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第9回 交野歴史健康ウォーク

12/9、森地区・森古墳群を訪ねる  

第9回(12/9) 森古墳群を訪ねる
   JR河内磐船駅→森城戸・蛙石→森古墳群・雷塚
→山根道→森新池→JR河内磐船駅


森南の農道に地蔵様 森の山に入ると右手に 卵塔の道の欅の古木
竹薮の中に「新川」
堂の池まで流れる
貴重な農業用水
足にふんわりとして
気持ちいい落ち葉
鳥の鳴き声があちこちから
聞こえくる静かな山道
古墳までもう一息
朝日が一杯、明るい
雷塚古墳
(第一号古墳)
朝日が差し込み眩しい
雷塚古墳頂上
木々の切れ間から
交野市が一望される
標高155m

第9回 交野歴史健康ウォークMAP

12/9、第9回の参加者は8名、元気に集合。 天候晴れ。 午前9時過ぎ、森古墳群を目指してJR河内磐船駅前をスタート。
  前回の第8回のウォークの時、平田会長より学研都市線のJRの踏み切り前で立ち止まり、交野山から旗振山、竜王山、その右の尾根の森を見ながら、田んぼの向こうに、交野高校が見えるが、あの土地に東車塚古墳が眠り、寺の山には寺古墳群が、右の尾根には、森古墳群が点在すると教えて頂いた。そして今回、森古墳群を尋ねることとなった。
 駅筋を南に折れ農道を行くと、名も無い地蔵さんに出会う。朝日を背に受けて眩しい。
 前回も訪れた「森の城戸」で、大きな灯篭と蛙石にまた、牛追い石にも挨拶を済ませて、森の民家を抜けていよいよ森古墳群の山へと踏み入った。少し上がると右手に農業用水の池が二つあった。木々が茂りまわりは薄暗い。右手に大きな欅の古木があり、自然と、皆が古木に手をやり話し掛ける。この辺りを卵塔(らんとう)といい、この道を卵塔の道と言う。
 落ち葉を踏みしめゆっくりと登る、足にふんわりとした感触が気持ちいい。竹薮の中で「新川」と出会う。途中、静かな山に座り耳を澄ますと、鳥の鳴き声があちこちから聞こえてきた。尾根を上がるに従って、時々木々の間に朝日が差し込み明るくなってきた。さらに尾根を登ると、古墳も近い。
 我々を歓迎するかのように、沢山の黄色い蝶か蛾が湧き上がるように古墳の周り一面を飛んでいた。
 まず、左手に一つ古墳が見え、その上に大きな前方後円墳、これが「雷塚古墳」と言う。平田会長より、古墳の外形について、全長106m、後円部の径が56m、くびれ部の幅が22m、頂上の標高が155mと説明を受ける。前方部が低く、バチ形をしている。古墳の上に上がり、その大きさを確認。
 交野市内が一望できるこの地に、これほど大きな古墳が4世紀中頃に造られた事に改めて感動した。南側の尾根を下ったところに、さらに数個の古墳が確認されていると聞く。
 帰りは、舗装された傍示街道を森の町へと下った。磐船駅に10時30分到着。
 森の山の中に、素晴らしい古墳があることをしっかりと足で確認、古代の息吹を肌で感じることができた、有意義な健康ウォークでした。

平田会長の軽妙な説明に感動し、交野の古い歴史を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
  次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!
 


 森古墳群
  

 昭和55年1月22日、岩船小学校4年生の3人が森の村の背後の丘を歩き円筒埴輪の破片や土師器の壷の破片を発見した。
 土器、埴輪片をきっかけに調査確認された。
 森古墳群は、四基の前方後円墳と一基の円墳加えて二重口縁の壺形土器を埋めた遣構から成りたっている。

 @第一号古墳は全長106m、堂々たる後円部、壇を設けたバチ形の前方部、その立地とともに本古墳群最古の古墳である。(雷塚古墳)
 A第二号古墳は全長58m、後円部はやや劣り、前方部は壇を失っている。
 B第三号古墳は全長46m、後円部の姿は顕著さを失い前方部は壇を欠く。占地も尾根筋の稜線上へと移る。
 C第四号古墳は全長50m、全体造営の際「前方後円墳」としての整備が粗雑化となって森古墳群最後の前方後円墳といえる。
 D第五号古墳は円墳である。墳丘径は15m。墳丘上には葺石、埴輸の類は見られず埋葬施設、遺物の発見もない。
 E第六号地点で学童三人が二重口縁の壷形土器を発見。この地の地形の改変は激しく古墳が存在したか否かは明確でない。

 最も大きな前方後円墳(雷塚)はパチ形をして前方部が低い古式古墳である。
 古式古墳とは古墳は4世紀の初めごろから6世紀末ごろまで築かれたとされ、それを前、中、後期に区分する。古式古墳は前期古墳のうちでも最も古い時代、具体的には4世紀中ごろに築造されたものをさす
 大和の桜井にある箸墓(女王卑弥呼の墓といわれる)と同じ形である。こんな古墳は岡山の車塚、京都・椿井大塚山(和邇氏の墓ではないか)など考古学上極めて重視されている古墳がこうしたバチ形の前方部をもっている。
 森古墳群の最初の王者は、こうした人々と密接につながった人物であったのだろう?


雷塚古墳詳細図

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