「私市の石仏さん(1)」
交野歴史民俗資料展示室  ボランティア解説員 村田義朗
 しとしと、じめじめ、と憂うつなイメージの梅雨の季節が近づいてきました。
 そんなときこそ、一歩外へ踏み出してみませんか。土の匂いや植物の息づかいを感じると、ちょっとした気分転換になるかもしれません。
 今回は、私市駅から天田神社までの道中の石仏さんを紹介します。
弘安地蔵さん
私市駅から歩いて5分、「私市共同墓地」に弘安地蔵さんが安置されています。
 このお地蔵さんは、府内で最古の銘「弘安4年(1281年)」を持つお地蔵さんで、府指定文化財・重要美術品に指定されています。
 弘安地蔵さんは、右手に錫杖を持たない古い形式のもので、頭上とその左右には地蔵菩薩を示す梵字「カ」が彫られています。像の右側には「石作三郎」と石工の銘が確認できます。
 別名「杖あずけの地蔵さん」とも呼ばれ、安置されている地蔵堂の中には、帽子や杖などが置かれています。
 人が亡くなると、生前、身につけていたものを地蔵堂に預けることで、早く極楽に導いてもらいたいという願いからかもしれません。庶民の願いを聞いてくださるありがたい仏さまとして、今も大切にまつられています。
廃蓮華寺の石仏群
磐船街道から、東に曲がった若宮神社東側の路地沿いに、阿弥陀さん、地蔵さん、宝筐印塔、五輪塔など13体が東向きに整然と安置されています。私市の蓮華寺や村の辻にあったものが集められたのでしょうか、阿弥陀さんが7体と多く、西方浄土を夢見た庶民の願いが感じられる石仏群です。赤と白の前垂れに「奉納」と大きく書かれ、大切にまつられています。
 石垣や板塀の静かな村の中を灯ろうや二月堂とあいさつをかわしながら坂道を下ると、パッと視界が広がり昔懐かしい田園風景が広がっています。ここは古代の甘田の名残なのです。
西念寺の仏 たち
交野の子どものり歌に、「さいたかさいたか西念寺 ういたかういたか雲林寺 松のたからは松宝寺」と歌われている西念寺は、天田神社鳥居前から続く天野川条里制の一条通より北の小川沿いに建っています。
 門を入った南側に墾田地蔵さんが、7体の阿弥陀さんと一緒に東を向いて立っています。住職の話では、もともとこの石仏は、寺の北側の小久保川を越した北の墾田筋に立っていましたが、「西念寺に行きたい行きたいと夢告げされたので、ここにおいでいただいた」ということです。
 ゆっくりとお地蔵さんの前で拝んでいると、いつの間にか悩みも消えて晴れ晴れとした気分になるようです。
私市4丁目のお地蔵さん

西念寺から北へ100メートル、きれいなほこらの中に2対の阿弥陀さんがまつられています。

昔、道路沿いの小川の改修工事の時に出土した仏さんだそうで、いつも真新しい花が供えられている手入れが行き届いた石仏さんです。

廃千手寺の二尊仏
愛宕山の伏拝の石碑が立つ廃千手寺の境内に二尊仏がひっそりとまつられています。
 鎌倉時代、亀山上皇が獅子窟寺の薬師如来に病気の回復を祈願し、回復を喜んだ上皇が、滞在した場所に観音寺(現在の廃千手寺)や、この寺を管理するための田を寄進しました。現在、この地域にある「院田」という地名は、この名残と考えられています。
 廃蓮華寺や廃千手寺の仏像は、境内の収蔵庫に安置され、そのうち、聖観音立像と如意輪観音坐像は市指定文化財にも指定され、春と秋に一般公開されています。
佃筋の石仏さん
 廃千手寺から佃筋を東へ、小久保川から分流している幅70・の用水路の上の田んぼのあぜ道に、佃筋の仏さんがまつられています。
 思わずひざをついて手を合わせたくなるような小さな阿弥陀さんは、田んぼの水を守り、村人の悩みを静かに聞いてくださったのでしょう。
 千手寺に寄進された田の管理者の直営田を「佃」といいます。佃はこの一帯にあったので、「佃通り」という地名がついたと言われています。
 ここから東へ進むと、天田神社にたどり着きます。
 私市の石仏の紹介は、いかがでしたでしょうか。
 ここで紹介した以外にもたくさんの石仏があります。思い立ったら散策がてら、地元の石仏さんを探してみてください。