「星田・境内仏」
ボランティア解説員 村田義朗

長く続いた暑さもやわらぎ、涼しく気持ちの良い季節になりました。
 今月は、江戸時代の町並みが色濃く残る星田で、お寺の境内に大切にまつられている石仏さんを紹介します。

星田のまちなみ

 星田駅を起点に、東へ伸びている道路を行くと、交野市で初めて信号機がついた「六路の辻」に出ます。ここが星田への出入口です。
 星田の旧村の道は、いずれも曲がって見通しがきかず、三辻や四辻として複雑に交差し、侵入者を迷わすように工夫して作られた道で、今も江戸時代に描かれた絵図のままの形を保っています。
薬師寺

■古式地蔵さん
 六路の辻から星田小学校の正門前を通り、西の村の本通りの細い路地をしばらく行くと、右に土塀と大きな門構えの家が見えます。その前の路地を入ったところに薬師寺があります。
 古いお堂の小さな門をくぐると、土塀の西側に十数体の石仏さんが並び、中世の世界にタイムスリップしたような気になります。普段は公開されていませんが、11月21日は公開日で、予約(特集ページ「市指定文化財の一般公開」を参照)の上、見学ができます。
 その中の1つ、地蔵菩薩は、頭の後ろに三重の円光背が刻まれ、右手は腕を下げています。新しい時代の地蔵菩薩は、右手に錫杖を持っているので、ここの地蔵菩薩は古い形式のものであることが分かります。保存状態も良く、やさしいお顔のお地蔵さんです。
 私市の弘安地蔵と同じ古式地蔵で、鎌倉時代中期〜南北朝時代につくられたものと思われます。
■阿弥陀如来さん
 地蔵菩薩の左に立っている阿弥陀如来立像は、長方形の石に、頭が大きく厚肉彫りされ、首には3本のしわがあり、ふくよかさを示し、足の指もしっかりと表現されている立派な石仏さんです。
 ほかにも、双仏石や首から上がない阿弥陀さん、慶長十二年(1607年)の「南無阿弥陀仏」の名号碑、上にくぼみがある唐臼地蔵、宝瓶三茎蓮など、珍しい石仏さんが並びます。
 また、薬師寺には、市指定文化財の薬師如来立像や千体仏などがあり、現在、住職はいませんが、星田の人たちの善意により、大切に守り伝えられています。

薬師寺の石仏群(左が阿弥陀如来、左から2番目が地蔵菩薩)

光林寺
薬師寺から、西の村の本通りへ出て、最初の辻、「いびつの三辻」と呼ばれる辻を北に行くと、降星伝説「八丁三所」の1つとして有名な光林寺があります。
 境内の左手奥に、降ってきた星の1つとされる「影向石」がまつられています。
 光林寺には、影向石のそばに阿弥陀如来坐像、本堂の後ろの墓地にも方形に加工された石材の中に彫られた阿弥陀如来立像など、たくさんの石仏がまつられています。
慈光寺
■十三仏
 光林寺から「いびつの三辻」まで戻り、西の村の本通りを東に行き、中川通りにでると、右手に慈光寺があります。
 慈光寺の境内には、市内でただ1つの十三仏があります。この石仏さんに彫られた十三体の仏は、人が亡くなって初七日から三十三回忌までの13回の追善供養仏事に当てはめられた仏さま・菩薩さまです。故人はこれらの仏さまに守られて成仏していくと考えられています。

十三仏

■鍋賀地蔵
 星田会館の西の小道を北に上がると、曲がりくねった土塀道があります。昭和53年、下水道工事の際に、この道のなかほどからうつぶせの阿弥陀如来が出てきました。現在は慈光寺にあるこの石仏さんは、この地の町名にちなんで「鍋賀地蔵」と呼ばれています。
 伏し目がちな目は、いかにも慈悲にあふれた石仏さんです。

鍋賀地蔵

星田寺

星田寺の石仏群

 


 慈光寺を出て南へ進み、中川通りの左に曲がる最初の辻を東へ行くと、右に星田神社の鳥居が見えます。神社の境内に入り正面が本殿、左奥が星田寺です。
 星田寺の境内に入り、左に本堂、右に市指定文化財の「十一面観音立像」が安置されているお堂があります。
 星田寺の石仏群は、昭和54年1月に古文化同好会の有志が、星田寺境内から掘り起こして整備したものです。この埋まっていた石仏さんたちは、明治初期に行われた廃仏毀釈(政府の政策により行われた仏教施設の破壊)で、石仏が破壊される危険が迫ったため、村人たちが境内に埋めたものです。
 写真右から2番目に、顔が削り取られた石仏さんが写っていますが、これはその際に、なされたものでしょう。
 星田には、お寺以外の場所にも、たくさんの石仏さんがあり、新しいお花などが供えられ、地元の人たちによって大切にまつられています。
 今月紹介したものと、来月に紹介予定の妙見坂付近の石仏さんをあわせて、1月に石仏さんツアーで巡ろうと予定していますので、ご期待ください。