星田地区編其之二 |
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第11回は星田地区の寺院を紹介します。 星田地区には江戸時代から続く寺院が7か所あります。江戸時代は、すべての人はどこかのお寺の壇家にならなければ、今でいう戸籍を与えられず、結婚・就職や引っ越しなどができませんでした。
人口の多い星田地区に、たくさんのお寺ができたことは、そうしたこととも深く関わっています。
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星田寺の歴史は古く、少なくとも平安時代の後期には存在していたことが古文書などで確認できます。 江戸時代の星田寺の壇家は、先祖供養をしてもらい恒常的に供養料を支払う菩提壇家とは異なり、何かをお祈りするときに祈祷料を支払う祈祷檀家というものでした。 そのため星田寺は、定期的な収入を得ることは難しかったようです。
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星田寺
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星田寺は星田村の宮寺で、星田神社と一体となっていたため、星田寺と星田神社の両方を星田寺の住職が見ており、その経営はなかなか大変なようでした。 そのため、星田寺でも祈祷料の他の収入として、富くじを売っていたという記録があります。 富くじとは、現在の宝くじのようなもので、集まったお金は寺社の建築や修繕のために使われていました。 |
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善林寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。 一般的に本堂は南向きに建てられることが多いのですが、善林寺は西向きに建てられています。 享和3年(1803年)作成の「星田村明細書」によれば、善林寺の創建は戦国時代にまでさかのぼり、創建当初は、枚方の光善寺の末寺だったとなっています。このことから、善林寺の本堂は光善寺の方角に向けて建てられたという、言い伝えがあります。 また、寛永14年(1637年)に行った検地についてまとめた「河内国交野郡星田村地詰帳」には「中道場」という名が見られます。 この「中道場」が善林寺の前身で、地元の人たちは、今でも善林寺を「中の寺」と呼ぶことがあります。 延宝2年(1674年)には西本願寺に願い出て、本尊の裏書きに「河洲交野郡星田村善林寺」と記してもらい、正式に善林寺という寺号が認められました。 「星田村明細書」によると、善林寺は元禄9年(1696年)に浄土真宗大谷派(東本願寺)へ転じ、その際に西本願寺からもらった宝物類は召し上げられました。 しかし、後に門徒の家に、正徳年間(1711〜16年)の西本願寺門主寂如上人の御文章を所蔵していたことから、東に転じてわずかの期間で再び西に転じていたことがわかります。
なお、光善寺は東本願寺・西本願寺どちらに属するか、なかなか定まりませんでしたが、正徳元年以後は東本願寺に属することとなりました。そのため善林寺と光善寺のつながりも徐々に薄れていったようです。
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広報紙での交野郷土史かるたの紹介とあわせて、かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行います。歴史解説ボランティアと一緒に、市内の歴史散策に出掛けてみませんか。 と き 3月25日(金)午前9時30分〜正午 コース 星田駅
→ 薬師寺 → 善林寺 → 神祖営趾之碑→ 星田寺 → 新宮山 →
星田駅 定 員 先着30人 参加費 100円(保険代) 申し込み・問い合せ 2月21日(月)午前9時から文化財事業団(TEL893・8111)
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