中田さん 古希記念 快挙!
中国大返し 240kmを踏破

7/1 中田勝康さんから投稿頂きました

 私は今年の6月に、秀吉の水攻めで有名な岡山市西北の「備中高松城址」から京都府大山崎町の「山崎の合戦の古戦場」まで240kmを一人で歩きました。

 戦国歴史が大好きな私は、秀吉が本能寺の変を知って急遽、実質6日間で山崎まで引き返した、いわゆる「中国大返し」を自分の足で歩くのが永年の夢でしたが、このたび一念発起して6月4日(高松城主切腹の命日)に岡山をスタートし、4日、7日、10日、13日(雨)、19日、26日(雨)と、歩いては自宅で静養しまた歩いて…を繰り返して、秀吉と同じく?延べ6日間で山崎の合戦の古戦場にゴールインしました。

 「それがいったいナンボのものや?」と言われそうですが(笑)、古希を過ぎてから炎天下や雨の中を1日平均40kmも歩き、永年の夢がようやく実現できました。これも相生市矢野町の山奥から龍野高校まで、皆勤で自転車通学をして培った健脚のお陰と、あらためて感謝しています。

     (6/5山陽新聞、6/11神戸新聞、6/27京都新聞ご参照下さい)
        
       10回生 相生市・中田勝康より 
6/27 京都新聞
「中国大返し」大山崎にゴール
顕彰会男性、240キロ踏破
 本能寺の変を知った豊臣秀吉が。備中(岡山県)から京都・大山崎まで急きょ引き返した「中国大返し」の道程を歩いてたどった男性が26日、ゴールの京都府大山崎町の天王山登り口に到着した。6日かけて約240キロを踏破した男性は、駆けつけた友人から祝福を受けた=写真。

 秀吉の軍師を務めた播磨(兵庫県)の武将、黒田官兵衛らを顕彰する会の中国勝康さん(71)=兵庫県相生市。中国大返しを献策した官兵衛の功績をPRしようと、4日に岡山市の高松城址公園を出発した。旧山陽道を東に進み、26日朝に尼崎市をたち、雨の中を約8時間歩いて大山崎にたどり着いた。

 道中、黒色の陣笠をかぶり、オレンジ色の陣羽織を着続けた中田さんは「無事歩き切ってほっとした。 身軽な私と違い、秀吉は大軍を率いて6日で戻ったのだからすごい」と名勝の起動力に驚いていた。




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