明大拳法部通信 2010年 1月号
第54回 全日本学生拳法選手権大会         またも王座奪還ならず

清水徹太郎さんより投稿いただきました

 

拳法部  明大、団体インカレ準優勝!尾川メイジに幕/第54回全日本学生選手権

◆11・29 第54回全日本学生拳法選手権大会(大阪府立体育館)
▼明大――2位
 “自然の秀麗、人の親和、たぐいなき此の学園――”
大会3連覇を飾った関大の校歌が響き渡る。
祝勝ムード漂う大阪府立体育館にはひとり涙する尾川主将(政経4)の姿があった。

“やりきった、終わった、ありがとう”

 その一滴には、いろんな思いが凝縮されていたのかもしれない。
4年間溜め込んできた思いは涙となってどっと溢れた。


 尾川メイジ発足から1年。主将就任時に語った「来年は絶対に大阪府立でⅤを奪還して、監督を胴上げしたい」(尾川主将)という思いは、一年間変わらなかった。

(明治大学 拳法部 WEB記事を参照)
 監督在任二十一年間本当におせ話になりました。

 昭和六十二年(一九八七)に明治大学体育会拳法部の監督就任を要請され、本年三月に辞任するまでの二十一年間公私に亘りご支援、ご指導を賜りました。前向きに諸問題解決に尽力いただきました四名の部長先生、多くの先輩諸民の叱咤激励、数多くの同輩、後輩、いろいろな悩み・愚痴を快く聞き、励ましてくれたコーチ陣、練習に参加する為多くの便宜を図ってくれました。
 会社の上司、子供の教育も任せきりで家庭を殆ど省みない小生に愚痴をこぼしながらも逹れ添ってくれた家族等の支援があったからこそのお蔭と心から感謝いたしております。
 とりわけ監督就任時からの十二年間は関東大学り―グ戦はそこそこの戦歴でしたが、拳法部にとり、長年の悲願である「全日本学生拳法選手権大会」に優勝するとの夢は最高の成績が四回戦、殆ど一~二回戦で敗退して毎年、悔しい思いをしてきました。拳法部五十年史にも記載致しましたが、高村コーチ(当時)試合の応援に駆けつけていただいたOB、ご父兄を寒風吹く府立体育館の入リロ付近で待つ悔しさは今でも忘れません。この試練の時期に 今でも私の胸深く感銘を与えていただいたOBと部長先生がいます。溝内先輩(当時OB会長)、真野孝志先輩(後のOB会長)と吉田悦志(当時部長)でした。
 溝内先輩はいつも試合後、独特の言葉で「もう少しだ、来年は勝てるぞ」と毎年、毎年語りかけて頂きましたが、ややもすると負け犬根性が芽生えそうになる弱い心にどれほど感動を受けたか分りません。
 真野孝志先輩は常に懐は深く正面から何事も受け止めていただき、間違ったことは大嫌いの性格でした。間違ったことには、顔を真っ赤にして叱っていただきましたが、当時は仕事、私生活で真剣に叱られる事はありませんでしたので、この世で一番怖い存在でした。拳法、私生活に真摯に取り組まれている故のことと理解したのは後になってからでした。
 吉田悦志(当時部長)も十年間に亘り拳法部躍進につながったスポーツ推薦制度の確立に大変なご尽力を頂くと共に部員の大怪我に対する父兄への対応、数々の難問題を親身になって解決頂きましたが、今でも感謝の気持ちは変わりません。
 この様な多くの明治大学拳法部をご支援いただいた皆様のお蔭で、昭和四十二年の第十二回大会から数えて三十二年振りの第四十四回大会に優勝、四十五回大会、四十六回大会と三連覇を達成、二年間後 四十九回~五十一回の二度目の三連覇を達成出来たと思います。
 ここ三年間、関西の強豪関西大学に二度優勝戦で敗れていますが、心気一転後任の一ノ宮孝監督がりベンジしてくれると確信しています。大変な読書家で 心も優しい現場を第一主義の信頼出来る男です。幸い下級生に逸材も育っていますので、彼の指導で二~三年後が大変楽しみです。
 今後共時間の許す限り支援させていただきます。今後共宜しくお願い申し上げます。
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