「倉治の石仏さん」

ボランティア解説員 中角甫
 寒さの厳しい季節になりました。厳しい寒さの中でも堂内ではなく外でみなさんを見守り続ける石仏さんには頭が下がります。
 今月は、先月紹介した源氏の滝に続いて、倉治の旧村落に向かい、お寺にたくさん集められている石仏さんを紹介します。
源氏の滝周辺の石仏群

 源氏の滝から、倉治の方向に進むと、右手に石仏・石塔が69体も集められています。内訳は、阿弥陀如来石仏が51体、地蔵菩薩石仏4体、二尊石仏3体、石塔類11体と、圧倒的に阿弥陀如来さんが多くおられます。
 また、石仏群のそばには、「呪われた母子」という悲しい伝説がある「夜泣き石」という石があります。
 石仏群の北側には、江戸時代初期から昭和20年ごろまで清正寺という寺がありました。このお寺は後で紹介します光明院というお寺の住職であった尊誉という人が開いたと伝えられています。


源氏の滝入り口の石仏群


夜泣き石(向かって右)

鐘撞き堂池の石仏さん

 

 

 源氏の滝から倉治の旧村落に向かう途中、2か所で阿弥陀如来さんを拝むことができます。そのうちの一つは、現在行われている第二京阪道路建設のために消滅してしまった鐘撞き堂池のほとりにあり、現在は第二京阪道路の橋脚の傍らで、工事車両を見つめておられます。
 鐘撞き堂池という名前は、この池の水を放水する時に鐘を鳴らしたことに由来があると言われています。今はなくなってしまいましたが、この仏さんとともに池があったことやそれにまつわる話を後世に伝えていきたいものです。


鐘撞き堂池の石仏さん
善通寺の石仏群

善通寺の石仏群

 鐘撞き堂池にあった石仏さんを過ぎ、機物神社を左手に見ながら進むと、倉治の旧村落に入ります。
 この旧村落で石仏さんが集められている場所は、善通寺、光明院、長福寺の3か所です。昭和10年ごろに善通寺の住職が記した「善通寺由緒沿革」によると明治11年ごろ、倉治の集落やその周辺にあった石仏さんを善通寺と光明院の2か所に集め、善通寺ではその石仏さんを地蔵堂を作って安置したとなっています。
 現在、地蔵堂は朽ちてありませんが、境内にはかつて地蔵堂に安置されていたであろう19体の石仏さんがおられ、すべて阿弥陀如来さんです。
 ほかにも、寺の裏に2体の阿弥陀如来さんがおられます。

光明院・長福寺の石仏群
 善通寺から西に100・ほど行ったところに光明院があります。境内には、阿弥陀如来石仏72体、地蔵菩薩石仏5体、二尊仏6体、宝瓶三茎蓮1体の石仏さんたちが集めらています。交野の石造物を考える上できわめて重要な資料と言えます。
 光明院と関係の深かった長福寺というお寺が、倉治2丁目にあります。現在このお寺には住職がおらず、倉治の南町集会所が併設されています。
 ここには、阿弥陀如来石仏12体、地蔵菩薩4体、二尊仏2体が集められています。毎月23日には欠かさずお祭りがあり、特に8月の地蔵盆は盛大です。


光明院の石仏群


長福寺の石仏群

庚申塚
 善通寺、光明院、長福寺だけで、100体以上の石仏さんがあります。これらは、元は庚申塚や牛の宮というところにあったと「善通寺由緒沿革」に記されています。
 牛の宮の場所は定かではありませんが、がらと川にかかる「庚申橋」という橋があり、その南側の坂を「庚申坂」と呼んでいます。この辺りに庚申塚があったのでしょう。
 余談ですが、歴史民俗資料展示室がある教育文化会館には「かうしん」と刻まれた石碑が保存されています。庚申塚にあったものと思われますが、元々どこに立っていたのか分かりません。もし、ご存じの方がいらっしゃれば、ご一報ください。

かうしんの石碑と中角さん
夜泣き地蔵さん

夜泣き地蔵さん
 ほかにも倉治には阿弥陀如来石仏が点在し、旧村落の出口にあたる4か所(東、南、西、北西)にもそれぞれ石仏さんがまつられています。村の外から災いを入れないための賽の神としての役割があったのでしょう。
 このうち、北西の石仏さんは「夜泣き地蔵」と呼ばれ、子どもの夜泣きが治らないときにお参りすると良いとされています。地蔵と呼ばれていますが、これも阿弥陀如来さんです。
 今回紹介した倉治には、私たちのいる歴史民俗資料展示室があります。
 倉治の石仏さんめぐりをした後は、ぜひお寄りください。日替わりで、私をはじめ6人のボランティア解説員がお待ちしています。