大工さんの雑学講座 U
Ohgu's Zatugaku
阪神タイガース大好きの奈良市の大工さん
2004年元旦より、(^。^)村ちゃんが登場しました

index 2003.12.1〜12.27
2003.12.27  年の瀬をお静かに、そして来年も、
            お互良い年でありますようにお祈りします

今年もいよいよ押し詰まって、4日を残すのみになりました。
2003年も相変わらず問題が続発して、テレビのワイド番組のタネは切れることなく、中でも、阪神タイガースの快進撃は、雌伏18年の阪神ファンを沸かせました。最後は自衛隊のイラク派遣、それに米国のBSE牛騒ぎで締めくくることになりますが、どうか、来年は穏やかな気分になれるような年であって欲しいと思っています。

8月11日以来、詰まらない話をメールしてきましたが、今年はこれにて御用納めとさせて頂きます。ご愛顧を感謝いたします。
どうぞ、みなさん,よいお年をお迎えください。            頓首

2003.12.25  アメリカでBSE牛発生、アメリカ牛の輸入禁止される

今朝は快晴です、気温も比較的高くなって、気分は爽快です。
しかし、爽快になれないのが、アメリカのBSE問題です。詳細は既に新聞などでご承知でしょうが、日本人の食生活は明治から次第に西洋化しました。それでも、戦前まではまだ野菜や魚類中心でしたが、戦後はアメリカの影響が強く、牛肉類は日本人の食生活には、欠かす事の出来ない食品になりました。そして最も多く輸入していたアメリカ産の牛肉が輸入禁止になるとその影響は多岐にわたって大きな影響が心配されます。特に焼肉屋やファーストフード業者のダメージは大変でしょう。
【ここで、ファーストフード(fast food)とは「早い」食べ物、注文して直ぐ食べられ、また持ち帰ることの出来る食品。ハンバーガー・フライドチキン・サンドイッチなどアメリカから始まりました。日本の伝統的な立食いそばや牛丼も含まれます。ファーストレディー(first lady)のファーストと混同すると大変ですよ】

昨日話した空自の編成完結式は、小牧市の空自小牧基地で行われましたが、小泉首相は「イラクは決して安全とは言えない。使命感に燃えてイラクに赴く諸君に心から敬意を表したい」と激励しました。
こんな情景、60年ほど前にもニュース映画で見たことがありました。
なお、出発は昨日25日、即ち今日のように書きましたが、正しくは、明26日です。

ところで、奇異に感じたのは、この空自編成完結式に「民主党」の議員が5人出席したということです。民主党は自衛隊のイラク派遣には反対していた筈で、出陣式とも謂える儀式に議員として顔を出したのは、如何なものでしょう。派遣反対の「プラカード」でも立てゝ行くべきだったのでは、とチャカシタイですね。曰く、「隊員の安全を願う事は矛盾しない」そうです。なお、出陣式とは送り出す儀式ですよ。
5人は、いずれも小牧基地のある愛知県が地盤の議員、所詮は「顔」を売りたいだけだったのか。ツマラナイノー。

自民党の平沢勝栄衆議院議員や民主党の松原仁衆議院議員、拉致被害者の支援組織「救う会」のメンバーが参加して、北朝鮮の「政府高官」ら5人と、20,21日、中国の北京で接触したことを平沢氏が明らかにしました。
内容は読売テレビのワイド番組で、平沢氏自身が出席して詳しく話していましたが、あらましは、
@拉致問題の解決は非政府間機関(NGO)ではなく、外務省を通じた正規の外交ルートで行うA拉致被害者5人の家族の早期帰国を実現するなどを要請したそうですが、
これに対し、北朝鮮側からは明確な回答はなかったと言います。
総じて、北朝鮮は強気で、時には退席のポーズを取ったりしたようですが詰まるところは早く解決し、日本から何がしかの援助を得ようとしているのではと思える訳です。いずれにしても、早く解決すると良いのですがね。

明日は、小生、病院の診察日でメールは休ませてもらいます。

2003.12.24  明日空自の先遣隊が出発、
              今日は編成完結式があった

今日も暖かい穏やかな一日になりそうな朝でしたが、午後には雲が多くなって、気温も下がり冬空に戻りました。

今宵はクリスマスイブです。この頃のイブの街はどんな様子なのでしょう。小生病を得てからは全くといってよいほど出歩きません。テレビで見る町の様子では実感が伴いません。若い頃を思い出して、懐かしむわが身が哀れに思えます。

イラクへ自衛隊を派遣する問題も、既に大筋が決まり、今日は空自の先遣隊の編成完結式が行われ、明日出発します。来年早々の陸自の派遣予定も決まっています。あとは成り行きを見守るだけです。

北朝鮮の問題も、6ヶ国会議は来年の話になっています。リビヤは先に、大量破壊兵器開発計画の放棄を宣言しましたが、最高指導者のカダフィ大佐はCNN(米)テレビのインタビューの中で、北朝鮮指導者は「自らの国民に悲劇が降りかかることを防ぐためにも、リビアに倣うべきだ」と話しています。

昨日午後5時20分ごろ名古屋テレビ塔で、若い男が展望台から1弗札と100円札を9400枚ばら撒いたということです。天からお札が降ってくる。困った事ですね。

時代背景は違いますが、むかし、「ええじゃないか」騒動と謂うのがありました。「天からお札」と言うので、フト、その事を思い出しました。

幕末の混乱が深まっていく中で、人びとは居ても立ってもいられないほどの不安におののく一方、まもなく世の中が大きく変わるに違いないという期待を持ちながら生活していました。
そんな中で、不思議な出来事が起こりました。慶応3年(1867)の夏ごろ、各地で色いろな神社や寺院のお札(ふだ)が降り始めたのです。
しかも、お札が降った場所では老若男女が集まり、奇妙な姿をして、「ええじゃないか、ええじゃないか」と歌いながら踊り歩くという騒ぎになったといいます。幕末の世の中に大変な混乱を巻き起こし、幕府が滅ぶ原因のひとつになった騒動でもあったといいます。
「ええじゃないか」騒動のさなかの慶応3年(1867)10月14日、将軍徳川慶喜は突然政権を朝廷に返上(大政奉還)しました。
「天からお札(さつ)…お札(ふだ)」で、昔、聞いた話を思い出しました。

先ほど、テレビで小泉首相が、アルジャ・ジーラテレビ(カタール)の中で、我が国のイラク復旧支援のための自衛隊派遣について話す予定の事を伝えていました。いい事だと思いました。

今、2時半空は雲が増えて暗くなってきました。「ええじゃないか」騒動は大和でも起こり、面白い話も残っています。
いずれ改めてお話しましょう。

2003.12.23  政府案に反発、民営化推進委員会また分裂

今日も晴れた穏やかな冬の日になりました。このまゝお正月が迎えられると有難いのですが、また、冷える日もありますかねェ。老いた病身には寒いのが一番辛いことです。

イラク復興支援の陸上自衛隊派遣は、既に1月上旬に、先遣隊約30人の派遣が命令されて、中旬には出発の方向ですが、イラクでは昨日も、首都バグダッドでは米軍の車列が通過中に、路上に仕掛けられた爆弾が爆発し、米兵2人とイラク人通訳1人が死亡し、米兵2人も負傷したと言う事です。これらは反米武装勢力の待ち伏せ攻撃だと言います。
米軍も各地で大規模な掃討作戦を展開しているようですが、反米武装勢力の攻撃は依然衰えていないようです。

政府の道路関係4公団民営化推進委員会は、政府・与党が決めた公団民営化案が、債務返済を最優先する推進委の意見書の基本部分を反映していないため紛糾、政府案に反発した田中一昭委員長代理(拓殖大教授)と松田昌士委員(JR東日本会長)が委員を辞任しました。
猪瀬直樹委員(作家)は政府・与党の決定に一定の評価を示しています。
他の委員は、大宅映子委員(ジャーナリスト)が一定の評価を、川本裕子委員(経営コンサルタント)は批判しているが進退の姿勢は見せていません。かくして、民営化推進委員会は、再び分裂しました。

今年も年末後8日に迫りました。昔は各家々はお正月の準備に忙しくなって、特に主婦は「おせち料理」の準備や、掃除其の他で大忙しでした。家族の多かった昔の女は苦労したものです。男は年末追い込みの仕事で、これも大忙しでした。しかし、会社勤めの男は御用じまいが過ぎれば、のんびりお酒など楽しんでいました。祝箸
今は核家族で、しかも、男女同権というので男も家事を手伝う、或いは温泉地などへ出かけてお正月を自分達なりに楽しむ。年よりも孫や子が返ってきて騒がれるより、お年玉だけ持って早く帰ってくれる方が気楽でよいと思うような世間の風潮になっています。
小生宅では、来ても来なくても、お正月の「祝い箸」は、子供や孫の名前を書き入れて用意します。
この祝い箸は柳で作った、両端を細くした物です。なぜ柳かは折れ難いと言う事のようです。そして、両端が細くなっているのは、自分と神との橋渡しを意味していると言います。
箸は元々嘴(くちばし)の事だと言います。それで食を採るとき鳥の嘴に似ている、鳥が嘴で物を啄むのに似ているからこのように名ずけたと言います。
古くは竹を切って長さを揃え使ったようで、箸は竹カンムリです。
箸は日本人の生活の中に随分古くから入り込んでいたようです。『古事記』をはじめ、『日本書紀』『万葉集』などにも登場していると言います。

静かで穏やかであった日も4時近くになると、次第に気温が下がってきました。

2003.12.22  陸上自衛隊先遣隊、1月中旬に出発か?


風も無く、雲は多いものゝ日差しもあって穏やかな冬の日でした。

しかし、イラクでは、フセイン元大統領の支持者の反米活動は活発で、中北部のスンニ・トライアングルを中心に全土でイラク駐留米軍は武装勢力の掃討作戦を展開し、フセイン支持者数百人を拘束したと云う事です。
また、イラク暫定内閣の石油省は21日、バグダット周辺などの石油備蓄施設やパイプラインが抵抗勢力や盗賊によるとみられる攻撃や破壊工作で相次いで炎上し、石油流出といった被害が出ていて、バクダット市で続いているガソリンなどの燃料不足が一段とひどくなっていると言います。

こんな中、陸自派遣予定地のイラク南部のサマワを訪問した、公明党の神崎武法代表は陸自の宿営予定地などを3時間半にわたって視察し、市内でのテロ活動は見受けられない。市外ではテロ活動の情報もあり完全ではないが比較的安全だと感じたと報告しています。

陸自派遣に慎重だった、公明党の神崎代表がサマワの治安が良好であることを確認し、同党が先遣隊派遣を基本的に容認する方針を固めたため、政府は21日、イラク復興支援特別措置法に基づく陸上自衛隊の派遣について、1月上旬に先遣隊30人に派遣を命令し、1月中旬に出発させる方向で最終調整に入りました。
しかし、神崎さんは3時間半の感想だけで安全と割り切ってもよいものですかね。テレビで見ると、神崎さんは防弾チョッキを着て無帽でしたが、髭を剃ってもらっていたオランダ軍の指揮官は銃を持った兵士に囲まれていたようです。神崎さんはそれを見ていましたが、安全と感じたのですかね。アァ、だから「比較的」安全と言ったのですか。了解、了解。

いずれにしても、いよいよ、戦闘可能な陸上自衛隊が、復興支援とは言いながら、海外へ派遣される日が現実のものになって来ました。

「国賊征伐隊」「建国義勇軍」などを名乗る、岐阜県の「刀剣友の会」会長村上一郎容疑者(54)の事件は、捜査の進行と共に、次第に多数の事件に関与している事が判って、既に11人の会員が逮捕されています。こんなのは右翼というのでしょうか、単なる無法者の集団と言うものなのでしょうか。政治の貧困・世の乱れる時に現れる社会現象の一つでしょうがね。

最後にひと言。「お宅様では、お嬢さんを大学にあげられるのですか?」と言ったら途端に相手の顔色が変わった。相手は「上げることが出来るか?」と、能力(経済力または学力)を問われたものと解釈したわけです。
「あげる」を尊敬語でいうと「おあげになる」「あげられる」の二通りがあります。この場合「おあげになるのですか?」といえば誤解は防げます。
進学の時期、言葉に気を付けましょう。

それでは、また、明日メールします。

2003.12.21  CCUとは、ICUの一つです

今朝は風も止んで、穏やかな冬の日が差していましたが、午後になると雲がひろがって、肌寒さが増しました。

昨日’04年度予算の財務省案が内示され、今日から各省庁の復活折衝が始まります。それにしても、結局は増税を基調に、歳出は徹底抑制で庶民の生活に暗い影が一杯です。特に小生のような年金生活者はまともに影響されそうで不安に思っています。

昨日、小生が心筋梗塞を発症した時の事を書きましたが、もう少し詳しく述べておきます。心臓自体に血液を送る太い血管(冠状動脈)が3本ありますが、そのうちの1本が詰まったのです。そして救命救急センターで処置を受けるまでの時間が長すぎたので、カテーテルを入れバルーン(風船)を膨らませても血流は流れず、その流域は組織が壊死しました。幸い壊死した部分は腫れたり破れたりせず、その後周りの血管からバイパス効果もあったのか、助かりました。しかし、心臓は多少歪になっているのか、三尖弁がしっかり閉まらず、多少の逆流が見られます。交代して初めて診た医者は必ず診察の時この部分で聴診器を止めて聴き入っています。
今月16日に心エコーの検査を受けましたが、小生から「逆流があるよ」と言うと、エコー担当の女医は笑ってました。

CCU(Coronary Care Unit)は集中強化治療室(ICU)の一つで、心臓病、特に心筋梗塞の特発などの症状の患者を治療します。
ICU(Intensive Care Unit)には、外にRCU(呼吸器病)、NCU(脳神経病、脳卒中発作)などがあるそうです。
これから春までは循環器系の病気になり易いので、みなさんよほどご用心をしてください。
小生の記録から昨日・今日と余計な事を書きました。お許しを。

今日は12月21日、平成3年(1991)12月21日には、ソ連邦が消滅しました。連邦69年の歴史に幕が下りたわけです。もう少し以前であったように思いますが、まだ、12年しか経っていなかったのですね。

風が無いだけ、寒さも和らぎました。家内が親戚の法事に出かけて一人淋しく(本当は気楽に)過ごした一日でした。

2003.12.20  昨日の風は、遅々の木枯らし1号だったようです

昨日からの風は、夜に入って更に強く吹いていました。昔の雨戸は木製で風に揺れてもその音は柔らか味がありましたが、今はアルミ製でガタガタという音は眠りを妨げます。

大阪管区気象台は19日、即ち昨日、近畿地方に木枯らし1号が吹いたと発表しました。昨年の10月27日より53日遅く、記録が残る1955年以降で、観測されなかった92年を除いて最も遅い記録となったと言っています。そう言えば、小生宅の庭の落葉木も、まだ、葉を残しているものもありました。

昨日は、小生が奈良県立救命救急センターへ収容された日でした。
平成2年12月18日午後11時ごろ、突然みぞおちから胸一面にかけ強い圧迫感を感じ、絞られるような痛みを覚えたものでした。まさか心筋梗塞とは知らず、19日は朝から胸を抑える様にして、予定していた大和高田市へ仕事に出かけ昼に帰ってきました。そのころは痛みも耐えがたくなっていて、午後5時掛かり付けの医院で診察を受けました。すると小生本人より医者の方が慌てて、救命センターと救急車の手配をしてくれました。センターでは兎に角初期処置をして、後、CCUへ入れられました。
翌朝はCCUで目を覚ましましたが、前夜からの目まぐるしい展開にぼう然としていたように思います。6日目にCCUに準ずる個室に入りリハビリテーションプログラムのSTAGETー6からSTAIGEWー28までをこなしました。(この間年が代って1月7日に本院(奈良病院)へ移りました)。
ここで参考までに申し上げますが、センターで処置してくれた医者に、発症してあまりにも時間が経ち過ぎている。だから、バルーンを入れても動脈が拡がらない。なぜ、早く来なかったかと叱られました。
大体4時間位だとバルーンでしっかり拡がるそうです。
みなさんも、可能性が無いとは言えません。まさかの時は早く医者に掛かってください。我慢はいけません。ご参考にしてください。

そんな事で、平成2年の除夜の鐘は、救命センターの個室で聞きました。近くには唐招提寺と薬師寺がありまして、そのどちらの鐘かは判りませんでしたが、そのときの小生には、すごく物悲しく聞こえました。

晦日のことを「つごもり」と謂い、大晦日を「大つごもり」と謂います。
つごもりは「月隠り」の約で、月が隠れて見えなくなることです。また、大晦日を「除日」とも謂います。旧年を除く日ということですが、除日の夜が「除夜」と謂う事になります。
除夜の鐘は百八つ撞きます。ただ、撞けば良いと云うものではありません。交互に、弱く五十四点、強く五十四点、そして、百七点までは旧年に、最後の一点は新年に撞くのだそうです。これは中国の仏教儀式で、宗の時代から始まったと云うことです。36種の煩悩が過去、現在、未来の三つで百八つになるのだそうですが、凡人の小生にはよく判りません。
兎に角、救命救急センターで聞いた、鐘の音は悲しく心に残っています。

今夜は風も弱くなったようです。しかし、寒気は厳しいですからお気を付けください。

200312.19   「国賊征伐隊」「建国義勇軍」、警察に「征伐」される


今朝明け方から風が出て、寒い日になりました。天気は良くて日差しもありましたが、風が冷たいので、ふるえ上がっていました。

ふるえて居れないのは、自衛隊のみなさんで、石破防衛庁官は今朝、イラク復興支援特別措置法に基づく自衛隊のイラク派遣に向け陸上、海上、航空の3自衛隊に派遣準備命令を出しました。また、空自には、先遣隊四十数人をクウェート、カタール両国に26日以降に派遣するよう命令を発しました。いよいよ復興支援とは謂いながら、戦闘可能の自衛隊が国外へ出る日がやって来ました。戦後日本史上、特記すべき事でしょう。既に「命は下った」のであります。

警視庁と大阪府警などの捜査本部は、「国賊征伐隊」や「建国義勇軍」を名乗るグループが、北朝鮮関連施設や広島県教職員組合などへ銃撃を加えていた事件で、岐阜県岐南町の日本刀愛好会「刀剣友の会」の会長村上一郎(54)ら6人を銃刀法違反(発射罪)などの容疑で逮捕し、関係先約90ヶ所の捜索に入りました。
村上一郎容疑者は2001年5月、右翼団体幹部らと共に尖閣諸島に上陸するなど、右翼関係者との付き合いが深かったと云います。

以上は恐ろしい事ですが、怖いのはまだまだあります。昨日昼過ぎ京都府宇治市立宇治小学校へ男が侵入し、1年生の男児(7歳)2人に菜切り包丁で切りつけたと謂うのです。幸い2人は軽傷で、また、犯人は担任の女性教諭に押さえられ、府警宇治署員に傷害容疑で現行犯逮捕されました。
小学校へ侵入して学童を殺傷した事件は、過去に、京都市立日野小学校や大阪教育大付属池田小学校などがあり、日野小では男児(7歳)が、池田小では、児童8人が殺害されました。
どうして小学校が狙われるのか、なぜこんな精神に異常のある人間が野放しにされているのか、これらの経験に学校当局者はどう対処しているのか、小生には疑問が一杯です。
今回の宇治小では、文部科学省の作った、事件防止のマニュアルが、全く守られていなかったと伝えられています。事故が起きてから校長が如何に謝罪しょうとも、それは空しい事なのです。
[先ほど、テレビの報道では、今日も午前に、兵庫県伊丹市立桜台小学校
へ男が侵入し、6年の女子児童を”棒”様のもので殴り怪我を負わせた由]

小学生の連れ去り事件も数多く、今なお続いているようですが、子供の狙われる犯罪は何とかなりませんかねェ。警察ももっと頑張ってよ!。

最後にお口直しとして、「味噌すり」と「胡麻すり」の事をお話しましょう。
昔の味噌は、大豆の粒がそのまま残ったので、使うときは擂り潰して使いました。つまり「味噌をする」事は「労力を提供する」事で、転じて「こびへつらう」「おせじをいう」謂いになりました。今は、市販の味噌は擂る必要がありませんので、「胡麻をする」という言い方が多いようですが、その胡麻も「すり胡麻」が売られていますから、みなさん次の言い方を考えて見ては如何でしょう。
味噌すり過ぎて”みそっかす”に言われ、胡麻すってミスを大目に見てもらう、これを”胡麻かす”と云うとは、出来すぎた話です。

強くはありませんが風は止みません。
今夜は暖かくしてやすみましょう。

2003.12.18  日本晴れて国連に加盟、それから47年

今日も午前中は晴れていましたが、午後になると雲が増えて薄ら寒くなりました。昨夜は7時ごろから小雨が降りだしましたが、やがて、雷鳴が聞こえ出し、いっとき雨も強く降りました。
そのころ、奈良市春日野町の春日山原始林から火の手が上がり、樹齢1000年の杉が数本焼けました。現場は「奈良奥山ドライブウエイ」沿いにあるた高円山ホテルの北側で、世界遺産登録をされており、樹齢300年以上のものは特別天然記念物に指定されています。落雷が原因ですが、今年5月にも同様のことがあったようです。

年金生活者は落雷でなくても、個人増税の色合いが強い与党の税制改正大綱では、火がついてきました。年金課税は、65歳以上の受給者に対し、年金収入から差し引ける公的年金等控除の最低を140万円から120万円に減額し、老年者控除(年50万円)を廃止するというのです。これは年金生活者には大いにこたえますよ。

バグダッドではフセイン拘束後も依然フセイン元大統領の支持者が自動車爆弾テロなどを計画し、バスが炎上十数人の死傷者が出たと云います。
そんな中、我が国の自衛隊イラク派遣は着々準備され、19日には03年度予算から予備費使用を閣議決定されます。

47年前、昭和31年(1956)の今日、日本は晴れて、国連に加盟しました。
日本の加盟を正式に決定するための国連総会は18日午前10時55分(日本時間19日午前0時55分)開会,同11時全会一致で承認されました。
重光外相は「”東西のかけ橋”を自覚、アジア安定へ援助を期待」と演説しました。

『洞が峠をきめこむ』とは形勢を見ていて、いつでも優勢なほうへつけるよう待機しているずるい態度を謂いますが、今は『日和見主義』とも謂い、同意語です。
本能寺の変後、秀吉と光秀とが山崎で争いましたが、山崎に近い洞ヶ峠で、筒井順慶がこの戦の形勢をじっと眺めていました。光秀の敗色が濃くなったころに、順慶は秀吉側に味方して光秀の軍を攻めました。光秀はために敗走し、あえない最後をとげました。
順慶は、かように、大きな手柄を立てましたが、秀吉はその二心を憎んで賞を与えなかったと云います。この話、実は順慶は洞が峠には行かないで、自領の大和郡山にいて大和から兵を動かしたようですが、戦場に居てこそ話は面白くなるので、順慶は洞が峠の頂上に居た事になっているのだそうです。
洞ヶ峠にいた話が「ほら」だったと云う話。バカバカしいお話ですね。

大和郡山には、この地へ移る前、18年間住まっていましたが、金魚の産地で、お城の櫻も美しく、春は櫻と城祭り、それに金魚のおまけがついて、随分と賑わいます。

何故か、うら寂しい夕暮れになってきました。
またあす、お話しましよう。


2003.12.17   台湾で、今冬初めてのSARS患者が出たそうです

寒い日が続きますね。寒いと何をするにも億劫になっていけません。
小生は昔からコタツを好みません。だから、我家にはコタツはありません。現在の家を建てた時も、家内の希望で、床下に掘り炬燵を造らせたのですが、使った事は無く、畳の下で眠ったままです。しかし、年を取るとフト使って見ようかなと云う気になります。だけど、18年間開いていないので中は「カビ」だらけかもと思うとマアマアと毎年開けずに過ぎています。この冬もそのまま過ぎるでしょう。

台湾で重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染者が出たそうですね。
台北の男性(44)で、国防大学予防医学研究所でSARSの研究をしていた軍の中佐だそうです。怖いですね。

イラクのフセイン元大統領の裁判を、何所で、誰が、どのようにするかが問題になっています。フセインに「極刑を」とブシュ米大統領は言いますが、欧州連合(EU)は国際法廷で審理すべしと言い、「イラク人には裁判を行う能力があるから」フセインの量刑はイラク市民が決めるとも言っています。拘束したらしたで、また、騒々しい事です。

そんな中、防衛庁は、イラク復興支援特別措置法に基づく陸上自衛隊の派遣は、2月下旬から3月下旬にかけて、450人の本体を送り出す方針を固めています。なお1月中下旬に先遣隊約110人を派遣します。

フセインの拘束後もティクリート近郊では民衆の暴力は沈静化せず、民衆や米兵に死傷者が出ている様子ですね。

ところで、小生の使っているパソコンはFUJITSUの物ですが、この富士通は、富士山の”富士”とは関係が無いそうですね。小生はてっきり富士山の名を取った”富士”通信機製造が「富士通」になったものと思っていましたが、全く違うと最近知りました。大正12年、古河電気工業とドイツのジーメンス・シュッケルト社及びジーメンス・ハルスケ社とが技術提携して出来た会社を、古河電気の「フ」とジーメンス社の「ジ」をつなげて「富士」としたと謂うのです。
会社の名前は案外意外な経緯を以って付けられているものですね。
「赤玉ポートワイン」の日の出のラベルから、その太陽からSun(サン)を取り、それに創業者の「鳥井信治郎」の鳥(トリ)を付けて、洋酒の「サントリー」になったとは昔に聞きました。
OS劇場の「オーエス株式会社」は運動会の綱引きの掛け声「オーエス、オーエス」から、創始者の小林一三が、社員一同、団結して頑張ろう、と云う意味をこめて命名したと謂うのです。大阪サービスではありません。
有名な会社もその名前は案外妙ないきさつで付けられているものですね。他にも色いろ沢山同じように意外な会社名があります。

寒い一日そんな事を考えて過ごしました。
お付き合い感謝します。


2003.12.16  見捨てられた独裁者は、
          いかにもむさくるしい哀れな顔ですね

こんにちは。昨日は年賀状の準備をしょうと、HPの管理人にも一日メールを休むと予告していましたが、14日メールを送ったその日の宵に、テレビがイラクのサダム・フセイン元大統領を拘束したと駐留米軍の発表を伝えました。
15日は新聞の朝刊は休みでしたが、今はテレビが総て報道してくれますので、おおよそは知ることが出来ます。夕刊には大きな写真を載せて詳しく報道されましたが、威勢の良かった独裁者も、落ち行く末は哀れにもむさ苦しいものですね。
復興支援に自衛隊派遣を決めている、小泉首相サイドも弾みが着いたようです。勿論これで以って、自衛隊への、或いは東京などへのテロのリスクが総てなくなった訳ではなく、自衛隊派遣の可否論議は益々騒々しいものがあります。
今日は小生、午前中に病院へ行って、心(臓)エコーの検査をしてきました。昼前に帰ってきて、テレビをつけると、国会の休会中審議を中継していました。
銃を撃って人を殺したら誰が責任を取るのかとか、どのような場合自衛なのかとか、自衛隊を戦闘目的のために派遣するようなことばかり野党の質問は続いていました。ウンザリしますね。

サダム・フセインの口から、早く色いろな情報を引き出して、まだ、解決されていない多くの問題を明らかにして欲しいものと思います。

病院の検査で少々疲れましたので、ホンの少しだけ感じた思いをメールします。日が差したり、曇ったりの寒い日でした。

2003.12.14  赤穂・浅野の浪士、本所松坂の吉良邸へ討ち入る

「ころは元禄15年(1702)極月14日、深々と降り積もる雪の中、火事場装束に身をかためた47人の赤穂・浅野の浪士…」とは講談でよく聴いてきた忠臣蔵の話ですが、今日はその14日、昔は、各地で義士祭などが行われたものです。
また、如何に不況の時でも、歌舞伎・芝居・映画そしてテレビは、忠臣蔵とか赤穂浪士を『外題』にした出し物は必ずあたると謂われたものでした。しかし、時代は移って、今ではそれほど取り上げる事もなくなりました。

昨日のテレビや今日の新聞に出ていましたが、この度、立命館大学が東京の古本屋で購入した忠臣蔵を描いた浮世絵は、宝永8年(1711)のもので、最古のものだろうと思われるそうです。今まで知られている、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」は寛延2年(1749)ですから、随分早くから、幕府の目を忍んで赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、庶民の心の中でもてはやされていたのだろうと謂うことです。

今日は、日曜日。各テレビ局は日曜特番で、色いろな問題を取り上げていましたが、一っ時よりはイラクへの自衛隊派遣の話は少なくなったように思えました。しかし、何故、戦闘を目的に出征させるかのように言うのでしょう。目的は復興支援である筈です。確かに危険はあるし、犠牲も出るかも知れません。
その点は、火事場へ向かう消防士だって同じで、現に、先日子供を助けようとして、燃え盛る中へ入り、焼け落ちてきた屋根の下でなくなった2人の消防士も居たではありませんか。消防士にしても自衛隊員にしても、そのような危険を覚悟の訓練をしてきた筈です。その職業の運命なのです。だから、小生は派遣反対する人に「千人針」など作って上げてはどうですかと言いたいのです。

最近、「盲導犬」の問題がよく出ています。視力障害者が「盲導犬」を連れて、泊まろうとしたら、ホテル側に断られたと云うようなことです。「盲導犬」も徐々に増え、視力障害者も一人で行動し、旅行などもするようになったのでしょう。
「盲導犬」は盲人を導く犬だから、文法上は「導盲犬」の筈でありますね。
「盲導犬」は漢文読みでは「盲、犬を導く」です。「導盲犬」では如何でしょう。
即ち、「盲を導く犬」理に合った言葉になります。何故こうなったのかは知りませんが、さりとて、「導盲犬」では「獰猛犬」となって乗り物にも乗れなくなりましょう。世の中色いろ変な事はあるものですね。

最近時代劇で、よく出てくる女忍者の事を「くの一」と読んでいますが、小生は何故「くの一」か解かりませんでした。詰まらない疑問ですから、特に調べようとは思いませんでしたが、極、最近に、「女」と云う字の筆順が、「く」「ノ」「一」なんだと教えられました。なるほどねェ。

今日も午後3時になりました。日が差して少しは暖かかった空気も急に冷え
て来ました。本日のお喋りはこのあたりで終わりにします。
では、明日。


2003.12.13  今年の漢字は『虎』…阪神効果

今日も相変わらず、雲の多い寒い日です。寒いと頭の中が思うように動いてくれません。進取の気持ちが出てこないのです。困った事です。

そこで今日は兎に角、新聞を拾い読みしてみようと思います。小生宅は毎日新聞を購読していますが、ここ奈良では13版ですから、最新のニュースなどはインターネトで見るほうが早いのです。しかし、イラクの問題もやや冷静になっているようなので、新聞の社会面から目立たない記事など二三探して取り上げて見ようと思うのです。

「今年の漢字」は『虎』が首位で、昨日京都市・清水寺の森清範貫主(かんす)が縦1.5m横1.3mの和紙に『虎』の字を揮毫しました。今年の漢字は「虎」
「阪神タイガースの活躍が勇気と希望を与え、景気回復に貢献した」と謂うのが主な理由でした。これは日本漢字能力検定協会(京都市・下京区)が、毎年公募で選ぶ「今年の漢字」で2位に「戦」3位に「乱」だったそうです。

イラクで先月末復興支援活動中に無念の死をとげた井ノ上正盛一等書記官(30)の奥さん幸乃さん(30)が、12日午前無事女児を出産したと伝えています。訃報を受け、身重でクエートまで遺体を引き取りに行かれて、差障り無かった事をお祝いしたいと思います。

先日来、テレビでも報道されていましたが、炎症・アレルギーに作用する薬剤「ジクロフェナクナトリウム」製剤を投与された妊婦が死産したと云う事件で、大津市の夫婦が12日、滋賀県内の産婦人科医などを相手取り、約3500万円の損害賠償を求めて大津地裁に提訴しました。
この「ジクロフェナクナトリュウム」製剤は、市販の「くすり」の本にも、警告として赤字で、特に妊婦には原則使用できないと書いています。素人の読む本にすら書いている『注意・警告』を医師が知らなんだでは、済みますまい。
なお、この薬剤を使った座薬は、小生も以前よく使いました。解熱や痛み止めには直ぐに効いて便利な薬です。その名は、ボルタレンSRです。
しかし、高齢者は医師と相談のうえ使えと警告されていますから今後は慎重に使います。

次は、恐ろしい話です。大阪・梅田にミイラ化死体だそうです。梅田阪急百貨店前の路上の植え込みで、12日にミイラ化した男性の死体が見つかったと云うのです。現場は、JR大阪駅前で百貨店やビルの建ち並ぶ、大阪きっての繁華街。こんな所で死後2ヶ月の間、人知れず死んでいた男性は60〜75歳くらいで、作業服を着て外傷も無くダンボールの上で仰向けに横たわっていて、臭いはビル風に拡散されて気づかれなかったようです。都会の谷間は怖いですね。

こんな広告を見つけました。『日記を書くより面白い』「エッセイの書き方(添削指導)」。[毎日の暮らしの中で感じていることを「ちょっといい話」としてまとめると、単に記録を綴る日記よりずっと面白くて長続きします…云々]。小生の話もこの方針に変えようかなと思っています。

最後に、昨日のメールの中で「千人針」と謂う言葉を入れていますが、この言葉は既に解からない人が大半だそうです。そこで、説明をしておきます。
『千人針…せんにんばり』とは、一片の布に千人の女性が赤い糸で一針ずつ縫って千個の縫玉を作り、出征将兵の武運長久・安泰を祈願して贈ったもの。日清・日露戦争の頃に始まり、初めは「虎は千里走って千里を戻る」の言い伝えから寅年生まれの女性千人の手になったものと謂います。
先の戦争では、支那事変と言われた頃は、橋の袂や停車場で女性が立って通る女性に、一針を!と頼んでいましたが、第二次世界大戦と言われる頃には、それどころでなくなって、更にボーイング29の空襲が始まると、戦地の兵隊さんの武運長久どころでなくなって、敗戦と共にこの言葉もなくなりました。古い言葉でした。
今日も、午後には日差しもなくなり、寒い一日でした。
やがて3時です。

2003.12.12   老年者控除廃止?65歳以上「優遇」見直し?

昨日は冷たい雨が夜半まで降っていましたが、今朝は雲は多いものの雨の心配は無いようです。しかし、冷え込みは強く、動脈硬化の進んだ小生、脚が重く感じられ、気分は正に冬型でした。午後は日も差しましたが、風が出て寒くなりました。

今朝の新聞(毎日)トップに『老年者控除廃止へ』「年金課税強化で自民税調」「65歳以上『優遇』見直しも」と出ておりました。自民党はドウデモコウデモ、年寄りの年金生活者から、より多く税金を取り立てようと考えているようです。その前に国会議員の年金をなくする事を考えろと言いたいですね。退職金制度に切り替えろという事です。年金は国民・厚生年金制度に加入すれば宜しいではないですか。

イラク情勢の報道は少し静かになりましたが、ABCテレビは執拗に自衛隊派遣を、いかさま武力部隊として派遣するが如くに取り上げています。
復興支援という面は薄めてしまっています。丸で、カタールのアルジャ・ジーラのテレビが伝えているのかと思うばかりです。
自衛隊隊員諸君は予ねて覚悟は出来ているでしょう。まさか、遊ぶために税金を使っていた訳ではないでしょう。
派遣を危ぶむのなら、千人針の手拭いでも贈ってあげては如何ですか。

日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)10ヶ国の特別首脳会議は、昨日と今日、2日間の日程で、東京・元赤坂の迎賓館で開かれています。
小泉首相は、ASEANとの関係を一層緊密化させる意向を強調し、さらに東南アジア友好協力条約(TAC)に加入する事を表明しました。今日午後は改めて全体会議を開き、日本とASEAN関係の原則を盛り込んだ基本文書「東京宣言」が採択される予定だそうです。

「グリコ」の事を話しましたが、小生が子供の頃よく見かけた看板に「仁丹」と「金鳥」がありました。鉄道に乗って田舎の田圃の中を走っていても、次々見える大きな看板は大体、大礼服の「仁丹」か、赤い鶏冠(とさか)の「金鳥」か、そして一粒三百メートルの「グリコ」の看板でした。赤い鶏冠(とさか)の「金鳥」の看板
「仁丹」は国内だけでなく、大陸にも進出して、上海などの写真でも「仁丹」の看板が写っていました。
戦前は「仁丹」は赤い粒でした。「金鳥」も今では「キンチョウ」とカナになっています。蚊取り線香も、すだれや風鈴と共に、夏の風物には無くてはならない物でした。
「仁丹」は同じような「千金丹」「万金丹」「宝丹」に勝ち抜いて、丸薬の代名詞になるようにまでなって、生き残りました。総て宣伝広告の効果でしょう。
森下の「仁丹」、上山の「金鳥」、江崎の「グリコ」、みんな独特の宣伝販売で勝ち残って来たものでしょう。

風は強いのですが、何となく寒さは緩んだ感じです。
この辺で終わります。

2003.12.11 グリコの「マラソンランナー」にはモデルがあった

今朝も2.5℃と寒く、動脈硬化の進んだ年寄りには、気の重い朝でした。
空の様子は曇り空で、この後も気温も上がらない冬の日になるようです。

昨日空き巣の頻発している話をしましたが、今朝の新聞(毎日)にこんな記事が出ていました。「奈良と2府で空き巣重ねる」「奈良署が容疑の男を逮捕、送検」。近畿3府県で空き巣を繰り返したとして、奈良署は10日、京都府宇治市の無職の男(34)を逮捕、送検したと発表しました。99年以降、京都、大阪、奈良で、未遂を含む227件の空き巣などを重ね、被害額は約4,700万円といいます。
この男の手口は、夕暮れ時に、明かりが点いておらず、車庫に車が無い住宅を狙うのだそうです。真に理にかなった手口だと、小生感服しました。

こんな感服をして居れないのが、イラクの情勢で、連日、テロやゲリラで騒がしい上に、イラク南部サマワでは失業者デモが米英占領当局(CPA)事務所付近で発生し、200〜300人の群衆が雇用を求め大声で叫び、更に投石などを始めたため、オランダ兵が威嚇射撃をして、住民2人が軽傷する事件が起きています。このような事はイラク住民の占領軍に対する心証を悪くし、ひいては我が国自衛隊の復興支援作業にも関わることと心配してます。

道頓堀のグリコの看板が
タイガースユニホームに
着替え点灯

(asahi.com 8/20)

昨日、「グリコ」事件の事をチョッと書きましたが、大阪南の道頓堀にある一粒300メートルの「マラソンランナー」の電光看板は、この夏、阪神タイガースの縦縞ユニホームに着替えて話題になりましたが、このマークにはモデルがあったそうです。
「グリコ」とは、当時、健康増進源として話題になった「グリコーゲン」からとった名前で、大正11年に発売されました。その前年、第5回極東競技大会があって、その時のフィリッピンのマラソン選手「カタロン」がゴールする時の姿をとったものだそうです。笑顔の印象が、健康とスポーツ、子供とスポーツの関連から最適として選ばれたと聞いています。

今、午後2時半です。気温8.5度、小雨が降って来ました。冷たい雨です。
昼にいったん「下書き」に入れておいて、先ほどからメールを続け始めましたが、天候の影響か考えが纏りません。
今日はこれにて終わりにします。



2003.12.10  百家争鳴の感あり、自由・民主の国、日本

今朝も日の出前は1.0℃まで気温が下がって、冷たさに思わず首筋をすくめました。しかし、天気が良いので次第に暖かさを戻しています。

政府は昨日夕刻、臨時閣議を開き、イラク復興特別措置法に基づいて自衛隊を派遣する基本計画を決定しました。その内容は新聞等に出ていますから、省略しますが、その後小泉首相が記者会見をして、国民に理解を求める談話を発表しました。小生はもとから斯くあるべし,斯くあるであろうと考えていましたから、特に異見はありません。
しかし、派遣の時期が尚早だとか、憲法違反であるとか、色いろと反対意見も多く、正に各テレビを見ていると、百家争鳴の感があります。

我が国は昔から、「言挙げせぬ国」と言われてきましたが、今は民主主義、自由主義の国になり、事々に騒がしくなります。結構な国です。

また、昔の事を書きます。今度は何だとお思いでしょうが、それは35年前の今日、昭和43年(1968)12月10日朝の出来事です。3億円事件のオートバイ、写真は、事件当日、犯行に使われたオートバイを調べる捜査員
東京府中市の路上で東芝府中工場のボーナス資金を運送中の日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、白バイ隊員を装った若い男に襲われ、現金二億九千四百三十万七千五百円を積んだまま車ごと奪われるというギャング映画もどきの大胆不敵な事件が起きました。

新聞には「現金輸送車ごと3億円奪う」「白バイ隊員装う男」「爆薬が仕掛け」とだますとあります。これは4,500人のボーナスで、「白昼まさか」と警官を頼まなかったものでした。当時3億円といえば大変な金額の金で、しかも、その手際の良さに、世間をアッと言わせた事件でした。

今は、テレビで盛んに宣伝している宝くじも、1等前後賞併せて3億円で、あまり驚かない金額です。
この35年の間に日本の経済は成長し、バブッテ、そしてはじけて、不況にアップアップしています。
結局、犯人は見つからず、忘れ去られています。忘れ去られたと言えば、江崎グリコの「毒入れたろか」事件も、人の口の端にのらなくなっています。
悪い奴らは、今何所で如何しているのでしょう。痛快がっているでしょうね。

最近、小生の住まう平城ニュータウンでも、空き巣・押込み・車上狙いなどが多く、警察から自治会へ注意するよう毎月の事件発生件数など載せてサーキュラーが廻ってきます。特に年末に向かう今月は厳戒態勢です。

みなさんも歳末くれぐれもご注意。
勿論、向寒の時季健康にもご注意を。

【言挙げ…ことあげ】  言葉に出して特に言い立てること。
とりたてて言うこと。揚言。万葉集(18)「――せずともとしは栄えん」
要するに、あまりお互いに議論をし合わない国。 



2003.12.9  自衛隊イラク派遣に関する基本計画は午後決まる

今朝も気温は低く冷たい朝でした。いよいよ冬は本格的になってきました。
冬といえば、風邪の予防が大切になりますが、昨日テレビがどこかのチャンネルで言っているのを聞きましたが、風邪に抗生物質は意味が無いそうですね。抗生物質は細菌性の疾患には効くが、ウイルスには効かないそうです。ウイルスには細胞が無いからと謂うのですが、小生は詳しいことは聞きそこねました。お医者さんは直ぐに抗生物質を処方するが、あまり意味は無く、患者が何も薬をくれないと不満に思うから、投与するとその番組では言っていました。ただし、高熱が出てどこかで炎症が起きているときはやはり抗生物質が必要とも言ってました。

さて、また、イラクの話になりますが、今朝の新聞(毎日)の一面見出しには、大きく「イラク南東部へ重装備で」『自衛隊初の「戦地」派遣へ』基本計画きょう閣議決定とありました。ピストル、小銃の他に機関銃や無反動砲、個人携帯対戦車弾及び装輪装甲車などを持っていくのだそうです。
派遣の目的は、あくまで戦う事ではなく、水道や電気などの整備、学校施設の充実、病院や薬剤の整備補充などですから本来は武装の必要は無いわけでしょう。
しかし、その作業への妨害の排除、自衛隊員の安全確保のためには当然自衛用の銃器は必要ですから、この程度の装備で良いと思います。
むかし、小生は中学校では陸軍式の教練でしぼられました。高等商船では海軍式の陸戦で鍛えられました。当時はそれぞれが38式の小銃を持ち、1個小隊に一基の96式軽機関銃と1筒の擲弾筒くらいでした。
中隊単位になると重機関銃や迫撃砲なども持っていましたが、今回はそのような物はいらないし持ち込む事はいけません。
軽装甲車は隊員の移動や物資の運搬に必要でしょう。普通の乗用車では危険です。
このように考えると、決して重装備だなどと力み返るのは如何なものかと考えます。派遣される自衛隊のみなさんご苦労さんですが、頑張ってくださいと言いたいですね。『重武装』で『戦地』へ派遣などと、まるで、『出征』させるような、マスコミの言いようには、小生は納得できません。

夕方には小泉首相の記者会見があり、国民への説明も行われる筈ですから篤と首相の心の内を聴きたいと思っています。
本日、新聞を読んでの感想でした。  
3時になります。では明日また。

2003.12.8   イラク支援、政府専用機で陸自輸送?

今朝は、天気は極めて良く、風も無い夜明けで、部屋を出るとブルッと身震いしました。二階北側の窓外に置いている寒暖計は、0.5度でした。放射冷却のせいでしょうが、今季最低の気温でした。
【訂正昨日のメールのなかで「3連隊」としたのは「8連隊」の間違いでした。】

連日、イラクへの自衛隊派遣問題で騒がしい事ですが、明日閣議で基本計画が決められます。それを前に、部隊輸送には政府専用機(B747-400)を使用する方向で調整が行われているようです。部隊輸送には機関銃や小銃などの武器を携行するため、一般の民間機では輸送が不可能と云う事のようです。この件YOMIURI ON LINEに詳細載せていました。

「大本営陸海軍部発表【十二月八日午前六時】帝国陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」「ハワイへ決死的空襲」「上海で英艦撃沈、米艦降伏」。そして、宣戦布告の大詔煥発。これが62年前の今朝の出来事でした。小生その時、齢15歳。
大正15年(昭和元年)生まれの小生たち年代は、その少・青年期を殆ど軍国日本の教えを受けて育ちました。

この辺で話を変えて、小生が最近読んだ雑学の本にあった話を二三紹介しましょう。
@よく、来年こそは「汚名挽回」のため、などと意気込んで言う人がいますが、挽回は「もとの状態にもどすこと、回復」という意味ですから、汚名挽回では再び汚名の状態になってしまいます。挽回という言葉を使うなら、「名誉挽回」とか「汚名返上」と言うべきだそうです。
A「心血を傾けて…」という人がいますが、心血は傾けるものではなく、注ぐもので、傾けるのは「全力」です。心と体の全てをこめて物事を行うさまは、「心血を注ぐ」と謂い、全力を傾けることに通じます。
B「的を得たご意見だ」のようにいう人がいますが、的は射るもので、得るのは「当」だそうです。「的を射る」は正しく要点を捕らえること、「当を得る」は道理に適うことだそうです。

まだまだありましたが、機会を改めます。しかし、我々が日常無意識に使っている言葉の中にも、随分間違ったこともあるのだなァと感じるところがありました。メールを打つときも気を付けなければと思いました。

先ほど、或る銀行のお得意さま係の女性が来ましたが、今日が太平洋戦争の始まった日、真珠湾攻撃のあった日だとは知りませんでした。50才くらいですが、戦後教育を受けた人は明治から昭和20年敗戦までの歴史は全く教えられていないようですね。何故教えなかったのでしょう。このことは小生の子供たちも同じですが。

中途で銀行員と話していて、既に時間が午後4時になりました。この辺で終わります。
今晩は冷え込みが強いようですから、風邪など引かないように。では。


2003.12.7  日本軍というのは強いのか?

気温は高いが、雲の多い日になりました。日曜日で、午前中はテレビの各局の日曜特番を見ていました。
小生は大体@関西テレビ「報道2001」ANHK「日曜討論」BABC「サンデープロジェクト」の順序で見ます。毎日、読売はその間で、時々チャンネルを合わせて見ます。
今日は殆どが外交官殺害やイラク情勢、自衛隊派遣問題でした。石破長官・石原知事・岡本行夫氏・宮沢元総理更に田中知事などの意見が次々聴けて参考になりました。岡本行夫氏は亡くなった奥大使と協力する仲にあったし、石破長官は現実に自衛隊を統べる立場にあり、生々しい判断意見が聴けました。石原知事の話は元気すぎます。田中知事の話は現実的に、では、今如何せよと言うのか判りません。宮沢さんの話に至るとボケ親父何を言ってるのと歯がゆい感じでした。

小泉首相の国民への説明が無い、足りない事が随分言われていましたが、国のトップにあるものが、そうそう、軽々にペラペラしゃべってはいけません。最後に決断すればよいのです。マスコミはそれが聞きたくてヤイノヤイノと騒ぎますが、マスコミに洩れたが最後世界に配信され、国の機密など守れるものではありません。

石原知事の「自衛隊が、もし、攻撃されたら堂々と反撃してせん滅したらいい」「日本軍というのは強いんだから」という1日の発言の真意は凡そ判りましたが、なお、最後の日本軍というのは強いんだからと言うのは、小生には未だに判りません。勝手に想像させてもらうなら、それは、日露の役で爾霊山(203高地)を攻略した乃木第三軍の兵士たちの事でも謂うのでしょうか。鉄血山を覆し、山形為に改まったと謂う明治37年12月1日の戦いに散華した兵士以上に強い日本兵士は聞きません。乃木希典大将もここで二子を失うのです。
今の自衛隊隊員にそれを期待するのは、無理でしょう。
因みに、翌38年1月1日旅順要塞司令官ステッセル将軍は旅順を第三軍に開城を申し出ました。ここに「水師営の会見」が行われるのです。

日本兵の強かったのは、明治で終わりです。小生子供のころ、「また、負けたか3連隊」と謂うはやし言葉がありました。大阪の兵隊の事でした。都市化と共に弱くなります。平和ボケの自衛隊は、果たして強いか?。
また、明日メールします。おやすみなさい。

2003.12.06  「イラクに行きたい」首相が族長子息との会談で

今日は夜明けから雲が広がって、昼前から雨が降りだしました。今、3時30分、少し空が明るくなって、雨は止んだようです。

やはり、今日の動きは二人の外交官のことから始めなくてはならないでしょう。奥克彦大使・井ノ上1等書記官の告別式は午前、外務省と両家の合同葬として、東京・青山葬儀場で営まれました。小泉首相も参列し、遺族・同僚たち約1500人が別れを告げたと言います。
小泉首相は哀悼の意を表すると共に、深い悲しみと非道な犯行への憤りを述べ、読み上げる途中で感極まったのか約20秒間、声を詰まらせ後は涙声になったとasahi.comは伝えています。
式場には、歴代首相や各党党首、ならびに100人近い各国大使らも参列したそうです。

イラク派遣基本計画は9日閣議決定するそうですが、与党内では、自衛隊派遣の方向は支持するものの、陸自を直ちに派遣する事には慎重論が高まっており、政府はこうした声を受け、空自の輸送機を先行派遣させる方向で調整するようです。

また、小泉首相は去る3日、イラク南部の部族・リカーブ族々長の子息で民主化運動に取り組むアブドル・アミール・アル・リカービ氏と会談し「イラク南部を訪問したいと思っている」旨の発言をしています。首相が先頭に立って、テロに屈せずイラク復興に取り組むという日本の姿勢を、国際社会に示し、自衛隊の安全確保に対する国内の懸念を払拭する為でしょうか。しかし、小生は「その姿勢や良し」と思います。

毎日、詰まらぬ事を書いて、お耳ならぬ、おめ目を汚していますが、文章を書きつづると言う事は、随分神経を使う事ですね。小生小学校の頃から、綴り方は苦手で、夏休みの宿題の日記も満足に書いた事が無かったのです。それが、いま、老人ボケ防止の為に毎日メールを送信しだして、大それた事を始めたなァと、悔やむやら、何くそ頑張らなくっちゃと思ったりしています。
特に、変換を誤って誤字のまま送信してしまった時は我とわが身が恥ずかしく、ホームページの管理人さんに頼んで訂正してもらったり、次の日の冒頭で、訂正のお詫びを入れる事になります。この点はテレビでテロップに誤字がよく出ます。アア変換を間違えよったなと人の間違いは良く目に付くのですが、自分の間違いは気付きにくいものですね。
句読点も小生はバラバラ、無茶苦茶です。句読点の大切な事は、中学校で学びました。
「のにいでてかすみそのへのにおいかな」
…「野に出でて かす味噌の屁の 臭いかな」 
…「野に出でて 霞みその辺の 匂いかな」 
適当に読んでください。  
 では、また明日。

2003.12.5  冬物野菜出荷多く値下がり、もち米は不作で高値


このところ、朝は冷え込むものの、日が昇ると風も無いので暖かく、気分の良い日が続いています。暖冬だといいますが、野菜の出荷が集中して、キャベツや大根などの値が下がっています。消費者には喜びでしょうが、生産者は大変でしょう。後日、野菜不足になって消費者も困る事になるかも知れません。それより米の、特にもち米の値上がりは正月を前に心配な事です。
尤も、小生宅では、子供や孫は正月に来ても、「お年玉」目当てで、長居しませんし、気のはるお客もありませんから、床の間の「鏡餅」も今年から飾らない事にしました。松がとれて、ひび割れした鏡餅を切るのも大変、食べるのも年寄り2人では大変ですから。

昨日、メールを送ってからテレビで、儀仗隊にかつがれて車に向かう奥克彦参事官の棺を見守る遺族たち=4日午後4時すぎ、成田空港で(asahi.com)イラクで非業の死を遂げ遺族に付き添われて成田空港に無言の帰還をした、奥克彦参事官(大使)井ノ上正盛3等書記官(1等書記官)の到着時の模様を見ました。
二つのひつぎは、千葉県警の儀仗隊員によってそれぞれ日の丸で覆われ、隊員6名に担がれて、ゆっくりと、遺族や川口順子外相以下外務省職員の迎える中2台の霊柩車に運ばれ載せられ、空港を去っていきました。前記のカッコ内のように、11月29日に遡って彼らの処遇を、外務省は2階級特進と決めました。

小生その時、形式は違いますが、同じような感慨に耽った或る昔の一日を、フト、思い出しました。それは昭和13年(12年7月に北支事変が始まっていました)ごろだったと思いますが、国鉄西宮駅に英霊が還ってくると言うので、出迎えに行きました。遺骨を白い布で包み在郷軍人の人が、首にかけ胸に抱き、その後を遺族やその親族が従い、更に、愛国婦人会や其の他団体が従って阪神国道を市役所まで進む葬列を、小生沿道で迎えました。小生時に12才、今から65年前のことですが、その時の感慨が、昨日テレビの前の小生の脳裏に浮かび上がって来たのです。

イラクへの自衛隊派遣は既に決まったといいます。派遣の時期が年内か、年明けかは検討されるそうですが、そのいずれにしても、テロの危険が変るわけでは無いでしょう。政府に望むらくは隊員の安全を第一に配慮して欲しいという事です。それでも、若干の犠牲が出るかも知れません。覚悟は必要です。

先ほど、高等商船の同期生の奥さんから、喪中につき「年賀遠慮」の葉書が届きました。勿論小生と同年齢ですが、元気な男であっただけに、小生些か気落ちしました。

今日のメール、始めから終わりまで、気の滅入る話ですみません。
明日は陽気な話をいたします。  では、    (15.00)

2003.12.4  奥克彦参事官・井ノ上正盛書記官の
         遺体午後に帰る

昨日、今日と天気は上々で、風も無く温かい冬の日差しに、南向きの部屋では眠くなります。このホームページの管理人さんは2・3日、広島から山陰へかけて、弥生期の遺跡探索のツアーに参加するとの事で、小生のメールもお休みにしました。

その間、色いろな出来事が新聞面を賑わしていましたが、やはりイラク・ティクリートで殺害された2名の日本外交官の問題でした。そして、そのイラクへ自衛隊を派遣する事の是非、小泉政権の対応が盛んに論じられました。
小泉首相は昨日、イラク復興支援特別措置法に基づき、陸上自衛隊をイラクに派遣する事を最終決定しています。そして、その基本計画を8日にも閣議決定し、首相は記者会見で国民に説明する方向で政府・与党の調整を行い、9・10両日、衆参両院で閉会中審査を行う見通しになりました。陸海空で1,100人規模の派遣になるようです。

奥克彦・在英大使館参事官と井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官の遺体はクエートからロンドン経由で今日午後に成田空港に到着、警察当局の検死・司法解剖が行われます。
外務省は奥・井ノ上両家と「外務省葬」を葬儀委員長、川口順子外相で6日午前11時から東京・青山葬儀所で執り行う事を決めています。

二人の日本外交官が、何故、どの様に殺害されたかは、当初アメリカ軍が発表した状況と、その後、目撃者が証言している事と大きく食い違い、混乱していましたが、結論的には、2台の車で前後を挟み、1台が平行して追い抜きざまに銃を乱射したように伝えられています。
しかし、殺害者は誰か、如何なるグループかは判然としていません。色いろな危険グループがある訳で、フセイン旧政権下の民兵組織「サダム挺身隊」、ウサマ・ビンラディンを支援する過激派組織「アルカイダ」、戦乱に乗じた盗賊集団、或いは外国の軍隊に国土を蹂躙されている事を良しとしない住民グループなど、考えれば色んな危険集団がある訳でしょう。

イラクは全土が戦場なのです。

それでも日本は自衛隊を派遣すべきだと、小生は小泉首相の方針を支持
しています。
イラク復興が一日も早く、そして新しいイラクの政権が確立し、民生の安定を実現できるよう協力すべきと考えています。
自衛隊は戦争をしに行くわけではありません。去る1日、東京都の石原慎太郎知事は記者会見で、「イラクのテロ防止を含めて、あの国の再建に力を貸すというのは当然だと思います」と理解を示しましたが、「自衛隊がもし攻撃されたら、堂々と反撃して、せん滅したらいい。」小生もそう思います。
ただ、「日本軍というのは強いんだから」と蛇足を付けたのは、滑稽でした。

何時の時代の日本兵が彼の頭の中にあるのでしょう。チョッとお笑いです。
それでは、また、明日。                     (13時)

2003.12.1  イラク情勢ますます悪化・それでも怯むな、慎重に

今日も曇り空で、薄暗い、そして、冷たい感じの朝になっています。
今日から師走、いよいよ今年も後一ヶ月で終わります。さらに、今日は皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さんが、2歳の誕生日を迎えられました。
なお、聖徳太子さんは45年です。
一万円札見本
昭和33年(1958)12月1日、それまで2年前から大蔵省印刷局で印刷され出番を待っていた一万円札が、やっと日の目を見ました。
出来具合はまず満点とされましたが、神武以来の高額紙幣で庶民の感覚では、そんなに使いがっての良いものとは思えず、この日の発行は初物のご祝儀といったところで、日銀大阪支店扱いも僅か六億円(六万枚)だったそうです。今では子供のお年玉でも一万円札単位ですが、当時、銀行辺りではこれで計算が随分楽になったと言います。バンクガールたちも「ヘエー、これが一万円札なの」といとおしむ風だったと言います。
小生の月給はナンボやったんかなァ。【まだ、銀行振込では無かった】

昨日早朝から伝えられた、ティクリートにおけるイラクの日本大使館員2名レバノン人運転手1名の殺害事件は、詳細が伝えられるにしたがって我が国内にも様々な反応を見せました。自衛隊のイラク派遣をめぐる議論が沸騰しているようです。例えば、与党内でも「ひるむな」派、「慎重に」派に分かれます。中でも加藤紘一元幹事長は、「イラク戦争は大義のない間違いの戦争だった」と派遣反対を積極的に表明しています。
ブッシュ大統領が仕掛けた、「大義なき」戦争であったとしても、いま、この期に、我が国の自衛隊派遣反対の意見は、小生は何か違和感を感じます。首相の「方針は変らず」の方向を支持します。
新聞の報道ではスペイン人7人が死亡、韓国人?も襲撃などの記事が載っています。現地の情報をより的確に把握して、戦闘の無い所という観念を捨てて、戦地へ派遣するのだと言う位の覚悟で行かせる、また、出て行く事が大切でしょう。

凶弾に倒れた、若い命の、参事官・書記官お二人のご冥福を心からお祈りします。

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