[ホームページ] へ戻る

広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成22年10月1日号


 
郡津・倉治地区編
 
 交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第7回は郡津・倉治地区です。
 「郡津」の名前は、この地域に昔の役所「郡衙」があったことからついたと考えられています。
 倉治地区は、倉治古墳群や、国の登録文化財である交野無尽金融株式会社の本社(現在の教育文化会館)など貴重な歴史遺産があります。



明遍寺
 明遍寺の名前は、平安時代の僧侶「明遍」の名前からとっているということです。
 明遍は、12世紀の中ごろに最も権力を持っていた藤原氏の一人、藤原信西の子です。信西は平治の乱(1159年)で殺され、信西の男子は出家させられました。
 その中でも明遍は優秀で、東大寺や高野山で学び、念仏者としても著名で、空阿弥陀仏と呼ばれていました。
 明遍寺は、明遍が高野山から京都に住む法然上人に会うため旅路の休息所として、郡津に小庵を建てたのが始まりだとされていますが、実際には、明遍が法然とひんぱんに会っていたとは考えにくく、言い伝えでの話だと思われます。
 しかし、郡津には京都と高野山を結ぶ東高野街道の休憩所である茶屋があり、高野山に関係のある著名な僧侶たちもここを通った可能性は高いと考えられます。


郡津神社敷地から出土した瓦
  長宝寺は、郡津村にあったといわれる山寺で、享和元年(1801年)に書かれた「河内名所図会」の中には、この寺の本尊は十一面観音像であったと書かれています。
 長宝寺の正確な場所は分かっていませんが、明治の初めごろまで、郡津神社の境内北側に長宝寺という宮寺があり、そこで寺子屋が開かれていたという話が伝えられています。
 また、この寺が廃寺になったときに移されたとされる観音堂と九重石層塔が、先ほど紹介した明遍寺に残っています。
 読み札にある瓦とは、長宝寺があったとされている郡津神社北側の敷地内から発見されたもので、昭和50年代の調査により瓦の欠片がたくさん出土しました。
 これらの欠片のなかには、中世の瓦類のほか、蓮の花を象った蓮華文や、忍冬唐草文とよばれる独特の文様が施された軒丸瓦など、飛鳥時代の古代寺院の屋根に葺かれていたと考えられる瓦がありました。
 残念なことに、長宝寺に関する文献資料は江戸時代のものしかなく、飛鳥時代の古代寺院が長宝寺かどうかは分かりません。
 しかし、この寺院は、渡来系氏族や中小豪族が当時最先端の技術を用いて建てたものであり、郡津神社から見つかった瓦はそのことが伺える貴重な資料です。

 倉治の機物神社に江戸時代に遡る10数冊の「えぼしぎ帳」が残されています。
 「えぼしぎ」とは、武士が元服するときに行う儀式のことで、15歳になった武士の子は、烏帽子親から名前をもらい、幼名から烏帽子名に改めました。
 官途名は、もとは官吏の職に就いた人が名乗った名前でしたが、後に烏帽子名から改めて、成人男子の名前として名づけるようになりました。
 江戸時代には、この名づけの習慣が百姓や町民にも広まり、倉治では、機物神社で烏帽子名と官途名を名づけてもらっていました。
 機物神社に残るえぼしぎ帳には「きち→吉三郎」、「いの→庄五郎」など幼名から烏帽子名に改めた記録や、「庄三郎→庄左衛門」、「半三郎→作兵衛」などの官途名に改めた記録があります。
 この「○衛門」や「○兵衛」という名前は、都の警備を担当する「衛門府」「兵衛府」という役所があり、そこに勤める人につけられた官途名でしたが、後に、百姓や町人であっても、自分に縁のある字に、勇ましい「衛門」や「兵衛」の字をつけるようになりました。



七夕祭り(機物神社)
 機物神社で行われる七夕祭りは、境内いっぱいに立てられた笹に、願いごとが書かれた色とりどりの短冊が彩り、今では市内のみならず多くの人でにぎわうお祭りですが、現在の形になったのは、昭和54年からのことです。
 「河内名所図会」には、機物神社で、7月7日に例祭が行われ、男児1人を選んで祭主にし、祭礼を行ったことが書かれています。
 江戸時代の祭は、現在の七夕祭よりも、祇園祭のようにお稚児さんをたてて、穢れを払うような性格のものであったと考えられます。
 その後、機物神社はお稚児さんをたてたお祭りを、秋の例祭として10月に行っていましたが、江戸時代には7月7日に例祭が行われていたことから、氏子の協力を得て、7月7日に現在の形の七夕祭りが行われるようになったのです。

 


 広報紙での交野郷土史かるたの紹介とあわせて、かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行います。歴史解説ボランティアと一緒に、市内の歴史散策に出掛けてみませんか。
と き 11月26日(金)午前9時30分〜正午
コース 郡津駅→明遍寺→郡津神社→機物神社
定 員 先着30人
参加費 100円(保険代)
申し込み・問い合わせ 10月20日(水)午前9時から、文化財事業団(TEL893・8111)
 

住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)


TOPへ戻る