龍野高校10回生の皆さん、
どうぞ東北復興のために力を貸してください。
大塚正宸さんの呼びかけに、応援メールを頂戴しました。
2011.4.5

 東北復興にご支援を−との呼びかけに、村田さんの情報ネットワークを通じ多くの反響が寄せられています。福島在住の末次さんの消息が分かったという横林さんのメッセージも、お嫁さんの実家は釜石だがご家族は全員無事だったという森さんのメッセージも、村田さんというサイトの管理人あってこそ実証された龍高10回生の絆でしょう。お骨折りに心から感謝しています。

 震災以来、被災地は例年にないような「寒春」に見舞われ、こんな非常時になぜ天までが被災者を痛めつけようとするのかと恨めしい気持ちでした。けれどもここへ来て、やっとみちのくにも陽春の気配が漂い始めています。あと半月ほどで被災地でも桜が開花し、多少は気晴らしを助けてくれることでしょう。

 遅々たる季節の歩みと同様、人々の立ち直りも一足跳びにはいきません。が、全国・全世界からの励ましに支えられて、少しずつでも元気を取り戻しつつあるように私には見えます。やまない雨はない、明けない夜はない−です。

   大塚 正晨さんより
2011.4.5

末次君の安否を知った清水好信君に続いて、龍野高校10回生神保照美さん(旧制盛田、揖保中学出身、姫路市飾磨区在住)から、下記のメールが届きました。

>おはようございます。メ-ルありがとうございました。
>気になっていました末次さんの安否、苦労して探して連絡していただき、感謝と共に安心しました。
>関東地方も大変ですのにありがとうございました。

大塚君の災害状況報告を受けた村田君の災害呼びかけが、10回生の輪が広がり、被害を受けた同級生や被害地の皆さんに勇気を齎せていることに、感謝ありがとうございます。
    
   横林寛ムさんより
2011.4.4

龍野高校10回生の清水好信君から、末次博君の安否が確認出来、下記の通り喜びの連絡がありました。
>そちらの皆さんも無事の様子安心しました。末次君の事ありがとうございました 気になっておりました。
東京方面も気をつけて下さい。
 
末次君への連絡方法は、村田君のブログや清水君のメールをコピー→末次君宅にFAX→お嬢さん→末次君にそのFAX→横林に
末次君から電話ですが、何れ彼の仮住い(長野県)⇔横林のパイプを太くして、ホットラインを作ります。
 
  横林寛ムさんより
2011.4.4

龍野高校10回生の皆さん

龍野高校10回生の末次博君(福島市笹木野に在住/御津中学出身)の消息が、何回電話しても通じず心配していたのですが、やっと4月3日に電話からFAXが通じることが判りFAXしました。
確か、彼は高台に住んでいた記憶をしていたので、水害の心配はしていなかったのですが、原発で避難生活しているのかと、返事が無いので心配が募り、彼の電話番号を頼りに消息を探索しょうと考えていたところでした。

元気な声が届きました! お孫さんの関係で娘さん家族が福島から離れられず、時々娘さんが彼の自宅に様子を診ておられ、私のFAXが目にとまり、先程彼から連絡が届きました。
今、彼は奥さんの親戚先の長野県に仮生活をしています。住居も残り、家族全員無事です。

大塚君の情報、村田君の災害支援呼び掛けから、末次君の消息探しに拍車が掛かり、彼の元気な声に大きな安堵しました。
災害に寄せて頂いた皆さん、心から感謝申し上げます。

PS:今日、郵便局から災害基金を申し込んだところ、県別に災害対策本部が分かれており、私個人的には各県共、コンサルタンティングに関わっていた会社がありますので、これから些少ですが各県に協力しますが、最初は彼が住んでいる福島県から開始しました。

   横林寛ムさんより
2011.4.2

 森 博明です。

この度の未曾有の大災害では信じられないような多くの方が亡くなられ、加えて被災者の皆様のこれから続くであろう復興への長い長い苦難の道のりを考えると本当に心が痛みます。

私事ですが長男の嫁の実家が釜石で自分のふるさとが津波に流され、消えていくライブビデオを見て泣き出すし、親兄弟は行方知れず、一時は我が家もパニックになりましたが5日目になって(インターネットで)ある避難所の名簿で家族全員生存を確認・・・と云う訳でこの度の大惨事は私たち家族にとっても他人事ではない超身近なこととして今はただ命が助かっただけでもありがたいと思う毎日です。

原発問題も未だ解決の見通しさえも立たない中、日々の報道の中で唯一救われるのは日本中のいや世界中の国々や人々からの差しのべられる心のこもった救援活動ではないでしょうか。助け合いの心、人と人との絆に深い感動を覚える毎日です。被災者の皆様が一日でも早く物心ともに平穏な生活を取り戻されることをただただ祈るばかりです。
2011.4.1

横林寛ムさんより

大型地震による被災地の皆さん方に、心を痛めています。
君を心配していましたが、高台の泉区で安心しました。でも、知合が多いから、大変ですね。
 
仙台市は、昔関わっていた会社が若林区にあり、災害から数日後に連絡が取れ、社員の人的被害が無かったので安堵しています。
他に、福島市、八戸市、盛岡市、二戸市がありますが、工場被害が発生したとはいえ、何れも人的被害から免れ、復興に打ち込んでいます。今、関わっている水戸市、ひだちなか市の工場は、大きな被害を受けてましたが、1週間で操業に漕ぎ着けました。
食料不足と宿の確保、交通網の遮断、ガソリン不足から製品搬送・材料入荷を克服しながら、少しづつ生産活動を再開してきました。
社長を初め、社員の一致団結で苦難の克服を通し、大きな財産が会社に生れました。
 
三条市(新潟)の地震と水害の2回の時は、羽田→新潟→三条市に入り、帰りは余震の無い日本海沿いを通り、長野から帰宅していました。
阪神災害時は、羽田⇔岡山⇔龍野(指導先)、復旧する迄1年余り毎月行っていました。
 
災害は、会社以外に家族に大きな打撃を与えますから、現地に乗り込み自分の経験を生かした活動(応援)が復興の原動力になります。
アメリカの記者が、計画停電が実施されないと不満になる日本人は素晴らしいと評していました。日本人の底力を強く痛感します。
頑張って下さい!
2011.4.1

10回生の中田勝康(矢野中卒)です。

先の阪神淡路大震災では、私は神戸の長田区で炎と煙にまかれた経験があり、そのとき神戸の姉の自宅も全壊しましたので、今回の震災を決して他人ごととは思えません。
一昨年の兵庫県佐用町の水害では、近距離だったために、私は延べ4日間、復旧作業ボランティアに従事しましたが、今回はさすがに遠いため、全く手が出ません。
幸いこちら兵庫県西播磨地方でも随所に義援金活動が行われているので、募金箱を見つけては(年金生活者ですので)、貧者の一灯の気持ちで、少額ですが参加させていただいております。
被災地の皆様には、どうか気持ちを強く持って頑張って下さい。これからも兵庫県から声援を送り続けております。


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