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2017年3月4日(土)
坊領遺跡 現地公開  
坊領遺跡発掘調査   
交野市教育委員会 (財)大阪府文化財センター

 2017年3月4日(土)、坊領遺跡の現地公開が行われた。
 交野市教育委員会と大阪府文化財センターでは、坊領遺跡(交野市星田北2丁目地内、藤が尾小学校東側)で2月初旬より発掘調査を行っています。

 今回、発掘調査の成果が公開されました。主な遺構として、弥生時代から古墳時代の竪穴建物・掘立柱建物・墓などが検出され、当日は1時と2時に分けて2回説明会が行われて沢山の考古ファンが駆けつけました。同地域は、京阪不動産が工事を請け負い、「平和堂」が開設される予定です。

  日時:平成29年3月4日(土日)  午後1時から午後3時まで
  場所:交野市星田北2丁目地内(藤が尾小学校東側)
   
   

現地公開資料
坊領遺跡とその周辺の遺跡
         坊領遺跡現地公開
              交野市教育委員会・公益財団法人大阪府文化財センター
                         平成29年3月4日(土)


これまでの調査成果


 坊領遺跡は大阪府営交野藤が尾住宅付近から北に伸びる台地の上に広がる遺跡です。
本遺跡は今から61年前の昭和31(1956)年に地元の中学生によつて土器や石器が採集されたことにより広く知られるようになりました。
 翌昭和32(1957)年に交野考古学会の皆さんによつて、現在調査を行っている場所の近辺で遺跡確認のための調査(試掘)が実施されました。その時の成果は平成4(1992)年に発刊され『交野市史 考古編』によりますと、土器類(弥生土器・土師器、須恵器・陶器)や、石器(サヌカイト片)が出土し、「コ」の字状に屈曲する溝・炭化物が集中する部分がみつかつたと記されています。そして、特に弥生土器や石器がたくさん出土したこともあり、この時代の遺跡として認識されるようになりました。


今回の調査成果

 今回の調査地は遺跡が広がる台地の先端部分にあたります。調査では南東側(JR学研都市線側)から北西側に向かつてゆるやかにくだる地形(南側の標高30.5m〜 北側の標高29.5m)が姿をみせ、調査地の北西端には南北方向に流れる流路の痕跡がみつかつたことから、調査地は流路を望む小高い場所であることがわかりました。

 標高が高い部分では
古墳時代中期(今から約1600年前頃:5世紀代)の竪穴建物2棟や掘立柱建物2棟(現在は時期が不明)を中心にして多くの柱穴等の遺構がみつかっています。竪穴建物の一つには煮炊きを行うためのカマドが作られています。標高が低くなる部分では流路に向かって流れる古墳時代の中頃の溝や弥生時代後期(今から約1900年前頃)の井戸、多くの柱穴等がみつかりました。また流路のすぐそばで竪穴建物が1棟見つかりましたが、その中に遺物がほとんどないことから、いつの建物かは判明していません。さらに、「口」の字状に溝が巡る方形周溝墓が1基確認できました。残念ながら墳丘は削られており、主体部(遺体を葬つた場所)の痕跡は残っていませんでしたが、周溝から弥生時代中期(今から1200年前頃)の土器がまとまって見つかっています。

 現在までの調査で、調査地は
古墳時代中頃の集落と弥生時代中頃のお墓が形成されていた場所であることが明らかとなりました。

 なお、遺物包含層からは古代の土器、古墳時代の須恵器や土師器、弥生土器や石器がみつかっています。弥生土器の数はそれほど多くありませんが、不思議なことに
サヌカイト製の石器や石器を作るときに出る石の屑がたくさんみつかつています。この状況を考えると調査地の近辺に弥生時代の集落も営まれていたことは間違いないものと言えます。古墳時代以降、長年にわたる土地の利用によつて弥生時代のムラの姿がわかりにくくなってしまったものと思われます。
 これからの調査やその後の整理作業で、より具体的に坊領遺跡の様子を明らかにしていきたいと思います。

現地説明会風景
 標高が高い部分では古墳時代中期(今から約1600年前頃:5世紀代)の竪穴建物2棟や掘立柱建物2棟(現在は時期が不明)を中心にして多くの柱穴等の遺構がみつかっています。竪穴建物の一つには煮炊きを行うためのカマドが作られています。

掘立柱建物  柱穴は一辺0.5m前後

竪穴建物  
北東側(手前)の建物は一辺4m弱で東側にカマドを持ちます
南西側(奥側)の建物は一辺5m前後
 標高が低くなる部分では流路に向かって流れる古墳時代の中頃の溝や弥生時代後期(今から約1900年前頃)の井戸、多くの柱穴等がみつかりました。また流路のすぐそばで竪穴建物が1棟見つかりましたが、その中に遺物がほとんどないことから、いつの建物かは判明していません。さらに、「口」の字状に溝が巡る方形周溝墓が1基確認できました。

古墳時代中期の溝
坊領遺跡の北側にある茄子作遺跡で見つかった須恵器に
よく似た初期須恵器がみつかりました。

弥生時代中期の方形周溝墓 1辺11m前後(溝を含めて)

竪穴建物(1辺3.5m)と流路
出土土器類