「私部の石仏さん」
ボランティア解説員 高尾秀司

 夏真っ盛りとなりました。今回は、私部の石仏さんを紹介したいと思います。  

私部には想善寺・光通寺・無量光寺という3つもの有名で大きな寺があり、これらの寺を中心に石仏がたくさん分布しています。

空禅薮の地蔵さん

 交野市駅東側の出口を出て南に200mほど行くと、文化財事業団の建物があります。そこを左に折れ、古い町並みの中を5分くらい進むと、重要文化財・北田家住宅の土塀が見えます。そこからバス通りを右に行くと住吉神社に到着します。
 この住吉神社の中には、明治時代の初めまで「現光寺」という宮寺があったのですが、あまり知られていません。
 現光寺の名残としては、神社内にある私部会館の東側に空禅薮という薮があり、そこに歴代の住職の墓がまつられています。その手前には7体の小さい阿弥陀如来があり、中央に大きい地蔵菩薩が立っておられます。室町時代中期の作だと思われます。
 ところで、写真でお分かりのように、全身に真っ赤な塗料が塗られています。誰かがいたずらをしたのでしょう。嘆かわしいかぎりです。最近は「バチが当たる」という感覚がなくなっているのでしょうか。
学び地蔵さん

 住吉神社の南側の道を東に進むと、交野小学校が見えます。その南西側に建てられた覆屋の中に、阿弥陀如来坐像と、もとは小学校内にあった5体の石仏がまつられています。これらは、かつて学校内にあったことから「学び地蔵」と呼ばれ親しまれています。
 登下校の小学生たちを見守っているのでしょう。

向井山地蔵さん

 交野小学校正門から西へ進み、信号を越えて一つ目の辻を北へ曲がってすぐの民家の入り口に板碑、双体仏など4体の石仏さんがいます。
 板碑は室町時代初期の作と推定され、二条線の下に深い舟形光背を彫り、その中に阿弥陀如来坐像を浮き彫りにしています。
 石仏さんが立つあたりはなだらかな台地になっていて、昔は「向井山」という地名でした。その名が残っていて、この名前が付いたとされています。
想善寺の石仏群

 向井山から通りに戻り、少し西にある保育園の手前の辻を北に入ると、突き当たりに想善寺があります。
 この境内には室町時代から近年に至るまでの石仏・石塔が100基ほど集められ、そのほとんどが阿弥陀如来です。これらの石仏は、おそらく私部地区の各所にあったものを、ここに集めたのでしょう。
 想善寺には、ほかにも門を入った西側に地蔵堂があり、千体もの木造仏がまつられています。
光通寺の石垣地蔵さん

 想善寺の裏の道を挟んで北側に光通寺があります。この寺の石垣の中には、「石垣地蔵」と呼ばれる2体の石仏が見られます。
 石仏はかなり風化して、写真では分かりづらいのですが、朝日を受けるころに西側から眺めると、光を受けた石仏さんが見事に浮き上がります。
 また、本堂の東側にもたくさんの石仏が集められています。

 
輿部屋地蔵さん
 光通寺を北側に抜け、交野郵便局の手前を北に曲がり、交差点を交野市駅方向に向かった次の交差点を左に曲がった所に覆屋があります。その中の石仏さんは「輿部屋地蔵」と呼ばれています。
 「輿」とは、昔のお葬式のときに棺桶を乗せて運ぶもののことで、この場所に輿を預けていたことからこの名前が付いたそうです。
 また、この石仏さんは北を向いています。私部では、北向きの石仏さんは珍しいので、「北向地蔵」とも呼ばれています。
私部地区をはじめ、市内の石仏さんにお参りしていると、新しいお花や供え物が供えられていることに気がつきます。また、他にも石仏さんにお参りしている人に出会うこともあります。
 ほとんどは近所の人なのですが、中には電車に乗って遠方から来られた人に会ったこともあります。いずれも信仰心の厚い人ばかりで、この地に住む人の暖かい気持ちが分かるような気がします。
 だからこそ、空禅薮の石仏さんのように、心ない人たちによるいたずらを見ると悲しくなります。
 このコーナーを通じて、石仏さんを身近に感じてもらい、大切に守り継いでいただければと思います。