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交野歴史健康ウォーク 第55回

柳生街道を歩く
円成寺から滝坂の道を下り、石仏を尋ねる 徒歩 約9km

JR河内磐船駅9:14→JR奈良駅→奈良交通バス10:10→円成寺→
昼食→茶畑地蔵→峠茶屋→滝坂の道→春日山石窟仏→首切り地蔵→
朝日観音→夕日観音→寝仏→破石バス停にて解散15:30


2003.10.25(土)天候晴れ。午前9時、JR河内磐船駅前に集合。9時14分発に乗車、途中長尾駅から4名が乗車され、総勢15名が揃った。
 交野歴史健康ウォークは発足後第48回目にして交野から離れて、京都の伏見街道へと踏み出し、今回は奈良の柳生街道を歩くこととなった。参加されている皆さんのご意見により2ヶ月に1回、近郊に出掛けることになり、今回は2度目である。

 
 今回のウォークは、交野古文化同好会のリーダーの平田さんが100Kウルトラマラソンの練習コースの一つとして、いつも走っておられるという、柳生街道を案内して頂いた。行程は、参加者の年令を考慮されて下りのコースを設定していただいた。
 柳生街道 
 奈良から春日山中を抜け、柳生の里へと通じる旧街道。
国宝・大日如来坐像、円成寺多宝塔の本尊
国宝・大日如来坐像
円成寺多宝塔の本尊
若き日の運慶作
(平安時代)


 奈良市街の破石町(わりいしちょう)から徒歩約25分で、滝坂道(たきさかみち)と呼ばれる石畳の山道になる。秋の紅葉の季節には特に風情があり美しい。街道沿いには夕日観音、地獄谷石窟仏、春日山石窟仏など多数の石仏が点在し、変化に富んだハイキングコースとして人気が高い
 車道が整えられるまでは唯一の交通路で、何と昭和30年代ころまで人々の“生活道路”として盛んに利用されていたという。江戸時代は柳生石舟斎をはじめ宮本武蔵、柳生十兵衛、荒木又右衛門、沢庵和尚など歴史に名をきざんだ剣豪や柳生家にまつわる男たちがさまざまな思惑をひめて往還した道である。
 街道筋には、誓多林(せたりん)、大慈仙(だいじせん)、忍辱山(にんにくせん)という仏教ゆかりの地名があり、かっては修業僧が歩んだ道である。
 破石町から円成寺までやく9kmで約3時間、円成寺から柳生まで約6kmで約2時間。街道沿いの休憩場所は「峠の茶屋」のみ。

           柳生街道MAP
 @寝仏 A夕日観音 B朝日観音 C春日山石窟仏 D地獄谷石窟仏

滝坂の道

 破石町のバス停から、柳生街道のほぼ中ほどの円成寺までを滝坂の道と呼んでいる。世界遺産に登録されている春日山原始林と万葉集に多く詠まれた高円山(たかまどやま)の境界、能登川(のとがわ)沿いをさかのぼる道。
 江戸時代に奈良奉行が敷いたという石畳道
、小さな滝が次々にあらわれるさまはいかにも滝坂の道の名に似つかわしい。何百年と生き続けた杉の大木など、うっそうたる森、ほどよい丸みををおびた石畳、清らかな流れ、途中、夕日観音、朝日観音、春日山石窟仏などの石仏に出会う。峠を登り切ると、江戸時代から続く茶店が一軒あり、代金にかえて武士がおいていった鉄砲や槍が残されている。


柳生の里小説やテレビでおなじみの剣豪・柳生十兵衛の故郷。
戦国時代末期に柳生新陰流を創始した柳生家は、但馬守宗矩(たじまのかみむねのり)の時代、徳川家の兵法指南役から一気に一万石の大名までのぼりつめた。緑豊かな自然の中、柳生家の墓所がある芳徳禅寺や旧家老屋敷、一刀石など柳生家ゆかりの見どころが点在する。柳生街道にある、円成寺は平安時代の国宝・大日如来坐像や藤原時代の浄土式庭園など街道きっての名刹である。
円成寺は柳生街道沿いきっての名刹。

楼門をくぐれば、そこは俗世を離れた別世界である。
 重文の本堂(阿弥陀堂)や日本最古の春日造り社殿である国宝の春日堂、白山堂。

 若き日の運慶作という大日如来座像や浄土式と舟遊式の2様式を兼ねた前庭は多くの人々を引き付けます
重文の本堂(阿弥陀堂)(室町時代)
本尊・阿弥陀如来坐像が安置されている
日本最古の春日造り社殿である
国宝の春日堂、白山堂(
鎌倉時代)

 予定通り、木津駅で乗り換え、JR奈良駅に10時に到着。駅前から満員のバスに揺られて約30分、バス停忍辱山で下車。円成寺で小1時間程度ゆっくりと境内を拝観した。国宝、重文、名勝の庭など見るべきものが多く、護摩堂の裏手には、見事な三体の石仏があり、平田さんよりいろいろと説明を受け勉強になった。特に、浄土式と舟遊式の2様式を兼ねた前庭は、周りの木が少し紅葉し始めており池に映る木々と、小さな島と楼門の配置がうまくマッチしてとても素晴らしかった。

円成寺の多宝塔
国宝・大日如来坐像
が安置されている

 国道369号線のバス道に出て、直ぐ左手の柳生街道(東海自然歩道)へと入り石畳の道を峠茶屋に向けて歩いた。少し歩くと円成寺の墓地に着き、道端に6体地蔵が祀られ沢山のお墓の中に、珍しい一石七仏や一石五輪塔などを案内してもらった。 
 街道の途中で、昼食。午後は、綺麗に整備された杉の木立や雑木の中を30分ばかり歩くと、周囲が開けた茶畑の街道に出た。茶畑の上に大きな地藏さんが見えた。茶畑の五尺地蔵(等身大)だった。綺麗に刈り込まれた茶畑の中に、地蔵さんは悠然と周りを見守るように立っていた。
 峠茶屋に続く一本の古道に立つ電柱には、せたりん(誓多林)と書かれた札が下がっていた。「せたりん」の静かな集落は昔は剣豪たちが、また修行僧が行き交ったであろうが、今は行き交うハイキング客で賑わっている。そんなことを考えて歩いていると、やっと峠茶屋に着いた。写真で見た通りの、昔ながらの懐かしい建物だ。ここで一休み。早速、草餅を注文して頂き美味しく頂戴する。
 茶屋から少し下ると、左の地獄谷へと続く細い道からご婦人が上がって来られた。「上り下りはありますが案外無理なく歩けますよ」とケロッと言われたが、我々は真っ直ぐの道を下り、春日山の奈良奥山ドライブウェイとの交点に出た。道が崩れているので細い道を上がると、春日山石窟仏の立て看板があり、直ぐ下に穴仏は小屋組みに覆われた中に大事に安置されていた。藤原時代のものらしいが洞窟や石仏の風化が激しく、良く今まで保存されてきたことだと、感心した。
 綺麗な石畳の道を、足をとられないように下ってゆくと杉の大木の下に「首切り地蔵」は立っていた。剣豪荒木又右衛門が切ったという伝説があるらしいが、如何にも剣豪の行き交う古道につけられた名前だと納得。
 周りは、何百年と生き続けた杉の大木などうっそうたる森、幽玄の世界に引き込まれるような心地がする場所だった。小さな滝が次から次へと現れ、それは正に滝坂の道だった。朝日観音、夕日観音と、行過ぎてしまいそうになった寝仏など素晴らしい石仏に感動した。
 時間はまだ、3時前頃だったが薄暗い感じに、早く抜け出したくなるような気持がしてひたすら破石(わりいし)のバス停に向って歩いた。
 秋の一日、江戸時代には柳生石舟斎をはじめ宮本武蔵、柳生十兵衛、荒木又右衛門、沢庵和尚など歴史に名をきざんだ剣豪や柳生家にまつわる男たちがさまざまな思惑をひめて往還した道を歩いた。
是非とも歩いてみたいと思っていた道だった。歩けた満足感に浸りながら5時頃、交野に帰り着いた。また、機会があれば、円成寺から柳生の里へ向って歩きたいものだ。

 次回が楽しみである。一人でも多くの市民の方々にこの喜びを味わって頂きたいと思います。
 是非とも、皆さん誘い合って参加しましょう!!!

円成寺から柳生街道を上る 杉の木立の柳生街道
茶畑の上にある五尺地蔵 綺麗に刈り込まれた茶畑
誓多林(せたりん)付近から
峠の茶屋を目指して歩く
一抱えほどある大きなカボチャ
誓多林(せたりん)付近で見つけた
峠茶屋で一休み、草餅が美味しかった! 峠茶屋の年期の入った看板
春日山石窟仏は凝灰岩を切り出した跡に刻まれた
東西にふたつの窟があり、大日如来、阿弥陀如来、
六観音、六地蔵など合わせて20体余りが半肉彫りされている。
春日山石窟仏は、風化が激しく
小屋に覆われ、金網越しに拝観する
首切地蔵
首に切ったような亀裂が入って
いることから荒木又右衛門が
試し斬りしたという伝説の石仏
石畳の滝坂の道を下る
江戸時代に奈良奉行が敷いたという
石畳道、ここは新しい石畳道
次々小さな滝が表れ
能登川へと流れる


歴史健康ウォークミニガイド

忍辱山円成寺(にんにくせんえんじょうじ)
円成寺は柳生街道沿いきっての名刹。
楼門をくぐれば、そこは俗世を離れた別世界である。重文の本堂(阿弥陀堂)や日本最古の春日造り社殿である国宝の春日堂、白山堂。若き日の運慶作という大日如来座像や浄土式と舟遊式の2様式を兼ねた前庭は多くの人々を引き付けます

四天王楼門 重要文化財 入母屋造
室町時代、応仁2年(1468)の再建


 円成寺の歴史 
 天平勝宝8年(756)聖武天皇の勅願により開かれたと伝えられるが、寺伝によれぱ、平安中期の1026年(万寿3)京都鹿ケ谷の円成寺をこの地に移したのがその歴史の始まりと伝える。平安末には仁和寺の寛遍僧正が入って隆盛をみ、15世世紀の初めに,柳生の里で荒れ狂った土一揆の猛威からも逃れたが1466年(文正元)応仁の兵火によりぽとんどを焼失してしまう。しかし、ほどなく知恩院主の栄弘らによって再興され、江戸時代には、将軍家の特遇の下、大寺としてその名が知られ、寺中23寺、寺領235石を有した。

 豊富な文化財 
 若き日の運慶の銘文が刻まれた大日如来座像(国宝)、日本最古の春日造社殿の鎮守春日堂、白山堂をはじめ多くの文化財が遺されている。
 重要文化財 本堂(阿弥陀堂)、阿弥陀如来、四天王楼門、宇賀神本殿
 県指定丈化財 南無仏太子、僧形文珠
 市指定文化財 拝殿
 
 名勝   円成寺庭園


滝坂の道の石仏群
石切峠の穴仏(春日山石窟仏)

春日山は奈良時代から多くの石材が切り出されたところで、平城宮をはじめ寺院の基壇や礎石に使われたという。
近くにその名もズバリ石切峠がある。

春日山石窟仏は凝灰岩を切り出した跡に刻まれたといわれ、俗に穴仏と呼ばれている。

東西にふたつの窟があり、大日如来、阿弥陀如来、六観音、六地蔵など合わせて20体余りが半肉彫りされている。藤原時代の作で風化したり損傷ありでいたいたしいが、幽玄の気にみちた石仏群像である。
朝日観音


渓流にぐいとはりだした巨岩に刻まれた三尊仏。観音の名があるが中尊は弥勒仏で左右に地蔵を配している。
鎌倉中期、文永2(1265)年の銘がある。

巨岩に彫られた素晴らしい仏様に
圧倒される。

朝の光に照り映える美しさが名の由来と言われ夕日観音とともにゆかしい名である。
寝仏(ねぼとけ)


石畳の道に足をとられないように、下ばかり見て歩いていると見過ごしてしまう。

大石の裏側に大日如来像が刻まれている。もともとここにあったのではなく、上方の大きな岩に彫られた四方仏の一部が転がりおちたといわれ、ちょうど仏さまが寝ころがった格好になっている。

ずいぶん風化しているが室町前期のもの。

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