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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成22年7月1日号

 
番外編其之一
 
 交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」。第4回は、番外編として地域ではなく、山に関する札を紹介します。
 交野市の約半分を占める山地は東部から南部に屏風のように広がり、緑豊かで市民の安らぎとなっています。この山地は奇岩巨岩が多く、それらを題材にした数々の神話や伝説が生まれ、また修験道の行場として利用されてきました。


         


加藤肥後守拓本
   私市の磐船神社には、高さ、幅とも12メートル以上もある巨岩があり、神社のご神体として祀られています。
 この巨岩は、加藤清正が大阪城の石垣に利用しようとしたが、あまりの大きさに断念したという伝説があります。
 しかし、近年この巨岩のてっぺんに、左の拓本のように、加藤肥後守と石工の名が刻まれていることが分かりました。
 ここで登場する加藤肥後守は、秀吉の忠臣加藤清正ではなく、その息子のことと考えられます。
 そのため、ご神体を運ぼうとしたのは、秀吉の時代より、少し後の時代だと思われます。

 現在の大阪城の石垣も秀吉時代のものではなく、徳川家康が大坂夏の陣より後に諸国の大名から石を取り寄せ、築造したものということが分かっています。
 加藤肥後守にしても、大阪城まで運び出すことができなかったことから、石に名前を刻むことしかできなかったのでしょう。
 ちなみに大阪城の石垣に加工されながら使われなかった石を残念石と呼びます。



御前払神人
 現在、毎年9月15日に京都の石清水八幡宮で行われている石清水祭は、もともと放生会とよばれ、平安時代初期に始まり、中断はあったものの、1100年以上もの歴史のあるお祭りです。
 放生とは、鳥や魚など生きたものを放つ行事のことで、日ごろ人間が生きていく上で、殺生しているものに対する供養の意味が込められています。
 八幡大神は種々の霊を慰めるため、この日に石清水八幡宮の本殿から神輿に乗って山麓の頓宮へ移り、放生川で放生を行った後に、本殿へと戻っていきます。
 神の移動は真夜中に行われ、松明や提灯の明りに照らされた3基の神輿と古式衣装を身にまとった500人もの供を従えてゆっくりと移動する神幸行列は、なんとも幻想的で雅なものです。
 この行列には、石清水八幡宮に縁のある人々が参加してきましたが、交野では、今でもなお、私市地区と森地区の人たちがそれぞれ御前払神人、火長神人として参加しています。

 なかでも、御前払である私市地区の神人は、梅のずあい(新芽の出た梅の枝)を持って、神輿の前の道払いをするため、磐船街道沿いの「梅の木」と呼ばれる場所にある梅の木を切ったと言われています。
 この梅の木は、宇佐八幡宮から八幡へ八幡大神を勧請する時に、道中の杖に梅の枝を使い、それを地面に突き刺すと、芽が吹き出した木であるとする話や、神功皇后が、休憩時に食事をした梅干しの種が成長した木であるといった話が残っています。
 もちろん、これらのお話は伝説ですが、現在も何代目かにあたる御前払の梅の木が新たに植えられています。


 白旗池は、交野山の北の谷をせき止め、湧水を蓄えて造った池で、市内で3番目の大きさを誇り、オシドリの飛来してくる池として知られています。
 かつては、ふもとにある倉治村の人たちにとって生活していく上で、なくてはならない水源地でした。
 かるたの読み札の免除とは、免除川のことです。
 この川は、源氏の滝から機物神社の南を通り、郡津地区と私部地区の間を流れ、さらに長宝寺小学校の南側から松塚地区を抜けて、天野川へと注いでいます。
 免除川は、もともと機物神社から倉治の集落に向けて流れていたといい、たび重なる土砂災害を防ぐために付け替えられたという話が残っています。
 近年の有池遺跡や倉治遺跡の発掘調査により、古墳時代にさかのぼる旧河道の跡や集落跡が見つかっており、中世には灌漑システムを完備した水田域と溝で区画された屋敷地なども発見されています。
 扇状地特有の自然災害と戦いながら生活を送っていた人々の苦労が偲ばれます。


観音岩

 生駒山脈の北方の峰にあたる交野の山並みは、なだらかで優しい表情をしています。
 その中で山の稜線が三角に尖った交野山は、その山頂に遠くからでも確認できる、全高約15メートルもある巨岩があり、交野のシンボル的な山となっています。
 山頂の岩は、観音岩と呼ばれ、岩の表面には聖観音を表す「梵字「サ」(サ)」の梵字が刻まれ、昔から人々の信仰の対象となっていました。
 梵字の下、地表面に近いところには、「寛文六丙午年吉祥日/京都猪熊荒神三寶寺/法印實傳」と銘文が彫られています。

  あんな大きな岩がどうして山頂にあるのだろう、と不思議に思ったことはないでしょうか。
 約8千万年前に、激しい火山活動などの地殻変動により、交野山地の核が出来上がりました。
 その後、ここ50万年の間に隆起や沈降の地殻変動が最も激しくなり、この間に交野山は急速に隆起したものと考えられます。
 山頂の巨岩は、このように断層でせり上がった山頂部が、長い年月の間に浸食作用を受け、花崗岩のうち、脆弱な部分が風化して崩れ去り、硬い岩が残って出来上がったものなのです。


 

お知らせ

 ご好評をいただいております「かるた歴史ウオーク」は、8月はお休みします。

住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)


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