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広報 かたの 特集シリーズ

広報かたの 平成20年5月1日号

今月のテーマ:車塚古墳群と交野高校周辺

ボランティア解説員 村田義朗
河内磐船駅から府道交野久御山線へ出て、東へ道なりに行くと寺村へ行く道と交わる交差点に出ます。左にいきいきランド交野、右に交野高校があります。
 みなさんは数十年前にこのあたりで大規模な古墳の発掘調査が行われたのをご存じでしょうか。今月は、その時に発掘された車塚古墳群と交野高校周辺を紹介します。
古墳の発見
昭和47年、寺南野に交野高校が建設されることになり、それに伴う事前調査で古墳が発見されました。
 府の教育委員会による発掘調査で、前方後方墳1基、円墳3基、方墳1基の合計5基が出現しました。これらは「車塚古墳群」と名付けられ、広く知られています。
 下の大きな写真は発掘当時の車塚古墳群、左下の写真は現在の交野高校周辺の航空写真です。
 写真を見比べると、交野高校が古墳の上に建っていることがよくわかります。

発掘調査の様子
車塚古墳真
車塚古墳群とは、交野高校建設予定地から見つかった5基(1〜5号墳)と最近の調査で判明した1基(6号墳)からなる古墳群です。
 この古墳には、4世紀末から6世紀初頭のころの豪族、肩野物部氏の一族が葬られていると考えられています。
 中でも3号墳は、墳丘部が円形で周濠部が正方形の方形という他に例のない形の円墳で、その形から「日の丸古墳」と名づけられました。
 この古墳の上には、体育館が建てられる予定でしたがが、珍しい古墳を保存するため、体育館を南へずらして建設し、日の丸古墳は土を盛って元の形に戻し、さらに土を盛ってその上をテニスコートとして使用しています。
 交野高校の生徒でも、自分が古墳の上でテニスをしているなんて知らない人も多いのではないでしょうか。
 これらの古墳や出土品は、平成6年に大阪府の史跡や指定文化財として登録されています。

当時の車塚古墳群

交野高校設立後

※この写真は斜め上空から撮影しているため、

真上から撮影された下の写真は横幅の比率を加工したものを使用しています。

 
周囲の変化
古墳の発掘当時、辺りは見渡す限り水田の広がるのどかな風景でした。
 しかし、今は、府道交野久御山線が通り、交野高校の西にあった新池は埋め立てられ私部公園に。いきいきランド交野も建てられるなど、すっかり様変わりしてしまいました。
 また、古墳発掘当時に撮った写真の中に左上のレトロな雰囲気を漂わす写真がありました。これは、車塚古墳を東に、寺へと進む道にあった踏切です。
 この地道に踏切という、なんとも懐かしい感じのする光景ですが、すぐ横に線路の下をくぐる道路ができたため、今は撤去されて、左の写真のように線路への進入を防ぐフェンスが取り付けられています。
 ただ、現場に行くと、今は途切れていますが、道として使われていた形跡が残っています。

当時の踏切

※写真左奥が車塚古墳(現 交野高校)

現在の様子
6号墳と寺の集落
交野高校から先ほどの線路下をくぐると、四つ辻になります。その辻の北側には土盛りがされていることが分かります。この土盛りが寺で最近発見された車塚古墳群の6号墳です。全長85・、後円部の直径が50・の前方後円墳と考えられ、車塚古墳群の中でも最大規模の古墳で注目を集めています。
 その場所には「弥生時代住居跡遺跡」と刻まれた石碑が立てられており、この古墳が弥生時代の遺跡と重複していることが分かります。
 これらが示すとおり、寺の集落は弥生時代から存在しており、村の名前を「てるは」と呼んでいました。
 古墳時代になると大陸から製糸や機織りの技術を持った渡来人が来て、今の旧集落あたりに住んで、この集落は「はたやま村」と呼ばれていました。
 当時は渡来人の進んだ技術で作られた糸は高級品だったので、この村の豪族は相当な力を持っていたと考えられます。寺の住吉神社の東側一帯に多数の横穴式古墳があることからも、そのことが伺えます。
 しかし、その繁栄も長くは続かず、土砂くずれなどによりはたやま村も寂れ、村の人たちは山麓へ移り住み、農耕を中心とした「てるは村」になりました。
 「寺」という地名はこの「てるは」が時が経つにつれ「てら」となってしまったとの説もあります。
弥生時代住居跡遺跡石碑
 
交野高校が建ったころは、交野は交野町から交野市へ変わるなど、のどかな町から学園都市へと変ぼうをとげた時代でした。あれから30数年、交野もずいぶん近代的になってきました。今は交野市を二分するように第二京阪道路が建設中であり、数年後には、さらに様変わりして、今の交野の風景も懐かしい風景に変わるかもしれません。
 

シリーズで学ぶ交野の歴史
第2回講演会

  連続10回の講座です。2回目となる今回は、歴史民俗資料展示室がある倉治界隈を散策し、倉治のいいところを再発見します。
と き 5月30日(金)午前10時〜
 (雨天中止)
集 合 午前10時に教育文化会館前
テーマ 「倉治の迷路を歩く」
講 師 歴史民俗資料展示室ボランティア解説員
定 員 30人
申し込み・問い合わせ 歴史民俗資料展示室(TEL810・6667)

 
住 所 交野市倉治6−9−21(教育文化会館内)
▽JR津田駅から徒歩10分
▽交野市駅から、京阪バス「津田駅」行き、「南倉治」下車、徒歩1分
▽ゆうゆうバス、倉治コース、「南倉治バス停」下車、徒歩1分
開館時間 午前10時〜午後5時(入館は4時30分まで)
休館日 月曜日・火曜日・祝日・年末年始
問い合わせ 文化財事業団(TEL893・8111)か、同展示室(TEL810・6667)

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