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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成23年7月1日号

 
 
No.4〜古墳時代の交野の豪族〜
 

 弥生時代の次の時代、3世紀の中ごろから始まるのが古墳時代です。
古墳≠ニいう世界的に見て珍しいお墓が、全国各地に数多く作られたことからこの時代の名前がつきました。
古墳を作るには、
@たくさんの土を削ったり盛ったりして、形を整えて墳丘と呼ばれる小山を作る
A墳丘の中に棺を納める場所(石室など)を作る
B埴輪という焼き物を墳丘を取り囲むように立てて並べ、墳丘表面に石を並べる
Cお墓に入れる棺や豪華な副葬品を用意する
など土木工事の高い技術や莫大な労働力が必要でした。

 そのため、こうした古墳を作ることができたのは、豪族などのごく一部の権力者でした。
古墳はお墓であるだけでなく、その形により豪族同士の同盟関係や、大きさで豪族の上下関係を表し、豪族の権威を民衆に知らせる重要な役割を持っていました。


森古墳群・鍋塚古墳の表面に並べられた石
 
奈良の豪族との同盟関係
 森地区から傍示の里へ上がる山の中に残る森古墳群は、昭和55年に市内の小学生が土器を発見して、大きく注目されました。
 交野で最初に築かれた古墳群で、前方後円墳が連続して築かれていることから、北河内地域でも力のあった豪族によるものとみられています。
 また、森古墳群で「雷塚」と呼ばれる古墳は、奈良県の箸墓古墳との共通点があることが分かっています。
 箸墓古墳は、古墳時代初めころの最大の前方後円墳であり、最高位の支配者が葬られていたことは確実で、卑弥呼の墓かもしれないと言われています。
 雷塚は箸墓古墳の1/3ほどの大きさですが、形がよく似ており、さらに箸墓古墳で見つかった壺型の土器によく似たものも見つかっています。
 こうした共通点から、交野の豪族が当時の最高位にあった奈良盆地の有力者と強い同盟関係をもっていたと考えられます。
 
交野車塚古墳群
 交野高校周辺では、5世紀ごろの古墳群で現在6つの古墳が確認されています。
 その中の一つ、高校の敷地内にある東車塚古墳では、長く大きな木棺がみつかりました。
 調査により、玉類などの装飾品や銅鏡の他に、よろい・かぶと・刀剣類などの武具が豊富に副葬されていたことから、武人かその関係者の豪族が葬られていたとみられています。
 こうした副葬品や埴輪の特徴から、羽曳野市・藤井寺市に広がる古市古墳群との共通点があることもわかってきました。
 また、この古墳群の中の一つ大畑古墳は全長約90メートルもあり、交野で最後の前方後円墳であると同時に5世紀に作られた古墳では北河内で最大のものです。
 
古墳文化の広がりと終わり
 6世紀中ごろになると、10メートルほどの小さな墳丘の古墳が集まって築かれる「群集墳」が日本全国で増加します。
 その多くは「横穴式石室」という石積みによる横穴の埋葬施設があります。
 この石室の特徴は、開閉が簡単で、何度かに分けて複数の人を納めることができたことです。
 群集墳へ葬られる人の数は多く、一部の権力者だけでなく幅広い身分の人が古墳に葬られるようになったとみられています。
 倉治で変電所建設時に発見された倉治古墳群も横穴式石室の古墳です。
 石室に副葬されていた刀などの武具や糸紡ぎに使う紡錘車などから、葬られた人たちはこれらを使う仕事に関わっていたのでしょう。
 現在、古墳はありませんが、埋葬されていた人たちは、変電所の裏にある古墳塚で供養されています。
 同時期の古墳として市内には倉治地区の清水谷古墳や、寺地区の寺古墳群があり、現在は見学できませんが良い状態で古墳が残っています。
 そして、星田西にあった長谷古墳という7世紀前半の長さ1bほどのきわめて小さな石室をもった古墳を最後に、交野の古墳時代は終わります。

横穴式石室(イメージ図)
 
古墳時代を考古学してみよう
 古墳は、千年以上もの長い間その形を保っている当時の土木技術の水準の高さと、交野の豪族の権力の大きさを雄弁に物語っています。
 弥生時代までは、人工的な建造物といえば竪穴式住居や一部の高床式建物のみで、他は田畑や緑が広がる風景でした。
 古墳時代に入り、今までとは全く規模の違う大きさで、莫大な時間と労力をかけ、人工的に整備された古墳の姿は、当時の人たちに大きな衝撃を与えたでしょう。
 例えるなら、昭和30年代、あまり高い建物が無かった東京で、333メートルという高さの東京タワーが建てられたときのような驚きでしょうか。
 きっと当時の人たちも「時代が変わったなぁ」と感じたことでしょう。
 

夏休み!こども発掘体験講座

 埋もれた遺物のレプリカを掘り出す楽しさを体験してみませんか。
と き 7月21日(木)
▽午前の部:10時〜11時30分
▽午後の部:1時30分〜3時
ところ 教育文化会館
対 象 小学生以上(低学年の人は保護者同伴)
定 員 各部10人程度
参加費 500円
問い合わせ・申し込み 文化財事業団(TEL893・8111 FAX893・8168)

歴史クイズ

問題
 交野にもある前方後円墳、この不思議な形はどのようにしてできたと考えられているのでしょうか?
 @丸いお墓へ上がるための通路からできた。
 A鍵穴の形をまねてできて。
 B人の姿をまねてできた。 

 歴史クイズの正解者の中から抽選で1名様に「ジュニア文化財ガイドブック」をプレゼントします。当選者の発表はガイドブックの発送に替えさせていただきます。
応募方法
7月31日(日)までに@答えA名前B住所C電話番号Dあれば感想・質問を書いて文化財事業団広報プレゼント係(〒576−0052 交野市私部2−29−5 e-mail:bunkazai@city.katano.osaka.jp
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)

6月号歴史クイズ答え
正解は、3でした。
解説:東京都弥生町の向ヶ岡貝塚から発見されたことから、弥生式土器と名付けられました。


住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)


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