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交野歴史健康ウォーク
第73回  2005.10.8(土) 
「ふるさと交野・里の巻・倉治」を歩く
歴史民俗資料室から源氏池周辺を散策

2005.10.8  交野市立歴史民俗資料展示室をバックに記念写真
教育文化会館・・・交野無盡(近畿大阪銀行の前身)の大正時代風の建物

当日の行程:倉治・歴史民俗資料室→どうの前→大仏坂→長福寺→青山→倉治小学校前→源氏池→機物神社→二平の洗濯場→歴史民俗資料室

 今回のウォークで73回目を数えました。天気予報では午後から雨とのことであったが、集合の15分前頃より小雨がぱらつく生憎の空模様となった。それでも午前9時、倉治の交野市立歴史民俗資料展示室前には元気な10名が集まった。
 前回の歴史ウォークに引き続き文化祭のビデオ撮りも兼ねて、倉治を散策した。大仏坂から長福寺へと歩いて、石仏やお寺の由来の話を聞いていると、滝のような雨が降り出し暫く軒下で雨宿り。小降りになり、府道久御山線へと出て免除川を東へ、青山の堤から仰ぎ見る交野山の手前には、第二京阪国道の工事用のクレーンが見え、巨大な橋脚が立ち並んでいた。
 倉治小学校のグランド手前で源氏池へと田圃の畔を歩いて上がった。源氏池は半分ほどが埋められJR学研都市線を跨ぐ工事用の大きな橋がかけられ、周辺の様相がすっかり変っていました。
 雨が降ったり止んだり足元を気にしながらのウォークでしたが、予定のコースを散策。最後に、歴史資料室で平田さんより遺物の説明を受けたり、継体大王の石棺船の曳航ビデオを見たりして本日の散策は終了。

 なお、今回訪問しました、倉治の交野市立歴史民俗資料展示室は、関西電力変電所に展示されていた倉治古墳群の遺物を新たに加え、7月22日にリニューアルオープンしました。交野古文化同好会の会員が水曜日から金曜日まで、展示資料解説ボランティアとして詰めておりますので、是非ともお立ち寄り下さい。
 心よりお待ち申しております。
交野市歴史民俗資料室(左)と交野無盡の創業者・金澤泰治氏の銅像
大仏町のバス停 大仏坂を下る
 奈良の大仏建立に関わる歴史を今に伝えると言う、どう前大仏坂を歩きながら、いろいろと歴史ロマンを教えて頂いた。
《大仏坂・どうの前》
 倉治の教育文化会館前の道を南にとるとすぐ四辻に出る。下を倉治中川が流れている。この角を「どう前」と呼んでいる。ここを過ぎて、なお南へ行くと信号のついた四辻に出る。ここに京阪バスの「大仏町」のバス停がある。この交差点を南へ渡るとだらだらと下り坂になっている。この下り坂を「大仏坂」と呼んでいる。
 この地は、奈良の大仏建立に関わる歴史を伝えているのではないかと、故奥野平次氏は「ふるさと交野を歩く・ひろい話」の中で次のように書かれている。
 大仏様の大体の形が出来て、鋳型に銅を流し込もうとしたが、どうも上手くいかない。東大寺では困って、宇佐八幡宮の付近にいる技術者(渡来人)に来てもらった。その技術者のターミナルとなった所が、枚方市、中宮の百済寺と、私市の獅子窟寺である。
 どちらからも、交野市の傍示に上り、生駒市の傍示に通じる「大仏の道」を通って、東大寺に急いだのでした。奈良で大仏の仕事を終えた技術者がここの地区で鋳型に銅を流し込んだ仏様を作ったのでは、または、その技術者が住み着いたので大仏の地名がついたのではないかと。 

                   倉治の長福寺に立ち寄る
 この境内は、良寛さんが子供たちと楽しく遊んでいる光景を思い浮かべる所だと、平田さんは言われる。生憎の小雨日和であったが、お地藏さんが笑っておられるように見えた。
倉治の田圃から交野山を仰ぎ見る風景も大きく様変わりしている
源氏池付近の工事中風景
大きな橋脚が建ち並び付近の風景が一変
倉治小学校が出来る前は
この場所に機物神社の鳥居が立っていた
巨大な第二京阪道路の橋脚が建ち並ぶ姿に交野山はどのように見ているのだろうか?
源氏池の東堤上でハイ!チーズ! 右後方に交野ドームが見える
取入れが終わった田圃の上に高速道路の橋脚が建ち並ぶ
源氏池も半分ぐらいが埋まり、関西電力変電所の周りにある、
鐘撞堂池、松塚下池も埋められ、小雨に煙る交野連山が遠くに見える!

JR学研都市線を跨ぐ工事用の大きな橋がかけられ、
周辺の様相がすっかり変っていました
《 機 物 神 社 》
 昔は、東も西も入り口が閉ざされていて、南の入り口で拝礼していたようで今のご神殿には近寄れなかった。また、機物神社の西の鳥居の入り口から源氏の滝の付近までの道の両側と、機物神社の神殿から南(現在の倉治小学校の南)にあった鳥居までの両側は、松の並木道であったという。
 機物神社は、大和の三輪山と同じで交野山の山と巨岩を拝む古い形式で、鳥居の中央にぴたりと交野山の巨岩がおさまり、その方角はたつみ(東南)の線上にあり大変おめでたいと書かれている。
「二平川の洗場」ともう一つの「洗い場」風景
《二平川の洗場
 機物神社前の久御山線を渡り、山根道を西へ歩き最初の角を北へ歩くと小川が流れ石橋があり、その下に「二平川の洗場」がある。この洗場の西側にある家の屋号が「二平」といい、流れる小川が二平川という。(現在、屋号・二平はない)
 「この洗場は、村の人々の語らいの場であり、コミュニケーションの場であった。家で親夫婦、年寄りが昼寝をしている間にそっと洗濯にくるのが二平川の洗場だった」と平田さんは説明された。

 ここの四辻に立って見える風景はいい。小川が流れ、石垣に板壁、白壁の家と昔懐かしい家並みである。少し歩くと、へっついさん(台所)の煙出しを備えた大屋根の家、茅葺の家、どっしりとした門構えなど、素晴らしい家々が並ぶ。
倉治の町並み、白壁に板壁が似合う 石榴(ザクロ)の実が赤く熟れて
交野市立歴史民俗資料展示室(交野市立教育文化会館)
所在地 交野市倉治6丁目9番21号 電話(072)810−6667
交通機関 JR学研都市線「津田駅」下車。京阪バス京阪交野市駅行き
 南倉治下車1分、又は香里園行き大仏町下車徒歩5分
開室日時 毎月水曜日〜日曜日 10時〜17時。ただし入室は16時30分まで。
1階歴史資料展示室  時代別に区分され遺物・資料が展示されている
市民の方々より寄贈された貴重な民俗資料が2階に展示されている
昔の懐かしい卓袱台セット台所用品の数々
家族の笑い声が聞こえて来そうだ!

 時間も12時を過ぎ、歴史民俗資料室で自由解散。雨の中、参加された皆さんお疲れ様でした。
故奥野平次氏が著された、「ふるさと交野を歩く(里の巻)」の倉治編を歩いた、雨中の歴史ウォークでした。
 次回は、11月12日(土)、天王寺〜阪堺線で散策をご一緒に歩きましょう!

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