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星との対話

複数の仮説から日本の古代の様子を探求しようとする私のロマンは、まだまだ始まったばかりです。今後、天文学者や歴史学者の方たちとも協力しながら調べていくと、もっと興味深い、とてつもない新事実が発見できるかもしれません。

とは言え、私は歴史学者ではありませんから日本古代史の謎を解明するのが究極の目的ではありません。はるか遠い昔から我々人類は星(宇宙)と対話をしながら、文化を育み、歴史を綴ってきたのだということを、私たちは忘れてはならないと思うのです。私は八ヶ岳で星の観測を続けていますが、星の降る町と言われる私のふるさと長野県臼田町でも関東平野の明りで、年々空が明るくなっています。

全地球的に、夜の明るさが植物に計り知れないストレスを与えていると警告する植物学者もいます。地球上の植物がストレスを貯めると地球はどうなってしまうのか?人類はその恐ろしさにまだ気が付きません。

星田妙見宮のご神体 星田妙見宮のご神体は、祠の奥に見える二個の霊岩ですが、春分の日と秋分の日の太陽は二個の霊岩の間から昇ります機物神社は冬至の日の出を拝む位置であったということも考え併せて、古代に暮らす人々にとっては、田を耕し、種を蒔き、米を収穫するためには、季節の変化を知る上で、日月星辰の運行はとても重要な意味を持っていたのです。

現代の私たちは確かに便利さは手に入れました。しかし、自然と共に生きていた我々の祖先が「交野が原」で眺めていたような降るような星空は失ってしまいました。

私は各地で星の観測会を開いていますが、「交野が原」の謎を解く話とともに、 “地球で生命体が生きていくとはどういうことなのか” をみんなで一緒に考え直すきっかけにしたいと思っています。

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宇宙(そら)の記憶