平成29年3月定例勉強会 講師:村田 健一氏(かたのこらん会代表) 青年の家・学びの館 午前10時~12時 20名の参加 |
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2017.3.25(土)午前10時、3月定例勉強会に20名が参加されました。 立花会長の開会の挨拶に続いて、高尾部長より講師の村田健一氏のプロフィールの紹介が あり、村田先生から「東海道 東から西へ」をテーマで、第一部はご講演、第二部はDVDの鑑賞 「箱根峠」に分けて詳細にお話しいただきました。 2014年5月と6月の勉強会の2回にわたって、「中山道 西から東へ」をご講演頂き、 今回、平成26年~昨年7月に渡って、東京日本橋~傘寿の誕生日に京都三条まで踏破された、 「東海道東から西へ」をじっくりと語っていただきました。 ご講演の概要は、 1.はじめに 東海道を16回延べ34日。歩き終わつたのは昨年7月20日、 私の傘寿の誕生日になつた。 2.街道長距離歩行のきっかけ ・現役中は、海外出張中毎朝、集合時間までにホテルから1時間歩く習慣がついた ・第二次大戦の終盤頃、大阪船場から母に実家の豊中まで歩いたことを思い出し、 70年前に歩いたルートを、今は亡き母の実家まで歩いた。36000歩だった。 3.4街道をすべて歩いた ①中山道 平成22年6/22~平成25年1/9 2年7か月 73歳11ヶ月~76歳5ヶ月 ②伊勢本街道 平成25年5/5~平成26年11/16 76歳10ヶ月~78歳4ヶ月 ③東・西高野街道 平成25年2/18~平成26年8/16 77歳7ヶ月~78歳1ヶ月 ④東海道 平成26年10/15~平成28年7/20 77歳3ヶ月~満80歳の誕生日7/20 <第一部> 東海道53宿の200枚余の写真(スライド)をプロジェクターで映写され、 各宿場の歴史・特徴とか史蹟、名物、エピソードを詳しく説明頂きながら 約60分、一緒に歩き通しました。 <第二部> ビデオの鑑賞 「箱根峠(箱根~三島)」 箱根の山は天下の剣、、函谷関もものならず、万丈の山、尖刃の谷…」 ただ実に不運なことにこの日に限つて箱根峠は大雨に傘もさせない強風、 その上ガスが立ち込めて10m先が見えない。 スチールと動画両方を撮影することはとても無理だつた。動画中心。 東海道行脚の中で最も厳しい場所で最も厳しい天候に会つてしまつた。 ※ HPの掲載に当たり、講師のご厚意で当日配布されたレジメ及び 村田健一氏のHP「星の町に住む村田健一」などを参照させて頂き、 記して感謝申し上げます。 |
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講師:村田 健一氏(かたのこらん会代表) |
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立花会長の挨拶 |
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「東海道 東から西へ」 レジメ 講師:村田 健一氏(かたのこらん会代表) |
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交野古文化同好会 3月例会 29.3.25 「東海道東から西へ」 かたのこらん会代表 村田健一 伊勢本街道、東西両高野街道を踏破し、中山道を京都三条大橋から東京日本橋まで歩き終わった後、関西拠点になる主たる街道は東海道だけとなった。 たまたま甥が定年退職になつたので、一緒に行くことになった。 結果的には彼が使つているスマホに十分助けられた。 山中の多い中山道と違い、街中の道が多い東海道は迷うことが少ないと考えていたが、むしろ逆で、山中の一本道と違い、街の中はどちらへでも行ける多くの道がある。そこでスマホは強力な武器になつた。 中山道の29回延べ41日に対し、東海道は16回延べ34日。歩き終わつたのは昨年7月20日、私の傘寿の誕生日になつた。 現役中数少ない海外出張の時、毎朝の集合時間(am9)に戻る事が出来るよう、ホテルから東西南北に1時間歩く習慣だつた。 *オーストラリア・シドニー *デンマーク・コペンハーゲン*スコットランド・セント・アンドリュースなど。 ・定年後は、目的地を設定して一日で歩けるルートをさがしてあるきまわった。 第2次世界大戦の終盤頃、布団など最低限度の生活用品をリヤカーに乗せて、大阪船場から母の実家のある豊中まで歩いてついて行ったことを想い出した時、あの時代あの年齢で、あの距離を歩けたのが、懐かしくなり、幼いころ母と歩いたあの長い距離を、母はどんな思いで歩いたのだろうかと思い再現してみたくなった。家のあったと思しきところまで行き、70年前に歩いたと思われるルートを、今は亡き母親 の実家まで歩いた。歩数は36000歩だった。 :平成22年6月22日から平成25年1月19日まで、2年7か月、73歳1lヶ月から76歳5ヶ月にかけて、回数にして29回、日数にして延41日。 平成25年5月5日から,平成26年11月16日まで。76歳10か月~78歳4か月まで。 平成25年2月18日から平成26年8月16日まで。77歳7か月~73歳1か月。 平成26年10月15日から平成28年7月20日まで。77歳3か月から満80歳の誕生日7月20日までの1年6か月。 ・中山道は、京都から東北に向かい、軽井沢あたりを最北端として東南に南下し兜の形のようなルー卜を描いて北から日本橋に入っていく。530 km 東海道は同じ日本橋を基点にして、南に進み、ほぼ太平洋岸に沿つて西へ走る。495 km ,東海道で通過する都道府県は、東京都、神奈川県、静岡県、愛知県、三重県、滋賀県。 の7都府県。(東海道53宿) ・中山道は、京都府、滋賀県、岐阜県、長野県、群馬県、埼玉県、東京都の同じく7都府県。 (中山道69宿) (その他) ☆53次とは別に東海道57次もある。(大名たちを京都圏内から遠ざけたい?) 説明書関係本には「大津札の辻から」となっているが、実際は逢坂山の峠を西に下り名神高速道路の高架下を左へ曲がり400mほど行ったところに53次道と57次がある。 ここから東海道57次は 墨染駅(54次伏見宿)~淀駅(55次淀宿)~枚方駅(56次枚方宿)~守口駅(57次守目宿) ~高麗橋に至る。 ☆五街道 東海道(490km)中山道(533km)日光街道(江戸~日光140km) 奥州街道(江戸~福島白河市199km)甲州街道(江戸~下諏訪225km) 本日見ていただくルートは、平坦な東海道の中で、唯一難所といえる「箱根峠」です。 (「東海道・各宿場間の距離と最寄り駅」表の「11」から「12」) 箱根の山は天下の剣、、函谷関もものならず、万丈の山、尖刃の谷…」 ただ実に不運なことにこの日に限つて箱根峠は大雨に傘もさせない強風、その上ガスが立ち込めて10m先が見えない。 スチールと動画両方を撮影することはとても無理だつた。動画中心。 東海道行脚の中で最も厳しい場所で最も厳しい天候に会つてしまつた。 ●おわりに 反省:「中山道西から東べJ歩いた時は、街道筋の記念館や、由緒ある歴史遺産などの見学に十分時間を避けなかつた。つい先を急ぎ過ぎたからである。今回は出来るだけそれらのものを見る時間を作るよう努めたが、やはり次の予定に気をとられ、十分ではなかつた事を残念に思う。 ☆東京日本橋から京都三條大橋まで、16回、34日間の歩行記を、ホームページに掲載しています。 インターネット「星の町に住む村田健一」または http://www.kendad3636.sakura.ne.jp で検索してください。 |
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平成26年10/15~平成28年7/20 16回 34日間 77歳3ヶ月~満80歳の誕生日7/20 以下の内容は、「星の町に住む村田健一」から拝借しました。 http://www.kendad3636.sakura.ne.jp |
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村田健一さんと歩かれた、「東海道東から西へ」は如何でしたか? もう一度、振り返って、日本橋から歩きなおしてください。 以上は、「星の町に住む村田健一」から拝借しました。 http://www.kendad3636.sakura.ne.jp |
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