[ホームページ]へ戻る
枚方・交野の七夕伝説
2000.7.8号 リビング京阪に掲載される

もっと知ってほしい 枚方・交野の七夕伝説
星空のロマンを求めて


 牽牛星(ひこぼし)と織女星(おりひめ)が年に一度、天の川で出会う、七タ伝説。その発祥の地とも言われる、天野川流域の枚方市・交野市一帯の「交野ケ原」には、それにまつわる地名も数多く残されています。
 「伊勢物語」にも、交野ケ原に狩りに訪れた在原業平の歌「狩り暮らし棚機津女(たなばたつめ)に宿借らむ、天の河原に我は来にけり」と歌われている、天野川、交野ケ原−。
 そんなロマンあふれる伝承文化を盛り立てようという動きを追ってみました。


恋歌での歌合わせ「乞巧歌会」歌会風景
恋歌での歌合わせ
「乞巧歌会」

 願いササも
街の風物詩として定着


 みやびやかな音楽が静かに流れるなか、浴衣姿の男女が、短冊を手に歌を詠み上げます。先月行われた、恋歌での歌合せ・乞巧(きっこう)歌会での一幕です。
 これは、市民グループ・天の川七夕星まつりの会を中心とした実行委員会が、8月2日(水)〜6日(日)に行われる、天の川七夕星まつりのイベントとして企画したもの。
 「七夕にちなんだ歌をよりぬきました。今回は会の十周年を記念して、新企画も予定していますが、歌会はその一つ」と、同会の中島宏子さん。
「七夕伝説の残る枚方をもっとアピールしたい」と、会が結成されたのが10年前。以来、会員の手作りで、毎年7月に「天の川七夕星まつり」を実施。色とりどりの短冊に彩られたササ飾りは、すっかり枚方の風物詩として定着しましたが、裏務局長の下間玲子さんは「当初はまったく振り向いてもらえず、願いササも『書いてください』とお願いするのが大変でした」と苦笑します。
 飾りに使用するササは70本以上。適度な太さと葉の美しいものを見つけ、切りだし、運ぴだす重労働も、すべて会員で。そんな努力のかいもあって、最近では「ぜひ書かせて」と市民の方から声がかかるほど。昨年は願いザサも総数990枚になり、「期問中、ササを10回ほど入れ替えました」。
10周年記念として、七月一日には「交野ケ原と七夕伝説」と題した記念誌も発行
 毛利衛さんら歴代宇宙飛行士のメッセージなども掲載され、「これだけみなさんが協力してくれるということは、それだけ、この地に素晴らしい伝承文化があるということ。もっともっと、市民が知って誇れるようにしたい」と同会の鳥居貞義さん。
 下間さんも「そのためにも市民のみなさんにいろんな形で参加してほしい」と呼ぴかけます。

伝説知る講座も


 また、地元の七夕伝説を知るための講座も催されます。
 7月2日(土)に、蹉蛇公民館で開講される「講座枚方学七夕伝説に彩られたまち・ひらかた」。
 当日は地元大学生も参加して、七夕伝説についての紙芝居や伝統産業のそうめん、七夕にちなんだお菓子の試食などが行われます。
 コーディネーターの北原千佐子さんは、「イベントで終わらせるのではなく、子供たちに郷土の七夕伝説を伝えたい」。

一方、別の視点からこの「交野ケ原」に注目する人たちも―。
 長野県在住の彗星捜索家・木内鶴彦さんは、6年前、交野市で行われた京阪奈学研都市のオ−プニングセレモーで講演。その下調べとして、交野の古地図と星座の地図を照らし合わせた結果―。
交野ケ原には、南米のナスカの地上絵をはるかに超えた壮大な”星空”描かれていた」と推測。現在では、土地の造成などで失われたものも多くあるとのことですが、天の星座を地上に移した場所には神社などが建てられ「何か特別な意味を持たせていたのでは」と話します。
木内さんらの説では、楠葉の交野天神社を北極点にした、機物神社、天野川の位置関係は、西暦535年の星空だとか。
 「現代の数学や天文学の最先端の知識を使わなければできないことをやってのける、知的な人たちが、かつて交野ケ原に住んでいたのでは・・・」と、今後も調査を続けていくそうです。
 同じく調査にあたった枚方市出身の廣瀬隆憲さんは、「ふるさとの天野川が、このようにロマンのある川であることを再発見したことで、今まで意識していなかった郷土愛のようなものが生まれ、誇りに思えるようになりました」と話します。

問い合わせ先
 天の川七夕星まつりの会事務局 TEL 072-848-3591
[ホームページ]へ戻る