[ホームページ] へ戻る

広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成23年2月1日号


 
星田地区編其之二
 交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第11回は星田地区の寺院を紹介します。
 星田地区には江戸時代から続く寺院が7か所あります。江戸時代は、すべての人はどこかのお寺の壇家にならなければ、今でいう戸籍を与えられず、結婚・就職や引っ越しなどができませんでした。
 人口の多い星田地区に、たくさんのお寺ができたことは、そうしたこととも深く関わっています。

 星田寺の歴史は古く、少なくとも平安時代の後期には存在していたことが古文書などで確認できます。
 江戸時代の星田寺の壇家は、先祖供養をしてもらい恒常的に供養料を支払う菩提壇家とは異なり、何かをお祈りするときに祈祷料を支払う祈祷檀家というものでした。
 そのため星田寺は、定期的な収入を得ることは難しかったようです。



星田寺

 星田寺は星田村の宮寺で、星田神社と一体となっていたため、星田寺と星田神社の両方を星田寺の住職が見ており、その経営はなかなか大変なようでした。
 そのため、星田寺でも祈祷料の他の収入として、富くじを売っていたという記録があります。
 富くじとは、現在の宝くじのようなもので、集まったお金は寺社の建築や修繕のために使われていました。

 
  薬師寺がいつ建てられたのかは明らかではありませんが、最初に市の指定文化財になった薬師如来立像が作られた、室町時代の後期には存在していたと考えられます。
現在の薬師寺は、浄土宗智恩院派ですが、江戸時代には融通念仏宗佐太来迎寺(現在の守口市)の末寺でした。
薬師寺では専従の住職がいない時期が多く、法要などは慈光寺や光林寺の住職が務めていましたが、普段は星田村全体で面倒を見ていた寺といえます。
薬師如来は非常にありがたい仏様で、ありとあらゆる病気を治してくれ、別名を大医王仏ともいいます。
昔は薬師如来にお祈りすることが大切な医療行為となっていて、等身大の大きな薬師如来はさまざまな疫病やけがから村人を守ってくれる心のよりどころとなっていたため、星田村の人たちにとって薬師寺は大きな存在でした。
江戸時代前期の17世紀後半に、幕府は各村にとって重要な寺社を申請させました。
そして寺社の中で重要性の認められたものを「除地」として、正式に年貢の免除が認められました。
星田村で除地として認められたのは、薬師寺・星田寺・光明寺・星田神社でした。

薬師如来立像

千体仏
 
 また、薬師寺の千体仏(市指定文化財)は、室町時代に作られました。
千体仏は現存するものが671体、そのうち同時期に同じ手法で造られた薬師如来が426体、地蔵菩薩が192体あり、その他には、どこか違うところから集められたと思われる仏像がいくつか含まれています。
薬師如来は、現在の病気やけがを治してくれ、地蔵菩薩は願いがかなわず死んでしまった人たちを救ってくれます。
 恐らく、薬師寺の薬師如来と千体仏は、村人たちを守り、それができない場合には供養する目的のために造られたものではないでしょうか。
だからこそ村にとって、無くてはならない非常に重要な存在でした。

 善林寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。
 一般的に本堂は南向きに建てられることが多いのですが、善林寺は西向きに建てられています。
 享和3年(1803年)作成の「星田村明細書」によれば、善林寺の創建は戦国時代にまでさかのぼり、創建当初は、枚方の光善寺の末寺だったとなっています。このことから、善林寺の本堂は光善寺の方角に向けて建てられたという、言い伝えがあります。
 また、寛永14年(1637年)に行った検地についてまとめた「河内国交野郡星田村地詰帳」には「中道場」という名が見られます。
 この「中道場」が善林寺の前身で、地元の人たちは、今でも善林寺を「中の寺」と呼ぶことがあります。
 延宝2年(1674年)には西本願寺に願い出て、本尊の裏書きに「河洲交野郡星田村善林寺」と記してもらい、正式に善林寺という寺号が認められました。
 「星田村明細書」によると、善林寺は元禄9年(1696年)に浄土真宗大谷派(東本願寺)へ転じ、その際に西本願寺からもらった宝物類は召し上げられました。
 しかし、後に門徒の家に、正徳年間(1711〜16年)の西本願寺門主寂如上人の御文章を所蔵していたことから、東に転じてわずかの期間で再び西に転じていたことがわかります。
 なお、光善寺は東本願寺・西本願寺どちらに属するか、なかなか定まりませんでしたが、正徳元年以後は東本願寺に属することとなりました。そのため善林寺と光善寺のつながりも徐々に薄れていったようです。


 広報紙での交野郷土史かるたの紹介とあわせて、かるた札にちなんだ史跡などへの見学会を行います。歴史解説ボランティアと一緒に、市内の歴史散策に出掛けてみませんか。
と き 3月25日(金)午前9時30分〜正午
コース 星田駅 → 薬師寺 → 善林寺 → 神祖営趾之碑→ 星田寺 → 新宮山 → 星田駅
定 員 先着30人
参加費 100円(保険代)
申し込み・問い合せ 2月21日(月)午前9時から文化財事業団(TEL893・8111)


住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)


TOPへ戻る