした。
当時この地は兵庫県武庫郡今津村東中畑でした。大正9年3月財団法人辰馬学院が認可され、財団法人辰馬学院甲陽中学校が生まれました。

阪神電鉄の甲子園開発はその後に始まります。
後は次回に譲ります。

今夜の大阪ドーム、楽しみですね。後、30分ですね。

2003.8.18  今まで無くとも明日あるかも知れない

最近の事故に関わって少し気になったことがあります。
それは、テレビ朝日系で10月から放送予定だった連続ドラマ「西部警察2003」のロケ中に若い俳優池田努(24)が、ド派手な車を運転して、見物に来ていたフアン達の中へ突っ込み、5人を重軽傷させたことです。事故直後記者会見していた小林正彦専務は「今まで長い間幾度もこのようなロケはやっていますが、一度も事故は起こしていない」旨の発言をしていました。だから今回も特に事故防止のことはしていなかったと言うのです。

事故を受けてこの日、名古屋市内で開かれた記者会見でも渡哲也社長も同じように、十数年やって来て一度も事故は無かったと強調していました。今まで無かったから今後も無いと思い込むのは如何なものでしょう。ここに芸人たちの思い上がりを感じるのです。
彼らは「日本興亜損害保険」と損保のコマーシャルをやっていたのです。今まで事故が無かったら、モウ事故は無いと言うのでしょうか。

それなら保険は一切無用の事となります。何故損保の宣伝を勤めたのか。元保険会社にいた小生には、直後の小林専務の発言が、引っかかって仕方が無かったのです。

日本興亜損害保険は16日から「石原軍団」を使ったテレビCMの放映を「自粛」と言う事で中止ししました。当然の措置でしょう。

そんな事にもイライラを感じる嫌な夏ですね。阪神タイガース爽やかな風を遣してくれ!!。

2003.8.18

昨日は一日小雨が降ったりやんだり、気温はそれ程高くないものの、湿度は高く、まるで梅雨のような、いや、それ以上に嫌な天気でした。それでも前夜のタイガースの贈り物が爽やかだったので、勝手な話しをメールしました。

しかし、その後階下へ下りて、テレビの放映がまだ無かったのでラジオを点けたら、な、な、なんと下柳が二岡に打たれ只ならぬ試合の様子、読売テレビが放映するのを待ちかねて、テレビに切り替えましたが、何ともイヤハヤの結果に終わりました。阪神はロードに出ると躁鬱症に罹るのでしょうか。15日は鬱16日は躁、そして17日は鬱だったのでしょうか。星野監督試合前に元気な事を言っていましたが、普通の阪神に戻ったのでしょうか。マァマァ、こんなものかも知れませんね。
早く関西へ帰って来い。やっぱり阪神は大阪が合う。19日からの大阪ドーム頑張りや。甲子園もそのうち空くで。甲子園でバンザイしょうな。待ってるでェ。

特設コーナーに入れられるらしいが、これからは人の露骨な悪口は言えまへんな。差しさわりのあるところは省いてや。管理人さんに頼んどきます。

2003.8.17京都五山の送り火

昨夜は京都の大文字の中継が、京都テレビで映されました。
既に阪神は井川が頑張って出足好調なので、チャンネルを切り替えて、30分ほど静かに映し出される、大・法・妙・船形それに鳥居の送り火を見ました。真っ暗な背景の中の火は生臭い世間の出来事をしばし忘れさせてくれました。

終わって、読売テレビに戻ると再び虎の勢いを味わえました。

話しは変わりますが、今年の高校野球の始球式は小泉首相が投げました。小泉さんの球は緩やかな弧をえがきながら見事ストライクと見受けました。勿論バッターは大きく空振りしてアウト。

始球式での打者の空振りは、慣習上の儀礼ですが、戦後、八幡製鉄がマニラに遠征したとき、トップ打者が二ストライクで三振を宣告されて抗議をしたら、「わが国では始球式の空振りを一ストライクに数える」と言われギャフンだったそうです。
また、始球式で空振りを忘れた選手もいたそうです。
昭和39年、プロ野球オールスター第三戦で、全セの山内選手は、中馬大阪市長の球にバットを振らずに見送った。野村捕手と「ほんとにうってみるかと話しているうちに、球が通過しよった」そうですが、始球式で空振りを忘れたバッターは、空前にして絶後に近いそうです。

2003.8.17

阪神やりました。昨夜は東京から爽やかな風が吹いてきました。
金本よーやった、井川よーがんばった。
巨人に勝ち越し決定。阪神フアンとして、アンチ巨人としてもバンザイ。
M22。テレビで星野は満面の笑みと云うのを見せていました。

2003.8.15

人間社会にもエイズやサーズや、とやかく厄介な病気がありますが、コンピューター社会にも困ったウイルスがあるものですね。

今日はお説のとおり午前中は過ごしよかったのですが、日暮れ近くなって少し蒸し暑く感じるようになりました。明日から又夏日が来るようです。
今晩は東京ドームで涼しい風を、阪神の手で巻き起こして欲しいものと思っ
ています。

2003.8.14

今朝は小雨が降っていて、湿度もあまり高くないので、快適に目覚めました。
昨夜は今年初めてコウロギのなくのを耳にしました。もう、秋なのでしょうか。
それにしても、長い梅雨で日照時間は平年に比べて極端に少なく、稲の株の張りは悪く田んぼは惨めにボリュームがありません。全国的にも台風10号の列島縦断で、稲の作柄は不良、備蓄米は十分あるので、緊急輸入ということは無いようですが、米の値は既に上がっています。昨日来た米屋さんが言っていました。

阪神タイガース何とか立ち直りました。それでも以前より精彩が無いように思えます。しかし、勝負は勝って幾らのものです。昨夜は勝ってマジックも24になりました。

それにしても、世の中、勝った方へ乗っかる人が多く、俄か虎フアンも随分と多くなりました。威勢の良い方へ紛れ込んで騒がしくする手合いは困ります。
マスコミのアフリようにも問題があるのでしょうが、阪神可愛いけりゃ、も少し節度を願いたいものですね。グランドにメガホンを投げ入れた事がありましたが、今度は禁止されている札幌ドームで風船を、しかも、組織的に飛ばしたのは頂けません。
今年の道頓堀川はどんなになるのでしょうかね。商店街も戦々恐々のようですね。
目覚めが良いので、おしゃべりが過ぎました。ご免なさい。

2003.8.11

ジメジメの長い梅雨が明けた、ヤレヤレと思った途端夏まっさかり。
台風10号のヘンなコースに振り回された一夜、それでも台風一過かと喜べばサニあらず、昨日は寒暖計が35℃を超えるありさま。
今夜も正に熱帯夜。あまりの寝苦しさに目を覚まし、何となく人恋しくPCを開くと貴君のメールが届いていました。
貴信のご趣旨まことに結構なことと思います。交野の空から更に大きくはばたいて、日本の星を見上げましょう。小生もろ手を挙げ賛同します。

とは、言っても小生既に年老いて、病身のこともあり、動きが困難で外出も月1回の病院通いだけ、一旦はカメラを持って奈良盆地の各旧跡、特に万葉集の詩とともに歩いてみようと思い立ったものの、現実は思いかなわず、カメラも電池切れのまま、到底経常的に投稿は叶わぬものと諦めております。気の向いたときに投稿させて頂くだけで満足です。