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交野歴史健康ウォーク 154回

古文化同好会バスツアー

古代の都・飛鳥散策

2016.6.16(木)  51名参加

行   程 :交野9時出発=第二京阪国道=近畿自動車道=南阪奈道路=
飛鳥駅前―高松塚古墳・壁画館=都塚古墳―石舞台―
犬養万葉記念館(昼食)―伝飛鳥板蓋宮跡―亀形石造物
―奈良県立万葉文化館見学―飛鳥寺―曽我入鹿首塚―水落遺跡―
明日香村文化財展示室―あすか夢の楽市 (合計徒歩約5km)
=南阪奈道路=近畿自動車道=第二京阪国道=交野 午後5時前着 

 交野古文化同好会の「古代の都・飛鳥バスツアー」、役員の皆様、ご参加いただいた会員の皆様のご支援・ご協力のお陰で無事、事故もなく開催出来ましたことを心より感謝申し上げます。

 古代わが国の政治・文化の中心舞台となった飛鳥、大和三山(畝傍山・耳成山・天香久山)が見渡せる悠久の地・飛鳥。高松塚古墳や石舞台古墳など古代の壮大なロマンや万葉人の息づかいを肌で感じられる飛鳥。今回のバスツアーは、1300年の時を超える時空の旅を企画いたしました。

 2月に計画して4月23日から申し込みを受け付けその後、キャンセルや追加募集で参加者は最終的に51名となりました。前日は梅雨の晴れ間で天候も回復していたが、当日は天気予報よりも早く雨が降り出しバス旅行当日は一日中雨模様となった。

 交野を定刻9時に出発。車内では、「明日香村・石舞台・飛鳥寺・水落遺跡」などのDVDを観賞。出発して間もなく雨脚が強くなったが、渋滞もなく車は順調に走り10時飛鳥駅ロータリーで、なら・観光ボランティアの3人と犬養万葉記念館の岡本館長様と落合、直ぐに高松塚古墳へと出発しました。
 
 雨の中、足元に気を付け乍ら、熱心な3人のガイドさんの案内で、高松塚古墳・壁画館=都塚古墳―石舞台―犬養万葉記念館(昼食)―伝飛鳥板蓋宮跡―亀形石造物―奈良県立万葉文化館見学―飛鳥寺―曽我入鹿首塚―水落遺跡―明日香村文化財展示室―あすか夢の楽市まで、雨の飛鳥を満喫しました。
 帰りは予定時間を少し繰り上げて出発、無事交野へ5時前に到着しました。
 
 今回、ガイドをお願いしましたのは、なら・観光ボランティアガイドの「朱雀」の3人の方々。
 長谷川さん、青木さん、玉置さん、雨の中、一日中大変お世話になりました。

 犬養万葉記念館の岡本館長様には、犬養万葉記念館の案内、昼食場所の提供、また一日中、車で付き添っていただき大変お世話になりましたこと、心より感謝申し上げます。

 生憎の雨の旅となりましたが、今回参加頂いた皆さんから、「熱心なボランティアさんの説明付きで参加して大変良かった」、「雨の飛鳥も良かった」、「和気あいあい楽しいバスツアーでした」、「岡本館長さんには昼食場所の提供・車での付き添いなど大変親切で感動しました」、「飛鳥寺や犬養万葉記念館での説明、万葉文化館の見学など思いで深いバスツアーとなりました」と好評を頂戴しました。

 今後の課題としては、バス旅行は気候の良い時を選ぶこと、行程は出来る限り余裕を持って、平日で行き先によっては出発時間を30分から1時間早めにする必要があるようです。

 写真集の撮影には、沢山の方の御協力を頂き誠に有難うございました。
 立花会長、高尾さん、毛利さん、皆様、ご協力有難うございました。
 

 ※本ホームページを記載するにあたり、
 国営飛鳥歴史公園、高松塚壁画館、万葉文化館、飛鳥寺のパンフレット・チラシ、及び
 下記のHP、WEB記事など参考に作成させていただきました。記して感謝申し上げます。

  明日香村公式ホームページ、国立飛鳥歴史公園、飛鳥散策スポット
  飛鳥資料館、犬養万葉記念館、奈良県立万葉文化館など


  交野古文化同好会 特別企画 「古代の都・飛鳥」バスツアー  レジメ
 6世紀から平城京遷都の和銅3(710)年まで、わが国の政治・文化の中心舞台となった飛鳥。ここ飛鳥を拠点に勢力をのばした蘇我氏により、日本初の女帝・推古天皇が誕生し豊浦宮をはじめ次々に宮が造営された。また、推古天皇の摂政聖徳太子もこの地に生まれ仏教文化を開花させた。太子の没後、蘇我氏はその一族を滅ぼし専横をつのらせる。ついに大化元(645)年、中大兄皇子と藤原鎌足は飛鳥板蓋宮でクーデターを起こし蘇我氏を滅ぼした。
 やがて飛鳥時代は終わりを告げ、古代史を物語る貴重な遺跡は、長い歳月、この土の下に埋もれることになったのである。それだけに、大和三山(畝傍山、耳成山、天香久山)が見渡せる飛鳥を歩いていると、石舞台古墳や高松塚古墳などの遺跡、亀石や酒船石のような謎の巨大石が、悠久の時を超えて、古代の壮大なロマンを語りかけてくる。想像力を駆使して、美しい田畑や野の下に眠る古代人の息づかいを感じてみよう。
    ◆日 時   6月16日(木)(雨天決行)  ※弁当持参
   ◆参加者   51名
   ◆参加費   会員 4,500円 一般 5,000円(当日徴収)
   ◆集合・出発場所  午前9時(時間厳守) 焼肉久太郎駐車場
   ◆案内人  なら・観光ボランティアガイド 3名
交野9時出発=第二京阪国道=近畿自動車道=南阪奈道路=飛鳥駅前―高松塚古墳・壁画館=都塚古墳―石舞台―犬養万葉記念館(昼食)―伝飛鳥板蓋宮跡―酒船石―亀形石造物―明日香民俗資料館・万葉文化館(休憩)―飛鳥寺―曽我入鹿首塚―水落遺跡―石神遺跡―明日香村文化財展示室―あすか夢の楽市=南阪奈道路=近畿自動車道=第二京阪国道=交野午後5時過ぎ着
<明日香村 概要> 
面積 24.10ku  人口 5,732人(28年5月現在)
1956年(昭和31年)7月3日 -高市村・阪合村・飛鳥村が合併して発足。
1972年(昭和47年)3月21日 - 高松塚古墳から彩色壁画が発見される。
今年は、高市村、阪合村、明日香村が合併して現在の明日香村となって60年目に当たり、この60年間の間、高松塚やキトラ古墳壁画の発見、明日香村特別措置法の成立などを経て、歴史的風土とともに生きる村、日本人の心のふるさととして歩んで来た。
今秋、キトラ古墳壁画が展示される体験学習館がオープンする予定。日本で唯一全域が古都保存法対象地域の自治体である。また、村全体の世界遺産登録に向けた計画が具体化している。

午前9時 交野から一路飛鳥に向かって出発


高尾事業部長(左)の挨拶と
村田事務局長の行程案内

バスは順調に走り、午前10時、飛鳥駅前ロータリーで、なら・観光ボランティアの3人と
犬養万葉記念館の岡本館長さんと落合、直ぐに高松塚古墳に向けて出発。
高松塚古墳
奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)に存在する古墳。
藤原京期(694年〜710年)に築造された終末期古墳で、直径23m(下段)及び18m(上段)、高さ5mの二段式の円墳である。1972年に極彩色の壁画が発見されたことで一躍注目されるようになった。
 石室内部(内法:奥行2.6メートル,幅1.0メートル,高さ1.1メートル)に星辰(星宿)図,
 日月像及び四神図,人物群像(女子群像,男子群像)が描かれた壁画古墳。
被葬者は特定されておらず、
 1.天武天皇の皇子説、
 2.臣下説、
 3.朝鮮半島系王族説 の3つが主な説です。
高松塚壁画館
 


昭和47年に発見された当時のままの壁画を忠実に写し取った『現状模写』と、一部復元して見学しやすくなった『復元模写』、そして石室の大きさや形を体感できる原寸の『石室レプリカ』を展示しています。

国営・飛鳥歴史公園の駐車場で下車、3組に分かれて高松塚古墳へと歩く

途中、中尾山古墳について説明を受ける

左奥に見えるのは、高松塚古墳
冬野川を渡り、バスは三叉路でUターン、雨のため、都塚古墳へは寄らず、車中で概略説明を受ける
都 塚 古 墳
 ピラミッドのように石を階段状に積み上げた、類例のない大型方墳とわかった奈良県明日香村の都塚(みやこづか)古墳(6世紀後半〜7世紀初め)について、村教委と関西大は26日、発掘調査報告書を発行したと発表した。墳丘に12万9千個の石が使われ、築造に延べ3万人が関わったと推定。専門家は「蘇我一族の墓の可能性が高まった」と指摘する。
 都塚古墳の近くには飛鳥時代の豪族、蘇我馬子の墓との説がある石舞台(いしぶたい)古墳(特別史跡、7世紀前半)があり、一帯は蘇我氏の本拠地の一つとされる。猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は「当時の飛鳥で、これだけの労力をかけられるのは蘇我氏しかいないのでは」と話す。




朝日新聞切り抜き
石舞台古墳

 石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大級の方墳です。
30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
 被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。

 1933年(昭和8)〜35年(昭和10)の発掘調査で方形の墳丘、堀、外堀が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認されており、その上で築造は7世紀初め頃と推定されています。


復元された石棺
埋葬者の遺体が納められていた石棺も完全なものは残されていなかったが、
その一部と見られる平らに加工された凝灰岩の破片は発見されている。
石舞台古墳より犬養万葉記念館に向けて歩く
犬養万葉記念館
 

 明日香を感じ、万葉に浸る――
文化功労者・明日香村名誉村民であり、「犬養節」で万葉ファンに親しまれた、故 犬養孝氏の業績を顕彰する記念館。

 旧南都銀行明日香支店の店舗蔵造りの外観を残す。

 館内には犬養先生自身やその愛弟子で武庫川女子大学教授の故 清原和義氏の寄贈図書(閲覧可)・犬養先生の遺品・また犬養先生揮毫の万葉歌墨書や直筆原稿などを展示。
 さらに、くつろぎのカフェテラスでは「つばいちカフェ」を開店。オリジナルな軽食や喫茶を提供。雨宿り・休憩にどうぞ。


記念館のホールで、岡本館長様より
飛鳥の自然と歴史などまた、犬養孝先生との出会いのことなどお話を頂戴しました。


岡本館長様には、終日大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます!
当日は、昼食会場としても利用させて頂きました!
心より感謝申し上げます!
昼食後、伝飛鳥板蓋宮跡へ
伝飛鳥板蓋宮跡
 1959年からの発掘調査により、多くの掘立柱建物、掘立柱塀、石組溝、石敷遺構などが検出された。その遺構の変遷は、大きく三時期に分類され、それぞれ、飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮・飛鳥浄御原宮であったことから、支配体制の変革や王権の存在形態、その歴史的変遷を考えるうえで重要である。
 また、飛鳥板蓋宮は、中大兄皇子・中臣鎌足が大化改新を断行し、蘇我入鹿を倒したといわれる場所でもある。現在は地表上に当時の遺構を復元、整備されている。
亀形石造物
 1999年発見された。全長2.4m、幅2mの亀形を呈する。顔を南向きにして据えられていた。丸く彫られた両目、4本の指の表現が施された両足が特徴的である。甲羅部分は円形の凹型になっており、水を溜める仕組みであったことがわかる。水は鼻の穴から甲羅部分に流れ込み、V字状に彫り窪められ表現された尻尾の部分から流れ出すようになっている。亀形石槽のすぐ南側には小判形(船形)に彫り込まれた水槽を有する石造物が、さらに南側にこれら石造物に水を供給していたと思われる湧水施設がみつかっている。
 斉明天皇が信仰した道教の世界を表す両槻宮の一部ではないかとか、政治を占う施設とか、身を浄める場所とかさまざまな説がある。出土した土器などから7世紀中頃〜10世紀の間にかけて利用されていたことが確認されている。
奈良県立 万葉文化館
 明日香村にある『奈良県立 万葉文化館』とは、「万葉のふるさと・奈良にふさわしい『万葉集』を中心とした古代文化に関する総合文化拠点」として作られた施設です。万葉に関する文化の振興を図る展示(万葉ミュージアム)、万葉集に関する情報の収集提供を行う情報サービス機能(万葉図書・情報室)などが併設されています。
 
 一般展示室・特別展示室は観覧無料。なお、日本画展示室のみ観覧料が必要です。万葉歌人の心情や万葉びとのくらしを体感する一般展示室、飛鳥池工房遺跡の発掘成果を紹介する特別展示室があります。
飛鳥池工房遺跡

文化会館のエントランスを入ってまっすぐ行くと、
2つの棟(展示棟と研究棟)を結ぶ渡り廊下に出て、
その両側の下に見える庭が飛鳥池遺跡として保存されている。
 富本銭とは、天武天皇(在位 673〜686)の時代に鋳造された,日本列島最古のものと考えられる銅銭。古代の巨大工房遺跡である奈良県明日香村飛鳥池遺跡において,天武15(686)年の年号が記された木簡と富本銭資料が同じ土層から見つかり,またその上の土層では僧道昭が創建した飛鳥寺東南禅院のための瓦窯が 700年頃以前に操業されたことが判明した。









富本銭とは?

土師器と須恵器を売る店先

富本銭を作る職人

万葉人の筆跡
飛鳥池工房遺跡
飛 鳥 寺
 588年蘇我馬子の発願によって建立されたと伝えられる日本最古の仏教寺院。この造営には百済から渡来した僧・寺工など、多くの新知識や技術を携えた人々がかかわった。1956年からの発掘調査によって、塔を中心に東・西・北に金堂を築き、中門からのびる回廊がこれらを取り囲む伽藍配置であることが明らかとなった。日本に類例のないこの配置は、高句麗の清岩里廃寺に近似していることが指摘されている。
 また、"飛鳥大仏"の名で親しまれている本尊の釈迦如来は、止利仏師の作といわれているが、中国北魏様式をとっており、当寺が東アジアの様々な要素を取り込んで造営されていることがわかる。 1196年の火災によって大破したが、法隆寺金堂釈迦三尊像との類似が指摘されている。
蘇我入鹿首塚
 飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔。
大化の改新のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。 五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられている。
 高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴である。
水落遺跡
 甘樫丘の東側、飛鳥寺の西側に位置する。発掘調査の結果、特異な基壇を持つ大形の正方形建物遺構が見つかった。
 発見された遺構は他に、基壇内を走る木樋暗渠、銅管、漆塗木箱などがある。基壇内部に引き込んだ水を基壇上へ汲み上げる装置を持ち、中国に現存する元・明・清代の漏刻の受水槽と同様の漆塗木箱の痕跡が検出されていることなどから、これらの遺構は斉明天皇6年の時、皇太子であった中大兄皇子が作ったと伝えられる「漏刻」台の跡であることが想定されている。
 「漏刻」台が築かれた背景として、当時の中国的な政治理念にもとづいた「時の支配」の観念が存在したことが考えられている。
 出土した土器の検討から650年〜660年代の間に造営され廃絶したと推定されている。
 飛鳥川の水を使って時を計っていたと考えられている。
石神遺跡
石神遺跡は、飛鳥寺の旧寺域に属する西北一帯に広がる遺跡で、斉明天皇(位655〜667年)の頃を中心に、各時代の遺跡が複雑に重なっています。

 斉明天皇の時代には東西の大垣と、長廓上の建物によって東西2区画に分けられた風景。
 西側では廓付きの大規模建物があり、日常空間であったと考えられています、ちなみに後述する水落遺跡とは南へ通路によってつながっています。東側では掘立式の建物群が造られ、饗宴施設があったと考えられています。
 なお、既に明治時代に須弥山石・石人像が掘り出されたことで有名でしたが、本格的な調査は1981(昭和56)年より行われました。

石人像
石神遺跡・水落遺跡復元模型



斉明朝の姿を調査成果に大胆な推測を加えて復元

手前(南)が水落遺跡の漏刻台、奥(北)が石神遺跡で
西側の広い区画を迎賓館、東側の区画を饗宴の場とした。
明日香村文化財展示室
明日香村が発掘した文化財の展示スペース
旧飛鳥小学校の建物を利用しているからレトロな雰囲気ですが、
重要な展示物が見ものです。

飛鳥寺の出土瓦

牽牛子塚古墳の復元模型

牽牛子塚古墳の副葬品
あすか夢の楽市
明日香村で栽培された新鮮・安全・安心な野菜・果物などの販売市場
予定時間より少し繰り上げて出発、お見送り有難うございました!
岡本先生、ボランティアの皆さん、大変お世話になりました!

最後までご覧いただき有難うございます。

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