第21回 交野歴史健康ウォーク
第二京阪国道予定地を往く
免除川の桜が紅葉、素晴らしい晩秋の風景
(とき)平成13年11月24日(土)快晴 |
青山地区から交野山を望む 見事に紅葉した銀杏 その向こうは 第二京阪道路予定地 |
青山の第二京阪道路予定地 平田さんの左足もとに 阿弥陀様二体が 何も言わずにたたずむ |
「沈黙地蔵」と名付けて 小さな案内板が建てられた 道路建設を静かに 見守っておられる |
第二京阪道路予定地 (青山)をフェンス沿いに歩く |
子供の頃よく遊んだ 大池への小道 |
交野山を背に静かな大池 扇状地の湧水を貯めている池 |
大池より、青山の田園風景 道路完成後はどんな 風景になるのだろう? |
神宮寺の幹線道路より 一歩中に入ると板壁に 石垣の静かな佇まい |
源氏池より交野山を望む 今は、源氏池は養魚池のため 水が全て抜かれていた |
11/24(土)天候快晴、参加者8人。交野ドームを10時過ぎ出発、第二京阪道路が計画されている青山地区から大池を見て、神宮寺、倉治、源氏池、免除川を歩いた。
青山の住宅街に入ると、府道久御山線沿いに、「第二京阪道路事業中、久御山〜門真20分」の大きな看板が目に付く。青いフェンスが張られ予定地が区分されている。東に歩くと、立ち退かれた後で空家が目立つ。フェンスで囲まれた畦道に、阿弥陀様二体が静かにたたずんでおられた。
「沈黙地蔵」と命名し案内板を設置、大事な文化財が道路工事のために紛失しないように祈願した。
大池への細い小道を東にたどると、小さな丸い粥池があり、かゆをすすって勤労奉仕をされた労苦の池だと言われる。
大池の堤防は少し高台になっている。昔は、大池は子供達の水泳場としてにぎわったそうだ。扇状地からの湧き水で冷たく綺麗な水だったのだろう。釣り人が数人糸を垂れていた。
大池から見える青山の田園風景は本当に綺麗だ。ここに、第二京阪道路が走ったらこの風景はどう変わるのだろうか?
大池から東に行き、JR学研都市線を越えて神宮寺から寺の道路附近までを、「上河原(かみがわら)」という。昔、私部の村があった場所である。元禄4年の大雨で、上河原の集落が流されるのを恐れて、今の私部に移った。村は移ったが墓地だけがそのまま上河原に残ったと言う。
神宮寺の静かな住宅街を通り、浜池に入ると免除川が流れていた。少し行くと、フェンスが張られ「第二京阪道路事業中、久御山〜門真20分」と看板があがっていた。
青山から源氏池をかすめるように、道路が計画されているようだ。農閑期を迎え、源氏池は魚を捕獲するために水が抜かれ干しあがっていた。
免除川の桜並木は、春の花爛漫の時は勿論、晩秋の紅葉した桜も捨てがたい風情があり、思わず「いいですねぇ」と声を張り上げた。
快晴の秋の半日、心行くまで交野の晩秋を楽しんだ。
平田さんの軽妙な説明に感動し、交野の古い歴史と変わり行く町の姿を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!
《ミニガイド》
私部大池(きさべおいけ)
青山5丁目、私部墓地の北側に四角い大きな池が私部の大池である。
この場所は、交野山と竜王山、旗振山との鞍部にあたり、交野と大和高山を結ぶ群南街道筋にあたっている。この谷を下りた所に扇状地が広がっているが、縄文時代から人々が生活していた場所であり、古代は渡来人が移り住み、開元寺と言う大寺を建立していた。その後、現在の私部の部落が形成された場所である。
この大池の直ぐ上にJR学研都市線が走っているため、川の水を取り入れているわけでなく、純然たる扇状地の湧水を貯めている池である。大池の水は北の免除川と南側の北川の間の水田のかんがい用に利用された。
昔は、子供達の格好の水泳場であったそうである。
大池の西南側に丸い小さな池がある。この池を「お粥池」と呼んでいる。干ばつのためにつくられた池で、その勤労奉仕にお粥がよく食事として出されたとかで、名がついたと言われている。
源氏池
この池はもともと二つの池から出来ていた。北側の池を「宮田池」、南側の池を「浜池」と言った。
免除川側の浜池はこの場所の小字名が「浜池」であるので、浜池地区につくられた池ということで、免除川の水を引いて貯水している。
一方「宮田池」は倉治機物神社の社池(やしろいけ)の役目をもっていたようで、浜池と同様、かんがい用として利用されていた。
真中の堤防が取り除かれて一つの大きな池になり、名前も源氏池と変えられた。