6月24日(土)、中年探索隊5人で河内飛鳥の竹内街道を歩いてきた。
I氏のリーダーで近鉄「上の太子駅」で下車、直ぐ目の前の道路が「竹内街道」。予てから歩いて見たいと願っていた街道だ。
日本最古の官道、聖徳太子も通った道。
推古天皇の「難波より都へ至るまで大路を置く」との勅命で作られた日本最古の官道ーー古代の国道1号線も最初は石棺を作る為の凝灰岩を二上山より搬出する道だった。やがて平安京に遷都するとこの道も余り使われなくなるが、今度は「お伊勢参り」の人で賑わったという。
街道を少し北に上り左折、飛鳥川を渡り、この辺りから見える二上山はまた素晴らしい。30分ばかり歩いて壷井八幡宮に到着。河内源氏の発祥の地。通法寺跡で源頼義の墓に参り、頼信、義家の墓に向かう。ガイドブックによりブドウ畑の高台へと行くが見当たらず、ぶどうの取り入れ作業の婦人に聞きやっとわかる。
頼信の墓のわきに、五代将軍綱吉のブレーンとして「生類憐れみの令」を出させた僧隆光の墓を見つけ、暫し江戸時代の話に花を咲かせた。(僧隆光は、将軍の死後この地に左遷させられたという)。
南に15分、道路沿いに「泥掛け地蔵」を見つけ、体を摩って健康を願う。幸い雨は降らず、歩きやすいがとにかく蒸し暑い。汗が滴る。敏達天皇陵で、一服。N氏持参の「梅ジュース」が何よりの清涼剤。冷えたジュースが蒸し暑い中を歩いて来た体に活を入れ、元気を取り戻す。
西方院を過ぎ、叡福寺で昼食。エジプト、北京、カナダなど海外旅行やパソコンのこと等、時間を忘れて話が弾む。
叡福寺は「上ノ太子」と呼ばれる古刹。推古天皇の勅命で聖徳太子廟の香華所を建てたのが草創。さすがに素晴らしい金堂、多宝塔に圧倒される。一段高いところに聖徳太子廟。聖徳太子の他に太子の妃と母が祀られている。
午後は、用明天皇陵を過ぎ、推古天皇陵を左手に、仏陀寺古墳への高台からは、遠く富田林のPL教団の塔がはっきりと見えた。「ここから花火はよく見えるだろうなあ」と。汗だらけの体に吹き渡る風が気持ちいい。
聖徳太子が遣隋使として派遣した小野妹子の墓は、科長神社の隣、100段の石段を昇ったところにあった。桜や紅葉に囲まれ、太子の町が見下ろせる景勝地。
車の往来が多い166号線に出て、道の駅・近つ飛鳥の里・太子に立ち寄り、小休止。二上山はまじかに見える。
竹之内街道歴史資料館でゆっくり歴史を勉強。暑さと疲れで、今日の予定であった竹内峠を越して近鉄・磐城駅までの行程は断念。
帰りは旧竹内街道を沢山の道標を確認しながら歩いた。古い道標がしっかりと守られ、道路は雨がしみこむ舗装できれいに整備されており、太子町の歴史街道に対する熱意が感じられ、探検隊一同大変嬉しく印象に残った歴史ハイクとなりました。
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