「星田の石仏さん(2)」
ボランティア解説員 平田政信

 今年も木枯らしの吹く季節がやってきました。外に立っている石仏さんも季節の移り変わりを肌で感じていることでしょう。
 今月も先月に引き続き、星田の石仏さんを紹介します。

妙見口の石仏さん
 妙見川は昭和40年ごろまで道よりも高いところを流れる天井川でした。星田と私市の往来は堤の下に造られたトンネルで、そのトンネルの上に置かれていたのが、現在の妙見口バス停横にある7体の石仏です。
 この石仏は春には満開の桜の下で、夏には木々の葉陰の下で昼寝をし、秋には紅葉を楽しみ、冬には落ち葉のじゅうたんに身をくるみ暖をとられています。
真言墓の阿弥陀さん

 妙見口の仏さんから100メートルほど上流に行き、住宅の間を左に入ると星田光明寺の墓地があります。この墓地は寺の宗派から真言墓と呼ばれています。
 中に入ると正面に阿弥陀如来立像があります。像の背面には二重円光背、首には三つの膨らみを設け、三道(優しさ・素直さ・暖かさ)を表しています。
 石仏さんの前にすわり、こちらから語りかけてみれば、何か語りかけてくるようです。

小松寺の境内仏
 小松寺は江戸時代の宝永元年(1704)に創建されました。寺の名前は平安時代、星田の山中にあった「小松寺」の字を継承したと伝えられています。境内を進むと墓地の休憩所横で阿弥陀如来立像の石仏さんが迎えてくれます。
 小松寺にはそのほか室町時代の明応2年(1493)の刻銘のある宝筺印塔の一部や、花瓶が彫刻された、仏像を安置するための石龕(石の箱)の一部が大切に保管されています。
妙見山麓の古式地蔵
 小松神社(星田妙見宮)裏参道入口のそばに、「鎌倉墓」と呼ばれるお堂が建てられています。
 ここには周辺から掘り出された石仏・石塔など200基以上が集められています。中でも地蔵菩薩立像は像高42センチで右手に宝珠を持ち、左手は錫杖を持たず、与願印の印相を結ぶ古式地蔵です。
 交野市で古式の形式をもつものとしては、私市・共同墓地と星田・薬師寺とこの地蔵菩薩の3体だけです。

中川上流の二尊仏

 

 「鎌倉墓」から、星田公園に向かう途中、左にカーブするところに、雨風にさらされ、摩滅した二尊仏が用水路べりにまつられています。
 なぜここにおられるのか記録にもありませんが、いつも美しいお花が供えられている石仏さんです

 

唐臼地蔵さん
 4月21日はお大師さんの命日で、各所で法要が盛んに行われます。星田にはお大師さんを共同でおまつりしている祠が15堂あり、そのうち、善林寺近くの祠に、板碑の二尊仏が立て掛けてあります。
 碑の頂部はもともと山形でしたが、唐臼という稲などのもみがらを落とすための道具の基台に使用されたためへこんでいます。
 明治時代に入り神仏分離令をきっかけに、全国に広まった廃仏毀釈により、このように利用されたのではないでしょうか。
門の木地蔵さん
 お大師さんの祠から中川に沿って北に100メートルほど進むと、右手に1体の地蔵菩薩立像が立っています。
 星田の人たちは8月13日になると星田の共同墓地にお参りし、ご先祖をお迎えに行きます。そして15日の夜には親族一同も集り、死者の成仏を願い夜を徹して仏事供養をし、16日に入った深夜、この地蔵のところまでご先祖を送ってお供え飾りなどを燃やす風習が最近まで残っていました。そのため「送り地蔵」とも呼ばれています。
 昔はここに7体の石仏さんがおられましたが、現在は写真右端の1体だけしかおられません。残りの6体の送り地蔵はどこでお暮らしなのでしょうか。
石仏さんは、堂内の木彫・金銅仏と違い、いつも道端で人目に触れています。
 そのため、専門家にとっては新発見や珍しい石仏さんでも、地域の人にとってはそこにあるのが当たり前のもので、十分に評価を与えられることもありません。
 中には、時代とともに消えていく「野の仏」もあり、石仏さんに刻まれた庶民の思い出も一緒に消えるようで、「ものののあはれ」を感じます