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私は、平成元年(1989)〜平成6年(1994)まで長野3年、富山2年と単身生活を送った。
長野での最初の1年間は仕事と生活に戸惑うばかりで、あっという間に過ぎ去った。
1年が過ぎ、気持ちにゆとりが持てるようになると、ドライブを楽しむだけではつまらなくなり、
目の前の素晴らしい山々に登ってみたいと思うようになった。手始めに、早春のある朝早く目を覚ますと、長野市内に一番近い大峰山(大峰城)を目指した。
善光寺さんの北の千鳥が池をまっすぐに桜坂を上がり、七曲がりの手前で山道へはいった。小1時間ばかり登り、高台の木々の切れ目から長野市内を眺めひと休み。
あとは、一気に登った。大峰城はまだ、早いのか閉まったまま。汗をかいた後の爽やかさを味わう。
何と気持ちのいいこと。
大きな声で誰かに呼びかけたくなる。・・・・それにしても、途中の息苦しいこと、足が痛いのには、参った。
朝早く起き、近くの市民グラウンドに出かけてみた。
薄暗いグラウンドには沢山の人々が黙々と歩いていた。
中には、ジョギングしている人もいる。
グラウンドの中央では体操したり、思い思いに飛んだり跳ねたり楽しんでいる。1時間ばかり、人の渦に巻き込まれながら歩いた。
何時の間にか、太陽が顔を出しすっかり明るくなった。
気持ちが晴れ晴れとした。一日のやる気が出てきた。
1ヶ月ほど毎日歩いた。
程なく、飯綱山(いいづなやま)に登った。標高1,917m。
中腹から美しい展望が開けてきて、本当に気持ちがいい。
頂上からの展望に見とれて、時の立つのも忘れた。
西には、屏風のような戸隠連峰、その右に高妻山、黒姫山、かなたに、白馬・五竜・鹿島槍。
北には雪を頂いた妙高、火打・焼山、東に、遥か遠くに志賀高原、浅間山。
いつかは登ってみたい山々であった。
なかでも、北信五岳(飯綱山、戸隠山、黒姫山、妙高山、斑尾山)には、是非登りたいと思った。
その後、飯綱山には2回登った。
1度は戸隠中社から西登山道を、また、長野カントリークラブの北・一の鳥居から。
頂きから見る山々は、いつも輝いて見えた。
飯綱山の名は、その山中にあるという天狗の麦飯からきている。
天狗の麦飯とは、土中の一種の菌類で、この山で行(ぎょう)を積む修験者達はこれを食糧にしたといわれている。
いまでは、絶滅して見ることが出来ない。
この飯綱山は、江戸末期まで、戸隠山とともに北信の修験道の霊地として名高く、
飯綱大権現と名付ける神社は全国に多い。
信州百名山(清水 栄一著)から引用
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