故郷通信 2011.1.20 
岩下利明さんより投稿頂きました

   
   椰八幡神社神事獅子舞(兵庫県指定重要無形民俗文化財)

ごあいさつ

 椰八幡神社神事獅子舞の奉納にあたり、一言ご挨拶申し上げます。
 平成24年度は当野部白治会が15年た一度の奉納当番年に当ります。今日、この日の為に“全員の力を結集、野部の獅子"を合言葉に、笛は8月1日より、獅子・子役・太鼓は8月22日より、連日夜遅くまで練習を積み重ねて参りました。
 昨今の核家族化・少子高齢化は、当自治会も決して例外ではなく、特に子役者・獅子使の確保に大変苦労しましたが、地区の皆様のご理解とご協力により、本日無事に獅子舞を奉納する運びとなりました。ここに改めて関係者の皆様に感謝し厚くお礼申し上げます。
 野部の獅子舞は、夢前町護持の流れをくみ、所謂沢田の獅子とは演目、内容共些(いささか)異なる部分があります。それが又、興味をそそる見どころとも言えます。
 椰八幡神社神事獅子舞は、昭和44年3月に兵庫県重要無形民俗文化財に指定されました伝統と由緒のある獅子舞であります。この伝統ある椰八幡神社神事獅子舞が更に発展し末長く継続されていくことを祈念しまして、簡単ではございますがご挨拶とさせて頂きます。     平成24年10月20日
                 
                                 たつの市神岡町野部
                                      自治会長 岩下 利明
由来・沿革

 椰八幡神社の創立は不詳ではありますが、古くは播磨國風土記(和銅6年、西暦713年編纂)を始め、峰相記(貞和年中、西暦1340年代成立)、播磨鑑(宝暦12年、1762年成立)その他古文献に当神社の事が記載されており、古くから大社として広く知られた存在でした。明治7年に「椰八幡神社」として旧社格郷社に列せられ、神岡郷幣粕帛共進の神社とされました。
 社伝によると、神功皇后三韓征伐凱旋の砌(みぎり)、何処からともなく獅子が現れ神霊地へ案内したとの故事があり、これが神事獅子舞奉納の起因と云われています。正徳年間(1711〜 1716年)には氏子の村々を5組に分けた獅子組当番組織が確立されており、爾来今日に至る300年以上10月20日の獅子舞奉納は休む年なく続けられています。
 昭和32年4月に、獅子舞技法等の保存・伝承を目的に氏子中を一括した「椰八幡神社神事獅子舞保存会」が結成され、昭和44年9月には「兵庫県重要無形民俗文化財」に指定されました。
 その後、古典民俗伝承芸能として、NHK全国民芸大会を始め伊勢神宮や各地の大会に県や関西の代表として出演、特に昭和50年には神戸新聞社によるヨーロッパ親善使節団の日本古典民俗伝承芸能代表としてニースカーニバル(フランス)に参加し国際親善の一役を果たして来ました。
組織

 獅子舞が神事として、今日に至るまで固く伝統を守り、いかなる年も欠くことなく連綿と続いて奉納されていることは、偏に神の恵み(豊饒な自然環境)と氏子中の厚き敬神の念によるものでありますが、それを支えるのが300年以上前に確立された氏子16ヶ村を5組とし、輪番制とした獅子組組織です。現在では、5年毎の獅子組の中で各村毎に5年〜 30年に1回の当番を受け持っています。又、林田川を挟み、西側(川西)で3組3年、東側(川東)で2組2年の順で廻ります。今年は、当野部自治会が15年に1回の当番年です。
技法・舞種別

 椰八幡神社神事獅子舞舞は、古式の単純簡素なものより次第に工夫進歩して巧緻優美となったもので、現在では大別して雌獅子、雄獅子、神楽獅子の三流派になっており、何れも2人(一部3人)の獅子使いが獅子頭に油単(ゆたん)という胴衣を被って笛・太鼓・拍子木等の囃しに合わせて、種々の所作表現をしながら舞踏します。その内容は、可憐優雅、軽快勇壮、或いはユーモラスで曲芸的なもの等多彩で(中でも「継獅子」は、獅子も童子も共に人の肩の上に乗り、立ちあがってアクロバット的な演技をするもので、「椰の継獅子」として特に有名です。  野部の獅子は雌獅子なので、継獅子では肩の上に乗った獅子が、道中前に白粉を塗る等のお化粧をします。


神戸新聞20121021() 朝刊より抜粋


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