交野市の市民講座で、「渡来人と日本文化」に触れる歴史ウォークに参加してきました。 コースは、商売繁盛の神さんで有名な伏見稲荷大社の千本鳥居を登り「四つ辻」から京都一周・東山トレイルの最南部のコースを標識に従い、稲荷山を下り泉涌寺に行き、六条山へと入り山道をたどり豊国廟へと歩いた。東山三十六峰をわずかに辿った、楽しいウォークでした。 渡来人・秦氏 渡来系有力氏族。 5世紀以後、西日本一帯に広範に居住する秦人の伴造(とものみやつこ)。 本拠地は山背国葛野郡。天武朝の八色(やくさ)の姓で忌寸姓となる。 一般には、古くから西日本一帯に渡来し、機織や農耕に従事していた新羅系の人々が欽明朝に王権に接近した山背国の勢力を伴造として氏族的にまとめたものとされている。 以後、多くの献納によって王権を支えたので、一族は朝廷の倉の管理部門と関係が深い。推古朝に、峰岡寺(広隆寺)を建立した秦河勝がいる。 『日本書紀』によると、推古天皇11年(603)に聖徳太子が、所持する尊い仏像を誰か礼拝する者がないかと臣下に問うたところ、秦河勝が進み出てこれを賜り、蜂岡寺を造った。広隆寺の前身である。そして、その仏像こそが国宝第1号に指定された、あの有名な弥勒菩薩半跏思惟像であるという。 渡来人の血を引く桓武天皇が平安京に遷都した背景にも秦氏の強大な力があったといわれる。秦氏が大陸や半島の先進技術を伝えたことにより日本の文明の発展にどれほど貢献したかは計り知れない。こんにち日本人の心のふるさとといわれる京都の、根幹の部分に渡来人の活躍があったことを私たちは忘れてはならないだろう。 伏見稲荷大社の創建 5世紀以降、山背国を中心に近畿一帯に繁栄した渡来系氏族泰氏が、古来から神の宿る山として信仰されていた神体山に稲荷神が降臨したとして祀り、氏神として信仰してきた。 |
5/9(木)午前9時31分、枚方市駅から急行に乗って伏見稲荷駅に到着。改札口を出て表参道を行くとその奥に伏見稲荷大社の本殿がある。 |
伏見稲荷大社 伏見の「お稲荷さん」といえば、 赤い鳥居と「お狐さん」がすぐ 思い出される。全国3万余の稲荷社 の総本山として有名である。 |
伏見稲荷のお狐さん 祭神宇迦御魂神は田の神とされ、 狐を神使とする信仰で、五穀豊穣を 願う多くの庶民が崇敬した。 |
伏見稲荷大社の鳥居 朱の鳥居を建てて祈願と感謝を表す 信仰が盛んでその鳥居の数は数千に及び、 千本鳥居と呼ばれる中世から近世には、 商業経済の発達にともない、農耕神から 商売繁盛の神として各地に勧請された。 |
御寺・泉涌寺 東山三十六峰の一嶺、月輪山の麓に 静かにたたずむ泉涌寺。 ひろく「御寺(みてら)」として 親しまれ天長年間に弘法大師が この地に庵を結んだ事に由来する。 |
泉涌寺・月輪御陵 |
豊国廟の石段の登り口 NHKの大河ドラマ『秀吉』の 最初のシーンで、幼い日吉丸が 力一杯かけのぼっていった階段です。 慶長3年(1598)8月18日、秀吉は 伏見桃山城で63才の生涯を閉じた 遺体は遺言によって、ここ阿弥陀ケ峰 の中腹に葬られ、廟と社殿が 建立されました |
※史跡・概略説明 【伏見稲荷大社】 京都市伏見区 伏見稲荷大社の概要 創建 711年(和銅4)秦伊侶具(はたのいろく)の創建と伝える。 信仰の広がり 稲荷神社起源の伝説 稲荷大社の祭礼 《泉涌寺》 |
|