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第24回 交野歴史健康ウォーク


交野古文化同好会
寺村の池めぐりと
塚穴古墳・石仏を訪ねる
2/9(土)交野ドーム 午前10時

いきいきランド→北川沿いを→寺村の池めぐり
(かさんど池・とんぼ池・あたらし池・新池)→
桜源郷→寺塚穴古墳→南川沿いを
→いきいきランド 

(てら)村の由来
 
は村の位置を変えている。最初の寺の集落は交野高校の北側、今池(昭和60年に埋め立てられた)の南の田んぼの中であった。小字名は「いまい」と言っている。それは弥生時代、稲作を中心とした集落で、村の名を「てるは」と呼んでいた。
 しかし、古墳時代になると大陸から新しい文化が入り、また、渡来人もやってきた。寺村の辻の地藏さん
 彼らは進んだ文化、技術を持っており、大和、山背、河内のあちら、こちらに居を構えた。交野の地にもやってきた。津田山(津田)、交野山(倉治)、竜王山(寺)の三ヶ所に別れて住んだが、彼らは製糸や機織の技術に優れたものを持っていた。寺の背後にそびえる竜王山のふもと、現在の寺の集落の地に住んで機織を専業とした。この村の名を
「はたやま村」と呼んだ。進んだ機織の技術を持って生産した製糸は、当時の日本においては高級品であった。それゆえ、この村の支配者(豪族)は相当の力を持っていたであろう。寺の周囲に点在する多数の横穴式古墳が存在することでも、そのことがうかがえる。
 この繁栄も長くは続かなかったらしい。竜王山一帯は風化した花こう岩地帯である。一度、大雨、集中豪雨でもあれば、多くの土砂を下に流す。それによって崖崩れ、川のはん濫、土石流等によって、ふもと「はたやま村」も寂れ、また、下の「いまい」にいた「てるは」村の人々も土砂に埋まり、生活ができなくなった。
 「てるは」の人々は山ろくの尾根筋を中心とした場所に移り住み、農耕は北川、南川に挟まれた低地へ出向いていった。元の「はたやま村」ではなく、農耕を主にした「てるは村」になった。その
「てるは」が時代がさがるにつれ、いつのまにか「てら」となってしまったということである。

とんぼ池
竜王山の切り立った
崖の下に一番食い込んだ形で
池が並んでいる
あたらし池(右フェンス内)
改修された池の堤防
右奥が創価学園のグラウンド
奥の薮が古墳?
遠く茨木方面の山が一望できる
寺新池
左上にある新池に続く山道
右手から「ちんちん水」が
湧き出している
桜源郷
春には素晴らしい桜が
楽しめ、展望が良く
交野ドームが直ぐ下に見える

 2/9、参加者は、10名と過去最高。 午前10時10分、寺村の池めぐりと石仏を尋ねて、いきいきランド交野ドーム噴水前をスタート。寺塚穴古墳、横穴式入り口
 府道久御山線を横切り、北川沿いを東に向かい、右手に「寺館跡」、冷田、岡田の田んぼを眺め、細い冷田川(北川からの湧き水を集める)を確認して、JR学研都市線のトンネルををくぐり、寺村へと進むと右の辻に「とんど場地蔵」が、村人により大切に守られている。ここで、正月14日に「とんど焼き」が行われたという。
 森から神宮寺へと通じる道路に出て、山側へと小川(北川)沿いに古道を行くと右手に「かさんど池」があり、奥に見える薮が古墳ではないかと言われる。
 さらに東へ登ると、「あたらし池」がある。最近堤が改修された。ここからの見晴らしは素晴らしい。この辺りは「とび野」と呼ばれ、徳泉寺(奈良時代)があったのではと言われている。創価学園の整地中に瓦片が見つかった。この日も、会員さんが古瓦の破片を拾われた。古い歴史を感じる場所である。
 南に下って、「とんぼ池」、学園のビクトリアグランドの西側をぐるっと右回りして、自然公園の竹林の一段上に「寺新池」はあった。綺麗なちんちん水が湧いていた。この自然公園には600本の桜の木が植えられたそうである。寺村の棚田の畦に祭られている地蔵さん
 桜の名所、「桜源郷」で一休みしたあと、寺塚穴古墳を尋ねた。帰りは、見事に整地された棚田とそこから見える冬の景色を楽しみ、綺麗な梅の小枝と赤い花が供えられ大事に祀られている棚田の「地蔵さん」と寺村の辻の「地藏さん」に手を合わせて、別れを惜しんだ。
 交野の古い歴史を肌で感じた、楽しい歴史ウォークでした。
 一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わっていただきたいと思います。
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!


史跡・地名の由来のミニガイド

【寺館跡】
 寺の人々は、今井、冷田、岡田、古宮ノ上の地域の方2丁を寺館跡(てらやかたあと)と呼んでいる。地籍図なり空中写真で見ると、その実態が鮮明に浮き出てくる。
 今池(昭和60年に埋め立てられた)から西に流れる今井川が南川から下りてきた農道と合う所で北へ流れる。この折れる所を「辻あい」と呼んでいる。
府道交野久御山線を横切り、玉泉池へ流れ込む。一部は玉泉池の手前を西へ流れ向井田の方へ流れる。

 一方、北は北川からの湧き水を集める冷田川が東から西へ流れ、玉泉池の所で南北に流れる。「辻あい」から玉泉池の北までを1辺(約2丁)とする正方形が出来上がる。冷田と岡田がほとんど、今井の東部が入っている。南川や交野高等学校の屋上から眺めれば、その形状は歴然である。
 この2丁四方の土地は昔の土豪の館跡だという。今井川、冷田川、玉泉池筋の水路は、この館を取り囲む防御用の堀や池であった。川はいずれも幅1mぐらいで大したことはないが、内側に土塁を築けば、りっぱな堀となる。
時代的には室町時代から戦国期と考えられる。


寺村の池

寺村の池

 寺村の池の立地としては山麓に集中しており、しかも比較的高い場所にある。一番大きい「今池」は現在うめたてられてなくなってしまった。
寺村は住吉神社から下手の山麓地域が交野地域ではめずらしい棚田を形成している。この田んばに供給する水を少し下手の方で谷水をためている。高い部分は山の水を直接とっているようで、下段へ行くほど、田んぽのおち水を利用している。上手の方はあまり大きい田がないので湧水等で間に合うようである。下手に下ると面積も大きくなるので、池の水を必要とするようになっているものと思われる。
寺村の池は全部で24、みんな小型の池ばかりである。
大きい池で「あたらし池」が14アールである。寺区の池は3つで他は民地である。
がさんど池
 寺村には寺今池という大きな池があるが、近年、埋め立てられ、ゴミの廃棄場とかわりました。この今池の東、寺村の出た所に「かさんど池」がある。かさんど池
この池は大きな堤防がなく、水面とほぽ同じ高さぐらいに田んぼがあって西側の道路の面も水面とほぼ同じである。面積は12アール、一反少しということになる。
かさんど池という名前は良くわかっていないが「カサマ池」ではないかという。上手(かみて)の狭間地(さまち)につくられた池という意味である。北川の上流部にあたり、竜王山の断層崖下の湧水が源流になっていて、また、かさんど池の地域は小字名が「向垣内(むこうがいと)」とよぶ、この地の開拓に対してのかんがい用の池としてつくられたものである。
今池
 寺村で一番大きな台形の形をした池で、面積は23アール、寺村の一等水田への用水として貴重な働きをした池であったが、昭和60年には埋め立てられゴミの廃棄場とかわりました。
あたらし池寺新池とんぼ池
この三つの池は「かさんど池」の上手に並んでいる。かさんど池を含めて四つとも面積が12アールから14アールとほぼ同じ面積であることも珍しいし、場所も近くに集まっている。かさんど池だけが民有地であるが、他の三つは区の池である。寺村の棚田の冬景色
 一番上にある寺新池は92m、次いで寺とんぼ池とあたらし池がほぼ同じ高さの68mである。この地域が竜王山の切り立った崖の下に一番食い込んだ形になっている。したがって、棚田が一番発達している場所である。この北側と南側が尾根状の丘陵が西へせり出している形となる。すなわち北側は関西創価中・高校がある丘陵が尾上、高塚、刃墓、出走りと北川に沿う形で片町線あたりまで出てきている。一方、南側は傍示からの「オチゴ谷」がのび、丘陵上が現在の寺の集落となり、その先が巽山と片町線から交野高校付近まで南川に沿って西へのびている。その間を竜王山の山腹をえぐりとったような形で谷がくいこんでいる状態である。その摺鉢状の底と周囲に棚田がつくられ、池もつくられているのである。
 池の成立はみんな新しく江戸末期か明治に入ってであろう。「とんぼ池」という珍しい名前がついているがこれはみのりの秋をあらわしたものであろう。秋の稲穂が黄金色に色づいて重たく垂れる。そこを飛び交うとんぼの群、豊かな秋の収穫を約束してくれる。このための夏の間の大切な水をあずかっている池であるといったことをさしてつけられた名前であろう。または秋にこの池付近によくとんぽが舞うので、ついたのかもしれない。

寺古墳群
 寺の集落の東南、竜王山の山麓に群集する後期古墳群(六世紀から七世紀初頭、飛鳥時代)です。14基の古墳からなり、いくつかの尾根に2〜3基づつ点在し、広い範囲をこえて寺古墳群と呼ばれている。寺塚穴古墳内部
 そのひとつの寺中山古墳群は、寺の集落を過ぎ、住吉神社の手前の道を真直ぐ東に上り、創価学園の小公園を北に見ながら登ると小さな池が左右に5個ほど続き、谷筋を右へ曲がるとさらに池があり、しばらく竹薮と雑木の平地を行くと古墳に出会います。
これは横穴式石室を完全に残す寺塚穴古墳という。 東西12m、南北11mの方墳で入り口は西を向いている。周りは竹薮と雑木で薄暗い。
 大人一人がやっと這って入れる程の入り口から、羨道は短く片袖式となっている。
 中は、意外と天井が高く、195cmあるという。しっかりと石組みがされている。大きい岩石とそれを支える小さい石が左右にバラス良く組まれている。天井の岩石もしっかりと組まれすこぶる頑丈に出来ている。

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