交野歴史健康ウォーク 2008.9.13 第90回
=交野古道を歩く=
行程; 妙見口バス停→星田神社→円通院→鍛冶ヶ坂→大分け分岐点→星田大池→ 布懸遺跡→高岡山北麓→強地の湧水→大坂道→大谷南大師堂→四辻→東寝屋川駅 徒歩 約 3.5Km |
2008.9.13(土)午前9時、妙見口バス停に集合。天候、雨のち晴れ。
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山の根の道 (星田9丁目2付近) 右手からぐるりと西へ曲がり、中川通りへ出ます。 星田会館前の中川通りには、三つの水車が昭和10年頃まで回っていた。 また、この付近に鎌倉時代の円通院があり、小田原藩大久保領の制札場があった。 江戸時代後期の星田村大絵図に描かれており、位置が確認できた。 |
星田2-7-26 すぐ星田妙見道 南燈明講 弘化2年乙巳8月(1845) |
山の根の道 |
山の根の道 |
中川通り(中川) この付近に水車が3台回っていた |
中川通りの二尊仏 |
へと歩く |
鍛冶ヶ坂を下ったところの大きな五辻 (星田大池から放出した用水をここで方面分けした所) |
星田大池の西堤防下で、交野で珍しいを発見! |
星田緑池(星田大池に隣接している) |
面積が3.9ヘクタールと交野市で一番大きい池である。 池の1/3が埋め立てられ交野3中の敷地になっている。 元の面積は6ヘクタールほどあった。星田大池は高岡と楯石・梶ヶ坂の丘陵に挟まれた広い谷地を高い堤防を築いて堰止めして造られた人工の池である。いつ頃築造されたかは不明であるが、古記録によると、元禄11年(1698)に堤防の改修を行っているので、相当古くから出来ていたことになる。 |
池の1/3が埋め立てられ交野3中の敷地になっている 池の向こうに、グランドと校舎が見える |
星田大池改修工事 昭和46年竣工 大阪府営事業として、昭和44年から3カ年計画で大改修された |
昭和54年に旭小学校西隣の電電公社社宅建設予定地より 旧石器時代の石器(約1万5000年前)が発掘された。 旧石器128点と石鏃1点が出土した。直径数メートルの範囲に、約10cmほどの 深さの中に、ナイフ形石器を作りだすまでの剥片、砕片などが集中していたことから この場所が、ナイフ形石器の制作場所であった可能性が高い。 旧石器のほとんどはサヌカイトで、二上山からの搬入と考えられている。 |
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傍示川を渡り、静かな住宅街を抜けると、一面長閑な田園風景が広がり、ぬかるんだ足もとに気をつけながら畦道を歩き、大谷南の大師堂に到着。 |
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星田妙見道の道標(山根街道) 「大坂道」、弘化2年乙巳6月 南燈明講 願主 何某 |
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強地(ごわじ) 石ノ本の南、ちょうど阿曽谷と左ヶ谷に標高70〜80mぐらいの丘陵が出ている。 その間の谷と谷を出た台地状の土地を「強地」と呼んでいる。 「強い(こわい)」というのは、固い、ごわごわするといった意味である。 水気の少ない固いめのご飯を「こわいご飯」と言い、赤飯のことを「おこわ」 「こわめし」というが、この「こわい」は、いずれも固いという意味である。 「強地」は、粘土質で岩盤が上まで上がっている固い土質であったことから、 耕作するのに非常に骨の折れた土地、 苦労した土地という意味をこめて付けられた地名であろう。 |
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最近、この上が開発された為か、湧水も枯れかかっている! この上に、海成粘土層が見られる。 |
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東高野街道との合流地点に到着 |
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東高野街道と山根街道との合流点に、大谷南大師祠が祀られている |
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大師堂前で記念撮影 |
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東高野街道が北(向こう)からこの場所で 合流して、南(左)へと通る |
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打上の道標 JR東寝屋川駅を上った東北方の四つ角に、この道標が立っている。 安政4年(1857)の造立で各面に文字が刻まれている。
この碑の南北に続く道が東高野街道で昔の姿が偲ばれます。 |
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さらに四辻から南に50mほど行った先に、大峰山の石碑が立てられている。ここで、予定通り星田妙見口から東寝屋川まで、山の根の道(東高野街道)を歩きました。直ぐ左下が、JR東寝屋川駅です。 皆さん雨の中、お疲れ様でした。 でも、10時頃には幸い雨も上がり、絶好のウォーク日和となりました。 次回は、10月11日(土)、山の根の道(その1)をJR津田駅から神宮寺まで歩きます。 集合は、午前9時、JR津田駅。 (5月10日が雨のため、順延したコースを歩きます) |