神宮寺地区編 |
交野市古文化同好会が、平成20年に交野郷土史かるたの改訂版を発刊しました。改定内容は、昭和53年に刊行したかるたの絵札をそのままに、読み札と解説文の一部に、最近分かってきた史実を加えています。
今月から、かるた札を地域別に紹介しながら、交野の名所・歴史を解説します。 第1回目は、神宮寺地区です。 |
神宮寺地区は交野で非常に古い時代から、人間が住んでいたことが確認されている地区です。 |
昭和29年に神宮寺で天平時代(7世紀の終わりから8世紀の中ごろ)の礎石が発見され、古代の交野に大きな寺が栄えていたことが確認できました。 これまで、この礎石の見つかった寺については、嘉吉元年(1441年)に作成されたとする「興福寺官務牒疎」という書物に河内交野郡の開元寺の記述があることから、天平時代に開創された開元寺とされていました。 しかし、この「興福寺官務牒疎」については、最近の研究で、江戸時代に作成された偽文書である可能性が高く、その内容についても信ぴょう性が疑われています。 ただし、江戸時代には、開元寺という天台宗の寺院が源氏の滝の口にあり、明治時代に廃寺となったことは様々な資料で確認できます。 もしかすると、「興福寺官務牒疎」は、この江戸時代の開元寺からさかのぼって天平時代の寺院を開元寺としたのかもしれません。 また、交野山上に、岩倉開元寺という寺があったとされています。これは、平安時代に交野山上に大きな寺院が栄えたことから、「興福寺官務牒疎」に書かれている開元寺が交野山上に移り、岩倉開元寺となったとされていますが、開元寺自体の信ぴょう性が疑われているため、これも詳しいことは分かっていません。 岩倉開元寺は、発掘調査によって、鎌倉・室町時代に二度火災に遭ったことが分かっており、この火災のため、衰亡していったと推測されます。 岩倉開元寺に続く参道には様々な石仏が造られています。これが石仏の道で、鎌倉から室町時代にかけての石仏群5点が市指定文化財となっています。 開元寺という名称は別として、神宮寺に天平時代創建と推定される寺院があり、交野山には鎌倉・室町時代に、山岳仏教寺院があったことは事実です。これからの調査研究で寺院名も明らかになっていくことが期待されます。 発見された礎石は現在、教育文化会館の前に置かれています。 |
交野山麓の断層が、流水の侵食作用を受けて滝となったのが、源氏の滝です。 享和元年(1801年)に編纂された「河内名所図会」に開元寺にあった滝なので「元寺の滝」と名付けられたと記されています。 また、その落下する姿が白旗のごとく美しかったので、源氏の白旗になぞらえて「源氏の滝」となったとも伝えられています。 宝形造りとは、隅っこの棟が中央に集まる形式の屋根のことで、滝そばにある宝形造りの小堂は江戸時代からの滝の籠り堂です。 明治36年京都・妙心寺の末寺・宜春院を移し、それまでの本堂を不動堂としました。 昭和の初期には「滝の不動さん」あるいは、不動像が焼けていることから「焼け不動」といって親しまれ、訪れる人の多い交野の名所となりました。 宜春院 交野郷土史かるたは、文化財事業団事務所と、教育文化会館で1部1000円で販売しています。 家族で、友人同士でかるた取り遊びをしながら、故郷交野の歴史について再発見してください。 |
私部地区編 | ||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」、第2回は私部地区です。この地名には古い由緒があり、もとは「きさきべ」と読みました。「きさき」とは皇后のことで「きさきべ」は皇后に仕える人々を指し、それが転じて、きさきべの土地という意味にもなりました。今も、昔の町並みを残す地区と、市役所や交野市駅など新しい市街地区が融合した、交野の中心地となっています。
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
私市地区編 | |||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第3回は私市地区です。
5月号で私部の名前の由緒について紹介しましたが、私市の地名も私部と同様に、皇后に仕える人々「きさきべ」から生まれました。「きさきべ」が「きさいちべ」と変化し、それがさらに、「きさいち」になったといわれています。 |
|||||
|
|||||
| |||||
若宮神社は私市地区の氏神で、私市会館の北側にあります。 ところが、私市にはもう1つの氏神、天田神社があります。両社はともに、海の神・航海の神とされる住吉の神々を主神として祀っています。 なぜ同じ神を祀る神社が私市には2社あるのでしょうか。 「交野町史」によれば、18世紀の初頭に星田・私市村と、奈良県の田原・南田原村が磐船神社を総社としていました。 しかし、交野の村々の氏子が少なくなったため、両者の間に宮座争い(氏子グループ間の勢力争い)が起こり、解決せず物別れに終わりました。 その後、それぞれの村が磐船神社の分霊(これがこの当時は住吉の神々でした)を連れ帰り、立派な社を建てて住吉神を祀りました。 私市村にはすでに天田神社があり住吉神を祀っていましたが、田原から来る人に立派な社を見せるために、新たに村の南側に建てた神社が若宮神社です。 中世には、住吉信仰が流行し、交野の村々でも、祭神を住吉の神々に変更する神社が数多く出てきました。 現在も市内で住吉神を祀る神社は、郡津神社・住吉神社(寺地区)・住吉神社(私部地区)・天田神社・若宮神社・磐船神社・星田神社の7社があります。 |
|||||
|
|||||
|
|||||
|
|||||
|
番外編其之一 | ||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」。第4回は、番外編として地域ではなく、山に関する札を紹介します。
交野市の約半分を占める山地は東部から南部に屏風のように広がり、緑豊かで市民の安らぎとなっています。この山地は奇岩巨岩が多く、それらを題材にした数々の神話や伝説が生まれ、また修験道の行場として利用されてきました。 |
||||||
|
||||||
| ||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
森・私市地区編 | ||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第5回は、森地区と私市地区の天田神社・獅子窟寺です。
森地区は、私市地区と同様に石清水八幡宮と深いつながりを持っています。石清水八幡宮に残る古文書には、平安時代に石清水八幡宮荘園「交野郡三宅山」と記載があり、森地区の古文書によると、森地区の人々は、この三宅山を守るために交野へやってきたとなっています。 |
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
寺・傍示地区編 | ||||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第6回は、寺・傍示地区です。寺地区には車塚古墳や寺古墳群など古墳時代中期から後期にかけての古墳が点在します。また、傍示地区は大和国へと続く交通の要で、その道は大和側からは傍示越と呼ばれていました。
両地区には国指定の重要文化財もあり、交野の歴史を語る上で非常に重要な地区です。 |
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
||||||||
|
郡津・倉治地区編 | ||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第7回は郡津・倉治地区です。
「郡津」の名前は、この地域に昔の役所「郡衙」があったことからついたと考えられています。 倉治地区は、倉治古墳群や、国の登録文化財である交野無尽金融株式会社の本社(現在の教育文化会館)など貴重な歴史遺産があります。 |
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
番外編其之三 | ||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第9回は、酒造りや山林の管理など、交野の生活に関わる話を集めました。 | ||||
|
||||
|
||||
|
||||
|
||||
|
||||
|
番外編其之二 | ||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第8回は、山や川など、自然にまつわる話を集めた番外編です。
今回紹介するかるたの「かた野」は、交野市内に限らず、天野川沿いから枚方市の禁野付近の、昔でいう交野が原を意味します。平安京から近く、自然豊かな交野が原は、皇族や平安貴族にとって人気の観光地となっていました。 |
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
||||||
|
星田地区編其の一 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
交野郷土史かるたを地区別に紹介する「かるた郷土史めくり」の第10回は、星田地区を紹介します。
星田地区が昭和30年に交野町と合併する前は、星田村として独立した村でした。今でも市内でもっとも人口の多い地区で、さまざまな歴史や伝承が残っています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|