〔渡来人・高麗(こま)氏・狛(こま)氏 と 高麗寺(こまじ)跡〕 高麗寺(国史跡) 7世紀初頭(飛鳥時代)に創建されたわが国最古の仏教寺院の一つである。この地がかって相楽郡大狛郷に属することから、朝鮮三国のうちの高句麗からの渡来系氏族・狛氏とのかかわりが指摘されており、文献資料からは、天平年中(奈良時代)に存在したことが「日本霊異記」に記されている。 伽藍は、木津川を見下ろす台地に南面して立地し西に金堂、東に塔を持つ発起寺式の伽藍配置で塔、金堂、講堂は整美な瓦積基壇を外装しており、講堂の両翼から伸びた回廊は塔、金堂を囲んで中門に接続します。寺域は東西約200m、南北は190mの規模を持ち、その周辺には諸堂塔に葺かれた瓦を生産した高麗寺瓦窯や高井手瓦窯が存在し、北方には高麗寺造営氏族のものと考えられる大規模な居館跡(上狛東遺跡)が発見されている。(現地案内板より) 高麗寺跡は1934年(昭和9年)、山城町の上狛に住む中津川さんが発見した。 ※埼玉県には「高麗郷」(日高市)、東京の多摩には「狛江市」があり、ここもまた高麗氏が渡来して開いたところである。 創建については諸説があり、確かなことは未だ不明であるが、飛鳥時代に南山城に勢カを伸ばした渡来氏族高麗氏・狛氏によって創建されたと推定されている。 1938年(昭和13)の発掘調査で、東に塔、西に金堂、北に講堂を配する法起寺式伽藍配置が確認された。 高麗氏・狛氏は高句麗から渡来した氏族。高句麗滅亡時に渡来した者が特に多いと考えられる。 【木津川】 古くは輪韓鼻河(わからがわ)、山代河、泉河(いずみがわ)と呼ばれた。 鈴鹿山脈、布引山地を源とし三重県西部、京都府南部を西流し、八幡市橋本で淀川に流入する。 古代から近江、山代、大和、摂津の四国を結ぶ水上交通の中核として利用されており、木材などが盛んに輸送された。
木津 木津町の泉木津は木津川に沿う重要な津。ここには古代〜中世に大寺院などが泉木屋(いずみきや)と呼ばれる施設を有し、近世でも「津」として繁栄した。周辺の水田を潤す用水としても重要。 《当日、渡った木津川の橋》 ○泉大橋(国道24号木津町ー山城町) 昭和26(1951)年架橋 長さ383.6m 幅7.5m 鉄筋コンクリート造 歩道が付け加えられたのは昭和49年9月11日 ○開橋(精華町北垣外ー山城町平尾) 昭和46(1971)年架橋 長さ436.4m 幅8.5m 鉄筋コンクリート造 |
椿井大塚山古墳→木津川、開橋→祝園神社→R学研都市線祝園駅(行程約8km) |
2002.10.22(火)、AM9:40過ぎ、学研都市線木津駅下車。10月に入り、気候がよくなり参加者も増えたようだ。駅前がいつもの元気な顔で一杯になった。辻先生からウォークの行程など説明を受けたあと、安福寺に向けて出発した。駅から北へ学研都市線の踏み切りを渡り、10分ばかり歩いたところに神社があり、境内に入ったところの左手に、平重衡の墓と書かれた十三重の塔があった。 |
高麗寺(国史跡) 塔跡…12・8uの瓦積基壇を有し、中央に心礎。 心礎には表面に円柱穴、側面に舎利孔を持つ、 全国でも唯一の形式。 (舎利孔=写真の左側、側面に孔を穿ってある) |
泉橋寺の五輪塔 1180年(治承4)平重衡の南都焼打の際焼失、そのときの犠牲者を供養した五輪石塔(国重文・室町) 重要文化財。高さ2・4m、花崗岩でつくられていて、室町時代の初期に製作されたものと推定されている。 |
椿井大塚山古墳の上で 三角縁神獣鏡、耶馬台国の 女王卑弥呼の話など詳しく説明を受ける |
椿井大塚山古墳からの展望 古墳の前方部には民家が建てこんでいる 遥か向こうに倉治の山が見えた |
※史跡・概略説明 【安福寺】
【泉橋寺】 玉龍山泉橋寺。浄土宗 露座の地蔵像 【椿井大塚山古墳】(つばいおおつかやま)
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