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ちょっとそこへお座りよ U
Ohgu's Zatugaku
阪神タイガース大好きの奈良市の大工さん
2003.11.4〜2003.11.30

2003.11.30  イラクで大使館員2人殺害される…
           日本への警告現実に

ここら辺は、夜明けから曇りで生暖かい空気の重みを感じるような天気です。今年の晩秋、初冬はどうして雨模様が多いのでしょう。
小生、一昨日の病院行きの疲れが今ごろ出てきて、気の晴れない状態です。疲れは一日ずれて感じますね。

今朝、目が覚めて床の中でテレビを点けたら、イラクで邦人が2人殺害された事が耳に飛び込んできました。外務省に入った連絡によると、イラク中部のティクリートで、29日午後5時(日本時間午後11時)ごろ、日本人男性2人が何者かに殺害され、地元の運転手が重傷を負ったと云うのです。外務省は会見を開き、殺害された2人は、在バグダット大使館の関係者である可能性を認めていました。
ティクリートは、フセイン元大統領の故郷で、最近、米軍への攻撃が活発化していると言われる地域です。
そして、テレビNHKの日曜特番中に、川口外相は外務省で記者会見し襲撃によって殺害されたのは、奥克彦・在英大使館参事官(45)及び井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官(30)である事、レバノン人運転手も意識不明の重体である事を発表しました。
3人が乗っていた車は、レバノンで登録された軽防弾仕様の黒い4輪駆動車で、在バグダット大使館用の車と云いますから、明らかに日本(人)を意識し、ターゲットにしたものだろうと小生は思います。
この事は、自衛隊派遣に如何影響するか、或いはしないか。如何でしょう。航空自衛隊は既にイラク復興特別措置法に基づく自衛隊派遣が決定した場合に備え、派遣要員二百数十人を指定し、津曲義光航空幕僚長名で人事発令を通知しているそうです。

宇宙航空研究開発機構(JAXA)が29日種子島宇宙センターから、政府の情報収集衛星(IGS)2基を搭載して打ち上げた主力ロケットH2A6号機は打ち上げから10分53秒後に自動爆破しました。所謂「偵察衛星」は初手からつまずき、北朝鮮監視も、気象衛星もピンチの情勢に立ち至りました。
我が国の技術は他国に引けをとらない優れものと思っていましたが、真に残念な事です。

政府は昨夜、金融危機対応会議を開いて、足利銀行の一時国有化を決めました。

何か今日は休日にも関わらず、大きな事件、ニュースが相次いで、小生も考えが纏らず、いつも言いたくなる、イヤミやヒニクも出てきません。

カタールのアルジャジーラ放送が伝えたオサマ・ビンラディンの声明、アルカイダを名乗る組織がアラビア語週刊誌、新聞に載せた脅迫文章の事もあり、イラク元大統領フセインの残党も、更に一般イラク人の中にも芽生えてきている米英の占領政策への不満等など考えると、この戦争(ブッシュさんは終結したと言っていますが)益々根深く広がっていくように思えてなりません。
泥沼の中へ我が国は足を突っ込まないよう、くれぐれもたのんまっせ。

関連記事 亡くなられた奥克彦・在英大使館参事官(45)のイラク便り
 外務省のホームページ連載「イラク便り」



2003.11.29  不快な不招請勧誘を禁止しょう!!

昨日は、小生例月の受診のためメールを送信できませんでした。
耳鼻科(喉頭がん)の診察の後、散髪屋で調髪して昼食、午後1時に内科(循環器)と要領よく廻って比較的早く終わりました。通院暦13年にもなると、替わって行く医者も次第に若くなり、看護婦も知った顔が多くなって、病院が馴染みの場所になって来ました。

一昨日の夕刊(毎日)に僅かな紙面ですが、『“あつもの≠ノ懲りた?』『ロバ受難』としてイラクの首都バグダッドでロバが引く荷車から、ホテルや石油省庁舎に向けて、ロケット弾が発射されて以来、バグダッドにいる全てのロバに疑惑の目が向けられ始めている。米兵はロバの荷台をチェック。ロバを”連行”されたロバ所有者は「なぜこんな扱いを受けるのか」と嘆いていると言うのです。こんな小さな記事ですが、イラクの民衆が、必ずしも米軍に好感を持たない由縁があるように思えます。
因みに、「あつものにこりてあえものをふく」と謂う言葉ですが、一度しくじって、二度目から用心をしすぎることで、熱い汁をすすってこれにこりごりし次からは用心しすぎて冷たいあえ物を見ても之をふいてさまそうとすることです。あえ物をなますに置き換える事もあります。

おなじ新聞に「訪問販売」「E-メール」「ワン切り」「押し貸し」など、「不招請勧誘」を禁止する取り組みに、近畿弁護士会連合会が乗りだす事になったと出ていました。これは小生大賛成です。
「こちらから頼みもしないのにやってくる勧誘」、特に、家内が食事の支度をしている時に、インターホンが鳴る、電話が鳴る、やはり大切な来客、電話であってはいけないと、煮物中ガスを消して受話器を外すと、株やであったり屋根やであったり、塗装やであったり、特にシツコイのは新聞の拡販員。天ぷらを揚げているときなどは、全くの腹立ちもので、ブッシュ大統領はバクダッドを電撃的に訪問(asahi.com)家内はプンプン怒っています。炊事中に慌てて手を拭き受話器をとるものですから、インターホンの受話器も電話の受話器も汚れている事があり、小生も不愉快です。
前記、近弁連は昨日禁止の立法化を求める決議している筈で、国会へ働き掛けるようです。

アメリカのブッシュ大統領、隠密裏にバグダットに飛び、士気昂揚を図る。我が国が自衛隊派遣すれば、小泉首相もイラクに飛ぶか?。

阪神タイガース、伊良部・アリアス残留は伝えましたが、昨日の情報ではムーアが球団を離れるそうですね。残念ですね。

今日は冷たい雨の一日になりました。正午を過ぎて少々冷え込みも感じられます。

2003.11.27  イラクの情勢はますます悪化のようすです

今日、天気は曇りと予報されていましたが、雲は多いものの空は明るく日も差しています。ただ、風があって寒く、少々着るものを重ねる事になりました。小生、年とともに寒がりになりました。

25日にコイヘルペスの事を話していましたが、とうとう、奈良でも感染の記事が新聞に載りました。奈良県は26日、同県三宅町のため池で飼育している観賞用のニシキゴイが、コイヘルペスウイルス病(KHV)に感染していたと発表したそうです。これは大和郡山市の業者が飼育するものですが、金魚とともにニシキゴイ飼育も同市の主要な産業の一つですから大変です。農林水産省のよると、26日現在20都府県でコイヘルペスが見つかっているそうです。まだまだ、この病気は広がりそうですね。
寒くなって、人間社会でも重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルスによる、所謂、サースの流行が心配されていますが、何故、何所からこんな物騒なウイルスがやって来たのでしょうね。この冬はまだサースの話は聞きませんが、無難に過ぎれば良いがなと願っています。

イラク情勢は益々悪く、26日には、バグダットのイタリヤ大使館で爆発が起きています。迫撃砲かロケット弾による攻撃と見られ、反米英勢力が攻撃したものと思われます。
また、イラク北部モスルの中心部で26日、駐留米軍と群衆とが衝突して銃撃戦があったようです。12才の少年が死亡し、市民4人が重傷を負い米兵にも2人の負傷者が出たと言います。
モスル市内では23日にも、米兵2人が首を切られた上、コンクリートブロックを叩きつけられて、遺体を損壊する事件があったばかりです。

こんな状況の中、昨日は参議院の予算委員会が開かれていました。小泉内閣の態度は、情勢を見ながら自衛隊派遣をする姿勢を崩してはいません。派遣の時期も年内、年明けは明らかにしていません。いずれにしても、派遣については重大な決意が必要でしょう。何人かの犠牲者が出る事は覚悟しなければいけないでしょう。
もし、そのような事態が生じた時、平和ボケした日本人はどのような行動をとるでしょうか。
NHKは紅白歌合戦のメンバーを発表しました。小生の知らない顔が殆どです。中にはナンデと思うのもあります。日本は平和です。

プロ野球、阪神タイガースの伊良部は残留しました。アリアスも残留の方向です。来年もタイガースで騒ぎたいものですね。

風が次第に強くなってきました。風邪などひかぬようお互い健康に留意しましょう。

2003.1126  「青山四方にめぐれる国」 …正倉院展

 
今日は久しぶりに、朝からスッキリした天気になりました。気温も平年並みで、家庭では格好の洗濯日和、郊外では素敵な行楽日和です。
小生も、脚腰がモウ少ししっかりしておれば、杖をついてでも奈良公園へ出かけたい気分です。

昨日国会では予算委員会が開かれて、与野党ここを先途と、必死の(それ程でもなかったけど)攻防を展開していました。その詳細は新聞に載せていますので、省略します。

奈良公園のことを言いましたが、奈良国立博物館では毎年正倉院展が開かれています。昭和21年(1946)に、奈良帝室博物館で開かれたのが最初ですが、その流れは古く、明治8年(1875)春に遡ります。

第一次博覧会大会は東大寺大仏殿で、東西の両回廊に、社寺や旧家の書画・道具類、県内の名産品が陳列されて開かれました。
この際大仏殿内には宮内省の許可を得て正倉院宝物を展示しました。
正倉院は管理が厳重で、天皇の許しがないと扉を開ける事の出来ない勅封の蔵でしたので、それまで、一般の人の目に宝物が触れる機会は全くなかったのです。
奈良博覧会大会に正倉院の宝物が展示され、公開されたことは、正に史上初の画期的な出来事でした。大会に訪れた人々は、遠くシルクロードを通って運ばれてきたペルシャ、インド、中国、朝鮮の品々に触れて新鮮な感動を受けた事でしょう。
正倉院宝物の出展はしばらく続きましたが、その後再び一般の人の目から遠ざかりましたが、前記奈良国立博物館で改めて、正倉院展として一般に公開され、今に続きます。
【この項奈良県発行の「青山四方にめぐれる国」を参考にしました】

小生も大和郡山市に移ってきた当時は、毎年家内と一緒に拝観に行ったものです。しかし、三年もすると、みんな同じようなものに見えてきて、いつか行かなくなりました。休日など沢山の人で大変です。それも煩わしく行かなくなった理由です。
大体は、おばさん連中が多いようですね。おばさんは何によらず追っかけが好きです。皇室、俳優、タレント何でもそれ行けドンドンですね。展示宝物を見て何が判るのですかねェ。

イラクの事も、国会の事も忘れて今日は正倉院展の流れを見ました。
では。

2003.11.25   豊臣家を滅ぼした?ドジョウ鍋

昨日は夜明け前から、急に冷え込みが強くなり、今まで暖かかっただけに寒さへの対応が出来ておらず、図らずも体調を崩しました。
崩したと言ってもそれほどのことではなく、夕刻には通常に戻っていました。今朝はすっかり元気を取り戻しています。

前にも書きましたが、鯉ヘルペス騒ぎは益々大きくなっているようです。新潟県では養殖業者の錦鯉が大量死していたようですね。新潟と錦鯉といえば、ピンと思い出すのが、田中角栄さん。当時でも1匹200万だとか言っていた鯉に餌をやる彼の写真を思い出しますね。
今、彼が生きていればこの事態になんと言うでしょう。

既に、これまで岡山県など4府県でコイヘルペスウイルス病(KHV)の被害が報告されているそうです。
奈良県大和郡山市は金魚で有名ですが、錦鯉も養殖している業者があります。

先日泥鰌(どじょう)の事を書きかけて止めました。今日は続けて書きましょう。泥鰌は「鰌」一字でも「どじょう」と読みます。全長約15cm、体は長く円柱状。口は下面にあって、周りに5対の口ひげがあります。
背部は暗緑色で、腹部は白く、尾びれは丸い形です。淡水の泥の中に住み、夜出て餌を探します。
昔から人には馴染まれていて、子供の歌う童謡にも再々登場します。下に垂れた「ひげ」を生やした人を「ドジョウひげ」のオッサンとからかったものでした。

ドジョウは、ベトナム、台湾、中国、朝鮮半島、そして日本などアジアの水田地帯に広く分布しています。南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは、握り飯の副食にドジョウを捕まえて、ドジョウ汁を愛好しながら戦い抜いたのでしょう。ベトナムの水田は、ドジョウの豊庫だったのです。
そのドジョウは、必須アミノ酸のうち、特にリジンを多く含んでいます。
米の蛋白はリジンに乏しい。つまり、ご飯とドジョウを食べればカロリーは満点、蛋白質も満点、スタミナ満点ということになりますね。

湿地帯が広がっていた関東の武士どもは古くからドジョウを愛好していましたから、大阪夏の陣では、その関東武士たちは南ベトナム解放民族戦線の兵士同様にドジョウをおかずに愛用してスタミナは充分。
豊臣方の蛋白源はせいぜいが塩イワシか糠イワシくらいなもの。スタミナの点ではドジョウを食べた徳川方に及ぶべくも無かったわけです。
徳川300年の功労者はドジョウであると言えませんかねェ。

一般に好まれるのは、柳川鍋ですが、俳句の「季」では、夏のものです。栄養価の高さから、土用牛の「うなぎ」などと同じように食されたのでしょうね。泥鰌なべ
柳川鍋は開いたドジョウと、笹掻きにした牛蒡を、浅鍋で甘辛く煮て卵でとじた料理です。丸のままのドジョウを笹掻き牛蒡など入れて味噌汁にしたものはドジョウ汁と呼ばれます。

イラクの情勢は、かってのベトナムの様になって来ましたね。アメリカは兵を削減しても引き上げないと言っています。引き上げない限り、テロは続くでしょう。しかも、テロはアメリカに組するものはすべて敵とみなしてテロの標的にするでしょう。日本の自衛隊イラク派遣は何名かの犠牲を覚悟しなければなりません。今の日本人にそれだけの覚悟が出来るか。
小生は疑問に思います。

大正10年の今日の新聞(毎日)。【畏くも聖上には絶對御静養を必要とせらるゝ結果、今回の儀を御治定に相成った】として【東宮殿下摂政。皇族会議で御決定の上、大詔煥発】された。
昔は難しい字を使い、面倒な言い回しをしたものですね。

今日はこれで失礼。今、正午を少し廻りました。空は雲っていますが、次第に明るくなってきました。

2003.11.24   西日本にも寒さがやって来ました

今年、西日本は暖かい日が続いて、暖冬かなと思っていたら、今朝方は寒さで目を覚ます事になりました。東日本は早くから寒さが厳しくなっていましたが、やはり自然は公平なものです。今日は正午を過ぎた今、14度しか寒暖計は上がっていません。小生朝から慌ててセーターやチョッキを重ね着してストーブの前を動けません。
家内が町内の「万年青年クラブ」(万青)とやらの会合に出かけていて、先ほど帰ってきましたので、それを機会に二階へ上がり、暖房をつけてパソコンに向かいました。小生はこの万青なるものには全く興味がありません。
町内の年寄りばかりが集まって…考えただけでも不気味です。

アフガニスタンの首都カブールで米軍のヘリコプターが墜落して、米兵5人が死亡、7人が負傷したそうです。原因は不詳のようですが、この時期ですから、又かと云う気持ちになります。

イラクへの自衛隊派遣は、現地の治安悪化で陸上部隊展開は困難と、空・海自衛隊の先行派遣が論議に上がってきているようですね。

一体全体、どうなってんのと、小生わけが判らなくなるイラク情勢ですね。
しかも町へ出るとみんな無頓着に、日本は平和ですねと云う顔で自衛隊イラク派遣の事など何所吹く風といった様子です。
東京がテロにやられる等とは考えてもいない様子です。日本はあり難いですね。

寒く、小雨模様の午後詰まらない事を考えています。寒くてもパッと晴れていれば良いのですがね。
今日は気が乗りません。また、明日メールします。


2003.11.23  あれから40年、ケネディ米大統領暗殺

ここ奈良北部は綺麗な空で夜が明けました。放射冷却で冷える朝です。
まことに、平和な感じのする周辺の風情です。

しかし、イラクは如何なんでしょう。テロによる爆破が相次ぎ、それが、国際的テロ集団の仕業にしても、何で、それを排除できないのでしょう。
イラクの国民は立ち上がれないのでしょうか。民衆の顔が全く見えていません。全国民がアルカイダと謂うわけでもないでしょう。イラクの民主化を願うなら、自身で立ち上がってアルカイダと闘うことが出来ないのでしょうか。
また、バグダットで民間貨物機がミサイル攻撃を受けて、緊急着陸しています。この状態では自衛隊派遣よりも、その輸送機使用そのものを、検討しなおさなくてはならないでしょう。老婆心ながら。心配しています。

今日は11月23日(日)ですが、40年前の今日は土曜日でした。土曜日は半ドンでしたが、「勤労感謝の日」で休みですから、前日業務終了(午後4時)とともに、営業所を飛び出して大阪難波へ向かいました。当時、小生は和歌山営業所で勤務。そして最も仲の良かった佐藤充兄が十三営業々長をしていて、時々、難波で落ち合って南や北を飲み歩きました。
この日も結構飲んで、南海電車の終電車に乗り遅れ、佐藤兄のお宅にご厄介になりました。
翌朝、即ち、今朝佐藤兄が、「えらい事が起きてるで」と離れで寝ていた小生を起しにきました。「いま、ケネディ大統領が撃たれたテレビ中継があった」と言うのでした。
この日は日米間の衛星テレビ中継の実験放送で、ケネディ大統領が、テキサス州ダラス市をオープンカーでパレードする模様を放映していたのですが、正にその時生々しく「鮮血のオープンカー『オー・ノー』抱き起こすジャクリーン婦人」の映像が日本へ伝えられました。
夕刊(毎日)には、大きく「ケネディ米大統領暗殺」「全世界に悲嘆の衝撃」と見出しを付けて…、
  【ジョン・F・ケネディ米35代大統領は米中央部標準時間22日正午
  (日本時間23日午前3時)過ぎ、テキサス州ダラス市をオープンカー
  で通行中、モーゼルライフル銃の狙撃を浴び、同日午後1時(日本
  時間23日午前4時)過ぎ、ダラスの市パークランド病院で死亡した。
  46才。61年1月、就任以来、米大統領として在任2年10ヶ月である】
と書いています。アメリカのみならず、世界の悲劇と言われるこの一瞬は,40年前の今日かく伝えられました。

ブッシュ大統領は、21日(日本22日)「その思いでは今も、我が国に誇りをもたらし、何年たっても喪失感は消えない」「重大な責務を喜んで受け入れ、人々に理想主義と義務の意識を呼び起こすのに天賦の才を持った人だった」「国家を高い目的に向かわせ、平静さと洞察力と勇気で米国の重大な危機を切り抜けた指導者だった」と声明を発表している。

【陰の声…ブッシュさん、アンサンハ、ドウデンネン。】 
本日ここまでです。


2003.11.22  中東情勢益々急、自衛隊の派遣も進退窮まるか

今朝は昨日と打って変わって、まだ、ちぎれ雲は残っているものの、空は青く高く、朝日に輝いていました。気温は少々下がって寒くなるようですが、気分の晴れる天気は、小生の体調に良い影響を与えてくれます。

しかし、心晴れないのは中東の情勢ですね。昨日はメールに書いたようにトルコ・イスタンプールでの同時爆破テロがありましたが、イラク・バグダットでも、石油省ビルと多くの欧米系メディアや企業の拠点のパレスチナホテルがロケット弾攻撃を受け、2人が負傷したという事です。イタリア大使館の近くでもロケット弾や発射装置を積んだ荷車が見つかったそうです。

これに対して、小泉首相は、21日昼、日本が標的になる可能性について、「テロは無差別だからね、可能性を言ったらきりが無い。テロに屈してはならない」と延べ、イラクへの自衛隊派遣は相変わらず、「よく状況を見極めて判断する」と何時もの繰り返しをしています。
勿論、これ以上のことは神ならぬ小泉さんには言えないでしょう。派遣しなければ国際的に顔が立たず、派遣して、それが、只の一人にしてもテロの犠牲になった時、マスコミは、市民団体は、特に女性の団体は、鬼の首を取ったかのように、嵩にかかって小泉内閣を責めるでしょう。小泉さんの心も揺れてる?事でしょう。

衆議院会派の民主党・無所属クラブに参加した田中真紀子前外相は、今特別国会で、衆院外務委員会に所属しました。彼女がかって「伏魔殿」と呼んだ外務省を早くも攻撃のターゲットとして川口順子外相や、以前対立した外務官僚を追及する構えなのでしょうか。
民主党はエールを送っているようですが、彼女に脱線発言だけはするなと言いたいですね。

先日来、鯉ヘルペスなる病気が、鯉の養殖場で沢山な鯉を死なせた話が伝えられ、既に、自然の川の中にも感染魚が見つかっているらしい。そして、鯉の養殖業者は大きな被害を受けていると騒がれていました。
鯉は洗いにして氷で冷えたのを酒の肴に戴くと真に上々。鯉濃も寒い日などには結構なものでした。鯉こく
小生の長男が生まれた時、家内の乳の出が悪かったのですが、小生の母親に「鯉を飼って来なさい」と言われて、(西宮の)公設市場へ行って鯉を買ってきました。母親はそれで鯉濃(こいこく)を作って家内に食べさせていました。
母乳の出が良くなるのだそうです。
当時は鮮魚店と川魚屋は別な業種でした。今では一般家庭では殆ど川魚など食べないようですね。泥鰌(ドジョウ)などは、最近は小生も見た事がありません。
泥鰌鍋などで一杯やるとこれからの季節風情が出るのですがね。
【鯉濃…鯉の濃漿(こくしょう)の意。即ち、鯉を筒切りにして煮込んだ赤味噌汁】

泥鰌鍋が豊臣家を滅ぼした?と謂う話もあります。
今度書きます。本日ここまで。

2003.11.21 トルコで、また、同時テロ。アルカイダ犯行声明

明け方まで降っていた小雨も、夜明けとともに上がって、曇ってはいるものの明るい空になりました。気温もそれほど寒いという事も無く二日振りにホッとしています。

昨日は又また、大きな報道がトルコから入ってきました。イスタンプールで20日午前11時(日本時間同日午後6時)ごろ、英国総領事館前と英銀行最大手HSBCトルコ本部前の2ヶ所で、ほぼ同時に爆発があったと云うのです。そして、総領事はじめ領事館の英国人職員やトルコ人らが少なくとも26人が死亡、450人以上が負傷したようです。
そして、「アルカイダ」と「イスラム大東方攻撃隊・戦線(IBDAーC)」を名乗る男が、地元通信社に犯行を認める電話を架けてきたと云います。ロンドンでのブッシュ大統領とブレア首相との首脳会談にタイミングを合わせた同時爆弾テロのようです。
今や、中東ではテロとかゲリラとか謂うのでは無く、一帯が戦争状態になっていると考えてもよい様な気がします。アメリカ軍もイラクでテロ組織絶滅のため、大掛かりな兵力を投入しています。局地的に戦闘が行われているか如何かより、戦争状態が続いていると考えた方が分かりよいのでは、と小生は思います。こんな情況の中、我が国の自衛隊派遣はどうなるのでしょうね。年内は無いにしても、年明けも事態は変らないと思うのですが。

昨日は、また、熊本県の潮谷義子・大阪府の太田房江・千葉県の堂本暁子・北海道の高橋はるみの4人の女性知事が福田官房長官を訪ね、国に「5つの改革」とやらを提言したそうです。「5つの改革」の内容は省略しますが、首相官邸で4女性知事に取り囲まれた、福田官房長官の、何かヤニ下がったような顔が印象に残りました…(asahi.comの写真で)。⇒

突然ですが、しとぎ(粢)と云う物をご存知ですか。小生は今日の日まで知りませんでした。フトした事から広辞苑をひいていて、この言葉が目に入りました。神前に供える餅の名で、米の粉を清水で捏ねて、長卵形にした物だそうです。普通人間が食べる澱粉は、ご飯にせよ、パンやビスケットにせよ、加熱してアルファ化した物が大半です。
小生の知ってる限りでは、トロロ汁も生澱粉です。トロロ汁はヤマノイモを擂って更に擂鉢で捏ねた物で、熱を加えていません。このように澱粉を生で食べるのは、しとぎ同様縄文人の食文化であったのではとも思えるのです。
なお、しとぎも後世は、もち米を蒸して、少し搗いて餅として、楕円形にして供えたそうです。

詰まらぬ事を書きました。空の雲は厚くなって来ています。正午を少し過ぎました。では、また、明日メールします。

2003.11.20   第二次小泉内閣が発足しました

今日も小雨が断続的に降っています。今ごろにしては珍しい長雨ですね。
関東では既に、木枯らし1号が吹いたと謂いますが、関西ではまだそのような風の日はありません。北の地方は寒さがやってきているようですが、こちらは寒い、冷たいと言っても、まだ、本格的な冬は感じられません。
この冬は「暖冬かな」などと言う人もいます。寒いよりは暖かいほうが楽ですが、やはり、冬は寒くないと、歳の瀬の気分にもなりませんし、お正月へ向けての期待も持てません。

昨日、衆参両院本会議で、小泉純一郎自民党総裁が第88代首相に指名され第二次小泉内閣が発足しました。保守新党が自民党に吸収されたので自民・公明二党の連立です。閣僚は前内閣と全く同じです。
イラク支援・道路公団改革・年金改革など難題山積の出舟です。小泉さんの覚悟は?。『いかに、強風吹き巻くも、いかに、怒涛は逆巻くも』の精神でしょうか。民主党・無所属会派には「ニュー真紀子」も待ってますよ。

アメリカのブッシュ大統領はイギリスを訪問して、さかんにイラク戦争の正当性を強調しています。しかし、イギリス国内でもイラク戦争に反対する勢力は多いようです。当然ながら、我が国よりその声は強いようですね。

話は変りますが、最近のテレビ番組は、ニュース性、時事性のある番組以外の所謂、娯楽番組は、全く面白くありません。若い芸人どもが、がぁがぁ騒いで、早口で、下品で、喧しいだけです。また、料理番組も大概胸に痞えて食欲を減退させます。
いっそ、西部劇か、チャンバラなどが時間つぶしに適しています。西部劇は最近あまり放映していません。チャンバラ物は此処では、京都テレビが良くやっていますので、つい、チャンネルを回して、家内の顰蹙を買います。

バッタバッタと主役の侍が悪人どもを倒していくのは小気味の良いものです。
もっとも、実際の斬り合いはそんなに格好良いものでは無かったと云います。侍同士の斬り合いは、互いにかなりの距離をおいて刀を構えて向かい合い、そのまま数時間にも及ぶというのも珍しくは無かったそうです。こうして刀の先で少しずつ、相手の皮膚を斬り、肉を斬り、出血多量と心神疲労とで、一方が倒れたときは、片方もヘトヘトの有様であったといいます。
荒木又右衛門で有名な鍵屋の辻の決闘でも、渡辺数馬と河合又五郎の斬り合いは三時間余にも及び、数馬は深手浅傷13ヶ所を負っていたと言います。
桜田門外の変では、『鍔と鍔とを接し合う形から相手が倒れた』との目撃談があるそうで、この様なときは激しく鍔迫り合いの形になるのでしょう。

与党と野党も今度は、鍔迫り合いで、真剣に国政を論じて欲しいものですね。

2003.11.19  ニュー真紀子さん、民主党と会派くむ

こんにちは、今日は曇っていて細かい雨が時々降っています。メールを送るのが遅くなりました。
実は二階の小生の部屋のエアーコンが、不調になって新規に購入するため、娘を呼んで、娘の車で電気店へ行ってきました。それで、メールも遅れたと言うわけです。不調になったエアーコンは18年前、この家が出来たときの物で、冬加湿器を使っていたのがわざわいして、室内機の中の金属部分が腐食したのか、錆びた物が吹き出てくるようになったのです。作動はしますし、温度も上がりますが、中の様子が素人には分かりませんので、いっそ替えようと注文してきました。

その娘のことですが、ネコが大好きで、今、三匹飼ってます。一匹は以前から居て随分大きく、年をとってドタッとした感じです。一匹は半年ほど前に貰ってきた中ネコです。その後、大学院生の孫娘が子ネコを拾ってきて可哀想だから言ってと飼っています。
小生はネコが大嫌いです。尤も、ネコも小生をあまり好まないようです。
小生前世でネコと何か争い事があったのでしょうか。

ネコの先祖は、エジプトの野生ネコであるリビアネコだと言う事です。紀元前2494〜2345年のエジプト第五王朝時代の遺物の中に、首輪をつけたネコの絵があり、これが飼いネコの最も古い記録だそうです。
中国でも紀元前180〜157年の前漢の文帝の頃は、まだいなかったようで、この時代に書物がネズミに齧られて処置なしという記録があるそうです。

仏教の普及による仏典の伝来と共にインドからネコも入ってきたそうです。
仏典をネズミの害から守るために移入されたもので、中国では後漢の明帝時代以後、また、日本では仏教の正式伝来の552年以降にネコは入って来たとされています。
『古事記』『日本書紀』『万葉集』などには、ネコは登場していません。最も古い文献は、奈良時代の仏教説話集『日本霊異記』だそうです。
ネコは家畜の中でも一番野性的性格を残している動物で、これは家畜化の歴史が浅いこと、他の家畜と比べ、管理が緩やかなためだと言われています。兎に角、小生猫は嫌いです。

田中真紀子さん、民主党とタッグして、国会での会派は「民主党・無所属」となりました。ニュー真紀子VS純一郎のリベンジ劇、チョッと興味が沸きますね。

2003.11.18  我が国の自衛隊イラク派遣はどうするの

この時期は、毎日「この冬一番の」と断って、その朝の冷え込みを言うことになりますが、今日は全くその通りで、此処では日の出前の気温は3.5℃でした。日が昇ってもなかなか気温は上がりません。それでも日中は暖かくなるそうですから、しばらく辛抱しています。今、10時30分です。

昨日、少し触れましたが、我が国がイラクへ自衛隊を派遣する事に関わって国際テロ組織アルカイダがロンドン発行のサウジアラビア週刊誌「アルマジャラ」に電子メールで『日本が自衛隊をイラクに派遣すれば東京の中心部を攻撃する』と警告しました。また、アラビア語紙「アルクッズ・アルアラビ」はアルカイダ傘下の組織から日本も攻撃の標的となる事を警告する旨の電子メールを受け取ったと云います。
また、アラブ首長国連邦・ドバイのアラビア語衛星テレビ「アル・アラビーヤ」の流した、フセイン元イラク大統領の肉声らしいテープは、徹底抗戦を呼びかけ『占領者はこの国を離れる意外に道はない』と言っています。

これを受けて日本の反自民勢力や、マスコミはいち早く反応して、自民党の自衛隊イラク派遣計画を、あれこれ、ではなく真っ向から批判、反対の態度をあらわにしています。福田官房長官の発言も微妙に振れています。
小泉首相は、いつもの、おとぼけで本音を出していませんが、対アメリカの事もあり、国民感情の事も考えて、今や、複雑に悩んでいるのでしょう。野党やマスコミの言うように「行かなければ良い」、と言うように簡単に割り切れないでしょう。

ラムズフェルド米国防長官は昨日、韓国の盧武鉉大統領、゙永吉国防相と個別に会談し、イラクへの韓国軍追加派兵や在韓米軍の再配置について協議していますが、イラク追加派兵については調整がついていないらしいですね。
韓国は日本と違い法規制が無いから、派兵についてはアメリカの言い分に抵抗するのは大変だろうと同情しています。

先日来、日新火災のテレビコマーシャルが見られます。昔、小生が大阪支店へ入社した頃、若い社員が何故もっと宣伝しないのかと、言った事がありました。そのとき、市内課の課長をしていた人(福寿火災系)が「お前たちには名刺を刷ってやってある。その名刺で宣伝して歩け」と言いました。その頃○動火災などは新聞の[題字下]へ毎日、社名を載せていました。小生が営業へ出て銀行の紹介で契約をしに行ったとき、よく言われたのが、「日新知らんなぁ、○動ならよく聞くけどなぁ」。宣伝とはそんなものですね。
随分、時代は変りました。約50年前のことでした。小生が心筋梗塞で、代理店を辞めてからでも、既に13年が経ちました。
月日の経つのは早いものです。

2003.11.17  「センダン」は双葉よりかんばしくなかった

今朝は気温が8.5℃でしたが、気温よりも強く冷えと寒さを感じました。
この時期になると、大地そのものが冷えてくるから、同じ気温でも体感的にはより寒く思うのでしょうね。
常緑樹も色が黒ずんで見え、紅葉した木の葉も次第に散って、秋のつもりでいるうちに、いつの間にか冬の動きは始まっている。そんな気分の朝でした。

そんな朝、床の中で、フット昔の事が思い出されてくる事があります。
普段思い出しもしなかったのに昔のある情景が鮮やかに浮かび上がってくるのです。こんなのは、年をとった証拠でしょうか。痴呆の始まりは昔の事を矢鱈と思い出すと言いますが、自分で心配しています。

小生の育った家(戦災で何一つ残さず焼けました)の裏に大きな栴檀(せんだん)の木がありました。小学生の頃よくその木に登って遊びました。そんな時、母親や祖母が「欣ちゃん危ない!降りてきなさい」と叱りにきたものです。思い浮かぶ場面は前後が無く、それだけなのですが、何故こんな場面が突然思い出されるのでしょうね。人間の頭は不思議なものです。

『センダンは双葉よりかんばし』と謂いますが、この木は何の匂いもなく、実が落ちて芽が出ても、その双葉は別に香気などありませんでした。
高さ5メートルくらいあって、5〜6月ごろ淡紫色の小さな花が集まって咲きました。センダンの中でもインド産のインドセンダンは、その花に香気があるそうですが、前記の諺はビャクタン(白壇)と取り違えたもののようです。ビャクタンはインドネシア原産で香料植物として栽培されています。芯材は帯黄白色で香気が強いものです。日本へは古くから渡来して薫物(たきもの)としたり、また、仏像・器具などに使っていました。
昔、着物を着たご婦人が傍を通ると、フッといい匂いがしたものでした。
「タンス」の匂いですね。「タンス」に香袋を入れてあるのでしょう。最近は洋服で、香水を使っていますが、香の匂いには適いませんね。
今朝、寝起きに頭をよぎった思い出から話が長くなりました。

イラク情勢いよいよ悪く、アルカイダの日本も含めた警告やアル・アラビヤの流したフセインの不気味な警告に、日本国内の世論はどんな反応を示すか、小泉さんも頭が痛いでしょうね。

高橋尚子のマラソン生命も峠を越えたか。昨日の東京女子マラソンでは、チョッと自信過剰になっていたのか、初めから飛ばしすぎたように小生には感じられました。
一度「ケチ」が付くと後は崩れ易いものです。それでも頑張って!。

東京に「木枯らし1号」が吹いたそうです。健康にご注意ください。

2003.11.16 昨日は七五三でした。また、武蔵丸は引退しました

夜中に降った雨も夜明けには上がって、雲は次第にちぎれて日が差し始めました。寒さも平年並みと云うところでしょうか。表の電線に小鳥が幾つかとまっています。渡り鳥でしょう。

アメリカのウォルフォウィッツ国防副長官は、13日、イラク派遣、日本は期待できないと述べ、「日本は、軍に関することになると何であれ、非常にためらいがちな態度を依然としてとっている」とも語っています。
ラムズフェルド国防長官は、昨日、日本が「何をやるべきなのか、私は言わない。それぞれの国に違った歴史、憲法があり、属する世界も異なる。それは理解し、尊重する」と言っています。日本は下駄を預けられた形ですね。
小泉さん、自衛隊の派遣、いつにしますかね。年内?。もぅチョト様子見る。

武蔵丸、昨日は土佐ノ海に「ひっかけ」られて、ヨタヨタと土俵をわって、遂に引退を決意しました。小生、この場所始から足もと危ないなァと心配していた通り、遂に土俵をおりる事になりました。長い間、日本の相撲を支えてくれて有り難うと言ってやりたいです。

昨日夕方にテレビが「七五三」の事を伝えていました。小生それで、あゝそうだったかと、思い出しました。最近は新聞にもあまり載らなくなりましたので、普段はすっかり忘れていました。
11月15日は「七五三」の祝い日でした。男子は三歳・五歳、女子は三歳・七歳にあたるものが祝う神事で、当日は美々しく飾り着せられて、氏神に詣で、又、親戚を回礼しました。女の子は振り袖を男の子は袴を穿いたものです。
本来のしきたりは、次のような儀式があるのです。
@女子七歳は、之までの着物の附紐を除いて初めて帯をさせました。これを 「帯解」とか「紐解」といいました。
A男子五歳は、初めて袴を穿かせます。親以外に袴の親というのを頼み、麻 裃(かみしも)を着せ、袴を穿かせるのです。これを「袴著(着)」といいました。
B更に、男女三歳までは青坊主に剃っておりましたが、三歳になって初めて 髪を伸ばしました。この日、長寿を願う心から麻で作った白髪の鬘を冠らせました。これを「髪置」といいました。

昔は、子供の成長、長寿を願って色いろ厄介な事をしていたのですね。今でも、一部の人は子供を連れてお宮さんへお参りしているようですが、次第に廃れて、神社や百貨店・呉服屋あたりが、商売上呼びかけているようです。
しかし、都市化と共に氏神さんも忘れられて、都市部では子供を着飾らせて歩く姿もあまり見ないようです。小生も氏神さんは知りません。西宮生まれですから恵比寿さんを「産土神」とは認識しています。さて、今、住まうこの地(平城ニュータウン)の氏神・産土神さんは何所でしょう。小生には判りません。

このように、子供の成長を真剣に願っていれば、学級崩壊なんて起こりようが無いのでしょうがね。
世の親達に言いたい。矢鱈、拝金主義にとらわれず、子供をもっと丁寧に育てゝ上げなさい。育児中はパートなど止めなさい。託児所などへ預けなさんな。
チョッと言いすぎかな。ご免なさい。それでは、また、あした。

2003.11.15  イラクへの自衛隊派遣はいつになる、年内無理か?

今日は雲が空に広がって、寒々と感じる初冬の気分です。辺りは静かで子供の声一つ聞こえません。もっとも、この辺は子供自体が少なく、老人ばかりが目に付く町内になっています。土地の使用、収益開始から18年経った今、子供達は出て行き、盆・暮に孫たちを連れてやってくる、そんな世帯が大半を占めています。昔は30年を一世代と考えていましたが、家族の核化は20年くらいで、世の中を変えていきます。
都市生活をしていると、住宅、住まいは一世代もので、一種の流通商品のようなものですね。この辺では次々と売り家が出ています。年寄りが自用を足すに不安を感じると、子供たちの世帯に引き取られていきます。

政治の社会でも同じでしょう。今度の選挙で随分世代の若返りが実現しました。一人だけ85歳のお年寄りがガタガタ粘っていましたが、結局は引導を渡され諦めました。選挙区から出た人は兎に角、全般に世代交代出来て良かったと思っています。

保守新党は解体、自民党に吸収されました。社民党は惨敗し今日の両院議員総会、全国代表者会議で福島瑞穂幹事長が党首と決められ、新執行部で発足する予定です。
民主党に合流すべしとする者もあるようですが、民主党は受け入れてはいけません。民主党にはマイナスになります。

昨日はアメリカのラムズフェルド国防長官がきました。イラク支援について、小泉首相と会談しましたが、小泉首相は自衛隊のイラク派遣の時期に触れなかったそうです。極最近のイラク情勢は真に危険です。もし、自衛隊員に人的被害が出ると、小泉内閣はたちどころに倒されるでしょう。小泉さんもそれは知ってます。いま、一番悩んでいるのは彼でしょう。辛いでしょうね。

武蔵丸、琴光喜を(危なげなく)寄り切って星を五分にしました。危なげなくとは新聞に書いているのですが、小生の見ていた限りでは、寄り切った後の足もとは何となくフワフワしてました。さて、今日は四勝二敗の土佐の海との対戦です。
何故、武蔵丸にこだわるかですって、それは彼がこの場所、引退まで行くかどうか興味を持っているからです。別に賭けてはいません、念のため。

昨夜、魚の水炊きをしましたが、まだ、野菜(白菜・菊菜)が美味くないですね。
ビニール栽培されたものではなく、霜のかかった露地ものが出るようになるとやわらかくて美味い野菜が楽しめるのですがね。モウチョッとですね。

今日も昼になりました。これで終わります。

2003.11.14    武蔵丸二勝三敗、社民党首辞任、
               いずれもどうなる、どうする?

今朝は冷えました。拙宅の二階北側で5℃になっていました。今季最低でした。天気が良いので放射冷却によるものでしょう。
日が昇るにつれて、穏やかな晩秋の空になり、気温も少し上がりました。

昨日、メールを送ってから昼食を食べに階下へおりると、テレビに大きく社民党の土井たか子党首のやつれ顔が映っていました。時折上ずった声で「党首辞任」の記者会見でした。現実に目を叛け、「護憲・々々」「憲法9条」しかなかった、脳が単細胞のたか子さんも遂に、北朝鮮関連・拉致問題、さらには、辻本元議員の逮捕・辞任事件で世論を失い、「やるっきゃない」が「やめるっきゃない」に替わりました。
やはり、「だめなものは、だめ」と云う事ですか。今後の事はいろいろ取りざたされて、民主党が取り込むような噂も流れましたが、民主党は組織上いろいろな事情を抱えているのに、それはあるまいと思っていました。
結局は福島瑞穂幹事長(45)を党首に再建を図るようですね。しかし、いずれにしてもこの党の将来は危ないものでしょう。

武蔵丸は昨日、玉の島に突き落とされて、土俵に這いました。やはり腰や脚に張りが無く、重い上体で押して行くのは良いけれど、一寸かわされて突き落とされると這い蹲ることになりますね。武蔵川親方は最後まで取らせると言っています。

昨日報道された、イラク南部ナシリヤでの、イタリヤ軍警察本部を狙った、自爆テロ事件を受け、福田康夫官房長官の自衛隊派遣の時期に関わる発言は微妙に違ってきているように思えます。

日本道路公団の総裁に近藤剛(62)参議院議員が内定されました。藤井治芳前総裁はテレビのインタビューで、タバコをくわえながら、鼻であざ笑ったような話をしていたのが印象的でした。確かに彼の神経は異常ですね。小生には、そう思えました。

今日は寒いので、夕食は鍋物にしょうと家内に頼みました。適当なさかながあれば買ってくるでしょう。魚ちりです。
「ちり」と言うのは鍋料理の総称で、魚介・豆腐・野菜などを鍋に入れて水または昆布だしで煮て、ポン酢醤油などをつけて食べるものです。
入れるモノによって、いろいろと呼び方を変えています。
元々は、漁師が魚を取ってきて、その獲物に手近な野菜や豆腐を入れ、大きな鍋で水炊きして、寒中など暖を取り腹を肥やした素朴な食べ物だったのでしょう。ふぐは格別に好まれて、ふぐ毒にあたるかもしれないので、鉄砲に擬えて、てっぽう鍋、そして、てっちりと呼ばれた事はご存知のことです。
先日お話した「ちゃんこ鍋」と同じように、やがて座敷料理に出世していきます。「てっちり」などは出世してから出てきたものだと思います。
「ぼたん鍋」は猟師が山で、猪を射止めて山で、或いは村でみんなで鍋を囲んで食べたものでしょう。すべて野外料理であったわけです。今はチャンとした料理屋でも、座敷で「なべ料理」を食べさせています。
美味いものは社会的に身分の低かった人たちが食べていました。それを座敷に引き上げて、色んな食材を加えて値段の高い料理に仕立てたものです。

昔、身分の高いと云われた人たちは、あまり美味いものは食っていなかったのではと思います。「目黒のサンマ」など面白い話ですね。
「目黒のサンマ」、ご存知ありませんか。簡単に話しましょう。
[ある殿様が鷹狩りの途中、目黒の農家で供せられたサンマの美味が忘れられず、後日家臣に所望したところ、蒸して脂を抜いたりしたため、すこぶるまずく、殿様は「サンマは目黒にかぎる」といった話…コレハ落語デス]

今日も正午になりました。ここらで失礼しましょう。では。

2003.11.13  寒くなってきました、救急車のサイレンが多くなります

今朝は雲の多い空で夜が明けました。そして今冬一番の冷え込みでした。
寒くなる、冷えるは年寄りには嫌なものですね。

拙宅は三ッの街区を隔てて、ニュータウン内の幹線道路が走っています。
だから、救急車の「ピーポ、ピーポ」というサイレンは良く聞こえます。これからが旬になります。「旬」と云うのも可笑しな話ですが、循環器系の急患はこれからの時季増えるようですね。

小生が心筋梗塞で救命救急センターへ運び込まれたのも、12月19日でした。救急車は走っている姿はスマート?ですが、乗っているのは必ずしも快適ではありません。
路面の状態にもよりますが、ガタガタ、グラグラとよく揺れます。急患を運ぶ署員は必死で走ってくれます。有難いことですが、そう、再々乗せて貰いたい「クルマ」ではありません。小生、四回程お世話になってます。

しかし、救急車を呼ぶほどの情況でもなく、さりとて、タクシーでは急に異常が起きたときは心もと無く、つい、救急車に来てもらったことがあります。
そのとき、隊員が、安易に救急車を呼んだと随分、小生の家内に苦情を言った事がありました。その時は兎に角、病院まで運んでくれましたが、家内は腹に据えかねると、後日市の消防本部へ電話して大いに抗議をしました。
本部の意向では遠慮なく使ってくださいと言うことでした。

今朝の新聞やテレビで、「ニセ救急車で荒稼ぎ」として、新車の普通ワゴン車を約400万円かけて改造し、器具も積み込んで患者搬送を行っていた、自称民間救急業者が逮捕されたと伝えていましたが、救急車を呼ぶのも大げさ、さりとて、タクシーでは不安と云うときには便利でしょうね。但し、赤色灯を回転させたり、「ピーポ、ピーポ」と鳴らしてはいけません。信号無視は論外です。道路運送法違反(無許可経営)での逮捕でした。

武蔵丸は四日目、安美錦を押し出して、連敗を食い止めました。しかし、足もとフワフワで、ただ、大きな図体を相手に持たせかけて行くような感じの押し出しでした。本人は最後まで相撲を取ると元気な事を言ってます。

選挙のことも落ち着いてきました。これから問題が大きく、騒がしくなるのは、イラク情勢とイラクへの自衛隊派遣の問題でしょう。
イラクでは、連日アメリカ軍やその関連施設がテロに攻撃されています、ヘリコプターなども打ち落とされています。イタリヤ軍も攻撃されたと報じられています。そんな中へ我が国自衛隊を出すわけには行かないという勢力、戦闘地域へは出さない、とだけで逃げてる小泉さん。いよいよ、決着をつける時期が近づいてきました。どうなっていくのでしょうか。

昨日、夕刻にパソコンの接続が急に出来なくなりました。ラインはどこもさわってはいません。器械に異常もありません。本当に突然でした。
こんな時は困りますね。夜で業者も呼べず、結局、近くのパソコンに堪能な、あんちゃんにに来てもらって、深夜近くまでかかって復旧できました。
何がどうだったのかは小生には未だ判りません。パソコンは年寄りには厄介な物でもありますね。

2003.11.12  おれおれ詐欺の被害額15億超す

今朝は久しぶりに晴れて,この時季にしては暖かい穏やかな日和になりました。野山に出て晩秋の気分を満喫するのに絶好の天気です。

先ほど、”YOMIURI ON-LINE”を開いていると、「おれおれ詐欺の被害額15億越す」と云う見出しが目に付きました。ご存知の通り、孫などを装って高齢者らから現金をだまし取る「おれおれ詐欺」の被害発生に歯止めがかからないと言うのです。
警察庁によると、今年に入ってからの全国の被害は46都道府県に及び、9月末までの被害件数は2564件(うち未遂636件)、被害金額は約15億2850万円に達しているとありました。

小生にも孫はいます。しかし、いかに急き込んでも「おれおれ」などと電話してくる事は考えられません。「僕です」とも言わないでしょう。多分必ず「○男」ですと名前を名のるでしょう。また、そんな時「お父さんに、或いはお母さんに言いましたか?」と問いただすでしょう。いきなり真に受けて銀行へ走るお年寄りはどう謂う人なのでしょうか。余程のお金持ちなのでしょうね。世の中様々ですね。小生も直ぐ何万何十万と云うお金を送れる身になってみたいですね。
以前から、この手の話は騙す奴も、騙される奴も、小生大変不快に思っています。

武蔵丸三日目の昨日も、栃乃洋に寄り切られ黒星でした。大きな、いや、大きくなりすぎたあのお腹をダブダブさせて、ドタドタと動きも悪く、見てはおれなくなりました。早晩引退ですかね。

選挙が終わると出てくるのが、選挙がらみの逮捕者です。保守新党の元代表熊谷弘の元公設第1秘書日高辰也(41)ほか1名逮捕。選挙がらみではありませんが、政党がらみでも警察は動きにくいのでしょう、民主党三重県連事務局長岸田賢剛(48)も偽装結婚仲介の疑いで逮捕です。

今朝のABCテレビ8時からの放映で、緊急激論”政権選択”として、自民・公明・民主・共産の議員を集めていましたが、保守新党は既に無く、社民も誰も出ていませんでした。社民は呼んだのか、呼ばなかったのか知りませんが、これからの与野党の政治討論が淋しくなるなァと感じました。

社民党は、それどころではないのでしょう。土井党首は留任のようですが、責任論はくすぶるでしょう。一部に民主党との合流などと云う話も聞きますが、これは、民主党に言いたい、絶対に社民党を抱えてはいけませんよ。

あれこれ考えるこの頃です。何かパッと面白い事はありませんかね。
やがて、正午になります。少し雲が増えました。では、また。

2003.11.11   保守新党、ついに霧散。社民はどうする

今朝も明け方まで雨が降っていました。先週土曜日からぐずついた空は、四日経っても良くなりませんね。晩秋の霖雨、俳句の一つも作りますか。

さて、俳句どころでないのが政治の世界で、代表の熊谷弘さんが落選した保守新党は、己の脚では立ってはいけず、自民党に抱きかかえられる事になったようですね。
尤も、小生、保守新党なるものの事は良く知りませんでした。何の為に存在するのか、存在しているのか、自民党に出来た黒子(ほくろ)くらいに考えていました。元は新進党にあるのですね。自由党に出られ、行き所の無い者たちが細々と暮らしていたと云う政党だったようですね。
お陰で自民党は、「涙で別れた」加藤さんも取り込んで、単独で過半数になりました。

社民党は土井党首が比例区に回されて、さて、どう組織作りをしょうかなァと、今や思案投げ首の状態でしょう。

一方、相撲の方は、昨日、武蔵丸も朝青竜も仲良く、二日目にして両横綱黒星でした。
相撲と言えば、そろそろ寒くなって、「鍋料理などが宜しいなァ」と云うとき、「ちゃんこ鍋」を思いませんか。「ちゃんこ」に限らず鍋もので、チョッと一杯なんて良いじゃ無いですか。

ところで、「ちゃんこ」の語源は何なんでしょう。小生の雑学ノートで調べてみました。
昔、相撲部屋の料理人は年配の古参力士が勤めていたところから、その力士を”お父っつぁん”と言うような意味で、「ちゃん公」と呼び、「ちゃんこ鍋」の名が生まれたと云う話です。相撲協会の前身相撲会所は回向院(両国)表門近くにあったそうですが、年に二回の本場所をはさんで、全力士が本所界隈に揃ったときは、会所で炊き出しをして、関取衆のいる部屋に関取の人数分だけのご飯を配り、幕下の力士は会所へ食べに通ったと云います。
おかずは「唐辛子味噌」に、汁とたくあん程度と云う粗食ですが、何分大勢のため調理場は戦場のようだったそうです。
各部屋から出る当番が、頭の禿げたような古参力士で、つまり「ちゃん公」でした。別に関取のいる部屋には、魚や肉を調理する「ちゃん公」もいたそうです。

この鍋物を相撲料理に定着させたのは、”家庭的雰囲気は鍋料理に限る”と言う、第19代横綱・常陸山谷右衛門で、その出羽海部屋から順次各部屋に浸透して行ったと云います。相撲の鍋料理は今や押しも押されもしない鍋料理になっています。
食べ物は出世すると言うのは、小生の持論ですが、この事は、いずれいつかお話ししましょう。

正午を少しまわりました。空は少し明るくなったようです。天気の回復が待たれますね。では、また明日。

2003.11.10  選挙の結果は天の配剤です

管理人さんが、7、8日と旅行されると言うので、メールを送らずにおりました。その間、小生も少しのんびりとしました。メール即ち手紙を書くという事はなんでもない事のようで、それでいて、何か気持ちに負担を感じているものですね。書くということがボケ封じになる由縁を、ここに見つけました。大発見です。お互い大いに手紙を書きましょう。メールをしましょう。
この二三日天候はあまり良くはありませんでした。気温も時期的には平年より暖かい(特に関西は)と言われていますが、冬は確かに一日一日と近づいているようです。それは木々の葉の色に感じられます。
また、庭の「千両」や「南天」の実も赤くなりました。「山茶花」の花の数もいっきに多くなって、「つわぶき」の花の黄色と共に、我家の庭を彩ってくれています。

昨日は、九州場所も始まりました。なんですねェ、テレビで見ていると、モンゴル出身のお相撲さんは沢山いますね。トップはハワイオァフ島の出身者で占めていましたが、それにモンゴルが加わって、そのうちこれでも日本の国技か?と謂う事になるでしょうね。

更に、昨日は衆議院議員の選挙の投票日でした。詳しい事は新聞に書いていますからここでは省きますが、要するに自民党は過半数をとれず、公明党・保守新党と併せて、与党三党で絶対安定多数になりました。

民主党は躍進はしましたが、政権交代など程遠い状態です。民主党はこの選挙目前に自由党と野合し、その寄木細工状態を加速しました。
勿論、自民党も派閥があり、内部はいつもギクシャクしていますが、基盤は一応一枚岩です。しかし、民主党は右から左まで寄って立つ基盤の違うグループの集まりです。「寄木細工」だと謂う由縁です。
そんな民主党に政権を委ねる程、国民は馬鹿ではありません。与党三党にほど良く刺激を与える程度に抑えました。正に、「天の配剤」と云うべきものでしょう。

社民党、共産党は議席数を大幅に減らしました。兎に角「憲法9条、憲法9条」とばかり、まるで「馬鹿の一つ覚え」のように唱えている政党は、国際情勢や国内の国民感情を正確に(否、全く)認識出来ていない、既に痴呆状態のものと云えるでしょう。国民が選べる政党ではありません。
共産党は立憲君主制を廃し、共和制を目指すものですから、我が国民には相容れられるものでは無いのです。この両党限りなく減少して行くでしょう。

今日は先ほどから雨が大降りになって、薄暗く、午後3時とは思えない空になりました。今日はこのへんで失礼します。

 注…「天の配剤」とは、あらゆる物事が適切に配されていることなどを、
     造物主のしわざとみなしていう言葉」

2003.11.06  大徳寺納豆は乾し納豆で有名


【先ずはじめに、昨日のナットウの話の中で間違いがありました。謹んで、訂正させてもらいます。『乾し納豆では、京都の「大覚寺」が有名です』と書きましたが、それは誤りで、正しくは「大徳寺」です。相済みません】

京都にはお寺が多くて、時々混乱することがあります。小生、昨日は何となく間違えてしまいました。小生、かって京都に赴任したことがあります。
だから、大体のお寺は知っている積もりですが、生半可に覚えていると混乱するわけですね。間違えついでに二つのお寺を紹介しておきましょう。

大徳寺は京都市北区紫野にある臨済宗大徳寺派の大本山で、山号は竜宝山です。1315年(正和4年)〜19年(元応元年)頃成立の派祖宗峰(シュウホウ)妙超の大徳庵に始まります。堂塔壮大で、千利休、小堀遠州らが山内に庵を結んで、貴重な美術品を多く所蔵しています。また、塔頭(タッチュウ)の真珠庵・弧蓬庵・大仙院なども優れた建築・庭園・障壁画を残しています。なお、塔頭とは小寺院、別坊(わきでら)のことです。

大覚寺は京都市右京区嵯峨にある古義真言宗の大本山で、元、嵯峨天皇の離宮であったもので、876年(貞観18年)、淳和天皇の皇后正子が寺にし、恒寂入道親王を開山(寺院の創始者)としました。以後、門跡寺となりました。嵯峨御所とも謂います。なお、門跡寺とは皇子、貴族などの住まいする特定の寺のことです。

京都見物の際は、大徳寺を是非、観光コースにお入れなさい。観光と云うより拝観でしょうね。庭の枯れ山水などもご鑑賞ください。

今日は、ナットウの話を一部訂正してから、結局京都案内になってしまいました。

阪神タイガースの下柳剛投手(35)が、FA権の行使を宣言しました。残留かどうかは決まっていませんが、ファンの残留を望む声は伊良部に対するより大きいようです。二人とも残れば良いのですがねェ。

衆議院議員選挙も三日後に迫りました。各党候補は必死で街を駆け抜けていきます。民主党が、内閣を擬制して、田中康夫・長野県知事を痴呆…アッ!失礼、地方主権担当大臣にしているのは、イカサマ滑稽ですね。それほど民主党には人(=人材)が居ないのでしょうか。
陰の声…『知事ト大臣トノ兼業トハ、一体ドンナモンデッシャロ。ワカリマヘンナァ。東京デ勤メテ、長野ヘ帰ッテ田圃ヲ耕ス兼業ノヨウナワケニハイキマヘンヤロ』

お昼になりました。今日は、このへんで失礼します。

2003.11.05  ナットウ汁は健康に宜しい

こんにちは、今朝は今年一番の冷え込みでした。ここ(奈良の北端)で午前6時の気温は、8.5℃でした。昨日までは14〜15℃が気温の低い朝でしたから、「いよいよ冬が近くなったかァ」と陳旧性心筋梗塞の身は脅威を感じました。
小生、決して長生きなどしたいとは考えておりません。しかし、慌てる事も無いとも思っています。今日はインフルエンザの予防接種に行ってきました。流感・肺炎に罹って、自分は兎に角、周りの者にうつしてはいけないと考えています。

世界最高齢とギネスHPに、広島市の川手ミトヨ(114歳)さんが掲載されました。お目出度い事とは思いますが、特別養護老人ホームで介護を受けながら生きているご本人は、どの様に思っておられるのでしょうかね。
小生はその様にはなりたくないですね。と言いながら成仏するのも嫌です。

長寿するには”ナットウ汁”など食べると良いと言われます。昔天海大僧正(安土桃山〜江戸時代初期)は、長寿レコードの保持者で、一説に百八歳、百二十四歳、或いは百三十四歳とも謂われています。この記録、真にいい加減なもののようですが、兎に角、長命であったようです。
その天海大僧正の大好物がナットウ汁だったと言います。擂鉢にナットウを入れ、味噌汁でときながら作るのが、美味しいナットウ汁作りのコツだそうです。
ただし、この際、ナットウを入れたら沸騰させてはいけません。これも、また、ナットウ汁作りのコツだそうです。
適度の温度で腸に有用な細菌を残したナットウ汁こそ、天海式健康法の秘訣と言う訳です。輪王寺では今でも天海忌には、ナットウ汁を作り続けているといいます。

しかし、ナットウにはビタミンKを増やす作用があって、ワーファリン(抗血栓剤)を服用している人は、その効果を減殺されると言う研究者の新聞記事を読んだ事がありますので、小生はナットウは食べません。小生は、以前パナルジン、今はネオアスピリン(何れも、抗血栓剤)を投薬されています。

さらに、ナットウには、塩辛納豆、浜納豆、大徳寺納豆、寺納豆、唐納豆などの乾したものもあります。先に書いたナットウは、よく煮た大豆を藁づとなどに入れたもので、東日本で好まれました。関西では戦後食する人も増えましたが、あの糸を引くのを嫌う人も多いようです。なお、乾し納豆では京都の大覚寺が有名です。

終わりに、阪神情報を載せておきましょう。愛知学院大の左腕・筒井和也投手(22)が阪神に自由枠で入団すると内定しました。彼の経歴・データは必要でしたらインターネトでお調べください。

いま、午後3時半、空は雲って、薄暗くなってきました。
今夜は雨でしょうか。

2003.11.04
  阪神タイガースのパレード、余韻を朝刊にのこす

こんにちは、今日は昨日の雨が嘘のように、晴れて穏やかな日差しが、「サザンカ」の紅色を照らしています。

昨日で一くぎり付けたつもりの阪神タイガースの話、今朝の毎日新聞を見るとまるで、スポーツ紙のように、御堂筋・神戸のパレードの記事が、1・16・20・26面に亘って色刷り写真入りで、大きく報道されていました。

大阪と神戸の両方で集まったファンの数は65万人、そして”雨中の歓喜””感動行進”、「涙か雨かわからなくなった」或いは「闘将の熱き思い,子に勇気…障害者らに特別席」。等などと見出しも大きく書かれ、今年の星野タイガースの人気は大変なものだったのだなァと、改めて感じました。

一方、日本一に輝いたダイエーホークスは、小久保祐紀内野手(32)を巨人に無償でトレードすると発表しました。ファンは勿論、王監督も「何で?」
松中「僕らも同じ目に」、斉藤「頭が真っ白」、そして, テレビでは, 中内正オーナーが泣いていました。お家の事情は様々だから世の中はオモロイ。
来季、阪神は小久保に悩まされる?かも。

元々、プロ野球は興行ものです。日本の野球熱は大正4年(1915)に全国中等学校野球大会が初めて豊中球場で開催されたのがきっかけと謂われ、これに刺激されて、全国いたるところにアマチュア球団が結成され、その対抗戦が土地の話題を賑わしたものだったそうです。

これに目を付けたのが、その頃、「魔術の女王」と謂われ、60余名の座員を擁して、「興行界の福の神」とされていた松旭斎天勝の名支配人・野呂辰之助で、日本最初の職業野球団「天勝チーム」を誕生させました。

天勝の実弟・吉沢広吉は当時慶応大学の理財科に籍をおいて野球部の選手だったから、塾の先輩で、当時の東京日日新聞(現、毎日新聞)の運動部記者をしていた、小野三千麿に相談、その協力を得て現役の人気捕手・鈴木関太郎にコーチとして入ってもらい、吉沢の友人で立教大の選手をしていた勝川大介に選手の糾合を頼む一方、この両人の親友で明大野球部のキャプテンだった中沢不二男(後のパ・リーグ会長)も矢部選手を連れて参加、慶応の高宮、法政の稲垣、田中、坂戸などと云う、当時の名選手として人気の高かった連中を集めること40余名、馬蹄形の中に「天勝」と染め抜いたユニホーム姿もさっそうと、一座の巡業の尖兵として、各地のアマチュア球団に試合を挑んで人気の盛り上げを図ったのだそうです。

興行ものである限り、ファン即ち観客を大切にしなければいけません。しかし、儲けとコストも大切な事なのです。ダイエーも苦しいのでしょうね。

詰まらぬお喋りをしてしまいました。
やがて3時です。このへんでお茶にします。

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